海の化物と陸の化物
船旅も4日目。
非常に快適で、特に不満もない。
むしろこんな高待遇で良いのだろうか?と思ってしまう。
船員に案内されて向かった部屋は一等室だったのだ。
どうやら、パリンガー婦人の計らいで良い部屋を用意してくれたようだ。勿論船内の食事も不満は無く、宿で食べていた物よりもずっと豪華だ。
用意された朝食をペロリと平らげ、特にする事も無かったのでベッドに寝転がり、客室から見える窓の外をぼんやりと眺めていた。
「空が黒いな…。嫌な色だ。ふっ…ふぁ~ぁぁ…ねむ…。少しだけ寝るか…」
良い感じに熟れた腹のおかげで、いとも容易く睡魔がやって来る。波がそう高くないので、船に揺られる感じが少し心地良い。
次第に瞼が重くなり、窓の外から聞こえ始めた雨音を聞きながら俺は眠りに落ちた。
…ォォォォォン
ドゴォォォォォォォン!!
どの程度眠っていたのかわからない。
然程時間は経っていないとは思うが、嫌な音と衝撃に、浅い眠りだった俺はすぐに起きる事になった。
「なんだ?今のは!?」
窓を見れば先程よりも激しさを増した雨が容赦なく船を叩きつけているはずだった。
しかしそこにあったのは巨大な触手。
そして進まず揺れる船体。
ミシミシと船体が軋む嫌な音が聞こえてくる。
「…くそっ!間違いない!」
海妖魔獣の類に襲われていると判断した。
客室から飛び出ようとした矢先、船員が扉を激しく叩き、内側から扉を開けると、強張った表情で現状を伝えて来た。
「失礼致します、お客様!只今本船は海妖魔獣に襲撃をされ、戦闘準備となっております!決して部屋から出ぬようお願い致します!!」
そう言い残し、次の客室へ同等の説明をしに駆け出して行った。扉を開けて船内の様子を覗うと、所々から悲鳴や悲壮な声が上がっていた。
「ついてない…。ほんっっとぉぉぉぉにっ!ついてない!!」
1人で愚痴を言った後、俺は船員に忠告された事を無視して飛び出していた。1等客室は船の上層部、そこから甲板に上げるまでは然程時間はかからない。
途中、何人かの船員に見つかり、部屋に戻れと言われたが、無視して駆け抜ける。
俺が想像した海妖魔獣なら、まず武装船団でもなければ沈む!
揺れる船内に足をもたつかせながら、大雨降りしきる甲板に出るとそこには想像した通りの魔獣が船首から不気味な目を光らせて、触手を幾重にも巻き付けていた。
「ふんっ!やっぱりクラーケンかよ!こんな人通りの多い近海で会うとは思わなかったぜ!」
大粒の雨に身体を打たれながら、吐き捨てる様に呟く。
周りの船員達は槍や剣を手にしては、不安定に揺れる足場を気にしながら果敢に触手に斬りかかっている。
「おい!お前!!一般の客だろう!?何しに来た!ここは危険だ早く戻れ!」
鋭い目つきの船員が近寄り、避難を促す。
「今は避難どころじゃない。船乗りだったら知っているだろう、あいつは海の化物だ。陸地では人間が強くても、海ではあいつら海妖魔獣が絶対の存在だ。あんたらの人数と装備でなんとか出来るのか?少しでも戦える人間が必要だろう?それに俺は元戦士だ。邪魔はしない!」
「お前の様な若造が戦士?冗談言ってねぇで、隠れてろ!」
状況が悪くなる一方の中で、船員は俺の身を案じて言ってくれているのと同時に「邪魔だ」と言っている。
事態が事態なだけに苛立っているのが良くわかる。わかるだけに、今俺も戦わなければこの船は持たないと思っていた。
船員達の怒声が聞こえる中、突如それは悲鳴に変わった。
船体に巻き付き、船を固定していたクラーケンが突如襲って来たのだった。分厚く深紫色の不気味な触手は船を更に軋ませ、武器を手に戦う船員にも襲いかかる。
何人かの船員は巨大な触手で、まとめて吹き飛ばされあまりの衝撃に気絶している。船首から覗かせた不気味な目は確実に船員達を捉えた。
一瞬である。
身体に巻き付かれた運の悪い船員は一瞬で声をあげる事も無く海に引き込まれた。
