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マリー  作者: 沢村茜
8/21

クラスメイトを突き飛ばした女性

 重い気持ちで教室の扉を開けようとしたとき、教室の扉があく。


 髪を肩のラインで切りそろえた、切れ長の目をした女の子が飛び出してくる。


 彼女は扉を閉めると、知美を見た。


「おはよ」


 彼女はそのまま廊下を駆け、姿を消した。


 クラスメイトに溶け込めた気がして、少しだけ心を和ませた。


 まだ名前を覚えていないクラスメイトに勇気づけられ、扉を開けた。


 だが、今日は教室はにぎわいを保ったままだ。その理由は教室内を見渡せばすぐに分かる。知美の斜め前の席に人だかりが出来ていたのだ。


 素知らぬ顔で自分の席に座る。クラスメイトが何人か知美を避け、別の場所に移動する。


 岡江は知美を見ると、顔を背けた。


「絶対誰かに押されたんだよ。すっげえ強い力でどうしようかと思った」

「でも、走っていたんだよね。誰が押せるのよ。何で走っていたの?」


 岡江はその辺りははっきり断言せずに、頭をかく。


「髪の長い女が犯人なんだよな。絶対」

「お前が転落したのを最初に発見したのは湯川だよな」

「わたしじゃないよ」


 笠井の隣にいる湯川が髪の毛を抑えて否定した。


「分かっているよ。お前じゃ、俺より遅いし、無理だって」


 頬を膨らませた湯川を無視して岡江は話を続ける。


「それに一瞬だけど、女を見た気がする。茶色の髪と目をした女。目は金色に近いくらい明るい色で」


 真面目な表情の岡江の頭を前田が後ろから筒状にしたノートで軽く叩いた。


「何か夢でも見たんじゃね? 金色に近い目をした女なんてこの学校にはいないよ」

「確かにな。頭打ったから記憶がごっちゃになっているのかも」

「その人美人だった?」

「どうだろう、というか俺は突き落とされたんだけど」


 扉があき、今度は優子が別のクラスメイトと入ってくる。


 彼女は挨拶をして、廊下側の席に座る。


 彼女のところに笠井がかけていく。二人が話をするのを何度か目にした事がある。仲が良いのだろう。


 狭い教室内なので、教室の端の声も知美の耳に届いていた。


 優子が岡江を指差し、肩をすくめた。


「大丈夫なの?」


「打ち身だから大丈夫らしいよ。本当、ドジだよね」


「聞こえてんだけど」


 岡江は大げさに肩をすくめる。


 笠井は岡江の言葉を聞いて笑っていた。


「茶色の髪、ね」


 優子はそういうと、知美を見て口元をゆるませていた。



 昼休みを終え教室に戻ると、教室内が閑散としている。嫌な予感がして教室を開けると既に鍵が締められていた。


 次の授業は音楽だ。移動教室かも知れないと思ったが、憂鬱な時間が教室に戻るタイミングを遅らせたのだ。


「川瀬さん」


 知美が振り返ると、呼吸を乱した門田が立っていたのだ。


 彼女は鈍く光る鍵を知美に渡す。


「ごめんね。音楽室に着いたら川瀬さんがいないのに気づいたの」


「ありがとう」


 知美は彼女から鍵を受け取り、教室に戻ると教科書を取り出す。その時、いつもより大きなチャイムの音が鳴り響く。


 慌てて教室を出ると、一恵が立っていた。彼女は知美と目が合うと、目を細めた。


「ごめん。授業、遅れちゃったね」


「いいのよ。行こうか」


 彼女は知美を先導するように歩き出す。知美も小走りに彼女の後を追う。


 音楽室に着くと、一恵は扉を開ける。知美は彼女に続いて教室内に入った。


 音楽と家庭科など一部の科目は教える先生が異なっている。音楽を教えているのは田辺という比較的若い教師だ。


「すみません。川瀬さんを呼んできたので遅れました」


 田辺は知美の席を指示すると、二人に急いで席につくように促した。


 彼女の言葉に引っかかりを覚えたが、それ以上追及せずに田辺に言われた席に腰を下ろした。




 変わり映えのしない学校生活を終え、家に帰ると伊代が出迎えてくれた。彼女の手には水色の封筒が握られている。


「友達から手紙が来ていたわよ」


「本当に」


 知美は手紙に飛びつくようにして受け取った。そこには川田有菜という一番親しくしていた友人の名前が記されている。


 知美はリビングに行くと、伊代から鋏を受け取り、手紙の封を開けた。


 そこには封筒と同じ少し小さめの文字で、文章が丁寧に綴られている。


