第七話 王国への旅立ち(前編)
今回も前編、後編の2本仕立てになります。
「うわあ、大きい!」
ソフィアは驚愕の表情を浮かべ、口を大きく開けている。
無理も無い。アルヴィ自身、この何人たりとも通さんと言わんばかりに聳え立つ巨大な城壁に感服しているのだから。
王都カルブンクルス――城の周りに建築された城塞都市である。その堅牢な守りは有事の際、敵の侵入を許さない鉄壁の砦と化す。
城門に設置された関所では、入国待ちの人々で溢れかえっていた。
「さあ、僕らも中に入ろうか」
ソフィアを伴って関所へと向かう。密集した人ごみの中で、もみくちゃにされながらも、どうにか前へ進み、列の最後尾に並ぶことができた。
王国兵を解放した次の日、アルヴィとソフィアは王都に向けて出発した。さすがに空を飛ぶと発見される恐れがあったため、途中から乗合馬車を乗り継ぎ、ここまでたどり着いた。
ソフィアは見知らぬ人間と相席するのに慣れておらず、最初は終始俯きっぱなしだった。しかし、徐々に慣れてきたのか、最終的には御者席まで降りて、興味深げに、馬車を引く馬を眺めていた。
「そろそろわたしたちの番ですね」
ソフィアの声にアルヴィは顔をあげる。ちょうど目の前の人物が検問所へと入って行くところだった。
しばらくすると、アルヴィたちの番が回ってきた。呼びにきた兵士に連れられ中へと進む。検問所の中は思ったより狭く、窮屈そうに二名の兵士が椅子に座っていた。
「通行手形はあるか?」
その内の一人。樽のような体型をした髭面の男が不躾に言う。
「あ、はい。一応紹介状があります」
先日アルヴィが捕虜に書かせたものだ。王国兵の紹介状となれば信用性は高く、面倒な手続きなしに王都へと入国できる。
男は紹介状を乱暴にひったくると、気だるそうに目を通す。
「カルデナ村? ああ、この間魔族に襲われたっていう村のことだな。ほとんど殺されちまったって聞いたが」
舐めるような男の視線がアルヴィ、そしてソフィアに向かい停止する。
「ひっ」
ソフィアが小さく身震いする。未だ人に注目されることには慣れていないのであろう、目を合わせないように俯いてしまった。
そんなソフィアを男は訝しむようにジロジロ眺めている。
まずいな。
アルヴィは背中にひんやりとしたものを感じる。この国の人間は黒髪や茶髪が主流だ。金髪碧眼という、どこぞの貴族のようなソフィアの容姿は目立つ。故に、彼女には頭まですっぽり覆うローブを着用してもらっているのだが、やはり彼女から滲み出る気品は隠せないのだろうか。
アルヴィは兵士たちに不審に思われることを危惧していた。しかしそれはどうやら取り越し苦労だったようだ。
見る見るうちに男のいかつい顔が緩み、慈愛に満ちたものに変化する。ご丁寧なことに不器用な笑顔まで浮かべている。
「まだこんなガキだっていうのに……大変だったな。よし、通っていいぞ」
「えっ」
えらく簡単に許可が下りてしまった。さすがに入国目的の聴取や、簡単な身体検査くらいあるのだろうと思い、それなりに準備はしていたのだが。あまりの簡便さにアルヴィは気の抜けた声を上げてしまう。
「デイブさん、いいんすか? こんなに簡単に通しちゃって?」
「バカヤロ! あのカルデナ村から子供二人だけで逃げて来てるんだぞ! 身内もみんな殺されちまったんだろうなあ。かわいそうに……さあ早く通りな、がんばって生きていくんだぞ」
デイブという名の兵士はどうも情に厚い男のようだ。城門をくぐった後も、未だこちらに手を振っている。アルヴィは軽く手を挙げて応えた。
「アルヴィ様、これからどうしますか?」
「とりあえず宿から探そうか、情報収集はその後からでいいだろう」
城門を抜けた先は商業区となっていた。道路脇には様々な露店が立ち並び、賑わいを見せている。アルヴィたちが目指す宿屋街は商業区の先になる。
「でも、ソフィア本当に大丈夫? 今回の作戦は少し、なんていうか……過激だし」
露天に並ぶ色鮮やかな食べ物にご執心のソフィアに尋ねた。
アルヴィたちは捕虜から得た情報により、王国の内部状況を把握できた。そのことにより、満を持して作戦の第二段階に移行したのであった。
その主たる内容とは、一言で言えば王国の懐柔である。戦力が未だ充実していないこの状況下で、アルヴィたち魔王軍が表立って行動することはできるだけ避けたい。そのための隠れ蓑としてオルデン王国に白羽の矢が立った。
