第3話:偽りの涙と断罪の声
両腕を屈強な衛兵に掴まれ、私はなすすべもなく祭壇の前へと引きずり出された。真紅の絨毯は、まるでこれから流される私の血の色を暗示しているかのようだ。冷たい石の床の感触が、薄い靴底を通して足に伝わる。
目の前には、玉座から厳しい視線を向ける国王陛下。その隣には、怒りに顔をこわばらせたアルフォンス殿下と、彼の腕の中でか弱く泣きじゃくるリリアンナの姿があった。そして少し離れた場所には、私の父であるヴァインベルク伯爵と母が、蒼白な顔で立ち尽くしている。
「エリアナ・フォン・ヴァインベルク」
国王陛下の低く厳かな声が、大聖堂に響き渡った。その声には、一片の慈悲も含まれていない。
「申し開きがあるのなら、聞こう」
それは、形式上の問いかけに過ぎなかった。この場の誰もが、私を罪人だと決めつけている。その空気は肌を刺すように冷たい。それでも、私は最後の望みをかけて口を開いた。
「わ、私は、何もしておりません…!ただ、リリアンナに頼まれて、祭器の台座を【修復】しただけでございます。水晶には、決して触れてなど…」
「まだ嘘を吐くか!」
私の言葉を遮ったのは、アルフォンス殿下の怒声だった。彼は私を、虫ケラでも見るような目で睨みつけている。
「リリアンナは、お前の姉であるお前を信じ、ほんの少しでも役に立つ機会を与えようとしたのだ!その優しさを仇で返すとは、何と卑劣な女だ!」 「違います、殿下!それは…!」 「お姉様、もうおやめになって…」
か細い声で私を制したのは、リリアンナだった。彼女はアルフォンス殿下の腕の中から顔を上げ、濡れた瞳で私を見つめた。その瞳は深い悲しみに満ちており、誰もが彼女の心を痛めているのだと信じて疑わないだろう。
「わたくしが、お姉様を追い詰めてしまったのですわ…。わたくしが聖女でさえなければ、お姉様がこのようなお心を抱くことはなかったはず…。全て、わたくしのせいです…」
そう言って、リリアンナは再び顔を伏せて泣き崩れた。見事なまでの悲劇のヒロイン。彼女の言葉は、私が嫉妬に狂って罪を犯したのだという印象を、決定的なものにした。周囲の貴族たちから、「何て痛ましい」「聖女様がお可哀想に」という囁き声が聞こえてくる。
違う。違うのに。私の声は、彼女の計算され尽くした涙の前では、あまりにも無力だった。
私は助けを求めるように、両親の方を見た。父様、母様、助けて。私は無実です、と。 しかし、父は厳しい顔で私から視線を逸らした。母はただハンカチで口元を覆い、小さく震えているだけで、私と目を合わせようともしない。
ああ、そうか。この人たちにとって大切なのは、私の無実ではなく、聖女を輩出したヴァインベルク家の名誉なのだ。醜聞の種である私は、ここで切り捨てられる運命なのだ。
その事実を悟った瞬間、私の心の中で何かがぷつりと音を立てて切れた。
絶望が、冷たい水のように足元から這い上がってくる。 私の言葉を信じてくれる人は、この世界に一人もいない。私の居場所は、もうどこにもない。
やがて、今まで沈黙を守っていた父が、一歩前に進み出た。そして、深々と国王陛下に頭を下げると、はっきりとした声で言い放ったのだ。
「陛下。この度の娘の愚行、誠に申し訳ございません。このエリアナが、聖女である妹の類まれなる才能に嫉妬し、このような大罪を犯したことは明白。もはや、ヴァインベルク家の者として、王都の土を踏ませるわけにはまいりません」
父の言葉は、まるで鋭い刃となって私の胸を貫いた。 実の父親が、私を罪人だと断じたのだ。もはや、弁解の余地など欠片も残されていなかった。
「ヴァインベルク伯爵の言葉、確かに聞いた」 国王陛下は厳かに頷くと、私に最終宣告を突きつけた。
「エリアナ・フォン・ヴァインベルク。聖女の儀式を妨害し、国家の至宝たる祭器を破壊したその罪、実に重い。本来であれば死罪に値するところだが、これまでのヴァインベルク家の功績に免じ、一等の減刑を以て国外追放を命じる」 「……え?」 「二度と、この国の土を踏むことは許さん。即刻、王都より立ち去るがよい」
国外追放。 その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。 頭の中が真っ白になる。家を追い出されるだけではない。生まれたときから過ごしてきた、この国そのものから、私という存在が消されるのだ。
「お待ちください、陛下!」 アルフォンス殿下が、珍しく父以外の人間として声を上げた。しかし、それは私を庇うためではなかった。 「そのような生ぬるい処罰でよろしいのですか!こやつは、私の、そしてこの国の至宝であるリリアンナを傷つけたのですよ!」 「アルフォンス、控えよ」 国王陛下は静かに息子を制した。 「こやつとの婚約は、本日を以て破棄とする。それで十分であろう」
婚約破棄。 その言葉は、もはや私の心に何の痛みももたらさなかった。とっくの昔に、私たちの間に愛など存在しなかったのだから。ただ、これで私と彼を繋ぐ最後の糸が、完全に断ち切られたのだと理解した。
衛兵が私の腕を掴む力が強まる。引きずられるようにして、私は聖堂を後にした。もう誰も、私のことなど見ていなかった。皆の関心は、悲しみにくれる聖女リリアンナをどう慰めるか、ということに移っている。
冷たい石の廊下を引きずられていく。ステンドグラスの光が届かない薄暗い通路を抜けた先は、地下へと続く牢獄への階段だった。
鉄格子の扉が開けられ、私は湿っぽく黴臭い独房の中へと無造雑に突き飛ばされた。背後で、重い鉄の扉が閉まり、錠が下りる音が無情に響く。
完全な暗闇と静寂。 壁に背を預け、ずるずるとその場に座り込む。硬く冷たい石の感触だけが、ここが現実なのだと教えてくれた。
涙は、もう出なかった。 裏切られた悲しみも、濡れ衣を着せられた悔しさも、全てが遠い世界の出来事のように感じられる。ただ、心の奥深くに、ぽっかりと大きな穴が空いてしまったような、途方もない虚無感だけが広がっていた。
私は一体、何がいけなかったのだろう。 地味なスキルに生まれてしまったことが、罪だったのだろうか。 聖女である妹の、輝かしい光の影になってしまったことが、罪だったのだろうか。
いくら考えても、答えは見つからない。 ただ一つ確かなのは、私は全てを失ったということだけ。
独房の小さな窓から、微かに月明かりが差し込んでいる。その光に照らされた自分の手を見つめた。この【修復】の力さえなければ、私はもっと違う人生を歩めていたのかもしれない。
そんな叶わぬ思いを抱きながら、私はただ、冷たい牢獄の暗闇の中で、静かに夜が明けるのを待つしかなかった。明日になれば、私はこの国から永遠に追放されるのだ。




