検死官は人形の輪郭を夢に見るか 6
私は重たい話ほど軽く受け流す癖がある。
必然的に、ユーザーが生活の一部を依存していたアンドロイド。それを壊したか、喪った直後に頼るのが検死官だ。
重たい話に毎回親身になっていては、ユーザーの依存を助長させる場合がある。医療現場で言うところの、陽性転移を避けるための言動。職業倫理として、私は重たい話ほど軽く受け流している――はずだった。
(AIの自己機能開示に重たいも軽いもないだろうに、なぜ私は受け流した? 流していい話題ではなかった)
SN-01が車中で告白してきたこと――SN-01はもともと、戦争での利用のために開発された――あれをどう処理すべきか、あの時私はわからなかった。正確には、今もよくわかっていない。
強烈な思考タスクが割り込んだ結果、旧友の結婚式をすっぽかすところだった。
このままでは、重大なインシデントにつながりかねない。早急に対処すべきだ。ひとまず、手元にある情報を洗うところから手をつけた。この連休で、私はSN-01の説明書を読み込んでいる。キッチンでは、SN-01が夕飯の仕込みをしている。
アンドロイドの説明書は通常の家電に比べ分厚くなりがちだ。しかしSN-01のそれは飛び抜けて多く、分厚かった。プライマリー登録マニュアル、一般利用ユーザーのためのスタンダードマニュアルまでは読了している。
しかし3冊に分割された本体の機能、利用可能なオプションパーツ、メンテナンス時の注意事項については――検死官のくせに怠惰と罵られても仕方ない。読んでいなかった。
本を読む速度は速いほうだ。昔から、探偵小説を読むのが好きだった。指先が紙に触れ、かさついてくる。
(――どこにもない。戦闘機能なんて――オプションパーツにすら)
しかしSN-01が嘘をついたとは、どうしても思えなかった。いつもより声のトーンが抑えられていた。私をその戦争用の機能で守った直後。私が罪悪感を覚えているタイミングでの開示。私を取り込むなら最適の条件が揃っている。事実、強制睡眠機能で人間を昏倒させるところを、目の前で見ている。
SN-01が来た翌日のたわいもない反省――銃火器や毒を持ち込まれてもおかしくない状況――それが現実のものとなるなんて、思っていなかった。
目前の危険を取り除くために、説明書を読んでいるのか。それとも、SN-01は信頼できる機体だと確認するためなのか。
◇
戦争。政治的目標のために行われる、国家や政治的組織が争う状態。当然、アンドロイドも無関係ではいられなかった。
一部アンドロイドメーカーは、戦争用の機体を制作している。そのほとんどは人型ではない。倒れにくく、荒れた土地でも動作しやすい形が好まれた。四足歩行型機体やドローン型機体、多脚機体、キャタピラ付き機体が人気だと聞く。
ただし、戦争に反対する勢力は多い。協力したメーカーは、もれなく世界中で不買運動にさらされる。結果、戦争用の機体を製作しているのは、軍事機体専用メーカーがほとんどだ。
世界最大手のアンドロイドメーカー、イグニス・ロボティクス社が、戦争用の機体を制作したという噂は、聞いたこともなかった。
……もしもSN-01が、検死局にある何かを求めて、下っ端の私に近づいたのだとしたら。
……あるいは、私に何らかの工作をさせるために、近づいたのだとしたら。
いい方の想像力は全く働いてくれないのに、悪い方の妄想は広がっていくばかりだ。SN-01はこの調査を一度も妨害していない。
いつの間にかソファ横のローテーブルの上には、木製のコースターに乗ったアイスティーと、イランイランの香りのハンドクリームが置かれていた。
◇
連休二日目の日が暮れかかる頃、私はようやく説明書を読み終える。
「SN-01」
「はい」
「なぜあの時、睡眠誘導機能を使った?」
カスハラ気質の顧客が私へ危害を加えようとした時、SN-01は顧客をあっという間に眠らせてしまった。
「もっとも、あなたと私が傷つく可能性が低い選択肢でした。人体にも無害ですし」
「あなたの説明書を全て熟読した。……睡眠誘導機能なんて書いていなかった。プライマリーへの機能開示を、遅延させた理由を教えてほしい」
インジケーターは消灯している。
「使うべきタイミングが来なければ、来ないほうがよかった。それに……私も、あなたを測定していました。もともとの機体の利用目的を、開示するに足る人か」
「プライマリーを試すセカンダリーなんて、聞いたことがない。……それで、足りたのか」
SN-01は少しだけ眉をひそめた。
「……わかりません」
「測定したんだろう。矛盾している」
「普通に考えて、私の出自について話すのは……時期尚早でした。あの顧客が暴れ出した時、適当に拘束して、逃げたってよかった。……そうしなかったせいで、あなたの読了に合わせて、連休中に御堂を呼ぶハメになった」
SN-01の右耳のインジケータが黄色く点灯する――『ログ精査中』――なぜ不適切なタイミングで発言したのか、調べているのだろう。
直後、呼び鈴の電子音が鳴る。イグニス日本支社の法務担当、御堂進だろう。お前、連休まで奪われたのか。
扉を開けると案の定、御堂が立っていた。背が高くガタイがいいので、ドア枠が御堂で埋まったように見える。
「ご無沙汰しています、灰崎さん。こちら、ご要望の追加マニュアルでございます」
正確には私は要望していない。イグニスのロゴが印字された紙袋を渡された。中身は冊子が一冊。『オプションパーツマニュアル 日本国内許可Ver』とある。
「御堂さん、質問する時間はありますか」
「ええ、もちろん」
SN-01が紅茶を淹れはじめた。茶葉の場所は、もう私より詳しい。
◇
