第八話 ユーレン誘拐作戦(前編)
今回も前編、後編に分けさせていただきます。
カルブンクルス城城内。
青年は大理石で作られた廊下をせかせかと歩く。向かうは食堂。無論食事を取るためではない。
長い廊下を渡り終え、無事に食堂に到着。静かに入り口の扉を開け、顔だけを覗かせるようにして、中を見回す。食事時間外の食堂は閑散としており、物音一つ聞こえてこない。
うっし、今日も出かけるとしますか!
青年は踊るような足取りで食堂を通り抜け、調理場へと入った。薄暗い通路の先に見えるは食材搬入口――彼が毎日のように利用している扉のかんぬきを外し、両手に力を込めて押す。
ギギギギ
外開きのドアは軋みながら口を開き、闇の世界への入り口を作った。
「お待ちくださいユーレン様!」
青年――ユーレンが外へ飛び出そうとしたまさにそのとき、突如後ろから声が投げかけられた。
「あ? なんだよバトラー」
黒い執事服に身を包んだ老齢の紳士。真っ白な髪を全て後ろに撫で付けている。
彼の名はオルデン王国執事長バトラー、その名のとおり城内の雑務を取り仕切る最高責任者である。
バトラーは小さく嘆息し、ユーレンに向き直る。
「なんだではございませぬ。毎晩毎晩、城を抜け出して……よくもまあ飽きないものです」
バトラーは沈痛な面持ちを浮かべる。
「仮にも次期国王であられる身、軽率な行動はお控えください!」
「うっ」
バトラーのあまりの剣幕に気圧されてしまう。
ユーレンの教育係としても働いていた彼は、幼いころからユーレンと時間を共にしてきた。一緒にいた時間は実の親よりも長いであろう。故に、彼だけは王族の自分に強く出ることができるのだ。
「いや、しかしだな……王子にも息抜きが必要で――」
「息抜きしかしておられぬユーレン様が何をおっしゃるか! 王子はもう二十歳、普通ならば戴冠の儀を終えていてもおかしくないというのに……ああ、おいたわしい。じいは悲しゅうございます」
バトラーは俯き肩を震わせ、ぶつぶつ独り言を呟き始めた。
またこれか、ユーレンは鬱陶しく思う。バトラーが自分を叱るときは必ずといっていいほど長くなる。そうなる前に逃げてしまうのが得策。バトラーとの長い付き合いで導き出した模範解答に我ながら満足する。
「分かっておられるのですかユーレン様! ってお待ちください! まだじいの話は終わっておりませぬぞ!」
「帰ってきたら聞くよ!」
既に外に向かって走り出していたユーレンは聞く耳を持たない。弾むようにして、夜の街へと消えていった。
◆◆◆◆
「戴冠の儀ねえ……あの死に損ないが中々譲ってくれねえんだよな」
ユーレンは裏通りを目指し、静まり返った住宅街を一人歩いている。いつもなら、はやる気持ちを抑えられず一息で駆けてしまうのだが、今日に限ってはそんな気になれない。
先ほどのバトラーの言葉が妙に気にかかっていた。ユーレンとて国政に無関心なわけではない。むしろ自らの手で、この国の現状を打破したいとすら思っている。しかし――
「あの親父のやり方じゃだめなんだよな」
ユーレンが今の国政に加担しない理由。それは現国王である父との考え方の違いであった。
オルデン王は必死にグロワール帝国に取り入ろうとしている。ユーレンは父のその態度が気に入らない。たとえ結果的に関係が改善したとしても、それは一時的なものであろう。その気になれば王国などいつでも潰せる、帝国側にそう付け上がられるのがオチだ。
だからといって、帝国に対し威圧的な態度を取るのも愚策。軍事力で勝る帝国と衝突すれば、ただではすまない。
結論として、ユーレンに今できることは何も無い。いずれ時間が経てば、新たな打開策を見つけることができるかもしれない。ユーレンが動くのはそのときでいい。そう思うようにしている。
「親父が亡くなったときに、本気で取り組み始めればいいよな!」
口では気楽に言い放ったものの、ユーレンの顔は笑っていなかった。
自分でも分かっているのだ。それが目の前の現実から逃げているにすぎないということを。
「くそっ! そんなことは忘れて、今を楽しめ、今を!」
自分自身に言い聞かせるようにして、心に蔓延る不安を追い出す。気乗りしない足に活を入れ、早歩きで通路を進んだ。
