新しい友人と相次ぐ事故
昇降口を出ようとしたとき、背後から呼び止められる。聞きなれない声に警戒心を露わにしながら振り返ると、髪の毛を二つに分けた少女が立っていた。黒目がちな目が興味深そうに知美を見る。
「吉井真美というの。隣のクラスなの。よろしくね」
あどけない笑みを浮かべていたが、文面どおりに受け取ることはできない。
手法を変えて苛めてこようとしているのかもしれないと考えたからだ。知美は口を結ぶと、相手の出方を伺うために黙っていた。
「川瀬さんはこの前、引っ越してきたんだよね」
「ちょっと真美? 何やってるの?」
強い調子の聞き馴染みのある声が響く。いつの間にか同じクラスの女子が二人立っていた。一人は笠井で、もう一人は村井といった。
「この子に近寄らないほうがいいよ」
村井の言葉を口添えするように笠井が言葉を続ける。
その言葉に胸が痛む。
どうせみんなで「悪魔」の大合唱をするのだろう。そう考え、背を向けたときだった。
「そういう言い方やめなよ」
強い口調の声が響く。それは先ほど真美と名乗った少女のものだった。
驚き振り返ると、真美が後からやってきた二人を睨んでいたのだ。
あの二人も知美と同じように驚きを露わにしていた。真美に反論されると思っていなかったのだろう。
「でも、真美。この子の親ってさあ」
「それ以上言ったら怒るよ」
彼女は一喝する。
彼女たちは知美を一瞥するとその場から足早に立ち去る。
知美は予想外の行動に、ただ茫然と彼女を見つめていた。
真美は知美に気が付いたように、照れくさそうに微笑む。そして、細い指先を差し出す。
「あなたと友達になりたかったの。よろしくね」
彼女は知美に手を差し出す。
その真美の笑顔は以前いた小学校で向けられたものと同じものだった。
知美はためらいながらも自分の手を差し出した。
家の中に帰ると、机の一番下の引き出しからマリーを取り出した。
「ただいま」
いつものように挨拶を済ませ、彼女の青い目をじっと見つめる。
マリーはしばらく机の上に置いていたが、しばらくして彼女は夢の中で、自分を人目につかないところに隠してほしいと要望したのだ。
知美は迷った結果、普段は机の一番下の引出しに、入れておくことにした。
毎日学校から帰って、その日にあったことをマリーに聞かせる。いつもは話をしようにも嫌な事しか口に出来ないが、久々にあった嬉しい出来事をマリーに伝えたかったのだ。
「わたしね、友達ができたの。どんな人か分からないけど、仲良くなれたらいいな。わたしに友達が出来たら喜んでくれるよね」
知美はマリーの頭を撫で、彼女を引きだしに戻した。
真美は学校の中で誰が見ていようと知美に話しかけてきた。
それが他の人とは違うという気持ちを知美に与える。
知美も彼女に対して心を開いていく。二人のお互いの呼び名は名前に変わり、彼女とは朝も一緒に行くようになった。
真美と友達になってから、学校も前ほど嫌ではなくなっていた。運動も勉強も出来る真実を慕う生徒は少なくない。誰とでも同じように接し、裏表のない彼女なら尚更だ。彼女の家が裕福だというのもそれに輪をかけていたようだ。
今まで傍観していたクラスメイトも知美を見て笑ったりすることが明らかに減っていた。
優子と彼女の周辺の人、高田だけは相変わらずだったが気にならなかった。
高田が配ったプリントを各々が一枚ずつ手に取り、後ろに回していく。知美はそのプリントを確認して、思わず声をあげそうになる。
そこには修学旅行のお知らせと日程が書かれていた。知美は以前の学校で修学旅行に既に行っていため、考えた事もなかったのだ。
教室が歓喜のざわめきに包まれる。
修学旅行がどういったものかは知美にも分かる。クラスを班で分け、何をするにも班での行動を強いられる。前の学校では仲の良い生徒と組むことになっていたため、友達と旅行をするような感覚で楽しんでいた。
たが、現状で仲の良い生徒と組むなど、仕打ちに近い。
教卓から立ち上がった高田が知美を見ると、息を吐く。
「川瀬は後で職員室まで来い」
高田の言葉と共に、ホームルームが終りを告げた。
知美は職員室と記された文字を確認し、息を吐く。高鳴る不安を抑えながら、ドアを開けた。挨拶をし、あたりを見渡すと、奥に高田の姿を見つける。
足早に用事を片づけようとした知美に前に影が立ちはだかる。
顔をあげると、二十代と思しき女の先生の姿があった。彼女は明らかに顔を引きつらせ、仰け反るようにして知美を避けた。
真美の影響で軽くはなったが、自分が嫌われている状態が終わってない事を痛感する。だが、気を取り直して高田のところまで行く。
彼は知美を見ると、短く息を吐いた。
