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99.ギルドからの提案(2)

マルガリーテは優雅に微笑むと、「こちらをご覧になってください」と一枚の紙を取り出した。


「実はレイネールに世界随一の高級妓楼を創りたいと考えています。」


「今はインフルアの高級娼館は経済大国であるプロスペリタの物と比較すると残念ながら施設の豪華さにおいても在籍する『男性』のレベルにおいても見劣りするのは否めません」


「然しながらインフルアとプロスペリタの間で友好条約が締結されたこともあり、インフルアには今後さらなる大幅な観光客の増加が見込まれ、世界7ヶ国のハブとなっていくことが確実視されています。」


「これからは各国の要人も多数訪れることになるでしょう。」


「私が創ろうと考えている妓楼は単なる娯楽施設ではなく、世界全土から集まる高位の商人や貴族を迎える社交場となります。」


彼女はテーブルに美しい図面を広げた。五階建ての白亜の建物で、最上階には豪華な露天風呂付きの貴賓室が描かれている。


「世界一の妓楼にふさわしく、この施設には『天華白鳳苑』と命名したいと考えております。」


「在籍する『男性』もとびきりの美男を揃えるつもりですよ。」


「プロスペリタの高級妓楼からも多数の『男性』が、この施設の豪華さと現在よりも条件のいい報酬の提示によって移転してくるでしょう。」


「そしてジンスケ様には是非この天華白鳳苑のトップ、看板花魁としてご活躍いただきたいと考えておりますが如何でしょうか?」


「もちろん最高級の待遇をご用意させていただきます」


マルガリーテが示した紙片にはレイネール市民の年収の数十倍に相当するような途方もない金額が記載されていた。


「お客様からのチップも全て貴方のもの。専用の調香師が高級アロマを香らせ、毎日高級美容師によるお手入れ。住居は二階の貴賓室を使い放題。食事もお菓子も何でもお好きな物を昼夜ご用意いたします」


アイリーンが口を開こうとしたが、マルガリーテは手で制した。


「重要なのは勤務形態です。一日一人限定のお客様対応のみ。週休二日制ですがその他に休暇も年に三ヶ月分支給しますので、その範囲内であればいつでも好きな日にお休みいただけます。」


「もちろん全ての休暇をご使用いただいても提示させていただいた報酬は必ずお支払いさせていただきます。」


「世界最高の妓楼のトップオブザワールドには『生ける宝石』ともいえるジンスケ様ほどふさわしいお方はおられません」


「如何でしょう? お考えはいただけませんか?」


彼女は最後に一冊の革張りの小冊子を取り出した。


「これが契約書です。ここに署名さえしていただければ——」


ジンスケは静かに首を振った。


「マルガリーテ殿。お気持ちは有難いが、拙者は誰かに飼われるつもりはありません。」


「何よりも自由に生きたいのです。贅沢に囲まれて暮らしたいとも思ってはいません、それに…」


彼は遠くを見るような目つきになった。


「お聞きおよびかもしれませんが拙者は落世人です。拙者のいた世界では身を金で売ることは恥とされていました」


「マルガリーテ殿にはご理解いただけない風習かもしれませぬが、男娼は拙者には許されぬ生き方なのです」


マルガリーテは残念そうな表情を見せたが、すぐに「失礼しました」と書類を引き下げた。


「しかし」彼女は声を潜めて言った。「インフルアにも魔族が現れ、プロスペリタやフォルティアでも何かと事件が絶えないようです」


「ジンスケ様はお強い。この先、各国の王室などからも色々な召喚やご依頼などがあるのではないかと思いますよ」


「私の得た情報に誤りがなければジンスケ様はその様なことに巻き込まれることも望まれてはいない筈」


「情況が変われば『天華白鳳苑』こそがジンスケ様が尤も安全で静かに暮らせる場所になるやもしれません」


「男性の少ないこの世界で、なるべく多くの子種を残していくことこそ男性の使命、ましてやジンスケ様のような特別な方であれば…、何がこの世界の為なのかは勿論ご存じのことでしょう」