やがて住宅街の終わりへとたどり着いた。ここを右側に折れると裏通りに入ることができる。胸の高鳴る音が聞こえてくるようだ。ここに来れば、自然と嫌なことも忘れられる。ユーレンは浮き足立って歩を進める。
「おっ?」
曲がり角に一人の少女が立っていた。胸元を開き、惜しげなく露出させたその脚を見るに、おそらくその界隈の者であろう。
近づくにつれて少女の姿が鮮明になってくる。肩まで伸ばした金の髪が月明かりに照らされ艶かしい。ちらっと少女がこちらを見つめる。
「極上だ……」
思わず声が口からこぼれてしまう。高い鼻梁に碧眼、触れれば融けてしまいそうなほど白い肌は、どこぞの王族をも髣髴させる。
決定だ。ユーレンは舌なめずりをしながら声をかける。
「お嬢さん、いくらだい?」
少女は細い指を3本立てる。
ユーレンは懐から銀貨をとりだし、少女に放った。
少し高い気もするが……こんな上玉は滅多にいないからな。
「商談成立だな。じゃあ連れて行ってくれ」
少女はおずおずと頷き、歩き出す。初々しいその仕草に恐ろしくそそられる。
「ちょっと待て、そっちは宿屋街だぞ?」
少女は裏通りには行かず、宿の立ち並ぶ通りへとユーレンを案内しようとしていた。彼女は振り返るとユーレンの傍までやって来る。
「裏通りではできないようなこと、したくないですか?」
少女が顔をぐっと近づけ、耳元で囁いた。少女の熱い吐息を頬に感じる。
「た、例えば?」
「わたしの口からはとても……体で味わってはいかがですか?」
ユーレンは口に溢れた唾を飲み込み、ゴクリと喉を鳴らす。体が熱くなるのを感じた。
やばい、これは絶対やばい。今日はなんてついている日だ!
無我夢中で何度も頷くと、頭の中に薔薇色の妄想を描きつつ、ユーレンは少女の後ろについていく。
少女はやがて一軒のぼろ宿の前で立ち止まった。看板には“クレイジーイン”と書かれてある。さすが、名前までもいかれてやがるな。ユーレンは、あまりにも出来すぎた名前の宿屋に感服した。
扉をくぐる。薄暗い店内にはカウンターが置いてあり、店主らしき男が立っていた。一瞬ユーレンを見て、目を見開いたが、すぐに目をそらし、素知らぬ顔をする。どうやら店主公認のプレイらしい。
「こっちです」
少女に手を引かれ二階へと上がる。そのまま突き当たりまで移動し、扉の前で立ち止まった。そのまま脇にずれ、中に入るようにユーレンを促す。
ユーレンは唾をゴクリと飲み込むと、扉を開いた。
◆◆◆◆
「やあ、こんにちは」
アルヴィは入ってきたばかりの男に気安く声をかける。
くたくたのシャツに、だぶついたズボン。亜麻色の髪は癖毛なのか、ところどころカールしている。そして極めつけは、首元で神々しく光る巨大な赤の宝石。間違いない、ユーレン王子本人だ。
男の後ろでは、ソフィアが指でブイの字を作っていた。
「ど、どういうことだ? ここでしかできないことって男女同時プレイのことか? 俺は両刀使いじゃねえぞ!?」
男は目を白黒させて怒鳴った。
「ソフィア一体どんな説明をしたの?」
「ふえ!? あの……その……」
アルヴィの問いにしどろもどろになるソフィア。とりあえず放っておこうと心に決める。
「ごほん。ようこそユーレン王子、まんまと罠にかかっていただきご苦労様です。……ソフィア」
ソフィアは扉に鍵をかけると、ユーレンを逃さないように、そのまま扉にもたれかかった。
「何!? 罠だと!? まさか……騙したな!?」
ようやく自身の置かれた状況が飲み込めたユーレンは怒りをあらわにする。
「騙したとは心外な……ただ僕はあなたにご相談があるだけです」
「相談だと? ならば、こんな監禁じみたことをせずに、城まで直談判に来ればいいだろ!」
「残念ながらそういうわけにはいかないんだ。内容が内容だけにね」
不適に笑うアルヴィに、ユーレンが凄い剣幕で詰め寄ってくる。
「こんなことして、無事ですむと思うなよ? お前ら、全員監獄行きだ!」
「いや、断頭台行きだろう。僕は君を殺すつもりだからね」
「!?」
ユーレンが驚愕の表情を浮かべる。まさか殺害目的で誘拐されるとは思いも寄らなかったのであろう。
「ああ、二人だからって甘く見ないほうがいい。僕たちは――」
アルヴィは途中で言葉を切った。眉根を寄せ、へらへらとした表情を消す。
無言のままユーレンとソフィアを乱暴に部屋の奥へと押し込むと、ドアの前に陣取るように立った。
「きゃっ!」
「痛えな! 何しやがる!」