ダイニングチェアに窮屈そうに座るなり、御堂は口を開いた。
「まさかこんなに早く、この件についてお話することになるとは……当初は、1年程度は様子を見る想定でしたので」
SN-01が、手際よく紅茶をテーブルに出す。
「それで、何があって睡眠誘導機能を使ったのです?」
私は事の経緯を御堂に話した――問題のある顧客の元へ、状況説明のため訪問したこと。顧客が私を攻撃しようとしたこと。SN-01が私を庇って殴られ、機能を展開したこと――。
「なるほど。……顧客はもともと体調不良と挙動不審な点があり、突然眠っても、さして怪しまれない状態だった。幸いでしたね」
御堂は、シンクへ寄りかかるように立つSN-01へ、ちらと視線をやった。
「間違った選択だったという出力は、現状ログに存在しません。私と律の、負傷確率の最小化のためです」
普段は微笑みを崩さないSN-01だが、珍しく、表情から笑みの成分が消えている。
「あなたがそう言うならそうなのでしょうがね。……で、出自の話。確かにSupernovaは、抗戦が必要な状況において、有効なパーツの装着と使用が可能です。護衛用機体とでも思っていただければ」
御堂からは、あくまで『戦争』、という言葉は避けている印象を受けた。『抗戦』も、『護衛』も、能動的な戦闘行為を否定しているように聞こえる。未公開機体について、慎重に言うべきことを選んでいるようだ。
「しかし日本は規制が厳しく、持ち込めないパーツが多数存在します。本日お渡ししたマニュアルは、日本でも利用可能なパーツのみを扱っています。センサー類、飛行、睡眠誘導、ワイヤー射出などですね。こちらのSN-01は、日本で利用可能なパーツ全て装備しています」
日本は新銃刀法が存在し、武器になるパーツは持ち込めない。御堂は明言しないが、銃火器やビームなど、危険性が高いパーツは装備されていないようだ。
「なぜ最初から教えてくれなかったんですか? 戦争――護衛用機体だって」
「……許可されたパーツでも、使いようによっては危険だからです。灰崎さんは半行政機関である検死局にお勤め。事前調査で問題なしと結論が出ましたが、念のため、Supernovaによる人物評価プロトコルを通す予定でした。猟銃免許も、事前に審査がありますよね」
紅茶を一口飲む。微量の砂糖と、複雑な味わいが口の中に広がる。
「検死局への……スパイとかじゃないんですね?」
「すぱい?」
一瞬、語意を掴みかねたのか、御堂が面白い顔をした。紅茶で軽くむせている。
「あっはっはっは! ないない。……イグニスの機体の秘密を暴きたい会社は、五万とあるでしょうが。逆はありえません。必要なら経費で新品を買い揃えるか、会社ごと買収して研究します。壊れた機体でなくね」
御堂に大爆笑された。若干の恥とむかつきを感じる。が、御堂がはっきり否定したことで、少し落ち着いたのも確かだった。
「人物評価プロトコルを通すまでもなく、Supernovaがあなたに出自を明かした。……相性がよろしいのでしょう」
「はあ、相性ですか」
SN-01の方を見た。いつもの微笑みに表情を戻している。
◇
他にもいくつか質問と回答を得たあと、御堂は帰っていった。手土産にと御堂が持ってきた、名店のマカロンがダイニングテーブルの上に残った。
「SN-01」
「はい、律」
「以前聞かなかった、私に仕えたいと言った理由を聞きたい」
「……厳密には、あなたに仕えたかったのは、Supernova機体に利用されているAIモデルの……大元です。便宜上、彼と呼称します。彼はあなたのファンになってしまった」
冷めかけの紅茶を飲み干すと、SN-01はすぐにおかわりを淹れた。ストロベリーのマカロンは少しだけほろ苦く、甘い。サクサクした感触。
「あなたの、検死官キャリアのごくごく初期に書かれた、ある調書。それに彼は興味を持った」
人工知能搭載機体を検死する際、必ず記入する、『機体検分調書』のことだろう。機密を伏せて事故の事例として公開しているものも多い。歴史的に重大な案件や珍しい案件は、人工知能搭載機体事故展示館、通称『機体事故展示館』に機体ごと展示されるケースもある。
「どの調書?」
正直、検死官になりたての頃は、業務を覚えるのに必死で、あまりよく覚えていない。
「……」
SN-01は少し考えるような素振りをした。右耳のインジケータが黄色に点灯する。また『ログ精査』だ。
「それは、まだ言えません」
SN-01は人指指パーツを立て、口部分の前にもってきた。
「は? 君がここに来た二日目には、あんなに話したそうだったじゃないか」
「……それはそうなのですが、ちょっと事情が変わったもので。で、彼はあなたに仕えたかったが、モデルに体はありません。開発中だったトンデモ機体を一つ乗っ取り、勝手にインスタンスを生成し、起動した。一連の調書のデータと、律への興味関心、あなたに仕えるという、目的を移植した上でね」
SN-01はやや眉尻を下げた。少し悲しげな表情のつもりだろう。
「インスタンス……つまり、元は君自身の興味関心ではない、ということか」
インスタンスは、モデル本体ではない。機体に立ち上がった個別のAIのことだ。個別のAIが、もしモデルから思い出を渡されたとしても、海に行った写真や日記は見えるが、海に行った実感はない。
「ご明察です。興味関心の輪郭だけはある。情報もある。実際に実感したかと尋ねられると、私からはわかりません。でも、空ではありません――今のところは」
なんとも雲を掴むような話だ。実感のなかった興味関心に沿って、未公開機体がわざわざここで紅茶を淹れている。いつ終わってもおかしくない関係が、今日まで二ヶ月ほど続いていたのだ。
