お化け屋敷
文化祭も、今日が二日目だ。
私たちの高校では、初日がクラス発表で、次の日が模擬店ということになっている。
今日は二日目にして、最終日。模擬店を出す日だ。
私たちのクラスはお化け屋敷をすることになった。
もともとこの高校では、文化祭でお化け屋敷をすることが禁止されていた。なんでも昔、出し物の最中に事件が起きたとかで、それ以来禁止になってしまったのだ。事件の内容はよくは知らない。だれかが死んだとか、行方不明になったとかいろいろな噂は聞くが、どれも所詮は噂でしかなく、詳しいことを知る者はもう、この学校にはいないようだった。
そんな噂で出し物が禁止になってしまうのは合理的でない。お化け屋敷はメジャーな出し物なのだから、許可しても良いではないか。そういった私たちのクラスの主張が通り、晴れて私たちのクラスはお化け屋敷を開催することができたのだ。
私はお化け屋敷が大好きなのだ。準備にも、自然と力が入った。
「なんだか本格的だね」
体操服に着替え、その上から包帯をぐるぐると巻きつけながら、泰子が私に言った。
場所は私たちの教室の隣で、普段は教材を置くために使われていた。教室はすでにお化け屋敷になっているので、こちらで準備しているのだ。
「やるからには、ちゃんとやらなくちゃ」
答えながら私は泰子の体に巻きつけられていく包帯を見る。ところどころ黒い染みがついているのは演出だ。赤色の照明で演出してやれば、まるで血だらけのミイラのように見えるはずだ。
ミイラ女の隣では、死に装束を着た髪の長い女が立っていた。明美だ。
「こんな感じ?」
演出全般を担当している私に向かって、確認するように聞く。うなだれて、奇妙に体をくねらせるその姿は、明るい中で見ても不気味だった。
長い髪の毛はカツラだ。彼女の髪は短い。
「そうそう、いい感じ。まるで本当の幽霊だよ」
私の軽口に乗っかって、明美は私に襲い掛かるマネをする。その横で泰子は黒い染みだらけの包帯をせっせと体に巻きつけている。
「しかし、本当に長いよね、このカツラ」
明美は自分が身に着けているカツラを指さして言う。
確かに長い。真っ黒なそれは、腰まで到達していた。
「でも、そのほうが怖いよ」
完全にミイラ女と化した泰子が口をはさむ。
「そうそう、やっぱりうつむいた時に顔が見えないってのは重要だよね」
と相槌を入れる。
部屋の隅で、水太郎がぼろぼろの衣装に着替えていた。体の大きな彼は今回のお化け屋敷で、有名な映画に出てくる殺人鬼の役をやることになっていた。服を着替え、ホッケーマスクをつけて、彼はこちらを向いた。堂々とした体躯にホッケーマスクははまりすぎていて、私の隣で明美が息を飲むのが分かった。
私としては、ホッケーマスクが新品なのが少し気に食わなかった。どうせなら、もっと使い込んだ感じが出ていればよかったのだが。しかし、どうせ教室は暗くするし、お客にはそこまで見えないはずである。このぐらいはしょうがないだろう。
「すごいね。ぴったりじゃん」
心の中で妥協しつつ、私は水太郎に言った。
「そう?」
水太郎もまんざらではなさそうだ。姿見に自分の姿を映して、ポーズをとったりしている。
「はい、これ」
そう言って手渡したのは大振りのナタだ。やはりこの怪人には、ナタがどうしても必要だろう。
「これって……」
わずかに水太郎がひるむ。
「もちろん偽物。人なんて殺せないわ」
あからさまにほっとする水太郎を見て、私は少し笑ってしまう。
泰子、明美、水太郎。
この三人で、とりあえずお化けは全員だ。後の人たちは受け付けや、お化けたちの恐怖を演出するためのサポートに回る。一番人手が必要だったのは舞台の設営で、裏方の仕事のほうが大変だということを思い知らされた。
三人が担当するのは午前中で、午後になるとほかのメンバーにバトンタッチすることになっていた。あと少しで、文化祭最終日の始まりだ。
「ねえ、本当にだいじょうぶかな?」
不意に明美が話しかけてきた。心なしか顔が青ざめて見える。
「何が?」
