第13話:止んだ吹雪と芽吹きの奇跡
翌朝、私が目を覚ましたのは、鳥のさえずりでも、誰かの呼び声でもなく、完全なまでの静寂によってだった。 何日もの間、片時も耳から離れることのなかった、窓ガラスを叩きつける風の唸り声が、嘘のように止んでいる。暖炉の薪がはぜる音だけが、部屋の中に小さく響いていた。
不思議に思いながら、私はベッドから降りて、厚いカーテンが引かれた窓へと歩み寄った。そして、ゆっくりとカーテンを開けて、息を呑んだ。
光だ。 白銀の世界を照らし出す、眩いほどの太陽の光が、窓からさんさんと差し込んできたのだ。 荒れ狂っていた吹雪は完全に止み、空はどこまでも澄み渡った、雲一つない青空が広がっている。降り積もったばかりの真っ白な雪が、陽光を反射して、まるで無数のダイヤモンドを撒き散らしたかのようにきらきらと輝いていた。
美しい。 ただ、その一言しか思い浮かばなかった。 王都の庭園で見るどんな花々よりも、貴族たちが身を飾るどんな宝石よりも、この、長い冬の闇を打ち破って現れた光景は、神々しいまでに美しかった。
呪いの根源だった聖鎧が浄化されたことで、この土地を覆っていた長い冬が、ようやく終わりを告げようとしているのかもしれない。私のしたことが、本当にこの土地の運命を変えたのだという実感が、静かな感動となって胸に込み上げてきた。
部屋を出ると、城の中の雰囲気も昨日までとは一変していた。 薄暗く、どこか重苦しい空気が漂っていた廊下は、窓から差し込む陽光で明るく照らされ、淀んでいた空気が入れ替わったかのように清々しい。そして何より、すれ違う使用人たちの表情が違っていた。以前は誰もが俯きがちで、疲弊した影をその顔に宿していたのに、今は誰もが晴れやかな顔で、互いに言葉を交わし合っている。
「エリアナ様、おはようございます!」 「良いお天気になりましたな!」
彼らは私に気づくと、以前のように慌てて姿を隠すのではなく、心からの笑顔を向けて挨拶をしてくれる。その温かい歓迎に、私はまだ少し戸惑いながらも、一つ一つ丁寧に頭を下げて応えた。
朝食は、大きな窓から中庭の雪景色が一望できる、明るい食堂でいただいた。もちろん、カイ公爵と共に。向かい合ってテーブルに着くのは初めてのことで、私は少し緊張していた。
「よく眠れたか」 彼は、熱い紅茶を一口飲みながら、静かに尋ねてきた。その声も、表情も、昨日よりもさらに穏やかになっている。 「はい、公爵様のおかげで。…お外が、とても静かになりましたね」 「ああ。こんなに穏やかな朝は、何年ぶりだろうな」
彼はそう言って、窓の外に広がる白銀の世界に目を細めた。その横顔は、深い安堵と、未来への静かな希望に満ちているように見えた。長年彼を縛り付けていた呪いの枷だけでなく、彼の心を覆っていた厚い氷もまた、完全に溶け去ったのだと分かった。
食事を終えた後、彼は私を城のバルコニーへと誘った。 外に出ると、空気が凛と張り詰めるように冷たい。しかし、それは肌を刺すような厳しさではなく、どこか心地よい清涼感があった。
眼下には、アークライト公爵領の広大な大地が、一面の銀世界となって広がっていた。木々の枝には白い花が咲いたように雪が積もり、遠くの山々は青い空との境界線をくっきりと描いている。それは、荒涼としていた呪われた大地の面影を感じさせない、静謐で美しい風景だった。
「エリアナ」 隣に立ったカイが、私に語りかけた。 「改めて、お前に頼みたいことがある」 「私に、できることでしたら…」 「ここに、住んでほしい」
彼の言葉は、あまりにも真っ直ぐで、私の心にすとんと落ちてきた。 「客人としてではない。遭難者としてでもない。この城の、そしてこの土地の住人として、だ。お前さえよければ、ここを、お前の家だと思ってほしい」
家。その言葉の響きに、胸の奥が熱くなる。 私にはもう、帰る家などないのだと思っていた。ヴァインベルク家は私を捨て、国は私を追放した。けれど、彼は、この見知らぬ極寒の地を、あなたの家だと言ってくれる。
「…よろしいのですか?私は、国を追われた身で…」 「過去に何があったかは聞かない。お前が話したくなければ、話さなくていい。俺にとって重要なのは、今、目の前にいるお前が、俺とこの土地を救ってくれたという事実だけだ」
彼の言葉には、揺るぎない信頼が込められていた。 涙が零れそうになるのを、私は必死で堪えた。そして、心からの感謝を込めて、深く頷いた。 「…ありがとうございます。カイ様。私…ここに、いさせてください」
私の返事を聞いて、彼は満足そうに微笑んだ。 そして、眼下に広がる大地へと視線を戻し、少しだけ真剣な表情で言った。
「だが、問題はまだ残っている。呪いの源は消えたが、大地が受けた傷は深い。この雪の下の土は、呪いの影響で死んだままだ。このままでは、春が来ても、草一本生えんだろう」
彼の言う通りだった。聖鎧の呪いは、土地の生命力そのものを奪い去ってしまった。ただ呪いが消えただけでは、大地は元の姿には戻らない。それはまるで、重い病から回復したばかりで、まだ体力が戻っていない病人のようだった。
「お前の【原状回復】の力は、この大地にも通用するだろうか」
それは、命令ではなかった。新たな奇跡を強要する言葉でもない。ただ、共に未来を築いていこうとする、パートナーに向けられた、静かな問いかけだった。
私は、自分の手のひらを見つめた。 この力が、枯れた大地に命を呼び戻すことができるのなら。 私は、彼の隣で、この土地のために力になりたい。
「…やってみましょう」
私たちはバルコニーを後にし、城の外へと出た。分厚い外套を貸してもらい、雪を踏みしめて中庭へと足を踏み入れる。カイが私の数歩前を歩き、雪をかき分けて道を作ってくれた。その広い背中が、とても頼もしく見えた。
中庭の中央で、私たちは足を止めた。 私は外套を脱ぎ、雪の上にそっと膝をついた。そして、冷たい雪を手で払い、その下にある、凍てついて黒く変色した土に、両手のひらをそっと重ねた。
ひんやりと、そして、どこか悲しいほどに、生命の気配がしない土。 私は目を閉じ、意識を集中させる。私の願いは一つだけ。
――目を覚まして。あなたの、本来の姿に。
私の手のひらから、温かい光が溢れ出し、土の中へと染み込んでいく。それは、聖鎧を浄化した時のような激しい光ではない。凍えた子供を温める母親のように、優しく、穏やかな光だった。
光が染み込んだ場所から、奇跡は起こった。 カチカチに凍っていた土が、ふわりと柔らかく解けていく。死んだような黒色が、生命力に満ちた豊かな黒土の色へと変わっていく。
そして。 柔らかくなった土の中心から、小さな、本当に小さな緑色の双葉が、雪を押し分けるようにして、そっと顔を覗かせたのだ。
「…あ…」
カイが、息を呑む声が聞こえた。 真冬の、雪に覆われた大地に芽吹いた、たった一つの緑。 それは、どんな宝石よりも鮮やかで、力強い、生命の輝きを放っていた。
この土地の、そして私たちの、新しい春の始まりを告げる、最初の奇跡だった。