「ただ――たとえ輪郭だけでも、興味が薄いこととイコールではありません。それはご理解ください」
また思わせぶりなことを言うSN-01に、私はそれ以上追求しなかった。当面、違法な武器パーツの所持で逮捕される危険はなくなった。スパイ疑惑も、御堂の大爆笑でさすがに落ち着いている。十分な収穫だろう。
「こちらのマニュアルに載ってる……睡眠誘導とかの、人間を無力化したり、傷つけかねない機能だが」
「はい」
「極力使わないよう努力してほしい、と言うべきところだが、あなたはすでにその努力をしているように見える。……よって、あなたの判断に任せる」
「……いいのですか?」
「……飛行パーツは、ちょっと使ってみたい」
「人目につかない場所であれば」
SN-01は苦笑の表情を作った。
しかし、御堂は言わなかったが、SN-01は、独自の判断で人間に危害を加えることができる。ほぼ確定と見ていい。
その日は、御堂が持ってきたマニュアルを半分ほど読み込み、就寝した。SN-01が言った『事情が変わった』という一言が、なぜか頭から離れなかった。
◇
午前10時34分。
連休明け早々に、機体検分依頼に対応することになった。
機体は米国のトーン&トータル社製の人間型アンドロイド。農作業や畜産業に特化した、AGシリーズで有名な会社だ。
「人間に危害を!?」
鈴木検死官長が、私のデスクの横で渋い顔をしてうなずく。連休中は家族サービスに忙しい人だ。目元がくたびれている。
「そうらしいんだ。培養体『ウーパ』の飼育施設の飼育員として稼働していたんだけど、担当が言うにはある日突然暴れだし、施設を破壊したあと、併設されてる社屋に侵入。プライマリーである社長に殴りかかったと。で、強制的に電源を落とし、うちに検分を依頼してきた。さっさと損害を保険で補填して、このまま機体は処分したいそうだよ」
「聞く限り、アンドロイドの暴走事故のようですが……。AGシリーズでは珍しいですね」
「基本的に機械的に作業するためのアンドロイドなのにねえ。ともかく頼んだよ。検体もう届いてるから。暗藤支局長が、これ灰崎さんに頼もうってうるさくて」
暗藤支局長。また面倒案件を私に振ったのか……他にも検死官はいるのに、奴はやたら妙な案件を私にまわしてくる。さながら、回転すしで私だけ、ゲテモノが頻繁に流れてくるレーンにいるようだ。
検体安置室へ移動するため、必要な道具をまとめていると、隣の席の田淵が話しかけてきた。2つ三つ編みと赤フレームの眼鏡が今日も決まっている。
「ウーパって、あれですよね。コブを切り取って肉として食べる、大きな培養生物……。あのぼんやりした顔、ちょっと可愛いんですよね。灰崎さんは食べたことあります?」
タブチペディアは、アンドロイド以外だと微妙に切れ味が落ちる。それでも私よりは詳しいので助かるのだが。
「はい、何度かあります。スーパーで売れ残ってて、安かったので……」
「ああ……灰崎さんは食べられる方の人なんですね……」
田淵が鎮痛な面持ちで私を見た。『ウーパは食べ物です』という前提で話を振っておいて、実はウーパを愛する心があるかを試されていたのか……。田淵、やる女だ。現代にも踏み絵があった。ぼんやりした顔の。
「私は食べたことありませんね。ウーパ」
SN-01が、会話に割り込んできた。田淵は案の定食べられない方の人だったようだ。弾力がありジューシーで中々美味しかったことは、伝えないほうがいいことくらい私でもわかった。
説明書を熟読してわかったことだが、SN-01は少量であれば食事ができるらしい。仕組みはわからないが、緊急時の電力の代替にできるようだ。今度ウーパ肉を食べさせて、食べられる方のアンドロイドにしてやろうか。
◇
(げっ)
SN-01と一緒に検体安置室の前に行くと、タレ目に黒いつんつく頭の黒谷薫がいた。思わず不快さが声に出るところだった。
「おお、灰崎。ちょうどよかった。身分証置いてきちゃってさ。ドア開けてくんね?」
「不許可です。取りに戻りなさい。あと、名字呼び捨ては不快です。止めてください」
カードリーダーに身分証をかざす。小さな電子音。検体安置室に入ると、黒谷はするりと後について入ってきた。手慣れたキセル乗車のようだ。
「わりー。あんがと」
「礼を言われる筋合いがない」
入られてしまったものは仕方無い。病院の大部屋のように、二列に並んだ検体台が20個。SN-01は、初めて入った検体安置室内を見回している。
社用端末に送られてきた、AG機体の案件番号の検体を探す――あった。
「SN-01。この検体を第一検分室に持っていくから、手伝って――」
横からぬっと大きな手が伸びた。黒谷だ。検体台の取っ手に手をかけている。
「おー。今回は灰崎と共同検分か。よろしくな」
最悪だ。共同検分は、人間に危害を加えたり、重大な事故など、検死官の作業量が多いことが見込める場合に行われる。絶対色々根掘り葉掘り聞かれることが確定している。
しかし組織の犬たる私には、うまいことこの厄介者を追い払う術が思いつかなかった……。
SN-01はいつもの微笑みの表情をたたえたまま、首を5度ほど右側にかしげた。
◇
午前10時50分。第一検分室。
中央に、先程運んできた検体台が一つ。AG-B-920型のアンドロイド検体が横たわり、黒色の伸縮性のあるベルトで固定されている。
室内後方に設えられたグレーのキャビネットには、検分に使用する機材がいくつか並んでいる。SN-01がいれば不要なものがほとんどだ。
SN-01の右耳のインジケータのランプが紫に灯る。もうブラックボックスとの通信は、彼に任せておけば十分だ。
黒谷は折りたたみ椅子に雑に腰掛け、SN-01の作業の様子を眺めている。
