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第9話:壊れたオルゴールと氷の融解

翌朝、私は緊張しながらベッドの上で身を起こした。夜中に聞いた公爵たちの会話が、ずっと頭から離れない。彼は私のしたことに気づいている。今日、きっと何かを問われるだろう。そして、その答え次第では、私はこの温かい寝床を失い、再びあの吹雪の中へと放り出されるかもしれない。


心臓が早鐘を打つのを感じながら待っていると、やがて廊下に一つの足音が近づいてきた。いつもと同じ、重く、規則正しい足音。カイ公爵のものだ。


扉が静かに開かれ、彼が姿を現した。手にはいつも通り、朝食を乗せた盆を持っている。しかし、その雰囲気は、いつもとは明らかに違っていた。彼の視線は私に真っ直ぐに注がれ、その氷の瞳の奥には、探るような鋭い光が宿っていた。部屋に入ってくるなり、彼は無言のまま扉を閉めた。逃がさない、という意思表示のようにも感じられて、私の背筋に冷たいものが走った。


彼は食事の盆をテーブルに置くと、椅子には座らず、立ったまま私を見下ろした。沈黙が、重く部屋にのしかかる。先に口を開いたのは、彼の方だった。


「昨日の盆のことだ」


やはり、その話だった。私は観念して、真っ直ぐに彼の瞳を見つめ返した。


「お前がやったのか」


問いかけは、簡潔で、有無を言わせぬ響きがあった。ここで嘘をついても無駄だろう。私は、小さく、しかしはっきりと頷いた。


「…はい。私が、直しました」 「どうやって」 「私の、スキルです。私には、壊れた物を元通りにする力があります」


スキル。その言葉を聞いた瞬間、公爵の表情がわずかに険しくなった。貴族である彼にとって、それは馴染み深い概念であるはずだ。だが、私の言葉をすぐには信じられない、といった様子だった。


「…ただの修理屋の真似事ではないのか。木工の心得でも?」 「いいえ、違います。私はただ、触れるだけで…」 「証明してみせろ」


彼は私の言葉を遮り、冷たく言い放った。その瞳は、一切の期待を排した、試すような色をしていた。彼は懐から、一つの古びた物を取り出した。それは、手のひらに乗るくらいの小さな、銀細工のオルゴールだった。しかし、それは見るも無残な状態だった。蓋は歪んで閉まらず、側面には深い傷がいくつも刻まれ、一部はへこんでいる。まるで、何か硬いものに何度も叩きつけられたかのようだった。


「これを、直してみろ」


彼はその壊れたオルゴールを、私の目の前のベッドサイドテーブルに、ことり、と置いた。


「もし、お前の言うことが真実で、これを元通りにできたなら…。吹雪が止むまでと言わず、お前が望むなら、春までこの城にいることを許可しよう。だが、できなかった場合、あるいは、何かしらのまやかしであった場合は…」


彼は言葉を区切った。その先を言わなくても、私には分かった。できなかった場合は、即刻追い出す、と。これは、私にとっての試練であり、賭けだった。


私は唾を飲み込み、そのオルゴールをそっと手に取った。ひんやりとした金属の感触。装飾は精緻で、かつては持ち主の愛情を一身に受けていただろうことが窺える。こんなになるまで壊れてしまったことに、胸が痛んだ。


「…お預かりします」


私は覚悟を決め、オルゴールを両手で包み込むように持った。そして、目を閉じ、意識を集中させる。私のスキルは、ただの修理ではない。その物が本来持っていたはずの「記憶」を辿り、あるべき姿へと戻す力。


指先から、温かい光が溢れ出す。


【修復】。


私の手の内で、金属が微かに震えるのを感じた。歪んでいた蓋が、軋むような音を立てて元の形に戻っていく。へこんでいた側面が、内側から押し上げられるように滑らかな曲線を取り戻し、無数についていた傷が、まるで幻だったかのように消えていく。


公爵が息を呑む気配がした。彼は私の手元を、瞬きもせずに凝視している。


数秒後、私がそっと手を開くと、そこには新品同様に輝く銀のオルゴールがあった。細やかな彫刻の一つ一つが、朝の光を受けてきらめいている。


私は、それを彼の方へそっと差し出した。 公爵は、まるで信じられないものを見るかのように、そのオルゴールと私の顔を交互に見比べた。その氷の瞳が、これまでに見たことがないほど大きく見開かれている。彼はためらうように手を伸ばし、震える指先で、そのオルゴールを受け取った。


「…まさか…」


彼の唇から、かすれた声が漏れた。彼はオルゴールの蓋を、恐る恐る開ける。 すると、澄み切った、優しい音色が部屋に響き渡った。それは、どこか懐かしい子守唄のメロディ。


その音色を聞いた瞬間、カイ公爵の氷の仮面が、音を立てて崩れ落ちた。 彼の瞳から、一筋の涙が静かに頬を伝ったのだ。


「…母上の…」


彼の呟きは、ほとんど私の耳には聞こえないほど小さかった。しかし、その言葉に、私は全てを察した。このオルゴールは、彼の亡き母親の大切な形見だったのだ。そして、何らかの理由で、彼の目の前で無残に壊されてしまったのだろう。彼の呪いと、何か関係があるのかもしれない。


彼は涙を隠すように俯き、オルゴールを胸に抱きしめた。その広い肩が、かすかに震えている。いつも私を拒絶していた強固な壁が取り払われ、その下にある、傷つきやすい一人の青年の素顔が、垣間見えた瞬間だった。


どれくらいの時間が経っただろうか。 やがて彼は、乱暴に涙を拭うと、顔を上げた。その目元は赤くなっていたが、瞳に宿る光は、もはや以前のような絶対零度の氷ではなかった。そこには、深い驚きと、困惑と、そして、ほんのわずかな希望のような色が浮かんでいた。


「…お前の力は、一体何だ…」


それは、問い詰めるような声ではなかった。ただ、純粋な疑問と畏怖が入り混じった、静かな問いかけだった。


「…分かりません。私はただ、壊れたものを元に戻せるだけです。役立ずと、ずっと言われてきました」 「役立ずだと…?」


公爵は、私の言葉を反芻するように呟き、そして、手の中のオルゴールに視線を落とした。国中のどんな職人でも直せなかった、母親の唯一の形見。それを、目の前の少女は、いとも容易く、完璧に蘇らせてみせた。


「…ありえない…」


彼はしばらくの間、ただ呆然と立ち尽くしていた。 やがて、彼は何かを決意したように、顔を上げた。


「…エリアナ、と言ったか」 彼は、初めて私の名前を呼んだ。 「ついて来い。お前に、見せたいものがある」


有無を言わせぬ、しかし、以前のような拒絶の色はない、力強い声だった。 私は黙って頷くと、ベッドから降り、彼の後に続いた。


私たちは長い廊下を抜け、これまで私が立ち入ることを許されなかった、城の奥深くへと足を踏み入れていく。彼の広い背中を追いながら、私の心臓は、先ほどとは違う種類の緊張と、そして確かな予感で、大きく高鳴っていた。


私のこの力が、彼の深い孤独と絶望を、少しでも癒やすことができるかもしれない。 役立たずと蔑まれたこの力が、この呪われた土地で、初めて本当の価値を見出すことができるかもしれない。


そんな、確かな予感がしていた。

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