93.教会の受難
二人は中央通りの一角にある小奇麗な宿屋に入ることにした。
看板には「白鷲亭」とある。中に入ると清潔そうな客室が並び、受付には恰幅のよい中年女性がいた。
「いらっしゃい、泊まりかい?」
「はい、一部屋お願いできますか?」
アイリーンが丁寧に尋ねると、女将はジンスケの方を一瞥した。
頭巾を深く被った少女は一見普通だが、瞳だけは珍しい神秘的な黒い瞳をしている。
「あら可愛い妹さんね。姉妹旅行かい?」
「そうです」アイリーンがにっこりと微笑み、青い瞳が優しく揺れる。
「少し長旅で疲れてしまったのでゆっくり休みたいのです」
女将は少し困ったように眉を寄せた。「悪いけど一部屋しか空いてないよ。ちょっと値段の高い二人部屋だけどそれでいいかい? 銀貨八枚だよ」
「それで構いません。ありがとうございます」
怪しまれず無事に宿が見つかってアイリーンはほっと胸を撫で下ろした。
鍵を受け取り階段を登りながら、ジンスケは小さくぼやいた。
「また同じ部屋か……」
「二部屋なんて、贅沢は敵ですよ」
アイリーンが楽しそうに言い返した。「それに……ジンスケ様が男だって知ったら、ここの女将さん卒倒してしまいますからね」
部屋に入ると簡素だが清潔なベッドが二つ並んでいてシャワー室もある。
ジンスケはホッと胸をなでおろした。
「よし、今度はちゃんと仕切りがある」
アイリーンが意味ありげに笑った。
「ふふ、安心しましたね」
「ジンスケ様の美しい肌を見るチャンスがないのは残念です」
ジンスケは頭巾を脱ぎ捨てながら抗議した。
「からかうのはやめてください!」
「本当にこの世界は……いろいろと面倒くさくて困る」
時間も遅いので夕食は宿の食堂でとることにした。
運ばれてきたのは一角ウサギの干し肉を焼いたものと茹でた根菜。もちろん味付けは一切ない。
でもインフルアに来てから魔物肉の食事に出会うのは初めてだ。
魔物の出ないインフルアでは干し肉とはいえ魔物肉は貴重品なのだろう。
それが宿屋の食事で出てくるとはレイネールは首都だけのことはある。
まあそのぶん宿代も高いわけだ。
「プロスペリタならいつも通りの食事ですけどね……」
アイリーンが苦笑する。
ジンスケは懐から小さな革袋を取り出すと中身を振りかけた。
「これがあるから干し肉とはいえ肉料理は嬉しいですね」
パラパラと散らされた白い粉が料理に降りかかる。
「それでは私にも塩をいただけますか?」
血抜き肉ですっかり塩味が気にいってしまったアイリーンが微笑んだ。
ジンスケは塩をアイリーンの皿にもかけてあげる。
「血抜き肉でなくて干し肉ですけど、これで少しはマシになりますよね」
アイリーンは一口食べて小さく頷いた。
「確かに……塩だけでも随分違いますね。やっと塩の魅力がわかってきたというか…」
「ジンスケ様があれだけずっと塩にこだわっていた理由がわかるようになりました」
ジンスケはフォークで干し肉を刺しながら言った。
「塩は幸せの味ですから」
「本当ですね」
アイリーンは嬉しそうに肉を噛みしめる。
「野草のスープも美味しい!野菜料理が美味いのは魔物の出ないインフルアならではの食文化ですね」
アイリーンはちらりと窓の外を見た。
「うーん……どうやらこの国には独自の流通システムがあるようですね。野菜がどれも新鮮だ」
ジンスケも頷く。
「ギルドが支配している国というのも納得できます」
アイリーンは考え深い顔で言った。
「物流や貿易をコントロールすることで商業の国を実質支配しているということなのでしょう」
「さて……明日はどうします?」
アイリーンがフォークを置いた。
「司祭様には午前中に会いに行こうと思いますが…」
ジンスケは賛成の意を伝えた。
「そうですね、ちょっとレイネールに住むかどうかは疑問に思えてきましたが、色々とお話はお聞きしたいです」
ジンスケはスープを飲み終えると続けた。
「街の様子も少し見ておきたいですしね。特に……」
彼は声を潜めた。
「怪我をしていた女性から聞いた"黒い手"という連中のことも気になっています、魔法絡みの事件だったのでしょうか?」
アイリーンは首を傾げた。
