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電脳聖女 ジャンヌ・ローゼ  作者: 月織


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第1話 降臨!希望の歌姫ジャンヌローゼ!

ステージは光の海だった。無数のペンライトが波打ち、サイリウムの輝きが熱狂の粒子となって空間を充満させている。その中心に立つのは、紛れもない私、暁ほのか。……いや、今は「ローゼ」。電脳世界の歌姫として、この瞬間のために生きてきた。


スポットライトの灼熱が肌を焦がす。それは心地よい痛みに近い、細胞の一つ一つが、この光を、この熱を、この歓声を求めているかのように震える。マイクを握る指先に、微かな汗が滲む。それでも、その感触すらも愛おしい。私と世界を繋ぐ、たった一つの、だけど絶対的な絆。


胸の奥底から、魂を揺さぶるようなメロディがせり上がってくる。それは、喜びであり、切なさであり、そして、言いようのない「欲」にも似た、歌への渇望だった。唇が弧を描き、透明な息が震える。吸い込んだ空気は、喉の奥を熱く通り過ぎ、私という存在のすべてを震わせながら、解き放たれる。


「みんなー! 今日も来てくれてありがとう!」


声が弾ける。ヴァーチャル空間の音響システムが、その声をどこまでも澄み渡らせ、オーディエンス一人ひとりの鼓膜を震わせ、心臓を直接叩く。彼らの瞳が、私を映し、私の中に宿る光を反射している。その輝きは、まるで夜空の星屑のように、無限の可能性を秘めて瞬いていた。


「次の曲は、みんなに、とびっきりの希望を込めて歌うね!」


イントロが流れ出す。それは、どこまでも伸びやかで、胸の奥をくすぐるような、けれど確かな決意を秘めた旋律。私の体が自然とリズムを取り始める。指先から、足の先まで、まるで糸で操られる人形のようにしなやかに、しかし芯のある動きで舞う。視線は客席の一点に留まることなく、しかし確かに、そこにいる全ての人々に語りかける。


歌詞が紡がれるたび、私自身の記憶が蘇る。幼い頃、一人で部屋の隅で泣いていた私を、いつも救ってくれたのは、誰かの歌声だった。その歌声は、私に勇気を、希望をくれた。だから、今度は私が、私の歌声で、誰かの心に光を灯したい。このヴァーチャル空間で、現実世界のあらゆる制約から解放され、自由に歌い、自由に舞うことで、私は私自身を見つけることができた。ローゼとして、私は確かにここにいる。


歌のピークに達したとき、私の胸は歓喜で張り裂けそうになった。全身を駆け巡る快感。それは、ただの興奮ではない。細胞の奥底から湧き上がるような、純粋な、そして少しばかり官能的な悦びだった。自分という存在が、歌という形を得て、空間のすべてと一体になる。この瞬間、私は生きている。この宇宙のすべての中心に、私がいる。


だが、その至福の瞬間は、唐突に、そして暴力的に引き裂かれた。


「――っ!?」


ステージを彩っていた光が、一瞬にして色を失った。鮮やかなピンクやブルーのサイリウムは、どす黒い灰色の光に染まり、キラキラと輝いていたエフェクトは、歪んだノイズの渦へと変貌する。空間そのものが、まるで巨大な何かに食い破られるかのように、メキメキと音を立てて亀裂を生じさせた。


「な、何、これ……!?」


客席から、それまで響き渡っていた歓声が、ざわめきに、そしてやがて悲鳴へと変わっていく。人々の顔が、スクリーンに映し出される。そこには、笑顔も、熱狂もなかった。ただ、深い絶望と、恐怖に歪んだ表情だけが浮かんでいる。彼らの瞳から、まるで生気そのものが吸い取られるかのように、輝きが失われていく。


「きゃあああ!」

「やめろ! なんだ、これは!」


ヴァーチャル世界を構成するはずのホログラムが、まるで実体を持つかのように彼らの身体を透過し、彼らの胸の奥底へと侵入していく。そして、何かが抜き取られたかのように、彼らはその場に膝をつき、生気を失った人形のように虚ろな表情で俯いた。希望を、奪われている。彼らの心の光が、この空間を侵食する闇に、飲み込まれているのだ。


