人の振り見て我が振り直せ
一夜明けた今日の朝。
思った通り、俺はあまり深い睡眠を取る事が出来ないでいた。
今世話になっている宿屋でベッドから起きずにずっと天井を見つめ昨日の事を思い出していた。
出会い頭に突然、強烈な勢いでぶつかり、出会った少女。
その少女から突然助けを求められ、状況がよく飲み込めていなかったが無下に断る事も出来ずに、手を貸した。
少女の名前は確か『マリーベル』
俺よりは、見た目からして歳下だとは思う。
よく手入れされているであろう、綺麗な髪に上品そうな衣服を纏った少女。
良い所の出身のお嬢様なんだろう。別段怪しむ事もなくそう思った。
彼女に危害を加えようとしていた連中を上手く片付けて、彼女が世話になっている場所へと一緒になって送り届けた。
丘上にある館が、今彼女が世話になっている館らしい。
近づくにつれてその館の輪郭がはっきりと見えてくる。
(結構でかい館だな。この子本当に貴族かどっかのお嬢様か)
そんな事をぼんやりと考えていた。
(ここまで送り届ければ、もう大丈夫だろう、今立ち止まっている場所と館は目と鼻の先だ)
ほんの少しだけ彼女を諌めて、すぐに帰るつもりだったのだが…。
蓋を開けて見れば、今日の夕刻の食事をご馳走して貰える事になっていた。
「泣くのは反則だよなぁ…」
両腕を組んで枕代わりにしながら呟く。
あの時の俺は別に謝辞を貰っただけで充分だったし、彼女に見返りを求めて行動した訳でもない。
単純に『放おっておけなかった』のだ。
結果だけを抜粋すれば、助けた事で今日の食事にありつける事になったのだが
まぁ、せっかくのご好意だ。
しっかりと、遠慮なく腹いっぱいにご馳走であろう食事を頬張ろう。
よっし!
と言って反動をつけながらベッドから起き上がる。
顔を軽く両手で叩いて目を覚めさせる。
宿の下にある井戸で顔と歯を磨いて、今日も職探しだ!
昨日の晩に食べた芋とパンは既に俺の胃の中だ。朝飯を抜いて、今日の夜に備える。
(ふっ、この空腹が後の幸福に変わるんだ。ならば空腹もまた最高の調味料の1つと言えるだろう!)
着替えをしながら思いついたままに歌う。
「仕事、仕事~♪俺の仕事はどこにある~♪ここにある~?」
……。
「行くか…」
準備を済ませ、今日も正規職業斡旋所『猫の手』に向かう。
今日も良い天気だな。
容赦なく降り注ぐ日差しが、俺の肌をこんがりと焼こうとする。
こんな表現が頭をよぎるのも、空腹の為である。仕方ないだろう?
空腹ではあるが足取りはそれ程重くはない。
重くなる時はむしろ
「ごめんねぇ、今日も紹介出来そうな仕事も依頼も無いよ」
とフトゥに言われて帰る時だ。
はぁ…。思い出すと気のせいでもなく、足が重くなるな。
初日にへこまされ、日を改めて二度目の「猫の手」へ向かった時に依頼制の話を聞いた。初日にフトゥが最後に何か説明しようとしてくれていたのが、この事なんだとその日判明した。
あの時の俺を気の毒に思っていてくれたフトゥは、毎日数百人単位で人が訪れる『猫の手』で俺の事を覚えていてくれたらしい。すっごい可哀想な目で見られていたもんな…。
そんな数日前の事を払拭し、再び軽やかな足取りで『猫の手』を目指す。
(今日はそう言われませんように!何か新しい仕事が更新されてますように!)
小さな鞄を肩から背負い、歩きながら祈る。
就活遠征8日目。手持ちの金は20G銅貨のみ。
倒れる時は前のめりに倒れよう。
馬鹿馬鹿しいが、その方が俺らしい。
宿を出てから、そろそろ到着してもよい時間になる。もうすぐ見えて来るな。
街も8日目となると色々と裏道を見つけたり、近道を覚えたりする。
最初の4日程はもっと時間がかかったもんだ。
二日目の別の斡旋所なんて行きも帰りも道に迷ったしな…。
あれに比べれば俺も地元の人達程ではないにしろ、ラ・シーンに馴染んできたんじゃないか?
徐々に人通りの賑やかさが増してくる。
舗装された大きな石畳の道には馬車も余裕で通れる広さだ。
「今日も右も左も盛況だなっと!」
すれ違いざまに人にぶつかりそうになるのを、ひょいっと避けてみせる。
今日も職を求める者達と、人手を求める依頼主(もしくはその使い)達とがごった返す、正規職業斡旋所『猫の手』に到着だ。中に入ると今日も大盛況だ。
「こちらの登録用紙にご自身のお名前、経歴を正確にご記入下さい」
「すまねぇ、急に人手が入用になっちまった。腕っ節が強い奴2人と頭の良い奴1人か2人程紹介して貰えねぇか」
「本当ですか、私に依頼が来たの!?やったぁ~!」
初めて登録に来た奴に、人手が足らなくて依頼をかけに来た奴。
別の窓口で喜んでいる女性には依頼があったのだろう。
それこそ千差万別の内容だな。
まぁ二言愚痴を言わせてもらうなら、ここに腕っ節にある程度自信のある俺が居てますよ~…。
後、依頼が来たからってそんなに喜んじゃってさ。恥ずかしくないのかね?