「危険かもしれませんよ? この国では表向きは平和ですが、裏では何が起こっているかわかりません……」
ジンスケは全部食べ終えて言った。
「だからこそですよ」
「拙者どもがこの国に定住するなら安全に暮らせることが一番大事ですから」
アイリーンはテーブルを指でトントンと叩いた。
「それにしても……あまりにも誰もが魔法について神経質すぎますね」
「私が魔法を使うことが知られたらどうなるというのでしょう?」
ジンスケは深く息を吐いた。
「魔法を使える者の失踪事件が起きているようですから、拙者どもも誰かに狙われるのかもしれません……」
アイリーンは周囲を見回すと声を落とした。
「司祭様に会って話を聞きましょう。司祭様は聖魔法使いなのにここで教会をしているわけですから」
「どうすれば、この国で安心して暮らしていけるかのヒントも貰えるかもしれません」
「プロスペリタを離れた理由も話せばジンスケ様がとにかく平穏に暮らしたいと思っていることも理解してもらえると思います」
アイリーンはジンスケの手を取った。
「あの方は昔から信頼できる人です。それに……」
彼女は窓の外に広がる夜の街を見つめた。
「魔物が出ないこの国は、それさえなければ本当にジンスケ様が静かに穏やかに暮らせる一番の場所かもしれませんから」
ジンスケは黙って頷いた。
アイリーンが真剣にジンスケのことを考えていてくれていることが良くわかったからだ。
翌朝、二人は宿屋を早めに出発した。
目的の教会は大通りから一本入った静かな路地にあった。
「ここですね」
アイリーンが錆びついた鉄製の門を押し開ける。
「司祭様は私が子供の頃によくお世話になった方です」
ジンスケは無言で頷いた。
石造りの素朴な建物は外観だけだと教会という感じがしない。
他の豪奢な商家と比べると控えめだが、それでも手入れが行き届いている。
扉に手をかけた瞬間、異臭が鼻をついた。
ジンスケが何よりも一番良く知っている匂い。
血の匂いだ。
「待ってください」
ジンスケがアイリーンの腕を掴む。腰の鬼丸に手がかかった。
「慎重に……」
アイリーンが聖魔法で光球を灯す。
薄暗い礼拝堂には足跡が無数に散乱していた。ベンチが倒れ、聖像が砕かれている。そして床には……
「司祭様!」
老齢の女性が床に伏していた。白い法衣は真紅に染まり、呼吸は浅い。
額には深い切り傷が走っている。
「待ってください!」
ジンスケが鋭く叫ぶ。倒れている老人を迂回するように踏み込むと、鬼丸が閃いた。
キンッ!
天井から降りてきた黒装束の刺客が壁に叩きつけられる。
鬼丸の背で峰打ちにされて首を仰け反らせている。
「アイリーンさんは司祭殿の手当てを!」
ジンスケの声に震えはない。
アイリーンが駆け寄ると、司祭の口から血の泡が溢れた。かすれた声が漏れる。
「逃げ……なさい……『黒い……手』が……」
「しっかりしてください!」
アイリーンは治癒の聖魔法の呪文を唱えはじめた。
しばらくして魔法が放たれると白い光が司祭を包み込んだ。
それによって傷は塞がったようだが意識は戻らない。
ジンスケは倒れている黒装束の女に近寄り、カツを入れて気を失っている賊を起こした。
首元には刀をつきつけている。
「何者だ。どうして司祭殿を襲った?」
黒装束の女の意識が戻る寸前、天井から一条の光が走った。
ジンスケの頬を掠めた針のようなものが壁に突き刺さる。
「!」
ジンスケが身を躱す間に二射目。狙いは捕らえた賊の首筋──それが吸い込まれるように命中した。
「毒矢か!」
ジンスケが叫ぶ。女は痙攣して瞬時にその命が奪われていた。
ジンスケの頬の傷も毒で紫色に変色し始めている。
ジンスケは傷に意識を集中して魔力を体に巡らせる。すうっと紫色の変色が消えていった。
「……解毒できたのですか?」
アイリーンが驚愕の表情で問いかけた。
捕えた賊が一瞬で絶命するほどの猛毒を頬に受けていながら、ジンスケが平気な顔をしているからだ。
ジンスケは毒を体内の魔力循環だけで無効化していた。
「アイリーンさんの聖魔法のように他人は治せませんが、自分の身体だけなら多少の傷は治せるのです」
ジンスケは淡々と言った。
