88.商人の才覚
日焼け顔のおばさんがニコニコと笑いながら食事を運んできてくれた。
ジンスケとアイリーンを座らせたテーブルに料理を並べてくれる。
ジンスケにはリタとリズがあいかわらず纏わりついたままだ。
運ばれてきた料理は焼いた野菜とスープだった。
焼き野菜はプロスペリタでは見かけない料理だ。
大きなイモとカボチャのような野菜を薄くスライスして焼いてある。
その上にトマトのような野菜がスライスしてのっていた。
アイリーンは黙々と食べているけれど、ジンスケはこれはけっこう美味い料理だなと感心していた。
塩味はないけれど上に載っているトマトのような野菜の酸味がアクセントになっていて食べやすい。
インフルアには魔物が出ないので、魔物の肉も希少品だということだ。
それでこういうような野菜料理の種類があるのだろう。
野菜スープのほうは中に入っている野菜の種類こそ多いもののプロスペリタの野菜スープとそれほどの違いはなかった。
自分でも野菜スープをすすりながら、おばさんがアイリーンに話しかけている。
「娘さんを連れての二人旅かい? 山越えなんて大変だっただろう?」
アイリーンは微笑しながら対応している。
「いえ、年の離れた妹なのです。足は強いので山は大丈夫でしたが魔物には何度かあいましたね」
おばさんは驚いた顔をして言った。
「へえ~、魔物に出会ったのかい。そりやあ大変だったねえ」
「私なんか生まれてこのかた魔物といったら町で売ってる干し肉くらいしか会ったことなんてないけどさ」
アイリーンは笑顔で答えた。
「魔物なんて会わないにこしたことはありませんからね。インフルアが羨ましいです」
それを聞いておばさんも笑顔になった。
「まあそうだね、こんな小さい子供がいるのに魔物なんか出たら大変だ」
「でも町で売っている魔物の干し肉は人気なんだよ、一角ウサギとか言ったっけ、ああいうのがインフルアにもちょっとは出てくれればいいのにねえ」
「今も長女のリアが魔物の干し肉や生活用品を買いに町にでかけているんだ」
アイリーンが頷きながら褒めた。
「ご長女はもう大きいのですか? 母親に代わって町までお使いに行くなんて働き者なのですね」
おばさんは嬉しそうに答えた。
「実はうちもけっこう年が離れた姉妹でね、リアは10歳も年上なんだよ」
「私はちょっと足が不自由でね、それで畑仕事もリアがほとんどやってくれているんだ」
「リアが生まれてから少しした時に私が足を怪我しちまって、それじゃなくてもこんな田舎からじゃ首都まではそうそう行けるもんじゃない」
「娼館にも行けないし子供はリアだけでいいかと思っていたのだけど、あの子がまだ小さいのに働いてくれるようになって…」
「それで馬車を借りてくれて町にも久々に行けたんだ、その時にできたのが双子のリタとリズさ」
日焼け顔のおばさんは娘の話をする時が一番の笑顔だった。
きっと自慢の娘なのだろう。
食事が終わったあとは、おばさんに生でも食べられる野菜をいくつか見繕ってもらって売ってもらった。
金貨を1枚出すと「多すぎる」と言われたが、食事のお礼も含めてと言ってアイリーンが握らせると、おばさんは大袈裟に礼を言って受け取ってくれた。
ジンスケは見たこともない野菜ばかりだったのでアイリーンに訊いてみると、どうやらアイリーンも知らない野菜の方が多いようだ。
町まではどれくらいかかるのか訊くと、小さな村なら近くにもあるが町まで歩いて行くのならまだ1日か1日半はかかると言われた。
もらった野菜だけでは、また腹が減ってしまいそうだが、途中にも人家はそこそこあるということなのでジンスケとアイリーンは出発することにした。
農家の一軒家を出てしばらく歩いて行くと、野原の中に道らしきものが見えてきた。
野原の雑草が抜かれて土が露出しているだけの細道だが、道は道だ。
今までは野原の草ぼうぼうの中を方角だけを頼りに歩いてきていたので、それに比べれば確かに目的地に向かって進んでいるらしいという安心感がある。
アイリーンと歩きながらジンスケはのんびりと考えていた。
ジンスケはもともとプロスペリタを出たあとはリゼリア王女との知己を頼ってフォルティアへと行くつもりだったのだ。
けれどもこうしてインフルアに来てみてアイリーンと歩いていて、インフルアも悪くないと思い始めていた。