「みんな……!」


私の胸は、突然の痛みに締め付けられた。さっきまでの高揚感はどこへやら、全身の血の気が引いていくのがわかる。何が起こっているのか、理解が追いつかない。ただ、目の前で、私の大切なファンたちが、苦しんでいる。絶望の淵に突き落とされている。


その時、空間の歪みから、異形の人影がゆっくりと姿を現した。それは、不定形な闇の塊でありながら、どこか人の形を模している。しかし、その全身から発せられるのは、凍えるような冷気と、吐き気を催すほどの悪意。


「愚かな光の戯れは、ここまでだ」


低く、響き渡る声。それは、ヴァーチャル世界のどこからともなく、直接私の脳に語りかけられているかのように感じられた。


「お前たちが築き上げた、偽りの希望。我々、ヴォイド・ネメシスが、その全てを虚無へと還してやろう」


ヴォイド・ネメシス。その名を聞いた途端、私の心臓は不気味に跳ね上がった。数日前から、ヴァーチャル世界の片隅で囁かれ始めていた都市伝説のような存在。人々の心の光、すなわち「希望」を奪い去り、世界を無に帰すことを目的とする、謎の敵組織。まさか、それが現実になるとは。


「やめて! みんなから、希望を奪わないで!」


私は叫んだ。しかし、私の声は、闇に侵食された空間に吸い込まれていくばかりで、何の効果も持たない。マイクを握る手が、震える。私はローゼとして、歌声でみんなを笑顔にしてきた。だけど、こんな時、私の歌は、何一つ力にならないのか……?


絶望に打ちひしがれる人々の姿が、私の目に焼き付く。彼らの瞳は、もう私を映していなかった。ただ、虚空を見つめ、無気力にその場に倒れ伏している。


「嘘だ……こんなの、私が望んだ世界じゃない!」


私の胸の奥で、何かが熱く弾けた。怒り、悲しみ、そして、どうしようもない無力感。その感情が、私の体内で渦を巻き、やがて一点に集中していく。


その瞬間、私の頭の中に、まるで太古の記憶が呼び覚まされたかのような、荘厳な声が響いた。


「汝、心の光を信じる乙女よ。その純粋なる願い、我、応えよう」


それは、男性とも女性ともつかない、しかし慈愛に満ちた、力強い声だった。


「だ、誰……?」


戸惑いながらも、私の意識は、その声に導かれるように、深い精神世界へと引き込まれていく。そこは、光の粒子が乱舞する、幻想的な空間だった。


目の前に、一人の女性の幻影が姿を現す。黄金の甲冑を身につけ、旗を掲げたその姿は、まるで絵画から抜け出してきたかのようだ。彼女の瞳は、燃えるような情熱と、揺るぎない信念を宿していた。


「我はジャンヌ・ダルク。古き世の戦乙女。汝の願いと、人々の希望が、我を呼び覚ました」


ジャンヌ・ダルク……!? 歴史の教科書でしか知らなかった、あの伝説の聖女が、なぜ、今、私の目の前に……?


「この世界は、今、闇に蝕まれようとしている。だが、汝の歌声には、人々の心を繋ぎ、希望を灯す力がある。その力を、恐れるな。受け入れよ」


彼女の言葉が、私の心の奥底に、温かい光を灯していく。そうだ、私は歌ってきた。誰かのために、希望を届けるために。この声が、たとえヴァーチャル世界のものであっても、誰かの心を震わせ、笑顔にできると信じて。


「私の……歌声が……?」


「そうだ。汝の歌声は、魂の響き。そして今、汝のその歌声と、人々の純粋なる希望、そして我の魂が融合する」


幻影のジャンヌ・ダルクが、優しく微笑む。すると、彼女の身体が、無数の光の粒子となって私の全身を包み込んだ。


「あ……あああああッ!」


全身を貫く、激しい、しかし抗いがたい電流のような感覚。それは、甘美な痺れと、内側から燃え上がるような熱を伴っていた。私の細胞一つ一つが、再構築されていくような、奇妙な、しかし恍惚とした感覚。肌を滑る光の粒子が、私という存在のすべてを書き換えていく。