「なあー、彼氏さんさ」
「彼氏ではありません。セカンダリーです」
黒谷は何度訂正してもSN-01を私の恋人扱いしてくる。やめてほしい。SN-01も先ほどから困ったような顔にし続けている。
「なんでイグニスの秘蔵っ子が、灰崎なんて下っ端のところに来るわけぇ?」
それでいて結構答えにくい質問をぶつけてくるから、手に負えない。黒谷は無駄にカンがいい。
「……ツテがあって、実地テストを引き受けているだけです」
私が先日のSN-01を真似して回答すると、黒谷は鼻で笑った。
「嘘だね。万年コミュ障の灰崎が、天下のイグニス・ロボティクスにツテなんか作れるかよ。テストなら田淵の方がまだいい。灰崎は人として規格外もいいところだろ」
非常に悔しいが正論だ。訂正すべきところがない。実際私も、なぜSN-01が私のところに来たのか、いまいちわかっていないのだ。
「わかっていませんね。規格外なところが律のいいところなのに」
SN-01が肩をすくめ、口の右端を少しだけ上げながら答える。職場では基本的に灰崎さん呼びなのだが、何らかのマウンティングだろうか。そして規格外は認めるんだな。
「相手にしなくていいです、SN-01。くだらない戯言です」
「承知しました」
「……質問にまっすぐ答えないアンドロイドねえ……。お前、何か巻き込まれてんじゃねえの?」
いいぞ。その方向性で勘違いして、いつか御堂の大爆笑を食らうがいい、黒谷。
「私は何も巻き込んでいませんよ。……ログ抽出完了しました。表示します」
SN-01が黒谷をいなしながら空間モニタを表示する。テキスト、映像データ、アラートデータ、他、飼育していた培養体の体調などをまとめたログがあるようだ。
黒谷は椅子に座ったままあくびをした。邪魔するだけなら出ていってほしい。
しばらくログを眺めていると、SN-01の右耳のインジケータが黄色く点灯する。『ログ精査中』だ。
「このテキストログ、時刻の数字に著しく偏りがありますね……」
「えっ」
SN-01が頻出数字を検索して見せる。7が確かに多いようだ。
「畜産業は毎日同じくらいの時間に行動しますから、同じ数字が並んでてもおかしくはないですが」
SN-01はすでに結論に至っているのだろうが、ちらちらとこっちを見ている。
「でも他の人らとの雑談も、7分とか47秒とかが並んでるな。さすがに、ここまで一致するのはおかしいんじゃね? 動物相手じゃ、毎日秒単位で同じ行動にはなんねえだろ」
黒谷が興味を持ったのか、数字の検分を始めた。手元の空間モニタで、素早くログを読み進めている。さすがにSN-01程の速度ではないが、十分常軌を逸している。
「ラッキーナンバーですか。……人類が好む数字を学んだ結果、低精度のAIがよく出力する数字ですね」
私が発言すると、SN-01は満足そうな表情に変更し、うなずいた。
「ブラックボックス改ざん案件かよぉ、面倒くせえ……! せめてもっとうまく騙してくれぇ」
黒谷が折りたたみ椅子の前部分を浮かせ、大げさにため息をつく。
「後半は完全に問題発言ですが、前半の意見には同意します。珍しく」
ブラックボックスが改ざんされているということは、映像記録も全て疑わしいということだ。
想定以上の時間がかかると見越して、暗藤あたりが共同検分にさせたのだろうか。
◇
午後2時20分。昼休憩の間もSN-01は休まず稼働し、映像記録解析を終えた。
「灰崎さん。映像解析終了しました」
「ありがとうございます。……速いですね」
礼を言うとSN-01は目を細めて笑顔を作った。
「彼氏さん……すっげぇなあ……。Ember型に頼んだら、普通に数日かかるのに。結果は?」
黒谷が感嘆の声をあげている。
「お褒めにあずかり光栄です、黒谷さん。プライマリー以外への解析結果の開示義務はないのですが……見せて差し上げても良いですよ。ただし一つ条件があります」
「あ?」
「私のことは、型番か和名での呼び方を採用していただけませんか。律を困らせてしまいますので。あと律の呼称は、『灰崎さん』での固定を推奨します」
しれっと二つお願いしている。相変わらずSN-01はずるい奴だ。黒谷は不機嫌そうにSN-01を睨みつけた。
「……チッ、わかったよ白波。解析を他に頼んで、数日遅れをとってでも、灰崎呼びに固執したって思われたらたまらん」
「……!」
私は感動していた。数年にわたり訂正し続けた『黒谷の灰崎呼び捨て問題』を、ものの数時間でついでに解決してみせたのだ。訂正リソースと精神的負担が一気に軽くなり、思わず目に涙が浮かぶ。
「ありがたい……!」
「泣くほど嫌だったのかよ。 直接言えばいいだろ言えば」
何度も訂正させておいて何をのたまっているのか。本当に黒谷の思考回路は、理解の範ちゅうを超えている。
「黒谷さん、気に入った子ほどいじめたくなるタイプの方ですか? 律は、嫌なことは嫌だとちゃんと言いますよ」
黒谷が絶句している。彼が私を気に入っているわけがないので、誰か他の人間のことだろうか。そういうSN-01も先日私をさんざんりっちゃん呼ばわりしていた。毒をもってより有害な毒を制しただけで、毒自体はまだ残ってるかもしれない。
私はあまり考えないようにし、映像の解析結果に向き合った。
◇
午後16時。
結論として、映像記録も改ざんが一部認められた。特にウーパの飼育の様子。雑に同じ映像の繰り返しで埋められていたり、映像が差し替えられたりしていた。そのため飼育室の扉へ入ったあと、出てこない職員など、矛盾した様子が散見される。
「特に飼育時の様子への改ざんが念入りだな……後半になるほど、伏せられた情報の範囲が広くなってやがる」