「王位継承権第一位のユーレン王子を拉致殺害、偽者を創造し、送り込み、王国を実質支配する」
昨晩、王の間にてアルヴィがそう言い放ったときは、驚きのあまり、皆目が点になっていた。初会議の際には、ここまで踏み込んだ内容は話していなかったので当然である。
王国兵から手に入れた情報によると、ユーレン王子は夜な夜な城を抜け出し、街に女を漁りに行くとのこと。そのときを狙って誘拐する。ここまではアルヴィの独擅場であったのだが……
「大丈夫です! わたしちゃんと演技できます!」
「そ、そう。ならいいんだけど」
ソフィアは大きな目を吊り上げ、口を尖らせた。本人は少し怒り気味のようだが、残念ながらあまり怖くない、むしろ愛くるしい。
昨日の彼女はなぜだか知らないが、やけに積極的だった。普段、会議ではほとんど発言しないソフィアが、なんと自分自身でユーレン王子を誘惑する役を買って出たのだ。
当初は創造を使い、色魔でも呼び出そうかなどと画策していたのだが。しかしこうなるとソフィアは頑固で、一点も譲らなかった。結局アルヴィが折れて、彼女にその大役を任せることにしたのだ。
「だけど、どうしてこんな役をやろうと思ったの? ソフィアってそんな性格だっけ?」
「え!? いえ……あの、それは……アルヴィ様と二人で……お出かけできるチャンスだと思って……」
「ごめん、最後よく聞き取れなかった。僕がなんだって?」
「な、なんでもないです! 是非一度王都に行ってみたいと思ってたんです!」
一気に捲し立て俯き加減になるソフィア。なぜだか分からないが『アルヴィ様の意地悪……』などと呟いている。一体自分が何をしたというのか、アルヴィはやるせない気持ちに駆られた。
やがて一行は商業区を抜け、宿屋街に到着した。
店の門構えは様々で、年季の入ったぼろぼろの宿屋からきらびやかに飾り付けられた豪華絢爛のものまで、ありとあらゆるニーズに応えていた。
アルヴィ自身、宿の質などは全く気にしない性質なので、なるべく安そうな宿屋を探す。
「クレイジーイン、これにしようか」
アルヴィが指差したのは、通りの端に申し訳なく佇んでいる、今にも朽ち果ててしまいそうな宿屋であった。一見廃墟のようにも見えるが、営業中を示す標識が垂れ下がっていることを考えると、誰か中にいるのであろう。
「ごめんください」
蝶番の外れた形だけの扉をくぐり中に入る。薄暗い店内には小さなカウンターがあり、いかにも腕っ節の強そうな毛むくじゃらの男が立っていた。どうやらこの男が店主のようだ。
「らっしゃい……ってガキか。しかも女連れだ? てめえ、何様のつもりだ。ああん?」
眉根を寄せてドスの利いた声を投げかけてくる。ソフィアはすっかり萎縮してしまったのか、アルヴィの腕にしがみつき震えている。
「お客様のつもり。さあ、部屋を貸してよ。一泊いくらだい?」
店主は苦虫を噛み潰したような顔をする。しかし、数少ない客としてアルヴィたちを認識したのか毒々しくも応える。
「二人部屋一泊で銀貨一枚だ。飯は出ねえぞ」
アルヴィは腰に付けた巾着袋から一枚の金貨を取り出しカウンターに置いた。
「お、お前!? こ、これは!?」
「実は今夜少々厄介ごとを引き起こすかもしれなくてね、その分を上乗せしているんだけど……足りない?」
店主はとんでもないと首を振った。
大陸共通貨幣である金貨は銀貨十枚分に相当する。慎ましく暮らせば、一ヶ月は食べていけるほどの金額である。店主には断る理由などなかった。
「へっへっへ、金さえ頂ければ何も問題ありません。あっしは何も知らない振りをしておきますので」
この金は捕虜にした兵士から押収したもの。したがってアルヴィには何の呵責もない。
店主は態度を一変させるとアルヴィたちを部屋へと案内した。二階の角部屋に当たるこの部屋には、窓が一つと簡素なベッドが二つあるだけであった。
「なんなら、ベッドを一つにくっつけましょうか?」
下卑た笑いを浮かべる店主にソフィアはあからさまな不快感を示している。
首を横に振り、男の申し出を断る。
「結構です。ああ、そうだ。少し聞きたいことがあるんですが」
「何でございましょうか、あっしに分かることなら何でもお教えいたしますぜ」
もみ手をしながら店主がぐっと顔を近づける。むわっとした体臭が漂いアルヴィは顔をしかめる。隣を盗み見るとソフィアも同じような顔をしていた。