 知美の現状を問うものと、知美のいた学校では変わらない日々が続いているらしい。


 その時、金属音が耳の奥をくすぐる。


 伊代が車の鍵を手にしている。


「今から買い物に行くわ。知美ちゃんも便箋を買いにいかない?」


「行く」


 彼女と暮らして数日だが、いつもは知美が帰ってから出かける事はほとんどない。


 わざわざ待っていてくれたのだろう。


 玄関まで行き、靴を履いた時、玄関の扉があく。


 淡い太陽の光と共に、優子が入ってきた。


 彼女は知美と伊代を見て、顔をしかめた。


「買い物に行くわ。優子も行く?」


 だが、優子は何度も首を横に振ると、知美を睨む。靴を脱ぐと、そのまま階段を駆け上がっていく。


 今日も何か言われるのかと思ったが、何も言われない事にほっと胸をなでおろす。


 伊代と共に家を出ると、銀色の車体の車に乗り込んだ。


 知美は運転席に座り、シートベルトをはめた。そして、車のカギを締めたと合図する。


 伊代は「了解」というと、エンジンを吹かす。


 唸り声をあげ、車が走り出した。知美はシートベルトに押さえつけられながら、窓の外を眺める。


「知美ちゃんは車が好きなのね。将さんが言っていたの」


 知美はうなずくと、駆け抜けていく風景を目で追った。


 弱々しくなった太陽の光が辺りを包み込み、ここに来た時に見た景色とは別世界に迷い込んだような錯覚さえ覚える。映像のワンシーンを見ているようだった。


 だが、道一つ隔てたところに、うっそうと木々が生い茂る家がある。


「あれ」


 知美が伊代を見ると、彼女は目線を泳がせ、小さく「ああ」と口にした。


「あそこはもうだれも住んでいないの。この辺りは家主が引っ越してしまうと、多くが空き家になるのよ」


「すごく穏やかな場所なのに」


「その分、交通の便も悪いし、人の入れ替わりもほとんどないの。ここを出ない限りは小学校の友達は一生の友達。そんなところなのよ」


 以前の学校の友達であれば、それは楽しいだろう。だがここでの友達が一生ついて回ると考えると、心が痛む。


 美佐もそうだったのだろうか。悪魔と呼ばれた彼女に友人がいるとは思えなかった。


「おばさんもずっとここに住んでいるの?」


 その時、知美の視界に更地になった土地が映った。


「わたしは少し離れていて、戻ってきたの。わたしの両親もここを出たのよ」


 伊代の車が駐車場に入る。そこにはこの場所には不釣り合いとも思える大型商業施設があった。周囲から来ている人も多いのか、駐車場も三割ほど埋まっていた。


「この辺りだと、ここが一番大きいの。もし、気にいるのがなかったら、週末にでも少し遠出しましょう」


 そう口にした伊代に連れられ、店内に入ると明るい音楽が響いている。

 人がまばらなこともあり、知美はやけにひろいお店だと感じていた

 その音に飲み込まれないように、伊代の後をついていく。


 彼女の足が止まったのは英字で書かれた看板が天井に掲げられた店の前だ。アクセサリやピアスなどが置いてある。少し入ったところに便箋やペン、ノートなどが置いてある。


「もう一つ文房具屋にもあるから、良いのがなかったらそっちに行きましょう」


 だが、伊代の心配をよそに、知美は紫陽花の絵がプリントされた便箋を手に取る。


「これがいい」


「他にはある?」


「大丈夫」


 伊代は知美から便箋を受け取ると、レジに行く。そして、ついてきた知美に白の薄手のビニールに入った便箋を渡す。


「ありがとうございます」


「どういたしまして。いつでも困ったことがあったら言ってね」


 伊代はそう言うと知美の頭を撫でた。


 一瞬、学校での様子を覗き見られたような気がした。


 知美は「分かった」とだけ言うと、心の中で彼女に謝っていた。


 車を出て、家に入ろうとしたとき、聞きなれたエンジン音が耳に届く。


 ちょうど、将の車が車庫に入ったところだった。


 伊代は知美に声をかけると、一足早く家の中に入る。


 将は車を降り、知美の傍までやって来る。


「買い物?」


「向こうに住んでいたときの友達から手紙が来て、おばさんに買ってもらったの」


 知美は白い袋を将に見せた。


「そっか。よかったね」


 知美はうなずくと、将と一緒に家の中に入ることにした。


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