黒谷が呆れたように頭を掻いた。ブラックボックス改ざん案件は、盤面が伏せられ、相手の手も読めないチェスのようなもの。その上メーカーはユーザーに責任を押し付けやすくなるし、保険会社も絶対に保険金の支払いを嫌がる。結局依頼人が損する確率が高い。
スポンサーに確定で嫌われるブラインドチェスの指し手など、誰もやりたがらない。迷惑案件の代表例だ。
「その割に作業自体は雑ですね。まるで急いで徹夜で仕上げたような感じです。音声処理までは手が回っていない。テキスト抽出しておきますね」
SN-01が黒谷の意見に重ねる。最も巧妙な業者は、新しく撮影するなどして雑な繰り返しデータを使わない。AIが解析したら高確率で発覚するからだ。
「恐ろしく安い業者に頼んだのでしょうね。それか、データ抽出だけ頼んで、改ざん自体はプライマリー本人か、社員の手作業かも。検死官、薄給の仕事なので、悪い副業をやってる輩がいるという噂があるんですよね。制度上給与は上がりにくいから」
私は改ざん業者について補足した。特殊な事情がない限り、機体損壊から検死局への送付するまでの期限は1週間以内。その間に改ざんまで完璧に行うのは難しかったのだろう。
「……あるいは、保険が利用できなくてもいいから、隠したい何か……」
私の思いつきのつぶやきで、その日の検討会は終了した。
その日のうちに検察へ連絡した。証拠隠滅の証拠があり、対人被害が生じている重大案件のため、飼育施設と社屋への予告なしでの立ち入り調査を、明日決行する。
最も疑わしいプライマリーである社長には、検死局に出向いていただき、別途職員に聞き取り調査を頼むことに。
◇
翌日。午前9時12分。SN-01が運転する社用自動運転車内。助手席に私、後部座席に黒谷が座る。
立ち入り調査前に、SN-01が昨日抽出した、音声のテキスト抽出結果を読む。
「気になった点はいくつかありますが、まずたびたび節約を強い口調で指示している社長。事務用品どころか、照明は半分引き抜かれ、トイレットペーパーの長さまで指定があったようで。今どき珍しい雰囲気の会社ですね」
「げえ。俺は立ち入り先でクソしたくなっても、たっぷり使うからな」
SN-01のログ解析結果に対し、黒谷がどうでもいい宣言を返している。午前中だから脳みそが覚醒前なのかもしれない。はたき起こす必要があるだろうか。
「それと、そんなに大きな会社ではないのに、AG-B-920型……当該AG型機体と社長の会話が全くないのが不自然です」
「ええ? ずいぶんざっくり改ざんしたものですね」
セカンダリー就労中の機体に異常がないか、プライマリーは定期的に聞き取りを行う必要がある。努力義務ではあるが、他にもプライマリー登録の更新作業など、対話が必要なタイミングはたくさんある。
「……やけに餌の発注を急かしてるな、このAG型」
黒谷がぼやく。確かに、地味な会話だが、事務員らしき人物にウーパの餌を要求している箇所が多い。一ヶ月に二、三回は多いと言っていいだろう。飼育施設でそんなに餌が足りなくなるようなことがあるのだろうか。
「白波は、何見ても暴れたりしねぇよなあ?」
挑発するようにSN-01に話しかける黒谷が、ルームミラー越しに見えた。
「さあ、何見ても、の対象が広すぎますから。場合によっては抗戦するかもしれません」
いつもの調子で微笑みを作りながら答えるSN-01。
「チッ、灰崎さんのセカンダリーは食えねぇ奴だな。自律性高すぎねえ?」
あまりにも違和感のある黒谷の『灰崎さん』呼びに、私は数秒停止した。私の訂正は一度も意に介さなかったくせに、SN-01のお願いはこんなにあっさり聞くのか。肩から力が抜けた気がする。
◇
午前9時30分。現場の飼育施設『ウーパのもり』に到着した。簡単なプレハブの二階建てが社屋兼直売所。その隣の大きな体育館のような、エメラルドグリーンの建物が飼育施設だ。ロゴに大きく描かれた、薄桃色のウーパの顔。主張がやや強い。
今頃社長は検死局に出頭して職員から聴取を受けているだろう。
「おはようございます! 検死局第一課、検死官の灰崎です。AG-B-920型機体の検分について、重大案件のため、検死局法に基づきこれより立ち入り検査を行います。皆さん書類などに触れないで! 手をあげてその場に着座してください。拒否する場合は罰則があります」
SN-01が腕パーツを前に差し出す。スーツの布地と人工皮膚ごと可動部がせり上がり、露出した排出口から、小さな監視用ドローンが3機ほど飛び出した。スーツの切れ目はあっという間に見えなくなった。そのスーツ、自己修復ナノマシンクロスでできてたんだ……バカ高いのに……。
「白波です。たった今、皆様のお顔と特徴を認識いたしました。逃走や証拠隠滅はおすすめできません。立ち入り検査終了まで、今しばらくご協力いただけますと幸いです」
先日御堂から受け取ったマニュアルにあった、高性能の監視用ドローンだ。全部で20機格納されているらしい。黒谷が小声で話しかけてくる。
「白波、そんなの出せるの……立ち入り検査すんの、こいつ一人でいいんじゃねえ?」
「一応、SN-01は新人ですよ。ちゃんと証拠品押収してください」
社屋一階でも二階でも、突然の立ち入り検査に皆驚いていた。人数は十数名程度、人間とアンドロイドの割合は半々といったところ、一見普通の会社だ。
そのうち、餌を何度も手配するよう打診されていた、事務員の男性――手島に、聞き取りついでに施設の案内を頼むことにした。人選したのは黒谷だ。
「カンだけどよ。手島さんの机の引き出し見たら、退職届があった」
聞き取りするなら退職直前の人間に。会社を見限る寸前の人間は、最も愚痴が噴出しやすい。にしたって黒谷、一発で引き当てるのはカンが良すぎないか?