ソフィアのことも考えて、もう少し清潔感のある宿にしておけばよかったか、などと今さらながら後悔する。
「えーとね、どこに行けば娼婦を買えるのかな? 場所を教えて欲しいんだけど……」
にやにやしていた店主の目が、一瞬にして点になる。ソフィアまでもが唖然としている。
もう少し遠まわしに言えばよかったか。アルヴィは激しく自らを叱責する。
棒立ちの店主は変態を見るような目つきでアルヴィを凝視していた。当然であろう、ソフィアという美少女を連れながらさらに売女を買う。それが何を意味するかは一目瞭然、明々白々である。
長い沈黙が流れた。ほんのひと時のことであったのだろうが、アルヴィには永遠にも感じられた。さながら生き地獄である。
やがて、店主は再び下品な笑みを浮かべると、感心したように言う。
「まだお若いのに、経験豊富な御仁ですなあ。お任せください! とっておきの裏通りをお教えしましょう」
得心顔の店主は意気揚々と教えてくれた。
説明の最中にときどき飛んでくるソフィアの視線が痛い。そんな目で見ないで欲しい。
「とまあ、こんなところですかね。そうそう、噂では王族もお忍びでやって来るそうですよ」
“王族”という言葉に、隣でソフィアがピクッと反応するのが分かる。
これは今晩にでも作戦を実行できるかもしれない、ついているな。アルヴィはほくそ笑む。
「それとお嬢さん」
店主がアルヴィに部屋の鍵を手渡しながら話しかける。ソフィアはまさか自分に話が振られるとは思いもよらなかったようで、『ふえ!?』と素っ頓狂な声をあげてしまう。
「お嬢さんほどの美人さんは他には滅多にいやしません。おそらく今夜は主役だと思いますぜ、ひひひひ」
男はそう言いながら下へと戻って行った。
空気が変わる。刹那、アルヴィは強烈な殺気に襲われる。出所はもちろん、隣でわなわなと震える少女。華奢な体からは行き場のない怒りが溢れんばかりに噴出している。その凄まじさたるや、肌がぴりぴりと痛むほどだ。
「ソフィア落ち着いて、僕が本気で娼婦を買うとでも思ったの?」
全く反応がない。これは明らかに異常事態だ。おそらく恥辱のあまり我を忘れているのであろう。
今のソフィアには普段のようなあどけなさは一切ない、ただ無機質な表情をこちらに向けて佇んでいる。その上、腕の周りには雷のような魔力の奔流すら窺える。
まずい、こんなところで魔法を使われたら宿屋ごと、いや周囲一体が焼け野原となってしまう!
ソフィアが右腕を頭上高くに振り上げる。バチバチバチと魔力が手のひらに集まっていく。
「ソフィア!」
「っ!」
腕の中でソフィアが小さく悶える。ソフィアの表情が徐々に柔らかな物へと変わっていった。
アルヴィはソフィアを抱きしめていた。なぜそうしたのかは分からない、だがこれが彼女を正気に戻せる方法だと、本能がそう告げたような気がする。
「ア、アルヴィ様? わたし一体何を……」
アルヴィはゆっくりとソフィアを放す。元に戻った彼女を見て安堵の表情を浮かべる。
「何でもない……何でもないよ、ソフィア。きっと慣れない王都に疲れてしまっていたんだろう。少し休憩しよう。作戦の下準備にはさほど時間がかからないだろうからね」
「そう……ですか。ふああ、なんだかわたし眠くなっちゃいました。少しだけ……休ませてもらいます……」
ソフィアは言い終わるや否や、うつらうつら船をこぎ始めた。
そんな彼女をそっとベッドに運んでやる。ソフィアはすやすやと寝息を立て始めた。
最終的に魔法を使いはしなかったものの、膨大な魔力を操作したせいであろう。彼女の体に大きな負荷を与えたのは容易に想像できる。
「しかし、今のは一体何だったんだろうか。瞬間的にだけど、僕以上の力を感じた……」
おそらくあのまま魔法を放たれていれば、アルヴィもただではすまなかったであろう。それほどまでに強い力を感じた。
アルヴィはソフィアを見やる。無防備に寝顔をさらしいている彼女にその面影はない。
ふう、と一つ大きなため息をつく。
「まあ、何にしろ彼女が正気に戻ってよかった……僕も少し休むかな」
背中を反らし、大きな伸びをする。
彼女は一体何者なのだろうか、そんな疑問を胸にしまいつつ、アルヴィもベッドに横になった。
後編は本日21:00ごろの投稿となります。
後編にもお付き合いいただけると光栄です。