アイリーンはさらに驚いて目を丸くしている。
「ジンスケ様は魔法が使えたのですか?」
ジンスケは小さく首を振った。
「魔法は使えません、でも魔力を体に巡らせて体力を強化する術をエルフの大魔導士から教わりました」
アイリーンはそれでも驚きを隠せなかった。
「魔力で体力強化なんて聞いたことがありません」
しかしその時、礼拝堂の入り口に人影が立った。
「誰だ!」
ジンスケが鬼丸を構える。
「私の毒矢を躱すとは子供とは思えない身のこなしですね」
低い声と共に現れたのは全身を覆う黒い外套の人物だった。
アイリーンが咄嗟に司祭の体を庇う。「あなたたちが黒い手ですね?」
「質問は許可していない」
闇から伸びた刃が光を反射する。
ジンスケはアイリーンと司祭を背後に庇いながら対峙した。
「引かないなら斬る」
ジンスケの声に殺気が走る。
アイリーンの驚きは増すばかりだった。まさかジンスケが戦えるとは思っていなかったのだ。
黒装束とジンスケが互いに間合いを寄せて対峙した。
黒装束の女は長い両刃剣を薙ぎ払うように横に振った。
ジンスケが鬼丸でそれを受けると両刃剣が真っ二つに折れてしまった。
折れるというよりは真っ二つに切られたように見える。
黒装束の女の目が驚愕に見開いた。
黒装束の者は僅かに口元を歪めた。「今日のところは退いてやる。」
そう言った瞬間にはくるりと後ろを向き飛ぶように扉の外へと姿を消していた。
黒装束の影が消えたあと、ジンスケは鬼丸を鞘に収めた。
「ひとまず退いたようですね」
アイリーンがきいた。
「追いますか?」
「いや、今は司祭殿が先です」
ジンスケは老人の脈を確かめた。
「アイリーンさんの聖魔法のおかげで出血は止まっていますが……よくないですね」
二人は司祭を担ぎ、宿へと急いだ。
宿に戻ると、女将が血染めの老人を見て悲鳴を上げた。
「いったい何があったんだい!?」
女将は奥に向かって叫んだ。
「医者だ聖魔法使いを呼べ!」
奥から従業員らしき女が出てきて言った。
「隣の地区になら聖魔法使いがいるけど……近くには…」
女将が何か言いかけるのをジンスケが遮った。
「結構です。彼女が治します」
---
その晩、アイリーンの聖魔法が三度目に光ったとき、司祭がうっすらと目を開けた。
「……アイリーンちゃん……?」枯れた声が漏れる。
「なぜこんな危険な……」
アイリーンより先にジンスケが鋭く言った。
「それより教えてください、なぜ狙われたのか」
司祭の皺だらけの顔に憂いが陰った。
「"黒い手"は……教会を一掃しようとしているのです」
「この町には以前は5つの教会があったんだが今は2つしか残っていない」
司祭の声が途切れがちになり、アイリーンが水を含ませたハンカチを唇に当てた。
「続けてください」
「……五年前ころからだよ」
司祭が乾いた咳をする。
「突然……教会関係者が失踪するようになった。最初は若い神学生……次は助祭……そして司祭」
ジンスケが眉をひそめる。
「すべて黒い手の仕業だと?」
司祭の目が鋭くなった。
「わかりません。手口も少しずつ変わってきています。」
「最近は聖職者だけでなく……治療院のシスターまで狙われるようになってね」
「……狙われるのは必ず魔法治癒のできる者」
司祭の声が震えた。「聖魔法の才能がある者だけを消していく」
アイリーンが息を飲む。
「まさか……」
司祭が苦痛に顔をゆがめた。
「三年前に……二人の司祭が突然姿を消した。それも黒い手の仕業だと言われている」
ジンスケが拳を握りしめた。
「なぜそこまで執拗に教会関係者を?」
司祭の眼差しが遠くを見つめた。
「この国から聖魔法使いを根絶させることだ」
アイリーンが呟くように訊いた。
「そんなことをして何の得が?」
司祭が弱々しく答えた。
「魔法は信仰の証」
「教会の権威は奇跡によって支えられている。もし聖職者が魔法を使えなくなれば……」
ジンスケが呟いた。
「民衆が教会から離れてしまう」
「そう」司祭が深くうなづいた
いつもご愛読ありがとうございます。
励みになりますので、よろしければ評価【☆☆☆☆☆】をよろしくお願いします!