「『天華白鳳苑』のトップとは男が体を金で売る場所ではありません、『神の子』であるジンスケ様が下々の女たちに子種を授ける聖なる儀式の場所となるのです」


「私どもはいつでもお待ちしております。その時はどうぞよろしく」


***


マルガリーテが去った後、またも修道士が息を切らして駆け込んできた。


「お取次ぎいたします!流通ギルド長エレオノーラ・クラーゼン様が直接お越しになられました!」


アイリーンが耳打ちする。「今度は何なの……?」


エレオノーラは50代前半の堂々とした女性だった。紺碧の刺繍入り外套を羽織り、右手首には銀鎖の腕輪を巻いている。彼女はジンスケを見るなり、


「時間は無駄にできません。簡潔に言います」


深みのあるバリトン声で切り出した。


「我が流通ギルドから贈呈したいものがあります」


彼女は羊皮紙の巻物を投げるようにテーブルへ置いた。そこには《セレスティア邸》と題された図面が描かれていた。


「レイネール東区の丘陵地帯にある閑静な別荘です。敷地は四万坪。大理石造りのメイン棟に庭園浴場付き離れ十棟。家政婦も2名常駐します」


ジンスケが眉をひそめる。


「なぜ突然……?」


エレオノーラは鼻で笑った。


「貴方の名声は流通網を通じてすぐに他国にまで轟くでしょう。」


彼女の目が冷たく光る。


「そうなればプロスペリタやフオルティアの富豪たちが直ぐにでも動き始めます」


「ジンスケ様の身柄確保を試みて、あの手この手の提案がされるでしょう」


「ジンスケ様にも暮らしがあられる、手をこまねいていれば他国へと移住されてしまうかもしれないと考えました」


「それでも我がインフルアには『魔物が出ない』という他国にはない魅力があります」


「なによりジンスケ様には安全な居住地が必要だ。それが贈呈の理由です。住民登録についても国の了解は既に得ています」


アイリーンが身を乗り出す。


「他国の介入なんて……!」


「当たり前です。この世に魔族が現れ、それを倒された。ジンスケ様は既に外交カードなのですよ」


エレオノーラは立ち上がる。


「もちろん何処に住居を構えられるかはジンスケ様のご意志によります、ですが選択肢は狭まっていきますよ」


「他の国の王侯貴族や大富豪から望まない召喚の申し入れがあった場合、レイネールに居を構えているという既成事実があった方がお断りし易いのではないですか?」


エレオノーラの言い分は一見もっともで親切に聞こえる。


でもジンスケには、それは流通ギルドに『飼われている』も同然なのではないかと思えてしまうのだ。


ジンスケからは色よい返事は得られなかった。


彼女は残念そうにジンスケを見つめて言った。


「ジンスケ様は安穏に暮らしたいと言われる。でもそれが無理な相談であることはジンスケ様ご自身にもわかっておられるのではないですか?」


「貴方は『男』だ。それも…特別な。。。世の中のどんな男よりも美しい。それだけでも平穏に暮らしていくことなど相当に難しいことでしょう」


「そして『戦える男』『女より強い男』なんてジンスケ様以外には地上に一人として存在しません」


「『魔族を倒した者』となれば男だけではなく女を含めてもジンスケ様しかおられない」


「そんな者がどこに行ったとしても果たして安穏になど暮らせるものでしょうか?」


「もし無理にでもそれを望まれるというのであれば、最低でもジンスケ様は頻繁に住み家を変える必要があるのではないですか? 」


「誰が住むのかも知られずに各国、各地に住居を手配できるのは我々インフルア流通ギルドしかないと思いますよ」


それでもジンスケが答えずにいると、彼女はクルリと背を向けた。


「マルガリーテの妓楼。私の邸宅。どちらもジンスケ様の為を思ってのご提案であることだけは覚えておいてください」


「いつでも良いお返事をお待ちいたしております」


***


日曜日になると司祭の教会には多数の信者が大挙して押しかけてきた。


聖魔法の迫害の影響で教会を訪れることをためらっていた信者たちが戻ってきたのだ。


大義名分は安息日の礼拝のためであったが、『神の子』とも『預言者』とも言われる絶世の美少年を一目見てみたいというのが本当の理由なのは明らかだった。


あいかわらず教会の裏手にある宿舎にジンスケとアイリーンは寝泊まりしていたが、この様子では町のホテルに泊まるのは火に油を注ぐようなものに思われた。


当分はここに腰を落ちつけて静かにしているしかないだろう。


でも教会のミサや式典にはジンスケは顔を出すつもりもなかった。


それでなくとも『神の子』だの『預言者』だのと教会の活動に都合よく使われているのだ。


司祭は悪い人ではないが、信仰のためであればジンスケを利用することも厭わないだろうし、何より司祭自身がジンスケを『神の子』や『預言者』と思っているフシがないでもない。


そんな理由(わけ)でジンスケは日曜日にアイリーンと一緒に町に出ることにした。


頭巾での変装は知れ渡っている、無駄かもしれないがジンスケは赤い長髪のウィッグをつけて変装した。


『黒い手』の件でバタバタしてすっかり忘れていたが、レイネールに着いたなら訪れてみたいと思っていた場所に行ってみることにしたのだ。



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