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第10話:呪いの根源と託された想い

カイ公爵の後を、私は息を詰めて追った。 彼が踏み入れたのは、私がこれまで過ごしてきた客室棟とは明らかに違う、城の奥深くにある古い区域だった。廊下の空気はひんやりと冷たく、壁にかけられたタペストリーは色褪せ、床には薄らと埃が積もっている。人の手が長い間入っていないことが、一目で分かった。ここは、忘れられた場所なのだ。


私たちはやがて、一つの重厚な扉の前で足を止めた。黒檀で作られたかのような、分厚く巨大な両開きの扉。そこには、銀の鎖が幾重にも巻き付けられ、物々しい錠前がいくつもかけられていた。ここはただの部屋ではない。何かを厳重に封じ込めている、特別な場所。


公爵は懐から、錆びついた大きな鍵束を取り出した。その中の一本を選び、錠前に差し込む。ガチャリ、ガチャリと、耳障りな金属音が静かな廊下に響き渡る。全ての錠を外し、鎖を取り払うと、彼は扉に手をかけ、一瞬だけ動きを止めた。その横顔には、深い苦悩と、トラウマを前にした人間が浮かべる、微かな怯えの色が浮かんでいるように見えた。


彼は意を決したように、ゆっくりと扉を押し開いた。 ギィィィ…と、長い間動かされていなかった蝶番が悲鳴を上げる。扉の隙間から、澱んだ空気が流れ出してきた。それは、ただの黴臭い匂いではなかった。濃密な負の感情が凝縮されたかのような、肌を粟立たせる邪悪な気配。


部屋の中は、窓が塞がれているのか、ほとんど光が差さない闇に包まれていた。しかし、その中央に、ぼんやりと何かが浮かび上がっているのが見えた。


公爵が壁の燭台に火を灯すと、部屋の全貌が明らかになる。 そこは、だだっ広い石造りの部屋だった。壁際には何も置かれておらず、がらんとしている。ただ、部屋の中央に、一体だけ。黒光りする全身鎧が、台座の上に鎮座していた。


その鎧を見た瞬間、私は全身の血が凍りつくのを感じた。 美しい、とさえ言える流線形のフォルム。しかし、その表面にびっしりと刻まれた、茨のような禍々しい文様が、見る者の心を蝕むような邪悪なオーラを放っている。それは、カイ公爵の腕や顔に刻まれた呪いの紋様と、全く同じものだった。


「…これだ」


公爵が、絞り出すような声で言った。 「俺と、この土地の全てを狂わせた、呪いの根源だ」


彼は鎧から数歩離れた場所で足を止め、まるで宿敵を睨みつけるかのように、その黒い鎧を見つめていた。彼の右腕、袖口から覗く呪いの紋様が、鎧に呼応するかのように、微かに疼いているように見えた。


「私がまだ、父の跡を継いだばかりの頃だ。領内の古い遺跡で、これを見つけた。古文書には『アークライトの地を守護する伝説の聖鎧』だと記されていた。愚かだった俺は、それを信じた」


彼の声は、遠い過去を悔いるように、静かに響いた。


「この痩せた土地を豊かにしたい。民を飢えさせたくない。その一心で、俺はこの鎧を身に着けようとした。だが、指先が触れた瞬間、これに宿っていた古代の呪いが、俺の体を喰らった」


彼は自分の右腕と右目を指さした。 「この様だ。呪いは俺の魔力を喰らい尽くし、肉体を蝕んだ。それだけではない。呪いは俺自身を媒介にして、このアークライトの土地そのものに溢れ出した。大地は痩せ、作物は枯れ、動物たちは寄り付かなくなった。全て、俺の愚かさが招いたことだ」


自嘲するような笑みが、彼の口元に浮かぶ。それは、私がこれまで見たどんな表情よりも、痛々しく、悲しい笑顔だった。


「この鎧を破壊しようと、何度も試みた。だが、どんな魔法も、聖なる力も、この鎧には傷一つ付けられなかった。それどころか、破壊しようとする力を吸収し、さらに邪悪な気を増すばかりだ。捨てることも、封印することもできず、こうしてここに安置しておくことしかできない」


彼は、ゆっくりと私の方に顔を向けた。 その氷の瞳は、もう凍てついてはいなかった。そこには、藁にもすがりたいと願う、一人の傷ついた人間の、切実な想いが揺らめいていた。


「エリアナ。お前のその力は…【修復】は、壊れたものを『本来あるべき姿』に戻す力なのだろう?」 「…はい」 「ならば、この呪われた鎧は、どうだ?」


彼の問いかけに、私の心臓が大きく跳ねた。


「この鎧が、呪われる前の…ただの美しい鎧だった頃の姿に、戻すことはできるか?この土地が、呪われる前の、豊かな大地だった頃の姿に、戻すことは…」


それは、懇願だった。 絶望の淵に立ち尽くした人間が、最後の最後に見た一筋の光に、全てを託そうとする、魂からの叫びだった。


私は、黒い鎧を見つめた。 近づくだけで、邪悪なオーラが肌を刺す。これは、私がこれまで直してきた、どんな「壊れたもの」とも違う。意思を持った、悪意の塊だ。私の【修復】スキルが、こんなものに通用するのだろうか。もし失敗したら?もし、この邪悪な気に私の力が飲み込まれてしまったら?


恐怖で、足がすくむ。 役立たずと罵られ、誰にも必要とされなかった私が、こんな重大なことを成し遂げられるはずがない。そんな弱気な声が、頭の中で響いた。


だが、それと同時に、別の想いが湧き上がってくる。 目の前で、カイ公爵が私を見ている。彼は、私を試しているのではない。信じようとしてくれているのだ。私の「役立たずなスキル」に、彼の人生と、この土地の未来の全てを、託そうとしてくれているのだ。


私を、必要としてくれている。


その事実は、凍てついていた私の心の奥深くを、じんわりと溶かしていくようだった。 アルフォンス殿下に「不要だ」と言われた時の絶望が、脳裏をよぎる。あの時の悔しさが、今は不思議な力に変わっていく。


私は、無価値なんかじゃない。 私のこの力は、誰かの絶望を救えるかもしれない。


私は覚悟を決め、公爵に向かって、はっきりと頷いた。 「…やってみます」


私の答えに、彼の瞳が大きく見開かれる。 私は一歩、また一歩と、呪われた鎧に近づいていった。邪悪なオーラが、冷たい霧のように全身にまとわりついてくる。まるで、来るな、と拒絶されているかのようだ。


だが、私はもう、怯まなかった。 台座の前で足を止め、震える手を、ゆっくりと持ち上げる。


カイ公爵が、息を呑む気配がした。


私の指先が、呪われた鎧の冷たい金属に触れた、その瞬間。


ビィンッ、と空気が震え、鎧から黒い靄のようなものが噴き出した。それはまるで、私の力を拒絶し、排除しようとするかのように、私の腕に絡みついてくる。


「エリアナ!」


公爵の悲鳴のような声が聞こえた。 しかし、私は手を引かなかった。心の奥で、強く念じる。


この鎧を、本来あるべき姿に。 この人の絶望を、希望に。


私の指先から、これまで感じたことがないほど、強く、温かい光が溢れ出した。それは、黒い靄を打ち消すかのように、眩い輝きを放ちながら、呪われた鎧全体を包み込んでいった。

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