第1話:出来損ない令嬢と【修復】スキル
ヴァインベルク伯爵家の庭園は、今日も色とりどりの花々が咲き誇り、甘い香りを風に乗せて運んでいた。その一角にある小さなガゼボで、私、エリアナ・フォン・ヴァインベルクは、古びた一冊の本をそっと開いていた。革の表紙は擦り切れ、ページは黄ばんで脆くなっている。けれど、私にとってはどんな宝石よりも大切な、母の形見だった。
「あら、エリアナ。またそんな薄汚いものを弄っているの?」
甲高い声に顔を上げると、そこには陽光を一身に浴びて輝くような妹、リリアンナが立っていた。純白のドレスに身を包み、プラチナブロンドの髪を風に揺らす姿は、まさに物語に出てくるお姫様のよう。彼女こそ、この国で百年ぶりに現れた「聖女」であり、ヴァインベルク家の誇りだった。
「お姉様。これは母様の大切な本ですわ」 「ええ、知っているわ。でも、そんなボロボロの本、もう捨ててしまった方がいいんじゃない? 私が今度、新しい綺麗な本を買って差し上げますわ」
リリアンナは悪気なくそう言って微笑む。彼女にとって、壊れたもの、古いものは価値のないガラクタなのだ。それは、私の持つスキルに対しても同じだった。
私のスキルは【修復】。壊れた物を、元通りにするだけの力。 今日もお気に入りのティーカップの取っ手が欠けてしまったのを、指先でそっとなぞって元に戻したばかりだ。地味で、誰の役にも立たない、出来損ないのスキル。
一方、リリアンナのスキルは【聖癒】。あらゆる傷や病を癒やす、奇跡の力。彼女が手をかざせば、瀕死の重傷者すら瞬く間に回復する。その神々しい力は国王陛下にも認められ、彼女は若くして私の婚約者であるアルフォンス皇太子の傍に仕えることになった。
「エリアナ、まだそんなところにいたのか」
低い声に振り返ると、金色の髪を輝かせたアルフォンス殿下が、リリアンナの隣に立っていた。彼の青い瞳が私を捉えるが、その眼差しにはいつも、失望と侮蔑の色が浮かんでいる。
「アルフォンス殿下、ごきげんよう」 「ああ。それより、リリアンナから聞いたぞ。また古い本にかかりきりだったそうだな。君は本当に、ガラクタが好きらしい」
殿下の言葉に、心が氷の針で刺されたように痛む。この本は、ただ古いだけではない。母様が私に読み聞かせてくれた物語が詰まった、温かい思い出の塊なのだ。けれど、そんな想いを彼らに話したところで、理解されることはないだろう。
「申し訳ありません…」 「謝る必要はないわ、お姉様。だって、お姉様には【修復】のスキルがあるものね。壊れたものを直すのがお好きなんでしょう?」
リリアンナの言葉は無邪気さを装っているが、その裏には明確な棘があった。私のスキルは、彼女の【聖癒】と比べれば、まるで道端の石ころのようなもの。治せるのは物だけで、人の命を救うことはできない。
アルフォンス殿下は、そんなリリアンナの肩を優しく抱き寄せた。 「そうだとも。リリアンナの【聖癒】こそ、この国を支える真の奇跡だ。それに比べて…」
殿下は言葉を区切り、私を一瞥した。その視線が全てを物語っていた。「それに比べて、お前のスキルはなんと無価値なことか」と。
胸の奥がずきりと痛む。いつからだろうか。家族からも、たった一人の婚約者からも、こんな風に見下されるようになったのは。幼い頃は、もっと温かい眼差しを向けられていたはずなのに。
私のスキルが【修復】だと判明したあの日から、全てが変わってしまった。
この世界では、十歳になると神殿でスキルの儀式を受ける。そこで授かるスキルが、その者の人生を大きく左右するのだ。リリアンナが【聖癒】という国宝級のスキルを授かった時、ヴァインベルク家は歓喜に沸いた。そしてその二年後、私の番がやってきた。
両親も、アルフォンス殿下も、リリアンナに劣らない素晴らしいスキルを私が授かるだろうと期待していた。しかし、神託の石版に浮かび上がった文字は、【修復】。
儀式を執り行った神官は、あからさまにがっかりした顔で言った。「ああ…これはまた、地味なスキルを授かりましたな。壊れた器でも直すくらいしか、使い道はありますまい」
その瞬間、父様の顔から表情が消え、母様は泣き崩れた。アルフォンス殿下の瞳から、期待の光が消えていくのを、私はただ呆然と見つめることしかできなかった。
それ以来、私の人生は灰色に変わった。 両親は私を「ヴァインベルク家の汚点」と呼び、何かにつけてリリアンナと比べるようになった。アルフォンス殿下は、婚約者である私を差し置いて、公の場でもリリアンナを隣に立たせるようになった。
私の居場所は、この家のどこにもない。 唯一、心を落ち着かせられるのは、こうして母の形見である古い物に触れている時だけ。壊れかけ、誰からも忘れ去られた物に、私のスキルは優しく寄り添ってくれる。
指先で、古本の傷んだ背表紙をそっとなぞる。すると、ひび割れた革が滑らかになり、消えかけていた金色の文字が輝きを取り戻した。これが、私の力。誰にも褒められず、誰の役にも立たない、孤独な力。
「エリアナ、明日は大切な『聖女降臨の儀』だ。リリアンナの晴れ舞台に、決して泥を塗るような真似はするなよ」
アルフォンス殿下は、釘を刺すようにそう言い放つと、リリアンナと共に去っていった。二人の仲睦まじい後ろ姿を見送りながら、私はぎゅっと唇を噛み締める。
分かっている。私にできるのは、ただ息を潜め、華やかな舞台の隅で影のように存在するだけ。妹の輝きを、決して邪魔しないように。
ガゼボに一人残された私は、修復した本を胸に抱きしめた。本のページから、インクと古い紙の懐かしい匂いがした。それはまるで、亡き母が「大丈夫よ」と囁いてくれているようで、堪えきれずに一筋の涙が頬を伝った。
明日、何事もなく一日が終わりますように。 そう、神に祈ることしか、私にはできなかった。
この時の私はまだ、知らなかったのだ。 明日という日が、私のささやかな日常を根こそぎ奪い去り、絶望の淵へと突き落とす、運命の日になるということを。そして、その絶望の先で、私の地味な【修復】スキルが、世界でたった一つの奇跡を呼び起こすことになるということを。




