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第19話:永き眠りからの覚醒

古代ゴーレムの胸に刻まれた亀裂が、私の指先に呼応するように淡い光を放った。それは一瞬の出来事だったが、永い間、死んでいたはずの何かが、確かに脈打ったのを私は感じ取った。それは単なる機械的な反応ではない。心の奥深くに直接響いてくるような、微かで、しかし確かな生命の鼓動だった。


「…今、動いたか…?」


隣で息を詰めていたカイ様が、警戒を露わにした声で呟いた。彼は私を庇うように一歩前に出て、いつでも剣を抜けるよう、その柄に手をかけている。彼の目には、未知の古代遺物に対する当然の警戒心が浮かんでいた。


しかし、私の心にあったのは恐怖ではなかった。 指先を通じて、このゴーレムから流れ込んでくる微かな感情。それは、悲しみ、孤独、そして、忘れ去られたことへの深い寂寥感。まるで、暗く冷たい水の底に、何百年もの間たった一人で沈んでいた魂の囁きのようだった。


このゴーレムは、ただの石と金属の人形ではない。心がある。そして、その心はひどく傷つき、壊れてしまっている。


「カイ様、大丈夫です。この子は、悪いものではありません」 私は、彼を制するように、静かに言った。 「ただ、とても長い間、一人で寂しい思いをしていただけです。壊れて、動けなくなって…誰にも気づかれずに」


私の言葉に、カイ様は戸惑ったような表情を浮かべた。彼には、私の感じているものが分からないのだろう。それでも、彼は私の真剣な瞳を見て、ゆっくりと剣の柄から手を離した。彼が私を信じてくれていることが、その行動だけで分かった。


「エリアナ…お前、まさか、これも直すつもりか?」 その声には、懸念の色が滲んでいた。 「これまでの物とは訳が違う。もし暴走でもしたら…」 「お願いします、カイ様。私に、やらせてください」


私は、彼の目を真っ直ぐに見つめて懇願した。 「この子の声が聞こえるんです。『助けて』って。放っておくことはできません」


私の瞳に宿る決意を見て、彼は深いため息をついた。それは諦めではなく、私の意志を尊重するという、覚悟を決めた者の溜息だった。 「…分かった。だが、少しでも危険を感じたら、すぐに離れろ。いいな?」 「はい」


私は力強く頷くと、改めてゴーレムの前に向き直った。そして、胸に嵌め込まれた亀裂の入った円盤に、そっと両手を重ねた。ひんやりとした石の感触。その奥に眠る、か細い生命の鼓動に、私の意識を同調させていく。


「もう大丈夫。あなたは、もう一人じゃないわ」


そう心の中で語りかけながら、私は【原状回復】の力を最大限に引き出した。 私の両手から、これまでで最も強く、そして優しい、純白の光が溢れ出した。光はゴーレムの胸の円盤から内部へと染み込み、その全身を駆け巡っていく。地下の工房跡は、私の放つ光だけで、真昼のように明るく照らし出された。


ゴーレムの全身に走っていた無数の細かな亀裂が、光に触れるたびにみるみる塞がっていく。欠損していた指先の部品が、光の粒子が集まって再構築されていき、くすんでいた金属の装甲は、本来の鈍い銀色の輝きを取り戻していく。


それは、聖鎧を浄化した時のような、邪悪なものとの闘いではなかった。ただひたすらに、傷ついた心を癒し、壊れた体を繕っていく、穏やかで、慈しみに満ちた修復の儀式。私の力の全てが、この永い眠りについていた巨人を、ただ優しく包み込んでいった。


どれほどの時間が経っただろうか。 ゴーレムの最後の傷が完全に癒えた時、私の手から放たれていた光は、ふわりと霧散するように消えた。私は全ての力を使い果たし、その場に崩れ落ちそうになったが、背後で控えていたカイ様が、力強い腕でそっと私の体を支えてくれた。


「…エリアナ、よくやった」


彼の声に安堵しながら、私は顔を上げた。 そして、目の前の光景に、息を呑んだ。 修復を終えたゴーレムは、ただの像ではなく、圧倒的な存在感を放つ守護者として、そこに立っていた。その体躯は三メートルを優に超え、石と金属でできた体は、力強さと古代の神秘を同時に感じさせる。


その、ゴーレムの閉ざされていた両目が、静かに開かれた。 目の奥から、空の色を映したかのような、穏やかな青い光が灯る。


ギ、ギシリ、と。何百年もの間動かなかった関節が、軋むような音を立てる。ゴーレムは、ゆっくりと、本当にゆっくりと、片腕を持ち上げた。その動きは、決して威圧的ではなく、むしろ、生まれたての赤ん坊が初めて手足を動かすかのような、ぎこちなさを感じさせた。


カイ様が、再び私の前に立って庇おうとする。 しかし、その必要はなかった。


ゆっくりと立ち上がったゴーレムは、私たちに敵意を向けることなく、その青い瞳で、じっと私のことだけを見つめていた。そして、次の瞬間。ゴウン、という重い音を立てて、その巨大な体が、私の前にゆっくりと片膝をついたのだ。


それは、騎士が主君に行う、最も敬意のこもった臣下の礼だった。


『――我が、主よ』


声が、聞こえた。それは耳で聞いた音ではない。直接、私の頭の中に、優しく、そして深く響き渡る、思念の声だった。


『永き眠りよりの覚醒、心より感謝申し上げる。我が名は、アルクス。かつて、この地を創りし者により、未来の守護者のために遺されし存在。今日この時より、我が全ての力と命は、あなた様のために』


アルクス。それが、彼の名前。 彼は、その大きな石の手を、ゆっくりと私の方へ差し出した。その動きは、私が傷つかないようにと、細心の注意が払われているのが分かった。


私は、カイ様の腕からそっと離れ、アルクスの巨大な手のひろに、自分の小さな手を重ねた。ひんやりとしているのに、なぜか温かい。そんな不思議な感触だった。


『主の御手は、陽だまりのように温かい』


アルクスの思念が、嬉しそうに響く。 彼はそのままの姿勢で、恭しく頭を垂れた。


私は、この巨大で優しい守護者の覚醒を、ただ夢見心地で見つめていた。 私の隣で、カイ様が呆然と呟く声が、聞こえた。 「…古文書にあった、『大地の守り人』とは、こいつのことだったのか…」


王都を追われ、全てを失ったはずの私。 しかし、今、この極寒の地で、私はかけがえのないものを次々と手にしていた。 信頼できるパートナー、温かい居場所、そして、私だけに忠誠を誓ってくれる、古代の守護者。


私の運命が、また一つ、大きく動き出した。 それは、私を追放した王国の者たちが、まだ誰も知らない、新しい時代の幕開けを告げる、静かで、しかし確かな胎動だった。

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