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転生前夜

葬式が終わっても、日々は続いていく。だが藤原真光にとって、この世界はすでに色を失っていた。


部屋は相変わらずあの古びたアパートの一室。狭くて暗く、壁の隅にはカビが蟻のように広がっている。カーテンは閉め切られ、外の光を遮断。空気には酸っぱくなったインスタントラーメンのスープの臭いと、積み重なったビニール袋の腐臭が混ざっていた。床に散らばる漫画単行本は角が丸まり黄ばんでいる。フィギュアの空き箱は隅に積まれ、まるで安っぽい墓標のようだった。


唯一の光源はモニター。その青白い光が真光の顔を照らすが、かえって彼を蒼白に見せていた。

ニコニコ動画の弾幕コメントが次から次へと流れていく。アニメのキャラクターがいくら叫んでも、BGMがどれほど熱くても、彼の心にはただ死のような静寂しか残らなかった。


ベッドとキーボードの間に身を埋め、昼と夜の感覚はとうに失われていた。朝方四時に寝て、午後二時に起きる。繰り返されるのは、終わりも報酬もない無限ループのゲームのような日々。


深夜二時、エアコンの低いうなり声が響く中、画面に不意に一つの弾幕が走った。


【現実なんてクソ、転生しようぜ!】


続けてもう一つ。


【トラック君、すでに出発しました.jpg】


さらにもう一つ。


【異世界で無双しろ!】


真光はそのコメント群を凝視した。瞬きすら忘れ、まるで何かに取り憑かれたように。しばらくして、不意に笑った。その笑いは空虚で、錆びついた歯車がきしむように掠れていた。


「転生か……本当にあるなら、どれだけいいだろうな。」


机の上のカップ麺を手に取り、冷め切ったスープをすすった。油が固まって浮き、塩辛さに思わず吐きそうになる。器を置き、椅子に仰け反って天井を見上げ、口元を歪めた。


「俺は……ただのクズニート。現実じゃ何の価値もない。」

「でも二次元、異世界なら、俺は英雄になれる。」


そう言って突然立ち上がり、モニターに向かってフィギュアを掲げた。陰陽師・晴明の限定版。白い衣がモニターの光を浴びて冷たく輝く。


「見よ! 我こそは式神を操る者、村正を手に、天下の妖魔を斬り伏せん!」


台詞の途中で、自分でも笑い出した。その笑いは虚しく部屋に反響し、やがて掠れ、低い嗚咽に変わった。


「もし……もう一度やり直せたなら……俺は絶対に……」


言葉は喉で詰まり、続かなかった。涙で視界が滲み、フィギュアは手から滑り落ちた。床にぶつかり、晴明の扇が折れ、破片が無惨に散らばる。それはまるで、冷酷な暗示のように彼の心を抉った。


その瞬間、世界が本当に終わろうとしている気がした。


――


椅子がきしみ、真光はゆっくり立ち上がった。部屋はあまりに息苦しい。ドアを開けると、夜風が吹き込み、埃とガソリンの匂いを運んでくる。外套を引き寄せ、振り返ることなく歩き出した。


東京の夜空に星はない。街の光が強すぎて、すべてを覆い隠していた。ネオンは赤、青、緑と交差し輝くが、彼の目には温度を失った色の塊にしか見えなかった。


静まり返った通りを車が時折走り抜け、尾灯が残像を引く。コンビニの看板はまだ点いており、制服姿の高校生がバイトをしている。彼らは笑いながら雑談し、この世界に一人の落伍者が徘徊していることなど知らない。


真光の胸が痛んだ。高校時代の同級生たちを思い出す。誰かは大学に進み、誰かは会社で研修を受けている。SNSは旅行の風景や仲間との集合写真で溢れていた。

それに比べて、自分は? 二十二歳、中退、ニート、クズ。


「もし両親が生きていたら……」と呟いたが、すぐに頭を振った。その言葉は毒のようで、もう二度と口にしたくなかった。


足取りは覚束なく、彼は交差点を渡る。赤信号が瞬いている。人影はまばらだが、頭の中ではニコニコの弾幕が次々と浮かぶ。


【転生しろ!】

【トラック君に任せろ!】

【異世界で無双だ!】


それは呪文のように耳元で響き、どんどん鮮明になっていった。


次の瞬間、眩しい白光が迫る。トラックのエンジン音は悪魔の咆哮のようで、速度は反応の隙を与えなかった。タイヤが路面を擦る甲高い音が、夜を切り裂く。


真光の目は見開かれ、それでも逃げなかった。むしろ笑ったのだ。

その笑みには解放があり、最後の狂気があった。


「……ああ、本当にトラック君っているんだな。」


轟音がすべてを呑み込み、世界は粉々に砕け、漆黒に沈んだ。空気は凍り、時間は停止。身体は宙に投げ出され、視界にはあの白光だけが残った。

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