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第17話:城の女主と芽生える想い

西の村での成功は、狼煙のようにアークライト領全体へと広がっていった。 死んだ大地が息を吹き返し、壊れた農具が輝きを取り戻す。その奇跡の噂は、雪解け水が大地に染み込むよりも速く、人々の乾いた心に希望を染み渡らせていった。


私の毎日は、日の出と共に始まり、日没と共に終わる、めまぐるしくも充実したものになった。午前中はカイ様と共に馬を走らせ、領内の様々な村を訪れた。ある村では、何十年も前に壊れて放置されていた水車を【修復】し、またある村では、呪いで枯れてしまった果樹園の木々を、一本一本丁寧に【原状回復】させていった。


午後になると城に戻り、今度は城内の仕事を手伝った。カイ様が「パートナー」と宣言したあの日から、私はいつの間にか、この城の女主人としての役割を自然と担うようになっていたのだ。


最初は、ただカイ様を手伝いたいという一心だった。彼が領主としての執務に忙殺されている間、私はゼバスに城の現状について尋ねて回った。傷んだリネン類、壊れたままの家具、不足している食器。私はそれらを見つけ出しては、片っ端から修復していった。


私の行動は、すぐに城の使用人たちの知るところとなった。彼らは最初、恐縮して私の手伝いを止めようとしたが、私が心から楽しんで城の綻びを繕っていることを知ると、やがて喜んで協力してくれるようになった。


「エリアナ様、こちらの客室のタペストリーですが、虫食いがひどくて…」 「まあ、大変。すぐにお直ししますね」 「図書室の古文書も、ページがバラバラになりそうなものが多くて困っておりました」 「任せてください。大切な記録ですもの、きちんと後世に残さないと」


そんなやり取りが、日常になった。私はもはや「恩人様」として遠巻きに崇められる存在ではなく、皆の仕事仲間として、温かく迎え入れられていた。かつて王都で、誰の役にも立てずに息を潜めていた日々が、遠い昔のことのように思えた。


そして、私の生活の変化は、カイ様との関係にも、少しずつ変化をもたらしていた。 私たちは、一日のほとんどの時間を共に過ごすようになった。朝食をとりながらその日の計画を立て、昼は領地を駆け回り、夜は彼の執務室で、その日の報告をまとめながら二人で夕食をとる。それが、私たちの新しい日常だった。


執務室の暖炉の前に置かれたソファが、私たちの定位置になった。彼は領地経営に関する分厚い本を読み、私はその隣で、繕い物をしながら彼の話に耳を傾ける。


「南の谷は、土は蘇ったが日当たりが悪い。普通の小麦より、寒さに強いライ麦の方が育つかもしれん」 「でしたら、ライ麦パンも焼けますね。チーズを乗せたら美味しそうです」 「…チーズか。そういえば、この土地にはもう何年も、家畜らしい家畜がいないな」


そんな何気ない会話の一つ一つが、私にとっては宝物のように感じられた。 時折、彼が本から顔を上げ、私のことを見つめていることに気づくことがある。その青い瞳には、以前のような氷の冷たさは微塵もなく、暖炉の炎の色を映した、穏やかで温かい光が宿っていた。目が合うと、彼は少しだけ気まずそうに視線を逸らす。その不器用な仕草に、私の心臓が小さく音を立てるのを、私は気づかないふりをした。


ある日の夜、私はいつものように彼の執務室で、繕い物をしていた。昼間に訪れた村の子供にもらった、木彫りの小鳥の人形が壊れていたのを、修復してあげていたのだ。


「…お前は、本当に、そういうものが好きなのだな」


不意に、すぐそばでカイ様の声がした。顔を上げると、いつの間にか彼が私の隣に座り、私の手元を覗き込んでいる。その距離の近さに、思わず体が強張った。彼の体温と、微かな森のような香りが、ふわりと私を包み込む。


「壊れたものを、直すのが」 「はい。これが、私の唯一の取り柄ですので」 そう言って微笑むと、彼は少しだけ眉をひそめた。 「唯一、ではないだろう」 「え?」 「お前は、優しい。そして、強い芯を持っている。誰かのために、自分の力を尽くすことを厭わない。それは、スキルとは関係のない、お前自身の素晴らしい取り柄だ」


彼の真っ直ぐな言葉に、顔に熱が集まるのを感じた。王都では、誰も私の内面を見てくれようとはしなかった。彼らは私の地味なスキルだけを見て、私を「出来損ない」だと決めつけた。けれど、カイ様は違う。彼は、私自身を、ちゃんと見てくれている。


「…ありがとう、ございます」 かろうじてそれだけを言うと、私は恥ずかしさを隠すように、再び手元の小鳥に視線を落とした。指先でそっと撫でると、折れていた翼が元通りになる。 「はい、できました」 完成した小鳥を彼に見せようと顔を上げた、その瞬間。彼の顔が、思っていたよりもずっと近くにあることに気づき、息が止まった。彼の青い瞳が、ごく間近で私を捉えている。その瞳の奥に、これまで見たことのない、熱っぽい色が浮かんでいることに、私は気づいてしまった。


彼は、私に何かを言おうとして、わずかに唇を開いた。 その時だった。


コンコン、と控えめなノックの音と共に、ゼバスが部屋に入ってきた。 「カイ様、夜分に失礼いたします。東の村から、急ぎの使いが…」


その声に、私たち二人ははっとしたように、慌てて距離を取った。カイ様は一つ咳払いをすると、「…通せ」と、少しだけ上ずった声で答えた。気まずい沈黙が、部屋に流れる。私の心臓は、破裂しそうなほど大きく鳴っていた。


東の村からの使いがもたらしたのは、新たな問題だった。 「畑の土は、エリアナ様のおかげで蘇りました。ですが、畑を荒らす害獣が、どこからともなく現れて…」


呪いが解け、大地に生命力が戻ってきたことで、これまで寄り付かなかった動物たちが、その匂いを嗅ぎつけて集まり始めたのだ。それは喜ばしい兆候であると同時に、新たな脅威でもあった。


報告を聞き終えたカイ様は、難しい顔で腕を組んだ。 「…やはり、動物の問題は避けて通れんか。追い払うだけでは根本的な解決にはならん。彼らと共存し、あるいは家畜として管理する仕組みを作らねば…」


彼はそう言うと、ふと何かを思い出したように、私の方を見た。 「エリアナ。この城の北側に、昔使っていた古い家畜小屋があるのを覚えているか?」 「はい、何度か前を通りました。もうほとんど、廃墟のようになっていますが…」 「あそこを、まずはお前の力で蘇らせてみてくれないか。動物たちが安心して暮らせる場所を用意することが、第一歩になるかもしれん」


彼の提案に、私は力強く頷いた。 先ほどの甘い空気は霧散していたが、代わりに、パートナーとしての確かな絆が、私たちの間に再び流れていた。


明日、あの古い家畜小屋を修復しよう。 そうすれば、また新しい未来への扉が、一つ開くかもしれない。


私は、隣に立つ彼の横顔をそっと見上げた。先ほどの熱っぽい瞳が脳裏から離れず、私の頬は、暖炉のせいだけではない熱を、いつまでも帯び続けていた。

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