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マリー  作者: 沢村茜
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新しい異質なクラス

 食事を終えると、茶色のスーツを着た伊代と家を出た。

 学校は歩いて十分ほどの距離にあるらしい。


 もう太陽は高い位置までのぼり、強い光を放つ準備を整えている。その強い光を受け、植物や動物も活力を貰っているような気がし、知美の心も自ずと弾む。


 知美が目を輝かせ、辺りを見渡していると、伊代が優しい笑みを浮かべた。


「そんなに知美ちゃんの住んでいたところとは違うの?」


「はい。ここはすごく素敵なところですね。木や草がいっぱいあって、空気が綺麗だなって。こんなところで暮らせるなんて夢みたい」


「あなたのお母さんもここで育ったのよ。あの家は元々、あなたのお祖父さん、お祖母さんが住んでいたの」


「お祖父さんとお祖母さん?」


 思いがけない言葉に、一言、一言を確認するかのように言葉を繋げる。美佐にも両親がいてもおかしくない。だが、今までその存在を感じた事もなかったのだ。


「どこに住んでいるんですか?」


 知美の問いかけに、伊代は小さな声を漏らす。


「ごめんね。ずっと前に亡くなったの」


 知美は肩を落とす。


「優しい人だったのよ。家に帰ったら写真見せてあげるわね」


 知美はその言葉に頷くことしかできなかった。


 だが、彼女の心にある疑問がわく。


「伯母さんはお母さんのこと知っているんですか?」


「幼なじみだからね」


 伊代の表情に悲しみが浮かぶ。言ってはいけない事をいったのかもしれない。


 知美はそう感じ取り、顔を背け、口を噤む。


「ごめんなさい」


「どうして?」


「お母さんが伊代さんにひどいことを言ったんでしょう」


 伊代の足が止まる。そして、彼女は口元に手を当てると、優しく微笑んだ。


「そんなことないわよ。優しくてかわいい子だった。少しおっちょこちょいなところはあったけどね」


 思いがけない言葉に、伊代を見た。


 彼女が嘘をついているようには見えない。


 だが、彼女の言う美佐像は知美の知っているものとは別人だった。将も別人の彼女を知っているのだろうか。


「昔のお母さんの写真とかありますか?」


「あるとは思うけど、ちょっと探してみないと分からないかも。将さんに聞いてみるわね」


 知美は何度もうなずく。


 そんな知美を見て、伊代も笑っていた。



「あの子でしょ」


 二人の傍を車が駆け抜けたとき、低い声が耳に届く。



 声のしたほうを見ると、塀の影になる部分に小太りな体格のよい女性と、彼女より頭一つほど背の高いショートにした髪の毛を茶色に染めている女性の姿があった。


彼女たちは伺うようにこちらを見ていた。この二人のどちらかが声の主なのだろう。


 だが、二人の様子が急に怯む。


 その原因は知美の傍に立つ伊代が二人を睨んでいたからだろう。


「知美ちゃん、行きましょう」


 伊代は知美の腕を強く引く。


 なぜ自分が見知らぬ人に注目を浴びているのか知りたかったが、聞けないでいた。


 伊代の足は広いグランドのある学校の前で止まる。


門を抜けると、すぐに装飾された玄関が目に着く。生徒たちが使う靴箱は別の場所にあるのだろう。


 玄関から中に入ると、伊代は通りすがりの女教師に声をかける。


彼女はあらかじめ知っていたのか、「ああ」と言うと、校長室まで案内してくれた。彼女がノックをし、校長室に先に入る。そして、少しすると二人を中に案内すると、そのまま外に出て行く。