「くっ…、喰われたっ!」
「助けてくれぇぇぇぇぇぇ!」
「ひぃ!来るな!」
「ちくしょうぉぉぉ!離しやがれぇ!このぉ!!」
最初の犠牲者の末路を見た者達が次々にパニックを起こし始めた。
そしてまた触手に捕まり、クラーケンの『餌』になる船員が増えようとした時、俺は2年近く使う事の無かった『パーフェクトウォーリア』としての力を使っていた。
「11武装開錠」
俺には魔術や魔法の才能は無い。
しかし万物には魔力が宿っているらしい。
大地にも、水にも、風にも、炎にも、草木や動物、人間、妖魔達にもあらゆる存在に魔力は宿っているらしい。
そして、この俺にも少なからずソレが存在しているらしい。
ただ、魔力の総量にも差がある。
生まれてすぐに魔術や魔法の才に恵まれる者がいてる一方で俺の様に魔力が乏しく才の無い者も多く存在している。
生まれ持った者と持たざる者。
俺は『持たざる者』その中の1人だった。
その持たざる俺が、ある者のおかげで唯一習得出来たものがある。
魂に刻んだ武具のみ開錠し顕現する事が出来る俺だけが使える戦いの始まりにして終末の魔法。
瞳を閉じる。
思い出せ…戦いの記憶を。
甦れ…魂の鼓動を。
唱えろ…魂に刻まれしその武具の名を!
「来たれ!4の武装開錠!その名雷霆三日月斧!あんた達は下がって!!俺が引き付ける!…ハァっ!!」
魂に刻まれた武具の1つ。
雷霆三日月斧。
「古龍雷霆」の名を持つこの武具の最大の特徴は、戦斧に宿した雷の斬撃にあり古龍雷霆の牙と鱗で創られたと言われる伝説級の武具の1つである。
白銀鱗の鱗で作られた柄にある彫刻自体が雷の魔術形式となっており刃に雷を宿し続けている。
また柄の端に埋め込まれた魔力石の増幅作用によりその威力は使用者の意思に呼応して雷の威力を増減する事が出来た。
「なんだありゃ…急に武器が…?なんだ、あれ……」
先程まで客室に戻る様に言っていた甲板員が、驚いた表情で呟いた。
今、目の前にいた若造が何か叫んだと思ったら、この暗雲の船上で突如、白銀に輝く馬鹿でかい三日月斧が現れたのだ。
そしてそれを軽々と手にして奮う若者が次々とクラーケンの触手に捕まった船員達を開放している。
甲板員が驚いたのは目の前に現れた武器だけではなかった。
目の前で戦う若者自身にも驚いていた。
(とてつもなく強い…!)
海を行き交う荒くれ者が多い船乗り。その船乗りをもってしても目の前の若者の強さは桁が違っていた。
「なんて、戦い方だ!一方的じゃねぇかよ!!一方的にクラーケンを追い詰めてやがる!なんだってんだ!あいつは!」
「ハァァァ…!どっせいっ!!…次の足!おいそこのあんた!腰を抜かせているなら這いつくばってでも船内に逃げろ!油断してるとまた襲われるぞ!」
「あ、あぁ…す、すまねぇ!」
目の前で腰を抜かせていた船員に檄を飛ばし、退避させる。
決して余裕がある訳でも油断している訳でもない。
今も数十人の船員達が各々戦っているが、如何せん決定打にどうしても欠けている。それに船体も相変わらず巻き付かれて嫌な軋み音が耳を不愉快にさせてくれる。あれこれと考えていても事態は好転する事はない、ならば好転する為には
(やるだけやってみるか…!)
「おーいっ!あんたら全員急いで船内に戻るか、少し離れた所で身体をしっかりと固定して衝撃に備えてくれないか!俺が今から一気に片付ける!その際に発生する非常事態に備えて欲しいんだ!」
「馬鹿な事を言ってんじゃねぇ!お前1人でどうこう出来る化物じゃねーだろ!」
声がした方へ目をやるとこの船の船長らしき人物が、怒りの表情でこちらを睨んでいた。
「こいつは正真正銘の海の化物だ!こいつに何人も喰われて沈んだ船も俺は知っている!そんな化物におめぇ1人で何をしようってんだ!」
「あんたが言う事もわかる。わかるが。このままではこの船はそんなに持たない。全部沈んで、みんな仲良くあいつの餌になるくらいなら、俺の事を信じて欲しい!