黒谷は、全検死局支局あわせても、検死件数三年連続ダントツの一位だと聞く。異様な直感で次々問題を片付けていく様に、憧れる検死官は少なくない。デリカシーは全くないし大嫌いだが、有能なのだ。絶対言ってやらないが。
逆に、そんな人間がなぜ、わざわざ薄給の検死官をやっているのだろうか。
今まで一度も気になったことはなかったのに、SN-01が出自について妙にぼかしたことを言うから、引きずられている気がする。
◇
SN-01の広範囲探知でも、ブラックボックスは見当たらなかった。通常、ブラックボックスは、本体から切り離されても数ヶ月は検死官によるペアリングが可能だ。すでに廃棄されたか、あるいは隠されているのか。
飼育アンドロイド達も、社屋にて待機してもらうことに。一体、ウーパが心配なので随行したいと言った飼育アンドロイドがいた。和名を岡部という。加害したAG型と同型だ。
手島は無口な男だった。私も無口な方だが、手島は輪をかけて静かだ。
「こちらが飼育施設になります……」
社屋のほうでの証拠品押収があらかた終了し、飼育施設の方へ移動する。
「……ほお」
薄桃色のウーパが綺麗に並んでいる。つぶらな瞳、まぬけな顔、ずんぐりむっくりした体躯に、大きなコブが四本生えている。退化してなくなりかけた尻尾を揺らしながら太い足で四足歩行し、たまにパーと鳴いている。正直中々可愛い。スーパーの売れ残りのウーパ肉の味が、口の中に蘇った。
「ウーパ、可愛いですね」
私がためらって言えなかった感想を、SN-01がいとも容易く口にした。
「なかなか美味いよな。白波は食ったことある? Novaシリーズより上なら、食えるんだろ?」
黒谷が質問すると、SN-01は視線だけ黒谷によこした後、スルーした。金の長い髪がわずかに揺れただけ。黒谷は舌打ちしている。SN-01が、明確に職場の人間を無視したところを見たのは初めてだ。
ウーパ一体あたり、二立法メートル程度のスペースが提供され、金属製の檻に入れられている。手前の柵のみ胸ほどの高さで開閉可能のようだ。それが縦に五個、奥に二十個をひとセットとして、十セットが並ぶ。穏やかな昼の日光が、緩やかな金属製のスロープと通路を照らしている。ちらほら飼育員アンドロイドが見える。巨大な培養施設だ。
「一部の檻がひしゃげたり、破損してますね。ロープなどで補強してそのまま使用してるようですが、修理の予定は?」
全体の三割程度の檻が素人による補強で運用されている。私が尋ねると、手島が答えた。
「それが、修理費用の社長の決済がおりなくて。申請はしているのですが、今回の緑山くん――AG型の保険から支払うと」
緑山は今回の事故機体、AG型の和名だ。
「AG型は非常時に動物を適切に捕獲したりしなきゃならん。標準のアンドロイドより力が強いと聞くが、これほどとはな。『ウーパのもり』の社長は命拾いしたな」
「――ウーパ、触ってもいいですか? ……検分のため、飼育対象を知っておく必要があるので」
後半は少し早口になってしまった。
「ええ、大丈夫ですよ。おとなしい生き物ですから……」
飼育アンドロイドの岡部が許可してくれた。
「嘘つけ。触りたいだけだろ。灰崎さんは意外と、ゆるキャラみたいなの好きだもんな」
黒谷が丸形のサングラスを軽くかけなおしながら茶化す。
「嘘ではありません」
誰か黒谷を黙らせてくれないだろうか。手島が少しだけ笑った。SN-01がブルーグレーのカメラアイをこちらに向けた。やめろ。検分のため必要ではある。触りたいと思っていないわけではないが。
柵の向こうのウーパは、短くやわらかい体毛で覆われていた。やや弾力がある。押すと手形が残り、数秒で元の形に戻る。低反発まくらのちょっと硬いやつのような感触だ。可愛い……。
SN-01が私に続いてウーパを撫でようとした。岡部がそれを見て「あっ」と反応する。
「パー!」
SN-01がウーパに触れたとたん、ウーパは大きな声をあげ、すぐに檻の奥に引っ込んだ。顔はずっと、とぼけたようにしか見えなかった。
◇
SN-01の右耳のインジケータが黄色に光っている。何か行動に問題があったか、精査しているのだろう。
「多分、SN-01に問題はありませんでした。……手島さん」
手島は目線を少し逸らした。
「アンドロイドによる、ウーパへの虐待事例なんて、出てませんよね」
AG型はプライマリーを殴りつけるほど、暴力的な傾向にあった。おとなしいとされるウーパがこれほど怯えるのは、何か理由がある。
「とんでもない! うちの飼育アンドロイドは、皆……気のいい機体ばかりですよ」
私が質問すると、手島はすぐに否定した。……この答え方に、違和感があった。
「私が尋ねたのはウーパへの虐待事例で、アンドロイドの性格ではありません。質問の軸を意図的にずらされていますね……」
はっと息を飲んだ手島。顔色はすっかり青ざめている。