「話は修学旅行費のことだ。他のみんなは分割で払っているんだが、お前はまだだよな。一応、後から電話をしてこちらから話をしておくよ」
知美は無言でうなずいた。
「クラスで親しい友人は誰がいる? 吉井と話しているのを見たことがあるが」
「クラスに友達はいません」
知美はそう答えるしかなかった。
「同じ班になりたいという人は?」
知美は首を横に振る。
高田も悟ったのか、それ以上は何も言わずに、知美に帰って良いと告げた。
教室に戻ると、知美の席には真実の姿がある。
彼女は知美が教室に入ると手を振って迎えてくれた。
「帰ろう」
笑顔で告げる真美の言葉に、知美は頷いた。
「わたしと同じクラスだと良かったのにね」
下校途中に、高田に呼び出された件を話すと、彼女は大げさに肩をすくめた。
知美もそう望んでいたが、曖昧に微笑むことしかできない。
そう言ってくれる人がいただけでも、今は嬉しかったのだ。
「どうして真美はわたしと友達になってくれたの? いろいろ変な噂あるの知っているよね」
真美は目を見張ると、目を細めた。
「知っているよ。でも、噂は噂。知美を見た時に、思ったんだ。絶対気が合うってね。わたしは変な噂より、自分の直感を信じる」
真実はそう屈託なく笑う。
知美はその言葉に、友達をどうやって作ったかを思い出す。
友達は良いなと思った子がいて、話しかけて親しくなる。それを彼女は他人の意見に左右されずに自分で決心しただけ。当たり前の事なのに、心が癒されていくのを感じていた。
家に帰ると、リビングから出てきた伊代に声をかけられる。
「修学旅行の話は先生から聞いた?」
知美はうなずく。
「お金のことは気にしないでね。行ってらっしゃい」
知美は行きたくない理由も言えずに、ただ頷いていた。
翌々日、学校に着くと、高田と偶然顔を合わせた。彼は真美を気にしながらも、湯川に話をつけたので、彼女の班で良いかと聞いてくる。
知美は「それで構わない」と告げる。
もっとも相手方がそう思っているかは知美には分からないが。
自分の席に行くとき、湯川と顔を合わせたが、彼女は冷たい目で知美を見るだけだった。
帰りがけ真実に修学旅行の班について話をする。
その話を聞いた真実の表情が明るくなる。
「彼女はしっかりしているから良かったね」
「そうなのかな?」
「そう思うよ。学級委員で、友人も多いもの」
肯定的な真実とは異なり、知美は彼女の実像がつかめないでした。
一週間後、再びホームルームで修学旅行の話題が出てきた。そのときに、配られたプリントに班割が記載されている。決まって以降、湯川本人には誰が同じ班かということは聞き出せずにいたため初めて知る班割となる。
幸い優子とは同じ班にはならなかったが、同じ班に笠井の名前を見つけたのだ。
「何で、あの子が入っているの?」
笠井は高田の話を無視して、湯川の肩をつかむ。
「笠井、後からにしろ」
彼女は不服そうに舌打ちをすると、文句を言いながらプリントに視線を落とす。
ホームルームが終わると、笠井は早速湯川を捕まえていた。
顔を引きつらせている笠井とは異なり、湯川は顔色一つ変えない。
「先生に頼まれたからよ。学級委員のわたしが同じ班になってやってくれって。他の班より一人少ないから妥当でしょう」
「だからって断れば良いじゃない」
「別にわたしは頼まれたから入れただけ。他に他意はないわ」
笠井は知美を睨んだ。
その視線の鋭さに知美は体を怯ませる。
「修学旅行に参加するつもりなの?」
「そうだけど」
「嫌よ。あなたとなんか行きたくないわ」
知美も行きたくはない。だが、伊代には言い出せない。
「絶対仮病で休んでよね」
「わたしも仮病に協力してあげる」
優子が人懐こそうな笑みをして寄ってくる。
「あなたが毎日学校に来ているだけでも嫌なのに。もう最悪」
笠井はがっくりと肩を落とす。
「あなたは事態を理解していなさすぎよ。あなたが一緒にきたら、このクラスから死者が出るじゃない。あなたのお母さんの時のようにね。……もしかして、わざと?」
「そんなことない」
「みんなも死にたくないなら、川瀬さんが修学旅行に行かないように説得すべきよ」
笠井はクラス中に声を張り上げる。
誰もあからさまに賛成はしないが、笠井が話すたびに知美に投げかけられる視線が鋭くなる。
チャイムの音が笠井の声を中断した。
そして、扉があき、高田が入ってきた。
クラスメイトは各々の席に戻っていった。
昼休みにトイレの前で湯川とばったり会う。
彼女は知美を一瞥しただけで、特に話しかけようとはしなかった。彼女が知美の傍を通り抜けようとしたとき、知美の決心が固まる。