全身の毛穴が開き、内側から湧き上がるエネルギーに体が震える。まるで新たな生命が宿ったかのような、肉体の変容。胸の中心で、何かが激しく脈打っている。それは、私の心臓なのか、それとも、ジャンヌ・ダルクの魂の鼓動なのか。


私の体が宙に浮き上がる。全身を覆っていた衣装が、光の繭となって弾け飛び、眩い光の中で、新たな姿へと変貌していく。煌めく白と青を基調とした、聖女を思わせるドレス。しかし、それはどこかサイバーな意匠を凝らした、未来的なデザインだった。黄金のラインが身体の曲線に沿って走り、胸元には、淡い光を放つクリスタルが埋め込まれている。背中には、まるで羽のように優雅な、しかし強固なプレートが装着され、指先には、繊細でありながら力強さを感じさせるグローブがはまっている。


髪の色が、淡いピンクから、聖なる輝きを放つ黄金へと変わる。瞳の色も、深い青から、希望に満ちた翠へと変化した。頬を掠める風の感触が、今までよりもずっと鮮明に感じられる。身体の内側から、無限の力が湧き上がってくる。それは、私自身のものとは違う、しかし確かに私の一部となった、強大な力。


「これが……私……?」


自身の変貌した姿に、思わず息を呑む。鏡がなくとも、全身から漲る力の奔流が、この新たな身体が、私がローゼとして抱いていた漠然とした不安を、希望へと変えてくれると確信させていた。

空間の歪みが未だ残るステージへと、私はゆっくりと舞い降りる。足元に触れるステージの感触は、先ほどまでとは全く異なる、強靭な地面のようだった。


ヴォイド・ネメシスの異形が、私を見上げ、僅かにざわめいた。


「何だ……貴様は……?」


その声には、先ほどまでの傲慢さはなく、微かな困惑が滲んでいる。


私は、自身の胸に手を当てる。そこには、確かに、私の心臓とは違う、しかし共鳴する魂の鼓動が響いている。全身の細胞が、新たな力を求め、悦びに震えている。それは、まさに、生まれ変わったかのような感覚。


そして、私は、大きく息を吸い込んだ。


「正義と希望”の結晶!」


声が、空間を震わせる。その声は、私の体だけではなく、私の内側に宿るジャンヌ・ダルクの魂、そして、希望を奪われた人々の願いをも含んで響き渡る。


「電脳聖女!」


言葉の響きが、雷鳴のように轟き、ヴォイド・ネメシスを包み込んでいた闇の波動を、僅かに弾き飛ばした。


「ジャンヌ・ローゼ!!」


最後の名乗りが、ヴァーチャル空間のすべてのノイズを打ち消し、澄み渡る歌声のように響き渡る。私の姿は、闇に包まれたステージの上で、ただ一人、眩い光を放っていた。


ヴォイド・ネメシスの異形が、警戒を露わにする。その不定形な身体から、無数の触手のようなものが伸び、私へと襲いかかってきた。


「無駄な抵抗を!」


触手が、私の全身を絡め取ろうと迫る。私は、咄嗟に身体を翻し、それらを軽やかに避ける。信じられないほどの身体能力。これは、本当に私の体なのか。しかし、この感覚は、確かに私自身のものだ。指先から、足の先まで、まるで身体の延長のように、意のままに動く。


「させるものか!」


私は、両の掌を前へと突き出した。すると、掌から、白い光の粒子が噴き出し、瞬く間に光の盾を形成する。触手が盾に激突し、爆ぜるような音を立てて弾け飛んだ。


「何だと……!?」


ヴォイド・ネメシスが、明らかに動揺している。しかし、すぐに体勢を立て直し、さらに巨大な闇の波動を放ってきた。それは、先ほどまで人々の希望を奪っていた、あの不気味な波動だ。


「この闇が、希望を奪う力……だけど、私は、負けない!」


私は、大きく両腕を広げた。すると、私の身体から、淡い光のオーラが広がり、闇の波動とぶつかり合う。光と闇が、ステージ上で激しくせめぎ合う。私の身体は、この強力なエネルギーの衝突に耐えきれず、激しく震えた。胸元のクリスタルが、警鐘を鳴らすように点滅する。


