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83.山岳地帯

結局のところ森では一度も魔物に出会うことはなかった。


アイリーンとしてはジンスケを守りながらの旅なので、森を抜けてホッと一息というところだ。


だけれどもうしばらく行くと、今度はインフルアとの国境につながる山岳地帯に入る。


山岳地帯はダンジョンに次ぐ魔物の出現場所だ。


アイリーンは気を引き締めた。


段々と道が細くなり登りの勾配が始まる。


左右が高い木々の景色へと変わって、いよいよ山道に入ってきた。


前方にワーウルフの気配がするのをジンスケは感じ取っていた。


「アイリーン殿、前方にワーウルフが3体いるようです」


まだ遠くて視認できないのでアイリーンは気づいていなかったようだ。


ジンスケをチラリと見た。


「本当ですか?」


ジンスケは頷いた。


「ワーウルフの気配はよくわかっていますから」


アイリーンは少しだけ目を大きくした。


「ジンスケ様は気配察知の魔法がお使いになれるのですか?」


ジンスケは小さく頷いた。 もう慣れっこになった会話だ。


「そのようなものです、出会ったことのある魔物であれば大体わかります」


話しているうちに前方に3匹のワーウルフが現れた。


アイリーンは庇うようにジンスケの前に立ち、静かに詠唱しながら魔法杖をワーウルフに向けて振った。


「聖なる力よ我に宿り邪悪を払え、ホーリー!」


眩い光の玉が飛んでいきワーウルフの前方で破裂するようにボワッと光が広がった。


その瞬間にワーウルフたちは一目散に後ろへと逃げて行ったのだった。


ジンスケはアイリーンの後ろから訊いた。


「アイリーン殿、今のは聖魔法ですか?」


アイリーンは微笑して頷いた。


「ええ、一番初歩的な呪文でホーリーの魔法です。主にアンデッドを祓うのに使う魔法なんですが弱い魔物ならアンデッドでなくても大抵は追い払うことができます」


ジンスケは感心したように呟いた。


「なるほど攻撃するのではなくて追い払うのですね、旅を続けるにはその方が効率的かもしれない」


アイリーンは微笑したままそれに答えた。


「聖魔法にはアンデッド以外の魔物に対して直接攻撃して殺してしまうような魔法は少ないのです」


「でもご心配なく、リフィアほど腕はたちませんが剣も多少の心得はありますので、ジンスケ様は必ずお守りしますよ」


アイリーンは魔法杖のほかに腰には剣を下げている。


リフィアのミスリル剣よりは若干細身だが使い込んで馴染んだ剣のように思われた。


ジンスケは真剣な表情で言った。


「頼もしいです。よろしくお願いします。」


「でも、いざとなれば拙者も戦いますので無理はされないでください」


アイリーンは微笑んだ。


「そうですか、それは頼もしいですね。でもジンスケ様こそ無理はしないでくださいね」


チラリと鬼丸を見た視線は、戦闘力に期待しているようにはとても見えなかった。


まあいいとジンスケは思った。


インフルアまでたいした魔物が出ないようであればアイリーンに任せておこう。


そうは言っても、いつまでも戦闘力を隠しておくわけにもいかないだろうとは思っている。


厄介なのが出てくれば戦うまでだ。


この先のことを考えるとアイリーンには自分の戦闘力を知っておいてもらう必要があるだろうし、リフィアの姉であるアイリーンにであれば知られて困ることもないだろう。


山岳地帯を進んでいって次に出会ったのはゴブリンの群れだった。


10体以上はいて、岩陰や木陰に隠れて待ち伏せている。


ジンスケがそれを伝えるとアイリーンはこともなげに聖魔法でゴブリンたちを追い払ってしまった。


ジンスケはアイリーンの魔法の効果が思ったよりも強いことに驚いていた。


そして感心もしていた。


ザカトで冒険者ギルドの長を任されていただけのことはある。


それに魔物に対峙して、なんと平和的な解決方法なのだろう。


ジンスケは敵と対峙したときに『追い払う』という考え方が今までそもそも頭になかった。


武芸者との立ち合いでは相手が逃げ出すことはありえない。


敵は『剣聖』と知っていて、それでも勝負を挑んできているのだ。


敵と対峙すれば必ず切って捨てる。それが今までのジンスケの生き方だった。


この世界に来てからはジンスケに恐れをなして逃げる魔物が時にはいた。


でもそれもジンスケが追い払おうとしたわけではなくて勝手に相手が逃げていっただけだった。


アイリーンの魔物との相対し方には何か学ぶべきものがあるかもしれないとジンスケは思った。


「どうかされましたか? ジンスケ様にそのように見つめられるとドキドキするのですが?」


アイリーンは小さく笑いながら言った。


「いえ、アイリーン殿の聖魔法はたいしたものだと感心していたのです」


アイリーンはそれを聞いていたずらっぽい目をして答えた。


「謙遜はしませんよ、せっかくのジンスケ様へのアピールタイムですからね」


「そうでしょう。これでも聖魔法については騎士団の魔導士級だと自負しているんです」


ジンスケは思った。


どうもアイリーンの言葉はどこまで本気なのだか、からかわれているのか、いつもよく判らない。


ただ『子供扱いされている』ということは間違いないだろう。


それからも何回か雑魚モンスターに遭遇したがアイリーンは簡単にそれらを追い払ってしまった。


そんなこんなで山岳地帯の奥深くまでジンスケたちは進んできた。


日が傾きかけて夕闇が迫ってきている。


ジンスケは前方に3体の魔物の気配を感じた。


ジンスケの表情にサッと緊張の色が走る。


この気配には強い記憶がある、忘れようとしても忘れられない魔物だ。