 部屋の奥にある机には将よりも二回り程年上と思われる男性が座っていた。

 見知らぬ男性の存在に、知美は唇を結ぶ。


 彼は立ち上がると、知美たちのところまで来る。


 伊代が頭をさげたのを見て、知美も頭を下げた。


「川瀬知美さん」


 名前を呼ばれ、背筋を伸ばし、彼を見た。


 そのとき、彼はとても優しい目をしているのに気づいた。


「この子のことをよろしくお願いします」


「大丈夫ですよ」


 伊代をなだめるようにして言うと、彼は知美の頭を撫でる。


「何か困ったことがあれば、いつでも相談しなさい」


 知美はうなずく。


「すまない。名乗るのを忘れていたね。わたしは岡崎と言います」


 岡崎は校長室のソファに二人を座るように促すと、彼自身も向かい側にすわる。


 その時、校長室の扉がノックされる。

 岡崎と名乗った男性が返事をすると、すぐに細身の男性が入ってきた。彼は知美を一瞥すると、目を逸らし、岡崎を見る。


 隣に座る伊代が、驚いたような声を漏らす。


「彼が高田信輝先生、君の担任の先生だよ」


 彼は知美と視線を合わせずに、頭をぺこりと下げる。


「こちらが、川瀬知美さんだ」


「川瀬知美です」


 知美は立ち上がり、頭を下げた。


「頑張ってね。帰りは迎えに来るわ」


 知美はそう言ってくれる伊代に不安を与えたくなかった。


 だから、できるだけ不安を顔に出さないようにして、高田と一緒に校長室を出た。


 薄汚れた窓に、古ぼけた印象の校舎で、その古さは見かけだけではない。

 高田と知美が歩くたびに、床が軋む。

 以前通っていた学校は校舎が新しかったため、アンティークなイメージの校舎は逆に知美の好奇心を刺激していた。

 窓の外に紫陽花の花を見つける。そういえば、もうそんな時期だと思い起こす。


 知美は雨があまり好きではない。雨は空が泣いているような気がしたからだ。


 知美にとって美佐は怖い存在だった。そんな彼女が雨の降る日だけは人が変わったようにおとなしくなり、部屋から出てこないことも頻繁にあった。


 そのことに気づいたときから、雨は人の気持ちを表しているのではないかと漠然と考え始めた。


 視線が刺さるのを感じ、前方を見ると高田が無言で知美を見る。


 知美は謝り、彼との距離を縮めた。


 高田は何も言わず、歩き出す。


 何も言わない高田に違和感を覚えたが、その気持ちは言葉にしなかった。


 もう一つのおかしなことに気づいたからだ。


 知美が高田に追いつくと、高田の歩幅が大きくなったのだ。


 避けられているのではないかと直感的に察する。



 知美は学校でも友達が多いほうだった。美佐には冷たくあしらわれる一方で、先生からは可愛がられることが多かった。

 ここは今までいた学校とは違う場所なのだと、目の前のひょろりとした男に教えられたのだ。


 六‐二と書かれたプレートの前で足が止まる。ここが知美の教室なのだろう。


 高田は目配せすると、扉を横に引く。ざわついていた教室が一気に静まり返る。


「ここで待っていなさい」


 彼からは今までの怯えた表情は消えていた。


 彼は教壇に立つと、転校生が来たことを告げていた。


 そして、知美に中に入るように声をかける。


 知美が室内に入ると、教室が一瞬ざわめく。


 だが、すぐに静かになる。


 知美は高田の隣まで行くと、緊張から生徒とは視線を合わせないことを決める。一礼をすると、自己紹介をした。


「川瀬知美です。よろしくお願いします」


 知美が以前の学校に通っていたときにも転校生が来ることがあった。そのときは知美もクラスメイトに混ざり好奇の視線を向けたり、はしゃぐこともあった。


 当然、同等の反応が返ってくるのだと思っていた。だが、知美が顔をあげても、誰も何も言わない。からかうような言葉さえ皆無だ。


 蝋人形が目の前に並んでいるような、後味の悪さが残る。


 高田は教室の後ろにある席に座るように指定する。その横列は二人分の席が並ぶだけだ。だが、彼も同様に興味がなさそうに顔を背けている。


 その席に向かう途中に何人かの生徒と目が合ったが、誰も会釈をすることもなく、顔を背けていた。


 違和感を覚えながらも、どうすることも出来ないでいた。そして、窓際の席に座ると、息を吐いた。


 クラスの余韻に浸る間もなく、授業が始まる。隣の席を確認したところ、彼が持っている教科書は知美の持つものと同じではない。


 高田に声をかける度胸はなく、隣の席を見た。すると、隣の席の少年と目が合う。


 知美がほっとしたのもつかの間、彼は視線を泳がせる。


 後味の悪さを感じながらも、出来るだけ卒なく頼むことにした。


「教科書が違うみたいなので、見せてくれませんか?」


 だが、彼は頬杖をつき、知美を見ようともしない。


 二度、同じ言葉をかけても、彼は無反応のままだ。


 知美はこれ以上大きな声を出せずに、膝のうえで拳を握る。


「どうした川瀬」


「教科書が違うみたいで」


 高田は溜め息を吐く。


「予備の教科書があるからそれを使いなさい」


 彼は教師の机の脇にある本棚から教科書を取り出すと、差し出した。


 知美は周りと目を合わせないようにして、教科書を受け取っていた。

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