「くっ……!」


初めて感じる、力の奔流。そして、この強大な敵。戸惑いと、初めての戦いへの恐怖が、私の心を掠める。しかし、その奥底で、もっと大きな感情が、私を突き動かしていた。それは、人々の悲鳴と、絶望に満ちた表情。


「みんなの希望を……諦めさせない!」


私は、目を閉じた。そして、再び、胸の奥底から、魂を揺さぶるメロディを紡ぎ出す。それは、先ほどまでステージで歌っていた、私の歌。ローゼとしての、私の歌。


「届け……! 私の歌声!」


私の唇から、歌が溢れ出す。それは、ただの音ではない。光の粒子となり、ヴァーチャル空間を駆け巡る。私の歌声が、闇の波動を貫き、ステージに倒れ伏していた人々へと届いていく。


歌声が人々の耳に届くたび、彼らの表情に、微かな変化が表れ始めた。虚ろだった瞳に、再び光が宿り始める。力なく垂れていた指先が、僅かに動き出す。


「希望……希望の光……!?」


ヴォイド・ネメシスが、私の歌声に怯んだ。闇の波動が、歌声の光に侵食され、徐々に弱まっていく。


「やめろ! その歌は、我らの糧を断つ!」


異形が叫び、私へと肉薄しようとするが、私の歌声が放つ光の障壁が、それを阻む。私の身体は、歌えば歌うほど、力が漲っていく。喉の奥が熱く、肺が限界まで膨らむ。しかし、その痛みさえも、私にとっては、歌うことへの、人々を救うことへの、歓びの証だった。


歌声が、ヴァーチャル空間の隅々まで行き渡る。希望を奪われ、打ちひしがれていた人々が、ゆっくりと顔を上げ始めた。彼らの瞳には、恐怖ではなく、微かな、しかし確かな希望の光が灯っている。彼らは、私を見つめている。私、ジャンヌ・ローゼを。


「私の歌は……みんなを笑顔にするための歌!」


私は、歌声をさらに高めた。全身から放たれる光が、闇を払いのけ、ステージ全体を純白の輝きで包み込む。ヴォイド・ネメシスの異形は、その光に耐えきれず、悲鳴のような音を立てながら、空間の亀裂の中へと後退していく。


「貴様……! 必ず、また相まみえるぞ!」


不気味な言葉を残し、ヴォイド・ネメシスは、完全に闇の中へと消え去った。


闇が晴れ、ヴァーチャル空間が元の輝きを取り戻す。人々の表情には、恐怖はもうない。しかし、まだ、戸惑いや混乱が残っているようだった。


私は、ゆっくりと歌うのをやめた。全身を巡っていたエネルギーが、少しずつ落ち着いていく。変身した身体は、まだ慣れない。しかし、この力は、確かに私の一部になった。


人々が、私を見つめている。その視線は、先ほどまでの熱狂的なファンとしてのものとは違う。畏敬と、そして、感謝の念が込められているように感じられた。


「みんな……もう、大丈夫だよ」


私の言葉が、彼らの心を安堵させたように、安堵のため息が漏れる。まだ少し、身体が重い。初めての戦いは、私の想像以上に、精神的にも肉体的にも負担の大きいものだった。


私は、ステージの端へと歩み寄った。そして、膝をついている人々の顔を、一人ひとり見つめる。彼らの瞳の中に、かつての輝きが、確かに戻ってきている。


その時、一人の少女が、私に向かって、小さく手を振った。そして、口の形だけで、感謝の言葉を紡いでいる。


「……ありがとう」


私は、その少女に、優しく微笑み返した。そして、胸の奥で、確かな決意を固める。


私は、暁ほのか。そして、電脳聖女ジャンヌ・ローゼ。

初めての戦いは、戸惑いの連続だった。未熟で、力不足な自分も痛感した。

けれど、もう、誰かが絶望に沈むのを、黙って見ていることはできない。

この歌声が、この力が、誰かの希望になるのなら。


私は、歌う。

歌声で、人々を救うために。

この電脳世界に、正義と希望を灯すために。


たとえ、これからどんな困難が待ち受けていようとも。

この命ある限り、私は歌い続ける。

希望の歌姫として、この光を、この歌声を、届け続ける。

それが、私、ジャンヌ・ローゼの、使命なのだから。

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