道中で魔物が出ないというだけで、こんなにものんびりと過ごせるとは思っていなかった。
確かにプロスペリタに比べると栄えてはいないかもしれない。
でもここでの平穏な暮らしは何にも優るものかもしれない。
さすがにこの辺りは余所者が暮らすには不便すぎるがレイネールも同じような雰囲気なのであれば住居を探してそこで暮らすことも考えてみてもいいかもしれない。
あぜ道を進んで行くと段々と道幅も広くなっていき途中では先ほどの農家と同じような一軒家を二つほど通過した。
畑には人が見当たらなかったが、皆さっきの農家と同じように家族団欒でのんびりと暮らしているのだろう。
インフルアにはどこまでも広い平原が広がっていた。
道は北へと向かう一本道で首都のレイネールへと続いているようだが、東西方向にもずうっと歩いていけば地方都市に出られるとのことだ。
もしインフルアで暮らすのであれば地方都市のほうがいいかもしれない、そんなことまでジンスケは考えながら歩いていたのだった。
半日そのまま歩き続けていると初めて前方に村落らしきものが見えてきた。
農家のおばさんが言っていた隣町のスカンツの村だろう。
村の入り口にはゲートが設けられていて『ようこそスカンツの村へ』というド定番の歓迎の看板がかかっていた。
看板の字が剥げかかっていて読みにくくなっているが全く気にした様子もないところを見ると、歓迎が必要なほどには来訪者は多くないらしいと想像がつく。
スカンツは小さな村だった。
家は20軒ほどだろうか。
道具屋と食料品店が一軒ずつ、それに小さな教会があるだけだった。
道具屋には洗濯物を干すのに使うらしいロープや木製の桶、煮炊きに使う鍋などの生活必需品がいろいろと並べられていた。
武器も鉄製の長剣が一本と短いナイフが2本だけ並べられていたが、どちらも切れ味は悪そうだ。
ジンスケとアイリーンは道具屋の商品を一渉り見回していたが生活必需品ばかりで旅の役にたちそうな物は見当たらなかった。
仕方がないので二人は食料品店に向かった。
農家のおばさんの話ではウサギの干し肉が手に入ると聞いていたので買っておきたかったのだ。
店に入ると先客がいて店主となにやら交渉中だ。
まだ年若い女の子だ。 今世のジンスケと同い年か一つ二つ年下くらいかもしれない。
「だから、いつも買いに来てるお得意様なんだから、もうちょっとまけてって言ってるじゃない」
どうやら女の子は値切り交渉の真っ最中らしい。
店主のおばさんは困ったような顔をしながら言い返している。
「だから、今は干し肉は流通が少なくて仕入れが高いんだって、事情はわかるけどこれ以上まけたら家が赤字になっちまうよ」
アイリーンがジンスケにそっと囁いた。
「あの農家の長女じゃないですかね?」
そう言えば、あのおばさんが言っていた長女のリアがちょうどこの年頃かもしれない。
目がくりっと大きな利発そうな女の子だ。
もう少し大人になったらアイリーンと同じくらいの美人になるかもしれないとジンスケは思った。
ジンスケも囁き返した。
「あの分だと、干し肉は拙者たちの買うぶんはないかもしれませんね」
そうしている間にも女の子はなおもしつこく食い下がっていた。
「だから小さい妹たちがお腹空かして待ってるんだよ、おばさんだって知ってるでしょ」
店主と女の子の言い合いを聞いていると、どうやら干し肉が2つで銀貨3枚のところを4つで銀貨5枚にまけろと言い張っているようだ。
どうやら野菜を売った売り上げが銀貨5枚しかないらしい。
ジンスケが囁いた。
「なんとか助けてあげられませんかね? あの子の母親にはとてもよくしていただきました」
それを聞いてアイリーンもニッコリと笑うと頷いた。
そして店主と女の子のところへとアイリーンが割って入っていった。
女の子が入ってきたアイリーンを睨んで言った。
「なによ、今は私が商談中なんだから、ちゃんと順番を守ってよね」
アイリーンは微笑んで言った。
「そうですか、でも我々も旅の途中で急いでいるのです」
「のんびりと貴方とご店主の商談を待っているわけにもいかないのです」
「どうですか? 順番を譲っていただければ我々が買った中から干し肉を貴方が望む値段でお分けしてもいいですよ」