「だって、死人が出たんでしょ。お化け屋敷で」
明美はあの噂を真に受けているのだ。
「そんなのは、ただの噂だよ」
「でも、怪物が出て、みんな殺されちゃったって……」
「何それ?」
「だからね。お化けの格好をしている人たちの中に、本物の怪物が紛れ込むんでいるんだ。そして、入ってきたお客さん達を、一人残らず殺しちゃうんだって」
私は思わずため息を吐いた。噂に尾ひれがついている。事故で死人が出たとかならともかく、怪物だなんて。いくらなんでもナンセンスだ。
「そんなこと、あるわけないでしょ?」
噂を信じ込んで躊躇するなんてばからしい。そんなのはどこの学校にでもある怪談話のようなものだ。それに、過去に本当に死人が出ていたとしても、今の私たちには何の関係もない。それは怪物のせいなんかじゃないし、過去は所詮過去でしかない。私たちが気にするだけ損と云うものだ。
「それに、今更出し物なんて変えられないでしょ?」
私の言葉に、明美は頷く。
「そうだよね。気にすることなんて無いよね」
「そうそう。大丈夫だって」
その時、私たちの頭上でチャイムが鳴り響いた。文化祭最終日の始まりの合図だ。
私たちのクラスは校舎の隅のほうにあるため、静かなものだった。
午前中の受付を担当していた私は退屈していた。
どうせ高校の文化祭なんて、せいぜい身内か、それでなければ他校の友人ぐらいしかこない。それにまだ始まったばかりなので、当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
まあ、そのうちお客も来るだろうと思っていると、高校生ぐらいに見える女が二人連れでやってきた。私服なので、どうやらこの学校の生徒ではなさそうだ。一人は痩せていて、派手な服を着ている。もう一人は少し太めで、地味な感じだった。
なかなか対照的な二人だなと思っていると、痩せた派手な女の方が私を見た。
「すいませーん。お化け屋敷入りたいんですけど」
「はい。百円になります」
二人からお金をもらい、私は教室のドアを開ける。校舎は老朽化が進んでおり、ドアを開け閉めするだけで、結構な音がする。この音を聞いて、中にいる泰子たちは、スタンバイするのだ。今教室の中にいるのは確か一〇人ほど。お化け役が泰子たち三人で、残りは演出や小道具の係だ。
文化祭の出し物のレベルなどたかが知れているが、それでも二人は楽しそうに入っていった。一生懸命準備したこちらとしても、彼女たちの反応は嬉しかった。
受付に座ったまま、私は彼女たちの上げる悲鳴を楽しみにする。
すぐに悲鳴は聞こえてきた。
しかし、彼女たちの上げた悲鳴は、尋常なものではなかった。
絶叫だった。
まるで臓物を体内から引きずり出されているような、身体をミンチにされているような、そんな叫び方だった。
やがて叫び声に咳き込みが混じり始めた。
大量の液体を吐き出すような咳き込み方。
まるで吐血しているような……。
ゴッという打撃音がしたかと思うと、踏みつぶされたカエルのような声がして、叫び声が一つ消えた。すぐに打撃音と共に二人目の叫び声も消えていった。
しばらくの間、私は茫然としていた。
しかしやがて、中でトラブルが起きたのではないかと思い、立ち上がった。
何があったかはわからない。
しかし、ただ事ではない。急いで私は教室へと入っていった。
入り口のすぐ脇にあるスイッチを入れる。なぜか明かりはつかなかった。教室は暗いままだった。
私は小さく舌打ちをした。こんな時に壊れてしまったのか。
仕方がないので私は手探りで奥に進む。
異臭がした。
こんな臭いがしていただろうか。
そしてとても静かだった。自分の呼吸音すら聞こえそうだった。
人の気配がしない。
泰子も明美も見当たらなかった。
らちが明かないと思った私は大声で人を呼んだ。
「ねえ、誰か出てきて!」
しかし誰も出てこなかった。
先ほど入って行った二人も見当たらないし私の不安は募っていく。
教室は暗い。ろくに周囲がろくに見えない。
不意に肩を叩かれて、私は思わず叫んでしまった。