「あの、ごめんなさい。わたしを班に入れたことで」
彼女は大げさにため息をつくと、知美の言葉に自らの言葉を重ねてきた。
「別に。ただ、先生に頼まれたのと、人数的に無難だと思ったから班に入れただけよ。誤解しないでね」
彼女はそう言い残すと、足早に去っていった。
放課後、真美と靴箱を出ようとしたとき、穏やかな声をした男性の声が聞こえてきた。
振り返ると、グレーのスーツに身を包んだ岡崎の姿がある。
「クラスには馴染めましたか?」
知美はためらいがちに頷いた。
「何かあったら、いつでも言っていいんだよ」
知美の表情から何かを悟ったのか、岡崎はそう言葉を重ねる。
だが、クラス内での出来事を彼に言うのは憚られた。それに、いずれ彼女の耳に届く可能性はあるにせよ、真美の前であの話をしたくなかったのだ。
はい、と小さな声で返事をすると、岡崎は「気を付けて帰るように」と言い、職員室の方に戻っていく。
「校長先生と知り合いなの?」
真美は不思議そうに首を傾げる。
知美は首を横に振った。
「転校した来た日に挨拶をしたくらいかな」
「そっか。転校生が珍しいからかもしれないね」
真美は疑問が解けたのか、明るい表情を浮かべていた。
翌日、学校に行くとクラスがしんと静まり返る。その様子に嫌な予感を感じていた。クラスメイトと目が合うと、あからさまに目を逸らされる。
昨日の話の影響かと思ったが、それを言葉にはできない。
いつもと違う事と言えば、いつも知美より早く来ている笠井の姿がないことだった。だが、知美は気に留めずに、鞄から教科書を取り出すことにした。
知美の一つ前の席が埋まったのは、一時間目が終わった、太陽が眩い光を放ち始めたときだ。教室の扉を開けた笠井がいつもより重い足取りで教室に入ってくる。
「大丈夫?」
笠井に駆け寄ったのは優子だ。彼女は教室までついてきていた笠井の母親から荷物を受け取ると、席まで付き添っていた。笠井の左足にはギブスがはめられ、床につかないように、松葉づえを脇の下に挟み、体を支える。
笠井が知美を流すように見るが、目を合わせようとはしなかった。
教室中の視線が笠井と知美に突き刺さる。
「全治どれくらい?」
「二か月だって」
「階段から落ちたんだってね。災難だったね」
優子と笠井の言葉が教室内に響き、まるで知美に語りかけるような感覚に陥る。
「落ちた、ね」
笠井はため息を吐く。
「岡江君、前茶色の髪の女に押されたと言っていたよね」
「そういや、そういうこともあったよな」
「落ちたというよりは誰かに背中を押された気がするの。その後はよく覚えていなくて、錯覚かもしれない」
「俺のときと同じじゃね?」
岡江の言葉に、笠井は体を震わせた。
「茶髪の女は?」
岡江の問いかけに笠井は首を横に振るだけだった。
「覚えていないの。気絶したから」
「加奈子が落ちたのは、つき当たりの二階と三階の間だよね。そこでこんなものを見つけたの」
優子の手から流れるような鮮やかな茶色の髪が垂れていた。
「前田君のお母さんに聞いたけど、昔もそうだったんだって。全てではないにせよ、たまに茶色の髪の毛が落ちていたってね」
優子は口角をあげて勝ち誇ったような目で知美を見る。
「クラス内でおかしなことが起こりだしたのってあいつが転校してきてからだよね」
示し合わせたようなタイミングで優子の友人がそう告げる。
高田が入ってきて、その会話からは逃れられた。だが、知美に刺さる視線は時間とともに鋭くなっていく。
岡崎が職員室の扉を開けようとしたとき、教員の話し声が聞こえる。
「また、六年二組の生徒が怪我をしたそうですよ」
「やっぱりあの子が引っ越してきてからですよね。こんなことが起こるのは」
話をしているのは六年一組を持っている藤井と五年の担任の増岡だった。
岡崎はため息をつくと、扉を開けた。
ざわついていた職員室が一気に静かになる。その中を見渡しても生徒はおらず、ほっと胸をなでおろす。
こうした噂話がいつの間にか事実として広がる可能性もある。
白井美佐のときのように。
「あまり変な話をしないようにしてください。生徒達の間でもそんな噂が流れています」
その岡崎の言葉に返事を返す者はいなかった。覚悟を決めて、言葉を続ける。
「本当にあの子が原因なら、前の学校でも同様のことは起こると思います。だが、そんな事実はない。だから、ただの偶然の一致でしょう」
誰もはっきりと反論はしない。だが、幾人かの表情に不満が見て取れる。
昔のことを多少なりとも知っている人ほど、不満をあらわにしている。
その表情が彼女の噂の根の深さを示しているような気がしてならなかった。
岡崎は短く息を吐いた。