…うぉっとぉ!?」
言い終わる前にまた触手が無軌道に襲って来る。
瞬きをする必要は無い。
無軌道な触手が自分の間合いに来るのを確実に待てば良いだけだ。
俺の頭上から錐の様に鋭い触手が迫る。
ブン!!
素早く両手を頭上の標的に合わせて振り抜く。
ドサッ…
俺の後方に斬り飛ばされた触手が、名残惜しそうに動く。
「なんだあの小僧は!クラーケンの強靭な触手をいとも簡単に斬りやがった!?」
本体から切り落とされてなお、うねうねとその動きを続けるクラーケンの触手の一部。その体は強靭かつ柔軟性の筋繊維であり、刃を通さない滑りの塊でもある。
それを一瞬の一薙ぎで切り落とした様を見て、船長が驚きの声を上げる。
「せ、船長!あの若造は何か違うんでさぁ!!とてつもなく強ぇ!あいつが戦ってくれてるから、まだなんとかなってるんでさぁ!」
なおも激しく揺れ続ける船体と次々と運び込まれる負傷者達。船長としての判断は間違っているのかもしれない。しかし現状を打破する解決策もまた海妖の魔獣クラーケンに対し、持ち合わせていなかった。
「…小僧!俺らは何をすれば良い?」
「感謝する!まずはここにいる全員を船内か船首よりも遠くに離れさせてくれ!とにかく衝撃から身を守るだけでも良い!今から一気に終わらせる。あんたらも離れてくれ!」
「よしっ!おめぇら!!聞いての通りだ。前方を警戒しつつ奥へ退避しがれぇ!小僧!本当におめぇに賭けて良いんだな…?」
「…大丈夫。クラーケンを殺るのは別に初めてじゃない。それにあいつが化物なら」
指示を出す船長の声を背中で聞きながら俺ははっきりと答えた。
「俺も充分に化物だ…!!」
雷霆三日月斧を握り締め、俺は魂を奮わす。
怒れ!目の前の敵に!
怒れ!理不尽な暴力に!
怒れ!この俺を本気にさせた事を!!
「雷よ!我が身に纏え!雷鳴よ!我が魂と共に轟けぇ!!」
高らかに唱えた魂言は身体の隅々を駆け巡り、全身に雷を纏った姿に生まれ変わる。
これこそが雷霆三日月斧を最大限に行使する時に顕現する状態『憤怒の雷霆』である。
《終わらせてくる》
返事も出来ず、事の成り行きを見守る船長の目が見開かれていた。
目の前の小僧の雰囲気が変わったと思ったら、雰囲気だけではなく髪の色が銀色に、目の色が金色に変わっていたのだ。
横にいる甲板員に一瞥すると、同じ様に今起こった事が理解出来ないと言わんばかりに口を開けて放けている。
小僧に目線を戻すと船首から言葉通り高らかに飛び出し海妖魔獣クラーケンに斬りかかる。
《憤怒の雷霆による一撃にて消えろ》
船首からクラーケンの頭上目掛けて飛び込み、雷霆三日月斧に俺の渾身の力を以て、重力に雷霆三日月斧の重量を載せて振り下ろした。
《雷霆月輝斬!!》
全身に宿した雷を雷霆三日月斧に流し込む。
両手から柄へ、柄から光輝く刃へと。
輝きは暗雲の海の中煌々と輝く蝶の様であった。
輝きは上空へと飛んで行きそして、一直線にクラーケンに向かって落ちて行った。
光が落ちた先にある結末に、その場を固唾呑んで見守る船員達の誰しもが目を疑った。
ゴオォォォォォォォォォォォン!!
船首から聞こえる巨大な雷鳴と、目を開けていられない程の眩しい雷がクラーケンに落ちた。
直後、凄まじい衝撃が船体を揺らし、船が一気に揺れ始める。
グォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!
グォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ………
………………
耳を塞ぎたくなる様な不気味な断末魔が通り抜け、船員達の身体が一瞬にして硬直してしまう。船首の一部が燃えているのか黒煙が上がっている。
「どうなった!?殺ったのか!?」
船員達が1人、また1人と黒煙に包まれている船首を確認する。未だ止まぬ雨の中、徐々に黒煙が晴れていき、そこには一人の銀髪の青年が立っていた。その奥には頭を両断され、だらしなく朽ち果てたクラーケンの姿が見えた。
《手応えも然程ナい…》
「や、やったぁ…やったぞぉぉぉぉぉぉ!」
「クラーケンに勝ちやがったっ!!」
「凄ぇよ!あの兄ちゃん!」
「うおぉぉぉ!」
口々に勝利を喜び、祝う船員達の中で、船長だけが別の感情を持って青年を見ていた。
あのクラーケンを一人で屠ったのに、なんでも無かったかの様に言い放つ青年に船長は、背筋が薄ら凍る様に寒くなった。
「あんたら大丈夫だったか!?衝撃で吹っ飛んだ人とかいないか?」
そう言ってこちらに向かってくる青年の姿は先程までの銀髪ではなく、
元の黒髪に戻っていた。
表情もさっきと違い、はっきりとある様に見え、近寄りがたい雰囲気もなりを潜めていた。
それを見て船長は初めて安堵の笑みを零すのだった。
「あ、あぁ…、あんたのおかげだ。この船の代表者として礼を言わせて貰う。本当に助かった。ありがとう!」
「あのままじゃあ沈んで船の全員が餌になるのも目前だったし、俺もこんな所で死ぬ訳にもいかないからね」
本当に先程クラーケンを殺った人物と同じ人間なのだろうか?
そう疑いたくなる程に雰囲気も変わっていた。
いや、変な詮索は止そう。
この船を客を船員達を救ってくれた。その結果だけで充分だった。だがどうしても聞いておきたい事があった。それだけを改めて問いてみた。
「あんたの強さ。常人離れしていやがるが、さっき戦士と言ってたよな?どこかの国のお抱え様なのかい?いや、別に詮索するつもりじゃねぇんだ…。話したくないならそれでいい」
雨と海、クラーケンとの戦いでずぶ濡れの船長が、力なく問う。
「俺?正確には『元』戦士なんだ。『パーフェクトウォーリア』って戦士団出身なんだけど、船長知ってるかい…?」
「いや…聞いた事ねぇ名前だ。聞いた事ねぇ名前だが、その名前の通り完全な強さだったぜ!いや、まさかこんな小僧一人でクラーケンを倒しちまうなんてな!が~はっはっはっ!!」
世界の海を行き交う船乗りでも俺の前職は知られていないらしい。
やはりマイナー職なのだろうか。
豪快に笑う船長を余所に、久しぶりに行使した11武装開錠」の
4番目の武具。雷霆三日月斧。
更に確実に止めを刺す為の『憤怒の雷霆』状態への顕現。
完全な便利能力では無いのだ。ズキズキと全身が痛む。
武装開錠、そして顕現状態まで行使してしまうと代償を払わないといけない。魔力の総量が少ない俺が、魔力を駆使する技を使う場合、生命の力を魔力に変換する。それが代償であり、呪いとも言える俺だけの唯一の魔法。
使用すれば必ず寿命が減る様な物騒なものはなく、あくまで酷使した場合に回復が追いつかず、寿命が減る代物だ。
まぁ、後どれぐらいの寿命が残っているのやら。等と1人物思いに耽っていると、雨もいつの間にか止み空は次第に綺麗な夕日へと変わっていった。
「暗雲も抜けたぞ!帆を張れお前ら!病室へ入りきれない怪我人は甲板で手当してもらえ!動ける奴は何人かで客室を回って安否の確認と積荷の確認だ!残りは潰れた箇所の補修と犠牲者の確認作業だ!かかれ!」
「おう!!」
と船長の新たな号令でまた船が慌ただしく動き出す。
船体に身体を預け、夕焼け空を見る。
まだ痛む身体を潮風が包み込んでくれる。
「へ…っ、へっっくちっ!」
あ~、随分とずぶ濡れだな。風邪を引く前にさっさと着替えに戻ろう。
そして出来るなら船員に伝えて、暖かい飲み物でも用意出来るならして貰おう。
それくらいのお願いだったら融通を聞いてくれるだろう。
先日マリーと飲んだ甘めの紅茶を思い出しながら、痛む身体に鞭を打って客室へと戻るのだった。