それを聞いて女の子は少し考え込んだ顔になった。
しばらくして顔をあげて言った。
「ほどこしは受けないわ、私はちゃんと正規の交渉で決まった値段で買いたいの」
「うちは貧乏だけど物乞いじゃないから」
アイリーンは感心した顔になった。
「そうですか? ところで貴方はリアさんではないですか?」
女の子の目がきつくなった。
「あんた誰? なんで私の名前しってんの?」
アイリーンは失礼な口調など全く気にしないように微笑して答えた。
「先刻、あなたの母上のお宅で休ませていただいた者です、母上の野菜料理はとても美味しかった」
「リタさんとリズさんも可愛らしかったですしね」
「ほどこしではなく、先ほどよくして頂いたお礼にお役に立てればと思っただけです」
女の子はそれを聞いて少し警戒心を緩めたようだった。
「なんだそうだったの。でも家はそんな余裕ないのよ、人の家で食事までしてちゃんとお金は払ってくれたんでしょうね?」
アイリーンは微笑したまま頷いて言った。
「もちろんです、正規の交渉で決まった値段を払わせていただきましたよ」
女の子はほっとしたようだったが、すぐに真顔に戻って言った。
「それじゃあ貸し借りなしじゃない、お礼で干し肉を安くわけてもらうなんてやっぱりほどこしを受けることになってしまうからお断り」
アイリーンは二人の会話をどうしようと困っている風の店主に話しかけた。
「ところでご主人。我々も干し肉が欲しいのですが、干し肉はおいくらで在庫はいくつあるのでしょう?」
女の子が脇から「順番を守れ」と言っているがアイリーンは無視して店主を見た。
「在庫は全部で20個です、ですが次はいつ入荷できるかわからないので値切られても困るんですよ」
「干し肉でしたら2つで銀貨3枚になります。」
アイリーンは少し思案してから訊いた。
「我々はこの先も旅を続ける予定なので少し多めに買ってもいいかなと思っているのですが、量がまとまればまけてもらうことは可能でしょうか?」
店主のほうもそれを聞いて少し考え込んでいる。
そうは言ってもこんな辺鄙な村では客もそれほど多くはないだろうし20個の干し肉をきちんと売り切ることができるか不安なところもあるのだろう。
「それは、まとめて買っていただけるのでしたら少しは……量にもよりますけど」
アイリーンは言った。
「それでは干し肉16個で金貨2枚でどうですか?」
店主は驚いた顔をした。
「えっ! 16個もまとめて買っていただけるのですか?」
アイリーンは頷いて言った。
「金貨しか持ち合わせがないんです、お釣りをもらっても他の国では使えないですしね」
「もし金貨2枚では売れないということでしたら、次の町で買うので聞かなかったことにしてください」
店主は慌てて言った。
「いえ、金貨2枚で結構です、干し肉16個お買い上げありがとうございます」
横で膨れっ面をしているリアを無視してアイリーンは干し肉を受け取った。
それが終わるとリアがまた店主と交渉を始めた。
「ねえ、まだ4個残ってるでしょ、銀貨5枚で売ってよ」
店主は渋い顔になって答える。
「だから無理だって、4個なら金貨6枚だよ。理由のないほどこしは受けないんだろ?」
リアはさっき自分が言った上げ足をとられて不愉快な顔をしながら言った。
「だって、こいつには金貨2枚で売ったじゃないか? 数で割れば4個なら銀貨5枚だろ」
ジンスケは少し驚いていた。
この年ですぐに計算ができるとは賢い子供だと思ったのだ。
ジンスケは武芸者だし山に籠っていたこともあって、あまり算術は得意ではないのだ。
金貨2枚で16個が、4個で銀貨5枚であっているのか、すぐには判らないでいた。
この子は農家ではなくて商人になったら大成するかもしれないと思った。
それでも店主はにべもなかった。
「だめだめ、あれはまとめ買いだから特別なんだよ。10個以上もまとめて買ってくれる客なんて滅多にいないんだからね」
アイリーンが店主に訊いた。
「ところでご主人、そのご商談がまとまらないのにつけこむようで恐縮なのですが…」
店主がニコニコ顔で答えた。
「はい、なんでしょう? まだ何かご入用ですか?」
アイリーンは苦笑いしながら答えた。
「いやもう買い物は十分。ところでこちらの方に我々が干し肉を分けてさしあげた場合はそちらの商売のお邪魔ということで問題がありますか?」