俺よりも年上のお姉さんに見えるけど。
ま、まぁ可愛い顔してるから別に…いや、顔とかそういう問題ではないけどさ!
横目でそんな事を思いながらフトゥら斡旋員の窓口まで足を運び表面に数字が書かれた木製の番号札がある。それを係りのお姉さんから受け取る。
「はい、どうぞ」
ニコっと笑う笑顔に釣られて頬が緩む。
「あ、ありがとうございます」
最近ここに来ては同じ様に番号札を貰っているのに、何故か頬が緩み、少しだけ気恥ずかしくなるのだ。
大人の女性特有の『色気』と言うアレだろうか?
俺の番号は・・・78番か。
結構遅めに来たし、こんなもんだろうな。
複数の窓口から次々と番号が呼ばれ、札を持った男女がひっきりなしに入れ替わる。自分の番号が呼ばれるまでは、ひたすら待機だ。しばらく待機していたら順調に番号が進んで行く。
「70番さ~んこちらの窓口へどうぞ~」
意外に早く70番代まで進んだな。
この分だともう少し待てば、俺の順番まで然程時間もかからず78番が呼ばれるだろう。
「74番さん~どうぞ~」
「75番さん~こちらへ~」
「76番さん~お待たせしました~」
「77番さん~どうぞこちらへ~」
「ディオ君~お待たせ~どうぞ~」
フトゥが手招きしながら良い笑顔でそう呼んだ。
「ちょっと待て!なんで俺だけ名指しっすか!?」
周りの人達一斉に俺を見てるよ。
めっちゃくちゃ恥ずかしいわ。
「いや、番号札を配っている彼女に聞いてね、僕の窓口になる様に調整したんだよ。今日は君の担当がしたくてね。さ、座って」
悪びれる様子もなく、人の良さそうな色黒の中年フトゥはそう話す。
俺も毎回フトゥに当たる訳ではないし、斡旋員の誰が良いなんてこだわりは無いが、初日に担当して貰い、顔と名前まで覚えてくれたフトゥに、少なからず親近感を覚えているのも事実だ。
そのフトゥがわざわざ俺に合わせてくれたのは、少なからずとも嬉しいのだが、わざわざ今日に限って俺が担当になる様に調整をしたっと言うのも少しおかしい話だ。
「フトゥさん、わざわざ俺の担当になる様に調整をしたって言ってましたけど、何かあったんですか?」
率直な感想を言う。
フトゥは目を細めて笑顔を見せてくる。
う~ん、悪いがちょっと気持ち悪い。
どうせならあのお姉さんとかの笑顔を間近で見たいものだ。
いや、それも止めておこう。
俺がおかしくなりそうなのが、容易に想像出来る。
俺がくだらない事を考えていると、フトゥが切り出してきた。
「ディオ君、君に依頼が来ている」
「えっ?」
………。
「だからディオ君、君に依頼が来ているんだよ!」
「…えっ?」
「は、ははっ…」
震える声で乾いた笑いが零れる。
な?言った通りだろ?え?何か言ってたっけ?
考えが纏まらない。
俺頑張ってたもん、知らない土地で日に焼けながら職業斡旋所に回ってさ。頑張っていたんだよ、ほ、ほんとにさ。飯が食えないかもしれなくなる不安と戦いながらさ。
完全に思考が震えている。
心が震えている。
身体全てが震えている。
落ち着けっ!落ち着け俺!いい感じのタイミングで依頼が来ただけだ。
たまたま上手くマッチングしただけだ。さっきの女性の様に手放しで
「喜ぶに決まってんだろぉぉおおおおおおおおおおおおおお!! いやっっっったはぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
腰掛けていたイスから立ち上がり全身全霊で喜びを表現する。
周りにいてる人間の全てが俺に注目しているだろう。
全然恥ずかしくないし!全然平気だし!
この感覚をどう表現するば良いだろうか、そうだ!例えるならば妖魔領にあった溶岩竜の咆哮と呼ばれている活火山が今!まさに俺の中で噴火したような感じである!殆どの人間はそんな火山なんて知らないと思うけど。
「ちょっ、ちょっとディオ君落ち着いて!もう少し静かに!お願いだから!!」
周りの様子も気にせず喜びを表現し続ける俺に、フトゥは慌てて制止しようとする。
「おっしゃぁぁぁああ!ホアッ!ホォォォォォァァ!!」
何をしても彼の喜びを止める事が出来ないのか?
足繁くここまで通い続けた彼の苦労は多少なりとも理解していた。
しかし思った以上に反応する彼の喜び方は、今まで何千人と職を斡旋し送り出したフトゥでさえ理解し難いものであった。
フトゥは祈る。
「ラ・ハーンの神よ。何卒彼を落ち着かせ下さいませ…」
その日の正午前。
正規職業斡旋所『猫の手』付近を通行していた人達の耳に妖獣の様な奇声が聞こえて街が警戒態勢になったとかならなかったとか。