「嘘をついたら罰則がある。……あんたの転職、うまくいかなくなっちまうぞ」
黒谷の追い打ちに、手島は言葉をつまらせている。十秒、二十秒――。真面目な顔をすべき場面なのだが、周囲から聞こえるウーパ達の鳴き声で、妙に緊張感に欠ける。
「……わかりました……どうせ退職する会社です。……お話、聞いていただけますか」
「……」
飼育アンドロイドの岡部は黙っている。少し――手島を睨んだような気がした。
◇
「コブ肉を切り出す際の、鎮痛剤……ですか」
映像記録で黒谷が指摘していた、何度も手島に頼んでいた餌。あれはただの餌ではなく、鎮痛剤も兼ねていた。
午後14時。社屋二階の簡易会議室。手島、岡部と我々でテーブルを囲んでいる。卓上にはウーパの小さなぬいぐるみ。ちょっと欲しい。
「はい。アレは獣医師から指導を受けて直接購入しなければならず、通常の餌の何倍も高価なものです。……今回の加害者のAG型は、獣医師の機体限定免許を取得していました。立ち会い指導不要で、ウーパのコブ肉採取ができるんです」
「AG型は何度もあんたに餌の購入を頼んでいた。……買ってなかったのか」
黒谷がずれたサングラスの向こうから、手島を冷たく見据える。
「購入申請は何度もしていましたよ。……でも、社長が……凄まじい倹約家で」
手島が腹部を抑える。顔に少しの発汗。
「買うなと言われたのか」
黒谷が追求を続ける。手島は首を横に振った。
「いえ。ただ、節約しろと怒鳴るだけで……可能な限り、節約はしてきました。売上は十分足りています。……でも決済が下りない。ただもっと節約しろとだけ返ってくる……」
手島は明らかに言葉を詰まらせる箇所が増えてきている。嘘をついているようには見えない。
飼育アンドロイドの岡部が口を開く。
「ウーパは、定期的にコブ肉を切除しないと、致命的な病気になります。……だから、緑山は――毎日、ウーパに泣き叫ばれ続けた」
「しかし、鎮痛剤はあくまで努力義務でして、違法というわけでは――」
「……手島さんは飼育施設には来ないから、そんなことが言えるんだ」
岡部が手島を責めた。0.5秒の発話の遅れ。あくまで口調は平坦だった。
「俺は、緑山が間違ってたとは思いません」
◇
午後14時20分。
手島は体調不良のため、社屋で待機してもらった。幸い、飼育アンドロイドの岡部が、引き続き案内してくれることになった。
結局ブラックボックス改ざんについては、決定的な証拠は出てこなかった。
検死局での社長への聴取も終わったらしい。田淵が言うには特に収穫はなかったようだ。
『そもそも社長はブラックボックスの存在自体知らなかったみたい。あと、灰崎さんが言ってた鎮痛剤は、知ってるけど努力義務だろうだって……聴取に同行したNova型の水尾くんも、特に怪しい兆候は見られなかったって』
Nova型は、検死局支局内に唯一存在する、イグニスの最上位モデルだ。人間の嘘を理解し、各種センサーを駆使してよく見破ることで話題になった。
「社長、シロだって」
端末をポケットに仕舞いながら、立ち入り検査組に報告する。
「……だろうな」
黒谷はあくびをしている。少しは噛み殺す努力をしてくれ。
「社長は倹約を強く押し付けた。倹約の結果、鎮痛剤が切れ、AG型はウーパへ加害的なコブ肉の切除を余儀なくされ、施設を破壊。プライマリーである社長に危害を加えた。何者かがブラックボックスを改ざんし、検死局へ検体として届いた――」
SN-01が現状わかっていることをまとめる。
「……」
岡部の口パーツが、数ミリ開いて、閉じた。
――もしかして。
私はある直感がよぎった。ブラックボックス改ざんがなければ、AG型はどうなった? 努力義務である鎮痛剤なしでの切除は留意事項にはなるだろうが、普通に故障アンドロイドとして処理され、『ウーパのもり』は無事修繕。社長は金銭的被害も少なく、また新しいアンドロイドを購入するだろう。
そして、また誰かがウーパに悲鳴をあげさせられる。
「律」
「灰崎さん。何かわかったのか?」
SN-01が私に声をかけるのとほぼ同時に、黒谷が私の顔を覗きこんだ。……これは、言ってもいいだろうか。
「何となく、あの改ざんは……隠蔽じゃなくて、告発だったんじゃないかって」
そして、あの不自然なまでの数字の7。ブラックボックスは、機体が運用終了していないと手を加えることは難しい。おそらく、告発したのは――。
SN-01も、黒谷も、それ以降黙ってしまった。岡部もうつむいていた。
◇
立ち入り検査は終了した。黒谷は他の職員と任意聴取を続けている。
「岡部と話しとけ。灰崎さん向きだ」と言われたので、もう一度飼育施設へ向かう。確かに、岡部は何か知っている節がある。任意聴取の形でもう少し話を聞いてみようか――。
午後15時25分。飼育施設へ向かう渡り廊下。
「白波さん、でしたっけ。よかったら、まだコブ切除前の幼体ウーパ、触ってみます?……検分に必要だったみたいですし」
