第六話 束の間の休息(後編)
六話後編です
「はあ……」
部屋に戻ったソフィアは軽くため息をつく。昼間からの鬱々とした気持ちが未だに晴れないでいるのだ。
狭い部屋――といっても穴倉だが――に不躾に備えられた簡素なベッドに身をゆだねる。
「どうしたのソフィア? ため息なんかついちゃって」
「なんでもないんです、アミ」
作り笑いを浮かべ、ソフィアはルームメイトを見やった。
無駄な脂肪が一切ない引き締まった体に、これでもかというほど高くそびえる胸。短く切りそろえた銀髪に怜悧な美貌、女性のソフィアから見ても大変魅力的である。おまけに高身長ときている、アルヴィと同じくらいであろうか。
「これはなにか隠してるな? お世話係のあたしにも話せないこととなると……男か?」
アミはソフィアのお世話係兼戦闘員である。ソフィアより四歳年上で、同じ部屋を共有している。実の姉のように慕っており、彼女もまたソフィアを妹のように気遣ってくれている。
「ち、違います! アルヴィ様のことは関係ありません!」
「ほっほーう、アルヴィ様のことかあ……もしかしてやっちゃった?」
途端にソフィアの顔が真っ赤に染まる。
「な、なんて破廉恥な! いくらアミでも怒りますよ!」
「ごめん、ごめん。でも、その様子からするとアルヴィ様と何かあったんでしょ? あたしでよければ相談に乗るけど」
あたしに全部ぶちまけちゃいな、と胸を叩くアミ。
昔からそうであった。ソフィアはアミに隠し事ができない。どんなに取り繕っても、すぐに綻びを見つけられてしまう。おおらかな性格なくせに、人の気持ちには敏感なのだ。
ソフィアは観念してアミに胸の内を語り出した。
「あの……ど、どうしたらアミみたいに立派になれますか?」
「ふふん、ようやくソフィアもあたしの素晴らしさに気づいたのね! いやあ、やっぱり分かっちゃうかあ……いざ面と向かって言われると照れるわね」
「ち、違います! アミの内面の話じゃなくて! あの、その……む、胸の話です!」
「はあ?」
アミは呆れたようにソフィアを見つめた。いったいこの子は何を言っているんだ、とでも言いたげな顔つきをしている。
ソフィアは本気で悩んでいた。ソフィアの胸は決して小さいわけではない、しかし大きいわけでもない。いわゆる中途半端な大きさなのだ。もちろん、まだまだ成長段階であり、これから大きくなるのではあろう(そう信じている)が……
ソフィアはアミの胸をおずおずと観察する。自分の胸を丘と例えるならば、アミの胸は山だ。比較するのもおこがましい。
「アミ、お願いです! 胸を大きくする方法を教えてください!」
「いや、方法とか言われても……でも、いきなりどうして?」
「そ、それは……」
ソフィアは口篭ってしまう。ソフィアが胸の大きさを気にしだしたのは最近のことではない。自分はまだ成長期、そのうち大きくなるだろうと比較的楽観視すらしていた。
しかし、そのことを強烈に、悪く言えば悲観的に意識し始めたのはつい先ほど――つまり、アルヴィに胸を触られたときからだ。
アルヴィの相談役として、彼と釣り合うような女性になる。アルヴィと初めて会ったときから抱き続けているソフィアの目標がある。
アルヴィの横に立つ者として恥ずかしくない女性になりたい、その気持ちが増幅され、ソフィアのコンプレックスを刺激したのだ。
「アルヴィ様は万能の御方です。本来、わたしなんかが補佐を務めるべきじゃないのかもしれません……昨日の戦闘だって、わたしはただアルヴィ様の勇士を眺めているだけでした。わたし程度の能力ではアルヴィ様の役にも立ちません。そうであるならせめて……せめて外面だけでもアルヴィ様に見合うようになりたいんです!」
「ふーん、なるほどね……確かにアルヴィ様の強さは尋常じゃなかったから、自分に失望しちゃうのも分かる気はするわ……でもね――」
アミは言葉を切り、ソフィアに近づいて来る。ベッドに腰を下ろすと優しくソフィアの金髪を撫でた。
「それは、ソフィアが勝手に思っていることでしょう? 大事なことはアルヴィ様がソフィアをどう思っているかよ」
「アルヴィ様が?」
「ええ。他の人がソフィアをどう思っていようが、それは関係ないこと。アルヴィ様があなたを相談役……だっけ? それに指名してよかったと、思ってくれさえすればそれでいいのよ」
「だったら尚更、外面を磨きたいです!」
「分かってないわねソフィアは……いい? アルヴィ様があなたを相談役に指名したのには何か必ず意味がある。それは決して外面だけでお決めになった訳ではないはずよ! もし、ソフィアが本当にアルヴィ様に見合うようになりたいと思っているのなら、内面で勝負しなさい!」
「内面……ですか?」
アミは髪を撫でるのを止め、ソフィアの碧眼を覗き込む。彼女の黒々とした瞳に吸い込まれそうな感覚に陥る。
「そうよ! アルヴィ様に認めてもらえるように、ソフィアの心が強くならないとダメ! 積極的になるのよ、ソフィア! アルヴィ様を引っ張るつもりで行動なさい」
アミは親指を立てながら、切れ長の瞳でウインクをする。その仕草はやけに艶っぽかった。
「ありがとう、アミ。なんだかわたし吹っ切れた気がします!」
「うんうん、やっぱソフィアはそうやって笑ってるときが一番かわいいわ」
「あれ? アルヴィ様にも同じことを言われました」
「うそ!? もしかしてアルヴィ様、あなたに気があるんじゃない?」
「ちょっと、アミ!」