店主は首を振って答えた。
「いいえそんなことはありません、買った干し肉をどうしようとお客様のご自由ですから」
「それにこの子の家の母親とも知り合いで、できれば売ってあげたいのですが商売は商売なので…」
「かえって、そのほうがこちらとしても助かるくらいで…」
アイリーンは小さく頷いた。
「そうですか、それは良かった」
「それではリアさん、我々から干し肉を4つ買いませんか?」
リアはアイリーンを見上げて言った。
「だから、ほどこしは受けないってさっきから言ってるでしょ」
アイリーンは微笑して言った。
「ほどこしではありませんよ、干し肉が4個で銀貨5枚。我々が買った値段と同じです」
リアはじっとアイリーンを見た。
「それはまとめ買いしたからの値段でしょ、4個だけなら銀貨6枚よ、あたなが私にまけて売る理由がないわ」
「うちが貧乏だからって憐れんでいるんでしょうけど、ほどこしは受けないから」
アイリーンはリアを見つめて真剣な顔で言った。
「子供にしては算術も速いし、見込みがあるかなと思いましたが所詮は子供、考えが浅はかですね」
「そんな程度では商人としては全然ダメですね、農家がお似合いだ」
「私は隣国でギルド長をしていました、この道では専門家中の専門家です」
「私は干し肉が安く買いたかったけれど実は16は少し多すぎるのです、ですがまとめ買いの割引というのはきりが良くないと簡単には商談がまとまらないものなのです」
「ちょうど金貨2枚……とかね」
「そして横には銀貨5枚で4個欲しがっている貴方がいた」
「だから私は即決で商売を決めたのです、店主は12個で金貨1枚と銀貨5枚だったら売るのを躊躇したかもしれません」
「それだと在庫が8個も残ってしまいますからね」
「でも貴方に4個を銀貨5枚で売れば、私は首尾よく12個を望んだ価格で買ったことになります」
「それも店主にも貴方にも感謝されながらね、商売では相手に貸しを作ることも大事なのですよ」
「人は恩を受けると恩を返したくなる習性があるのです、借りが残ったままは気になるのです」
「次に私がこの店に来たら店主は『前回いい商売をさせてもらったから少しサービスしてやるか』と思うかもしれません」
「ですから目に見えない貸しをいっぱい作っておくことは商売のコツなのです」
「どうです? 4個で銀貨5枚で買いますか? これはほどこしではありませんよ、貸し一です。」
リアは目を丸くしていた。
そして黙って銀貨5枚を差し出したのだった。
アイリーンはニッコリと笑って干し肉を4個リアに手渡した。
そしてリアの頭を撫でながら言った。
「まだまだですね、私が16個は多すぎると持て余しているのを知っているのだから値切るチャンスでしたよ」
「さっきの店主との交渉くらいに強く交渉していれば銀貨5枚より値切れたかもしれませんね」
リアはハッとした顔になってアイリーンを見つめた。
アイリーンは微笑して言った。
「でも計算も速いし、ほどことしは受けぬという気概もいい」
「素質はなかなかかもしれません、妹さんたちが農家の手伝いができるようになったら商売をすることを考えてみてはどうですか」
それを聞いたリアの頬が赤く染まっていた。
スカンツの村を出て歩きながらジンスケが微笑して言った。
「もうここまで来てレイネールまでは干し肉なんて、そんなにたくさんいらないのではないですか?」
アイリーンも笑いながら答えた。
「そうですね、がんばって食べましょう」
ジンスケは目を細めて言った。
「アイリーン殿は拙者が思っていたよりずっとお優しいらしい」
アイリーンはチラリと横目でジンスケを見てから言った。
「今まで私をそんな風に見ていたのですね?」
「まあ先行投資です。 いつかあのリアという子に私の下で働いてもらうことになるかもしれない」
ジンスケは驚いた顔で訊いた。
「それではあの子には本当に商人の才覚があると?」
アイリーンはニッコリ微笑んだ。
「才覚があるなんてものじゃないですよ、あの年で誰にも教わらずに割り算が暗算で出来るなんて」
「商人になるために生まれてきたような子でしょう」
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