バランスを崩し、もんどりうつようにして倒れた二人が非難の声を上げた。しかし、それには応えず、アルヴィは背中を向けたまま険しい声音で告げる。
「囲まれている、どうやらユーレン王子以外にもお客さんがいるようだ」
言い終わるや否やアルヴィは扉を蹴破った。
「うぎゃあ!?」
今まさに扉を破ろうと、斧を掲げていた男が扉ごと吹き飛ぶ。フードつきのローブで顔を隠した男は、頭を壁に強く打ちつけ、動かなくなった。
「誰かな? あんまり邪魔をして欲しくないんだけども……」
アルヴィは廊下に躍り出る。階段のほうにはこれまたローブ男が三人。ローブが血で真っ赤に染まっているところを見るに、店主は始末されたようだ。
男たちはアルヴィを見ると、少し慌てた様子を見せる。
「な、なんだ? 後をつけたとき、こんなやついなかったぞ!?」
「王子とこの宿に入ったのは女一人だけのはずだ!」
「落ち着け!」
リーダー格らしき男が一渇。途端に男たちは静かになる。
「見られた以上仕方あるまい……消せ」
リーダー格らしき男に指示され、男たちは一斉に剣を抜く。
「話が通じるような相手ではないということだね。じゃあ……」
男たちの目に映っていたアルヴィの姿がぶれる。その場に残像を残し移動。アルヴィは手近の男に膝蹴りを放った。剣で反応することすら許さない。
臓器のつぶれる嫌な音を響かせ、男はその場に崩れ落ちる。
ようやくアルヴィの先制に気づいたもうひとりの男が反撃しようとする――が、もう遅い。
膝蹴りの勢いそのままに放った回し蹴りが男の頭へ直撃。顔面が陥没し、割れた額からはドロドロと脳漿が流れ出る。
「くっ」
残るはリーダー格らしき男ただ一人。男はローブを脱ぎ捨てると腰の剣を抜き払った。
きらめく純白の鎧、抜き放った長剣がろうそくの光を反射する。
「ガ、ガルドス!? ど、どうして……」
部屋から半身を乗り出したユーレンの顔に驚愕の色が浮かぶ。
「申し訳ありません王子。あなたには消えてもらいます! ……ふっ!」
ガルドスはユーレンの問いには答えず、代わりにアルヴィに対して斬撃を繰り出した。
うなりをあげて接近する刃。アルヴィは半歩下がることでこれを避ける。
さらにガルドスは返す刃でアルヴィを逆袈裟に狙う。今度は大きく後退し、間合いを取る。
「すごいね。さっきの二人とは大違いだ」
アルヴィは右手で手刀を作り左手をあてがう。
「憑依魔法――剣!」
アルヴィの右腕が禍々しい黒の光に包まれる。一瞬呆けた表情を見せたガルドスであったが、直ぐに我に返り地面を蹴る。
「参る!」
ガルドスは一息で間合いを詰めると、右脇に長剣を構え、必殺の袈裟切りをアルヴィに叩き込んだ。
今度は避けずに手刀で迎撃する。鈍い金属音が鳴り響き、ガルドスの剣撃を弾き飛ばす。
「なんという剛力か!」
「まだまだ!」
アルヴィはすばやく左手でガルドスの鳩尾を強打する。
「ぐふっ!」
神速の拳が白銀の鎧を大きく凹ませた。
圧倒的膂力。ガルドスが怯んだその瞬間、アルヴィの右腕ががら空きになった胴を貫いた。
「ゲームオーバー」
アルヴィがゆっくりと手を抜く。ガルドスに穿った穴から鮮やかな血液が滝のごとく流れ出、床に黒い染みを作る。
崩れ落ちたガルドスはビクビクと痙攣し、やがて動かなくなった。
アルヴィは右手を振って血を落とし、憑依魔法を解除する。
「アルヴィ様ご無事ですか!?」
たまらなくなったソフィアがアルヴィの元へと駆け寄って来る。
凄惨な殺人現場など全く意に介さず。さすがは魔王の娘といったところだろうか、胆力が違う。
アルヴィは不安そうなソフィアを安心させようと、にっこりと微笑んで見せる。
「かすり傷ひとつないよ。ソフィアは僕が負けるとでも思ったの?」
「いえ、全く思っていませんでした」
「ならいい。さてと――」
アルヴィは、死体を見てわなわなと震えているユーレンに視線を戻す。
まあ、これが普通の反応であろう。
「さて、ユーレン王子。話の続きといたしましょう」
「ま、待ってくれ! お前は何者だ?」
血相を変えてがなるユーレンに、間髪を入れず答える。
「僕はアルヴィ。魔族を率いるもの……魔王さ」
「ま、魔王……」
アルヴィは呆然と立ち尽くすユーレンを引っ張って、再び部屋の中へと戻って行った。
後編は本日21:00ごろの投稿となります。