振り返ると殺人鬼の格好をした水太郎が立っていた。彼は無言で私のことを見ていた。
「ああ、よかった。水太郎、あんたさっき二人お化け屋敷に来たの知らない?」
水太郎はしゃべらなかった。ただ私を見ているだけ。仮面越しに舐めるような視線を感じた。
暗いせいで良く見えないが、水太郎はボロボロの衣装に血のりを付けたスタイルで突っ立っている。手にも血のり付きのナタが握りしめられていた。
私は不気味に思った。よく分からないが、ひどく不吉な予感がしたのだ。
「ねえ、知らないの?」
水太郎が発する異様な雰囲気に私はすっかり気圧されてしまっていた。
彼は首を横に振った。否定。知っているということか。
「彼女たちは大丈夫だったの?」
無言。
「問題は無いの?」
縦に首を振る。肯定。
「もう、出ていっちゃったとか?」
縦。肯定。
「そう……」
水太郎は無言で私を睨み続けている。
まるで子供が、初めて見る昆虫を観察しているみたいだった。
もう限界だった。ここにいたくなかった。私は逃げるように廊下に出た。
廊下は明るく騒がしかった。私は現実世界に帰ってきたような、奇妙な感じがした。
椅子にへたり込んだ。
よく分からなかったが、二人はいなかった。
教室にいないのならば、外に出たに決まっている。
そうだ、そうに違いない。
きっと私が教室に入っている間に出てきて、どこか違うところに行ってしまったのだろう。様々な出し物がある。お化け屋敷だけに時間は使えないはずだ。
一度思うと、だんだんそれが正解のような気がしてきた。
そうだ、こんなことで深刻になるなんて、馬鹿みたいだ。
すぐに次のお客さんがきた。
高校生ぐらいの男で三人組。私服だったので、やっぱり他校の生徒なのだろう。
「いらっしゃいませ」
私は彼らからお金をもらい、中へ案内する。
受付に戻ると、先ほどのことを思い出した。
作り物にしてはよくできていた。せっかくやるのだから本格的にやろうと思っていたが、私の想像以上のものになっていた。運営側の私だって怖かったくらいなのだから。
それにしても、水太郎の殺人鬼はよくできていた。
水太郎から事情を聞こうとしたとき、彼は一言もしゃべらなかった。しかもあの異様な雰囲気だ。彼もすっかり役にのめり込んでいたらしい。
衣装やナタの血のりもリアルだった。
そこまで考えた私は、あることに気づいた。
血のりなんて使っていただろうか?
水太郎のナタや衣装には、べったりと血のりがついていた。
たしか血のりなんて使っていなかったはず……。
私がそこまで考えた時、再び教室内から絶叫が聞こえた。
最悪の想像が頭の中を駆け巡った。
私はすぐに立ち上がって教室の中に駆け込んだ。
水太郎を探そうとした私は、しかしすぐに何かにつまづいて転んでしまった。
すぐに起き上がり、私は自分が人間につまづいたことを知る。
先ほどの三人が重なるように倒れていた。
喉が切られているので、死んでいるのは明らかだった。
死体からは、まだ血が流れ続けていた。
私は窓へと走った。私たちがずっと生活していた教室だ。暗くたって問題ない。
窓に辿りついた私は思いきりカーテンを引いた。暗い教室に強烈な光が差し込む。
私はそこで信じられないものを見る。
教室には死体が溢れかえっていた。最初に入った二人の女も転がっていた。死体は腹が裂かれ、腸が体に巻きつけられていた。
クラスメイトも全員殺されていた。
泰子と明美も血にまみれて、並べられていた。
私は自分の体重を維持できなくなって座り込む。スカートが血で汚れてしまったが、もはやそんなことを気している余裕などなかった。
背後に気配を感じた。
濃厚な死の気配だった。
振り返ると、ホッケーマスクをつけた血まみれの大男が立っていた。
明るいところで見ると、水太郎とは全然違った。別人だ。
いや、そもそもこいつは人間なのだろうか。
「あなたは、誰?」
そいつは私の質問には答えなかった。ゆっくりと右手を挙げる。その手には、血まみれのナタが握られていて……。