「冗談よ、冗談! で、アルヴィ様のことは抜きにして、胸の件はもういいの?」
「それは……できれば教えて欲しいです……」
ソフィアはごにょごにょと呟き、顔を朱で染める。
しょうがない、やはり気になるものは気になるのだから。ソフィアは上目遣いで懇願する。
「よし、教えて進ぜよう。ひとえにご飯をいっぱい食べる、これだけよ!」
アミはドヤ顔で腕を組む。腕の上に豊満な胸が乗り、なぜだか知らないが非常に憎たらしく感じる。
「えい!」
「いたたたた! なんで頬を引っ張るのよ!」
「そんな、体を大きくするような一般論は聞いていません! もっとこう……秘訣みたいなものはないんですか? 特定の食材を摂るとか、つぼを押すとか……」
「そんなものは知らない! だってあたしはこの方法で大きくなったもの!」
ソフィアは引っ張り攻撃を中止、即座にくすぐり攻撃へと移行する。
「や、止めてええ!」
涙を流しつつ悶絶するアミをくすぐり続けるソフィア。もう彼女の表情から杞憂などは感じられない、少女のあどけない笑顔のみが充足していた。
◆◆◆
カルブンクルス城、執務室にて、オルデンは報告書を眺めていた。先日派遣した調査隊が魔族残党と遭遇、激戦の末これを殲滅することに成功したとのこと。
「ふう、頭の痛いことだ。ただでさえ帝国との関係が悪化しておるのに……魔族どもめ、余計なことをしおって」
オルデンは報告書を乱暴に放った。横に待機していた補佐官があわてて書類を拾う。
すっかり白くなってしまった髪を掻き毟る。はたから見ても苛立っているのが分かる。
「帝国に送った親書の返事はまだ来んのか! 向こうにはとうの昔に届いているはずだ!」
いきなり大声を出したせいか、ごほっ、ごほっ、と苦しそうに咳き込んでしまう。同時に眩暈にも襲われ、姿勢を維持するのが辛くなり、机の上に突っ伏す。
補佐官が真っ青な顔でオルデンに駆け寄って来る。
「陛下! 大丈夫でありますか!? 医者にも安静にするように言われております。後は私に任せ、陛下はお休みください!」
オルデンは、懸命に具申する補佐官を荒々しく振りほどき、なんとか声を絞り出す。
「余はもう長くない、このままでは王国は終わってしまう……あのバカ息子に代替わりした瞬間、ここぞとばかりに帝国に呑まれてしまうであろう。なんとか……なんとか余の生きているうちに関係を改善せねばならんのだ!」
齢六十、建国しておよそ四十年が過ぎた。一国の主として魔王討伐に大きく貢献し、この広大な領土を手に入れた。この栄華をたった一代で潰すわけにはいかない。
王妃には先立たれ、残されたたった一人の息子もとんだうつけ、色欲に支配されてしまっている。あれに王位を譲るくらいならば、いっそ他人にくれてやったほうがましだ。
オルデンはしばらく宙を見つめ、やがてあきらめたように首を振った。
「おい、ガルドス親衛隊長を呼べ」
「ガルドス様をですか? なぜ――」
「いいから早く呼ぶのだ! 王命にそむくか!」
補佐官は血相を変えて飛び上がり、わき目も振らずに執務室から出て行った。
オルデン王は内心穏やかであった。なぜもっと早く決断しなかったのだろうか。息子と国、天秤にかければ、どちらが重要かは火を見るより明らかだ。自分の血筋以外の者に国を任せるのは気が引けるが、オルデン王国の存続には変えられない。そのためなら何だってしてみせる。
ごほっごほっ、と再び咳き込みつつも、オルデン王は不敵に笑っていった。
コンコンコン
「入れ」
執務室の扉が開き、銀の全身鎧に身を包んだ男が入ってきた。鎧の胸部には獅子の紋様が刻まれている。これこそが国王直属の部隊であることの印だ。
「よく来たなガルドスよ、今日はお主に頼みたいことがある」
オルデンは目配せをする。補佐官が恭しく一礼をし、執務室から出て行く。
「今から余が話すことは絶対に他に漏らしてはならぬ、よいな?」
「はっ」
オルデンは小さく頷くと、静かに計画を語り始めた。
ガルドスは直立し、身動き一つ取れないでいる。それほどまでに王の口から発せられた言葉が衝撃的であったのだ。吊り上がった目は大きく見開かれ、体中の穴という穴から汗が噴出しているように感じる。ただでさえ通気性の悪い全身鎧を着用しているのだから、尚更だ。
「案ずるな、ガルドスよ。余は乱心などしておらぬ。なに、事後のことは全て余に任せておけ。国の将来のためだ、やってくれるな?」
「わ、私は陛下に忠誠を捧げた身。陛下の命令は絶対であります。陛下がそれをお望みならば、私に拒否する権利はありません。謹んでお受けいたします」
声を震わせながらも、なんとか言葉を返す。
実際、ガルドスも王の発案が理想的に思えた。確かにそちらのほうが、国が存続の道をたどる確率は高いであろう。
「さすがだガルドスよ。決行は今夜、しくじるでないぞ」
ガルドスはその場で跪き、同意の旨を伝える。
今夜、王国を揺るがす大事件が起きる。それが吉とでるか凶と出るかは誰にも分からない。失敗すればガルドスの命はもちろん、王の権威までもが危うい。だが、それを分かった上で自分の主は大博打に打って出たのだ。臣下として最後まで尽くすのは当然だ。
ガルドスは肺の空気を全て搾り出すような神妙な声色で言を紡いだ。
「今夜、王子を亡き者にします」
お読みいただきありがとうございました。
王国内の内情はさらに不安定に・・・いったいどうなるのか
次回第七話 王国への旅立ち 明日の20:00投稿予定です。