91.本能と理性
武芸者として修行を極めたせいでジンスケは常人離れした感覚を持っている。
殺気や人の気配、そういうものに物凄く敏感なのだ。
魔物であれば遠くにいても、その魔物がどんな種類の魔物かが判るし、人といれば、その人間が緊張しているのか、リラックスしているのか、怒っているのか、悲しんでいるのか。
そんなことまでが気配だけでわかるのだった。
この能力は武芸者が生き延びていくためにはとても有用な能力だった。
然しどんな能力も時と場合によっては有用なばかりではない。
インフルアには魔物はでない。
だから宿で夜眠るときくらいは、そんな気配察知から解放されてぐっすりと眠れればいいのだ。
けれどもぐっすりと寝ている時でさえもジンスケの生存本能は周囲の気配を無意識に察知してしまう。
隣りのベッドではアイリーンが毛布をかぶって静かに寝ている。
旅の疲れでぐっすりと眠っているようにしか普通の者には見えないだろう。
寝息さえもほとんど聞こえない。
けれどもジンスケには毛布の中のアイリーンの様子が鮮明に脳裏に映るくらいに生々しい気配が伝わってくるのだ。
息を殺して動きも極めて制御されているけれど、アイリーンが自分で自分を慰めているのが手に取るようにわかってしまう。
喘ぎ声をなんとか抑えてはいても、アイリーンが絶頂に達したその瞬間さえジンスケには丸わかりだった。
やめて欲しい。
クールビューティーなアイリーンが今、あの毛布の中で……そう思うと自分までおかしな気持ちになってしまいそうだ。
頭の中の妄想ではジンスケはもう既にアイリーンと体でつながってしまっている。
打ち消そうとしても頭が勝手に妄想してしまうのだ、種の保存の本能には人間は抗えないのだろう。
本能には抗えないから妄想してしまうのは仕方がない。
でも自分を抑えることはできる。妄想は妄想だ。
無理矢理に毛布をかぶって自分に言い聞かせる『眠れ』。
その時、隣のベッドからアイリーンが静かに起き上がった。
暗闇の中、ベッドから出ると足音を忍ばせてジンスケのほうへと歩いて来る。
そしてジンスケが寝たふりをしているベッドのすぐ横に立った。
ジンスケの胸が高鳴る。
寝込みを賊に狙われて気配を感じた時でさえもこんなにドキドキはしなかった。
アイリーンはじっと立っている。
たぶんジンスケを見降ろしているのだろう。
アイリーンがもしジンスケのベッドに入ってきたら……
ジンスケには自分を抑えられる自信はまったくなかった。 アイリーンは魅力的すぎる。
けれどもアイリーンはベッドには入ってこなかった。
じっとジンスケのベッドの前で立ち尽くしている。
『やめてくれ』ジンスケは思った。
息を殺していても判る。
アイリーンは立ったまま、先ほど毛布の中でしていたことの続きをしているのだ。
(やめてくれ、こっちも我慢できなくなる)
(さっきから、こっちも下半身が限界なんだ)
そうジンスケが思った時に、アイリーンが頂上まで登りつめたのが気配でわかった。
そのままじっと立ち尽くしている。
きっと余韻に浸っているのだろう。
しばらくするとアイリーンは静かに自分のベッドへと戻っていった。
毛布にくるまって横になる。
10分もしないうちに寝息をたてはじめた。
ジンスケには気配でわかる。
今度は本当に熟睡したらしい。
けれどもジンスケのほうは結局は朝まで一睡もできなかった。
考えても結論の出ないことが頭の中でずっとグルグルしていたのだ。
自分はどうしたいのだろう?
本能も体もアイリーンを求めてしまっている。
心は前世から引き継いだものであっても、体は一つ一つの細胞までこの世界の男の身体なのだ。
20対1の世界。遺伝子に刻まれた種の保存に対する本能は前世よりもずっと強いらしい。
でもリフィアの姉だと思うと理性は頑強にそれを否定していた。
ジンスケがアイリーンとそうなってもリフィアは気にしないだろう。
いや、逆にリフィアはアイリーンがジンスケと関係を持ったと知れば喜びさえするかもしれない。
強がりではなくジンスケにこの世界のできるだけ多くの女性と交わってほしいと考えているようだった。
リフィアが本当にそう思っていると気配でわかってしまう自分の能力が恨めしかった。
リフィアには『自分以外の女とは交わって欲しくない』と思われたかった。
この世界が自分に求めているもの、社会が自分に求めているもの、自分が愛している女さえも自分に求めているもの、それに応えて自分はこれから生きて行くべきなのだろうか?
それとも、どんなにこの世界の道徳観や常識とかけ離れていても、前世から引き継いだ自分の心に従って生きて行くべきなのか?
自分はどうするべきか……と考えたほうがいいのか
自分はどうしたいのか……と考えたほうがいいのか
それすらも良くわからなかった。
ジンスケはそもそも考えるのは苦手なのだ。考えるよりも体を動かす。
ずっとそうやって生きてきた。
けれども、たぶんもう元の世界に戻れることはないだろう。
この世界で暮らし、そして一生を終えるのだ。
元の世界での一生はほとんど終わりに近づいていたけれど、この世界での一生はたぶんまだまだ永い。
だから考えなければいけない。
いつかはどう生きて行くのかの結論をださなければならない。
流れに身を任せれば、この世界の常識に染まっていくのは判っている。
何十人、場合によっては何百人、何千人という女と関係を持つことになっていくだろう。
結果としてそうなることは、それならばそれでもいい。
でも流されるのではなくて自分の意志で決めたかった。
ジンスケは武芸者として流れに身を任せて戦ったことは一度もなかった。
いつどこで誰と、どのように戦うかは必ず自分の意志で決めてきた。
例え寝込みを襲われた場合であっても、とりあえずその場から逃げて立て直すのか、その場で迎え撃つのか、それは自分の意志で決めてきたつもりだ。
襲われたので、とりあえず反撃しました。 そういう戦い方は剣聖はしない。
襲われる前に察知し、どこで戦うかを考え、どう戦うかを決める。
それが剣聖の戦い方だ。
自分の意志を強く持てない武芸者は生き延びていくことはできない。ジンスケはそう思っていた。
どんなことでも自分の意志で決める、それがジンスケの性だった。
だから考えて考えて、なるべく早くに結論を出さなければならない。
何にしても自分の意志で決めて、それから行動するのだ。
アイリーンは魅力的にすぎる。
今にでも結論を出さなければ、流されてしまいそうなほどに……
そんなことを考えていれば眠れるわけもない。
気がつけば窓辺に朝がやってきていた。
隣りのベッドですやすやと寝ているアイリーンを見る。
(寝顔まで美人なんだな)
そんなことを思っているとアイリーンが目を覚ましたようだった。
ジンスケが自分を見ているのに気づいたようだ。
にっこりと笑った。
「おはようございますジンスケ様。よくお休みになれましたか?」
アイリーンはこれ以上はないというような爽やかな朝の笑顔だった。
「はい、おかげさまで良く眠れました」
疲れた顔していないだろうな? そう思いながら笑顔でジンスケも挨拶した。
全身に魔力を巡らせておかないと旅の疲れと寝不足で倒れてしまいそうだ。
でも朝食を食べたら、またレイネールへ向けて旅立たないとならない。
まあいいか。魔力は無尽蔵にあるらしい。
どちらにしてもいつだって魔力は巡らせているのだ。
魔力さえ巡っていれば歩くだけなら無限にでも歩ける。
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