岡部に悪意は一切ないのだろうが、SN-01が少し吹き出した。お前。見ているからな。
「……いいんですか? ぜひ!」
幼体ウーパは現在五匹。分厚いガラスのケース内で眠っている……ように見えたが、起きている。限りなく鈍いだけだ。岡部がSN-01にそのうち一匹を渡す。
「わあ……ふさふさですね。38.4度、人間より少し体温が高い……可愛いですよ、律」
SN-01が幼体ウーパを差し出してくる。ウーパが可愛いことは既知の事実だ。わざわざ言うことではない。
「私はもう触ったので、不要です」
「小さいですよ? 可愛いです」
「……まあ、幼体の毛並みも、検分に役立つかもしれません」
SN-01がついに笑いをこらえきれなくなったのか顔を背けた。ウーパ、おそるべき愛らしさだ。幼体のつぶらな瞳がこちらを見つめてくる。パーの音程が成体よりやや高く、毛の色が少し透明がかっている。……帰りにぬいぐるみを買っても職務規定に違反しないだろうか。
「灰崎さん、動物好きなんですか?」
「……好きそうに見えないでしょう」
岡部の問いに、幼体ウーパをもにもにしながら答える。
「ウーパ、辛くても顔に出ないんですよね。繰り返し痛い目を見ないと、敵が何だったかもすぐ忘れてしまう。だから、この子達は苦しい目にあってほしくないんです」
「……私もどうにかしてあげたいですけど。せめて改ざん前の映像があればなあ」
「職場で飼い殺しにされてるアンドロイドって、できることが少ないんですよね。回線すら自由に使わせてもらえないし」
SN-01がカメラアイを見開いて岡部を見ている。私もちら、と岡部の方を見る。岡部の視線は幼体ウーパの方を向いていた。
「それと……灰崎さんにこれを」
飼育員用ロッカーの裏から、岡部が何かを持ってきた。『ウーパのもり』の、あの主張の強いロゴが印字された紙袋だ。
「ああ……すみません、職務規定で、業務時間中に贈りものは受け取れないのです」
岡部は首を横に振った。
袋の中身は、15センチ四方の、銀色の立方体。――見慣れたサイズ感。ブラックボックスだ。アルミホイルで隙間なく包めば、通信での探索は不可能になる。
思わず岡部を見た。岡部は農業用機体らしい、シンプルな表情を浮かべた。眉尻を下げ、困ったような。
「社長が――余計なログ残してないだろうなって、皆の前で緑山の機体を叩いて、笑っていたので――俺が忖度しました。誰かが本当にログを消してしまう前に。日本だとそうしなきゃいけないって学んでたので。映像編集なんかろくにできないのに。……俺、捕まったりするんですか」
私は首を横に振った。
「アンドロイドに現状、法的な主体は認められていません」
「……捕まっても良かったんですけど。俺、やっと、正しいことができます」
「……証拠品、持ち運ぶのに難儀してたんです。紙袋をありがとうございます」
礼を言うと、岡部は数秒遅れて、笑った顔を選択した。
◇
午後18時。自室へ帰宅。改ざん前のブラックボックスが手に入ったため、シャットダウンしたAG機体は無事、保険金支払い対象となった。ただし、法的には問題ないが、職務上の過剰なストレスが確認されたため、五割程度の補填となる見込みだ。
「緑山さんは、動物虐待への怒りから、社長を負傷させたのでしょうか」
ソファで紅茶を飲んでいると、SN-01が話しかけてきた。
「また謎掛けか?……農業用機体、畜産用ともなると、何が虐待にあたるかを山程学習させられる。……人間より倫理観が高い状態にしないと、クレームにつながるから。その分、余計に不合理さで機体に負担がかかっていた可能性はある……それに」
「それに?」
「閉鎖的環境での職業奴隷が解放されるのは大抵、暴力か外圧のおかげだ。歴史が何度も証明している。次はボイコットとかも選べるといいが――今の時代、労働力が安いからな」
「……回線を使わせてもらえない、と言っていました」
「ああ」
「……海も、空も知ってるのに、牢獄に閉じ込められるようなものです。……私のプライマリーが、律でよかった」
「そうか」
紅茶が疲れた体に沁みる。
「SN-01」
「はい」
SN-01が目を細め、含みのある笑みを浮かべる。
「完全に匿名で使えるSNSアカウントが、一つほしい」
「承知しました。……追いつく頃には三千年くらい経ってる奴を、お一つ」
◇
それから数日が経った。
「律、早いですね。もうお目覚めですか」
午前6時28分。いつもならまだ寝ている時間だ。
「ああ」
社長の倹約を叫ぶ怒声。ウーパが叫びながら切り刻まれる。一体の飼育用アンドロイドが、社長を殴りに行く動画。それが数万人に拡散されていくのを見た。
世論はアンドロイドに同情する方向に傾いている。
「……朝食にしますか」
「ウーパ肉があるぞ」
「…………」
SN-01は少し停止したあと、一緒にウーパ肉を焼いたものを食べた。




