85.魔物狩り
次の日、二人は一日がかりで一つの山脈を越えていった。
急勾配をずうっと登っていって、それを全部下ったあとにまた登りがくると、下りなんてなければよかったのにと思ってしまう。
沢を渡る様にして山裾を周って行けば山登りは避けられるのだが、そのかわりに物凄く遠回りになってしまう。
尾根づたいに登っては下るの繰り返しで、ジンスケは体中に魔力を巡らせていたので疲れはなかったがアイリーンはさすがに足に疲れがきているようだった。
アイリーンは申し訳なさそうに呟いた。
「すみません、私のほうが足手まといになってしまって……ジンスケ様がこんなに健脚だとは知りませんでした」
ジンスケは小さく首を振って言った。
「そんなことはありませんよ、拙者は体が小さくて軽いので登りに強いだけです。気にしないでください」
そうは言っても段々と日暮れが近づいてきている。
ジンスケは今日はこのあたりで終わりにしたほうがいいだろうと思ってアイリーンを見た。
アイリーンはジンスケの視線に気づいて頷いて言った。
「そうですね、今日はこのあたりで終わりにしてキャンプを張ることにしましょうか?」
ジンスケも頷き返した。
「拙者もそう考えていたところです、お腹もすいてきましたしね」
今日の昼はバークホッグの燻製肉を食べたのだけれど、冷めていても抜群の美味さだった。
まだ一食分は残っているので実は二人とも早く夕食にしたくて仕方がなかったのだった。
ジンスケが火怒石で焚き火を起こす。
火怒石は本当に便利だ。旅行の必需品だなとジンスケは思う。
C級以上の冒険者がいれば大抵は火魔法が使えるし、火魔法を使える者がいない場合でも火花を起こすだけの魔道具なら火怒石よりもずっと安価に手に入る。
それなので火怒石はあまり需要がない魔道具なのだとアイリーンは言った。
でも火花の魔道具で焚き火を起こす場合には、最初に着火材として燃えやすい枯葉などを集めてきて火をつけなければならない。
けれどもこれが簡単には火花からは火がつかないのだ、何度も試してやっと火がつく感じだ。
雨の日などは枯葉が湿っていたりすると増々根気のいる作業になってしまう。
枯葉に火がついたら息などを吹き込んで火の勢いを保ちつつ細い枝などに火を移していく。
最後に薪をのせてやって、それに火が移れば焚き火の完成だ。
それに比べると火怒石は火力が強いので、いきなり薪に簡単に火をつけることができる。
ジンスケはこれに慣れたら火花の魔道具なんて使う気にはとてもならないなと思っている。
アイリーンが少しだけ持ってきていた乾パンはとっくに食べきってしまったので、残った燻製肉だけの夕食になるが、二人ともまったく不満はなかった。
焚き火ができたので残りの燻製肉を枝にさして焚き火で炙って温める。
冷めたままでも十分に美味いけれど、焚き火で炙って温めたバークホッグの燻製は格別だった。
食事が終わった後は焚き火を囲んで明日の予定についての打ち合わせをした。
順調に進めば明日の夜か明後日の朝には山岳地帯が抜けられそうだった。
山岳地帯を抜ければもうそこはインフルア領だ。
焚き火に燻製肉を刺していた小枝をくべながらジンスケは別のことを考えていた。
ふと話を止めてアイリーンと目があう。
アイリーンは少し口籠りながら言った。
「ちょっとお恥ずかしいのですが実は明日の食事のことを考えていたのです」
「もしジンスケ様がよろしければなのですが……これからバークホッグの狩りをするというのは如何でしょう?」
ジンスケは食い気味になって答えた。
「実は拙者も同じことを考えていたのです、血抜きには時間がかかるので明日もバークホッグが食べたいなら今夜のうちに狩らないとならないかなと」
「やりましょう!! バークホッグ狩り」
あまりのジンスケの勢いに笑いながらアイリーンも頷いた。
「それではさっそく始めましょうか」
そうは言ったもののジンスケは魔物狩りをするのは初めてだ。
いつも向こうから襲ってきた魔物を倒しているだけで、食料調達のために魔物を自分から探して狩りに行くやり方はよく判らなかった。
ジンスケはアイリーンに訊いてみた。
「ところで特定の魔物、今回の場合はバークホッグですが、それを探すのはどうしたらいいのですか?」
アイリーンは困った顔をして答える。
「いえ、狩りといえば普通は一角ウサギなので……一角ウサギなら大体いそうな場所は想像がつくのですが……」
「正直なところバークホッグが狩れるかどうかは運しだいとしか言えないですね」
ジンスケは頷いた。
「そうですか。それではどうしましょう?」
アイリーンは少考してから言った。
「そうですね、とりあえず沢沿いを歩いてみましょう」
「こんな夜中ですから人間が歩いているだけで魔物が襲ってくる確率は高いでしょう」
「バークホッグは山深いところよりも平地と山の境あたりに現れることが多いような気がするので、沢沿いを歩いても出会える可能性はあると思います」
「それにこんな夜中に山を登っていくのは危険です、強い魔物が出ないとも限りませんから」
ジンスケはアイリーンの意見に従うことにした。
キャンプ地を出て沢沿いを歩きはじめると直ぐに魔物が襲ってきた。
ワーウルフだ、群れではなくて一匹だけだ。
アイリーンは聖魔法は使わず腰から剣を引き抜くと、飛び掛かってきたワーウルフから身をかわしながら剣をはらってワーウルフを倒した。