特にこのような夕闇が迫る時間には出会いたくない魔物だった。


ジンスケはアイリーンに真剣な声で言った。


「アイリーン殿、前方に3体。今までの敵とは違います。危険な奴です」


「拙者が対応しますのでアイリーン殿は下がっていてください」


アイリーンは首を振った。


「どんな魔物でしょう?」


ジンスケに聞き返す。


「黒豹のような奴で背中に猛毒の棘が生えている魔物を知っていますか? リフィア殿に大怪我を負わせた魔物です」


アイリーンは頷いた。


「ナイトストーカーですね、確かに強敵だ」


「ですが大丈夫です、私に任せてください」


ジンスケは敵が強すぎてさすがに無理だと思ったが、既にアイリーンは呪文を唱え始めている。


ナイトストーカーはまだ遠い。


こんなに早くから呪文を唱え始めるということは高度な魔法を使うつもりらしい。


ナイトストーカーはジリジリと近づいて来る。


毒棘の射程距離に入るまでは慎重に近づいてきて、射程距離に入ったら跳躍して一斉射撃してくるつもりなのだろう。


やはり賢い。面倒な相手だ。


ジンスケがそう考えていると、アイリーンが呪文の詠唱を終えてナイトストーカーに向かって魔法杖を振り下ろした。


眩い光が広がり、幕のようになってナイトストーカーに向かっていき、風呂敷が閉じるようにして魔物3匹を包み込んだ。


その瞬間に魔物たちの体か崩れ始め、煙となって虚空に消えていった。


ジンスケは目を見張った。


数が違うとはいえ自分が数時間もかけて戦い傷だらけになりながらやっと倒した魔物をアイリーンが一瞬で倒してしまうとは考えてもみなかったのだ。


ジンスケは驚いた顔を隠さずに訊いた。


「アイリーン殿、今のも聖魔法ですか? 追い払うのではなく一瞬で倒したように見えましたが……」


アイリーンはいたずらっぽい微笑を浮かべながら言った。


「謙遜はしませんよ。凄いでしょう? 」


「私が使える中では最上位の聖魔法でホーリーライトという魔法です。驚きましたか?」


ジンスケは素直に頷いた。


「ええ驚きました。あれだけの魔物を一瞬で倒す魔法が使えるとは…ギルド長をされていただけのことはある」


アイリーンは嬉しそうに言った。


「実はそうでもないんです。種明かしをしますとね…」


「魔法と敵には相性があるんですよ」


「ナイトストーカーは獣系に見えますけどアンデッドなんです、聖魔法はアンデッドにだけはとても効果的なんです」


ジンスケは魔法と魔物に相性があるというのは初耳だった。


そうしてみると聖魔法使いであるアイリーンはアンデッドの魔物に対しては無敵なのではないだろうか?


例えば、あの凶悪なワイトに対しても…


ジンスケは訊かずにいられなかった。


「そうするとアイリーン殿はアンデッドに対しては無敵のようなものではないですか?」


「例えばアンデッドであればワイトであっても倒せるということですか?」


今度はアイリーンのほうがびっくりした顔をした。


「ワイトですって。ワイトをご存じなのですか?」


「それにしても人間がワイトになんて勝てるわけがないじゃないですか」


「いくら聖魔法使いだって、それは無理というものですよ」


「聖魔法といっても自分より魔力の強いアンデッドに対しては効果はありません」


「ナイトスイトーカーは例外でアンデッドといっても獣系に近いので魔力自体は少ないんです、だから私にも倒せるんですよ」


「私くらいの聖魔法では中級以上のアンデッドは普通は難しいですね、せいぜい亡霊剣士あたりが限界です」


それを聞いてジンスケもなるほどと納得したのだった。


妹のリフィアは火魔法が得意で魔物全般に強いけれどアンデッドだけは苦手のようだった。


この姉妹はパーティーを組めば隙がなくて強いチームなのかもしれない。



それからしばらくして低級魔物のバークホッグが現れた。


アイリーンは今度だけは追い払わずに聖魔法で弱らせておいて剣でとどめをさした。


日暮れが近いので夕食の材料にするつもりなのだ。


できれば一角ウサギが良かったが全然現れないので仕方がない。


日が暮れると山岳地帯は漆黒の闇に包まれた。


リフィアがいないので火魔法の灯火に頼ることはできない。


二人は薪になりそうな枯れ枝を集めてきて火怒石で焚き火をおこして野宿することにした。


バークホッグを捌いてステーキ大にカットする。


ノラからもらってきたナイフでは上手く切れないのでジンスケは鬼丸を使って切ることにした。


長刀なので使いずらく四苦八苦しながら、なんとか二人分の肉を切り出すことができた。


塩を振って拾ってきた木の枝に刺して焚き火にかざして焼く。


ジンスケは少し楽しみだった。


一角ウサギ以外の肉を食べるのはこれが初めてだからだ。


焚き火にかざした肉が焦げる良い匂いが空きっ腹と鼻を刺激する。


しばらくしてこんがりと焼けた肉はみるからに美味しそうだった。


結論から言うと、あまり美味しくはなかった。


魔物のくせにすごく獣臭くて癖が強いのだ。


一角ウサギのほうが癖がなくてずっと美味い。


ザカトでも王都でも一角ウサギしか食べないわけがやっとわかった。


アイリーンも額に皺をよせて食べている。



それでも空腹が満たされたせいなのか食事が終わると少し眠くなってきた。


周囲もすっかり闇に包まれている。


アイリーンは寝ずの番をすると言い張ったが、それでは疲れてしまって明日以降に差し支えるだろう。


ジンスケが「魔物の気配がしたら必ず起こします」と言うと、やっと交代で仮眠をとることに応じてくれたのだった。







いつもご愛読ありがとうございます。

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