すぐに倒れたワーウルフに剣を突き刺してトドメをさしている。
アイリーンがジンスケに訊いた。
「どうします? ワーウルフも不味いので有名ですけど血抜きして試してみますか?」
ジンスケは首を振った。
「いや、やめておきましょう。拙者の元いた世界でも、この手のやつは美味くありませんでしたので」
アイリーンは頷いた。
「そうですか、それではもう少し進んでみましょう」
それから三回、魔物に遭遇した。
最初の2回はワーウルフで3度目に現れたのはスケルトンだった。
スケルトンは考えるまでもなく食用には適さないだろう、アイリーンが聖魔法を唱えると一瞬で煙となって消え去った。
アイリーンが溜息をついた。
「なかなか思い通りにはいきませんね。バークホッグでなくても、もう少しは食べられそうな奴が出てくれるといいのですが……」
そんな会話をしながら進んで行くが、なかなか魔物が現れない。
そんな時、向こうの山のほう、かなり遠方に炎があがった。
アイリーンがそれを指さして言った。
「ジンスケ様、あそこを見てください。なんでしょう? 山火事かな?」
炎はだんだんと大きくなっているような気がする。
ジンスケが厳しい目になって言った。
「あれは炎が大きくなっているのではありません、こちらに近付いてきているのです」
「真っすぐ、こちらに向かっているので拙者どもに気づいていると思って間違いないでしょう」
アイリーンが戸惑って答える。
「向かってくるって……こんな山の中をそんな速度で近づいてくるなんて出来るものでしょうか?」
ジンスケは頷いた。
「あれは山の中を通って近づいてくるわけではないでしょう、おそらく空を飛んでいる」
アイリーンが首をひねった。
「確かに飛んでいるようですね、夜空を飛ぶ火…ですか、アンデッドっぽいけど心あたりがありませんね」
ジンスケが唸った。
「アイリーン殿もご存じないとすると珍しい魔物ですね、危険な奴かもしれません」
炎は夜空をぐんぐんと近づいてくる。
遠目だが羽ばたいているような感じがする。
ジンスケは目に魔力を集中して空飛ぶ炎を凝視した。
間違いなく羽ばたいている。
グリフォンみたいな異形のやつではなくて孔雀のような正真正銘の鳥の形をした魔物のようだ。
ジンスケはアイリーンに言った。
「孔雀のような鳥の形をしていて全身が炎に包まれている魔物です」
アイリーンはしばらく絶句していたが、絞り出すように言った。
「まずいですよ、たぶん『火喰い鳥』だと思います。見るのは初めてですが…」
ジンスケがアイリーンの様子を見て聞き返した。
「強いのですか?」
アイリーンは頷いた。
「強いも何も『攻略不能』と言われている魔物です。」
「ワイバーンの上位種なのですが、弓矢も遠隔魔法も届かないような上空から火を吹いてくるんです」
「どうしようもありません」
ジンスケは一言だけ呟いた。
「対処法は?」
アイリーンがすぐに答えた。
「倒す方法はありません、向こうが諦めるまでどこかに隠れるしかありません」
ジンスケは四方を見回した。
沢は水量が少なくて体を隠せるほどではない。
両岸から20Mほど先は林になっているので身を隠すことはできそうだ。
然し、林ごと焼き尽くしてくるかもしれない。
とりあえずは10Mほど先にある大岩の陰に身を隠すくらいしかないだろう。
二人で大岩まで走り、その陰に身を隠した。
それでも火喰い鳥は一直線にこちらに向かって飛んでくる。
近づいて来ると、本当に全身が業火に包まれているのがわかった。
サラマンダーのように巨大ではないが地上に近づいて来る気配はまったくなかった。
火喰い鳥が近づいて来ると、その炎で周囲が明るく照らされた。
ついにはすぐそこまでやってきている。
大岩の上空を火喰い鳥が通過したと思ったと同時に物凄い劫火がボワッと降り注いだ。
大岩の陰に隠れていたせいで劫火の直撃は避けられたものの周囲からは煙が立ち昇っている。
空気が熱い。
通り過ぎてしばらく飛んだところでUターンして火喰い鳥が戻ってくる。
また上空を通過すると同時に劫火が周囲を焼く。
それから火喰い鳥は三往復して、その度に劫火を吹き付けていった。
無限の塔のダンジョンでサラマンダーのブレスにあった時のように洞窟のような閉鎖空間ではないので、周囲の空気が熱くなってオーブンの中にいるような感じにまではならない。
それでも周囲の熱気は物凄くてアイリーンはかなり消耗しているように見える。
このまま隠れていても火喰い鳥は諦めてくれそうもない。
ジンスケは覚悟を決めた。
このままこうしていてもジリ貧になるだけだと悟ったのだ。
無理でも何でも、なにかしら道を切り開くしかない。
アイリーンに向かって言った。
「ここは拙者に任せてください、アイリーン殿は気を確かにもって、ここに隠れていてください」
「もし拙者にあの魔物が気を取られているようなら、どこか近くの林に走って身を隠してください」
アイリーンは熱で朦朧となりそうになりながら答えた。
「いけません、ジンスケ様。無理です。危険すぎます」
ジンスケは大きな声で言った。
「いいから、拙者の言う通りに。否やはありません!!!」
裂帛の気合がこめられた言葉だった。
アイリーンは驚いていた、こんなジンスケを見たのは初めてだったのだ。
有無を言わせぬ迫力に頷くことしかできなかった。
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