77.デュラフォンの廃爵
ノラの宿屋の食堂、最奥の指定席でジンスケは朝食を食べている。
塩味のウサギステーキと野菜スープだ。
ノラが作ってくれるこの食事ともあと数日でお別れかと思うと哀しい気持ちにもなる。
今日もジンスケは寝間着がわりの半袖・短パンで食事をしている。
ノラから「ここも最後だから少しくらい皆にサービスしてやってもいいだろう」と言われて、寝間着姿で朝食をとるのを許されたのだ。
何がサービスなのかよく判らないが、宿にいるときはこの格好でいるのが一番らくちんなのでジンスケにとってはありがたい話だった。
もう数日でお別れかもしれないということもあるのか、宿屋の常連たちも、いつものチラ見ではなくてこのところはいつも目を爛々とさせてのガン見でジンスケを見てくる。
もう視線には慣れっこなのでジンスケは気にしないで優雅な朝食タイムを楽しんでいた。
ヴェルデ領への移住も着々と進んでいるようでノラの宿屋の宿泊客も今では半分ほどに減ってしまった。
ノラは宿泊客がいる間は営業を続けるつもりらしく、ヴェルデ領への移住は最後にすると言っていた。
冒険者ギルドも休業してしまっているので朝食の後もジンスケは部屋でのんびりしていた。
ここ数日、これからどうするかをずっと考えていた。
昼頃に来客があった。
アイリーンとリフィアだった。
冒険者ギルドのギルド長であるアイリーンとC級冒険者のリフィアは姉妹だが、二人で連れだってやってくるのは珍しい。
アイリーンが笑顔で挨拶してくる。
「こんにちはジンスケ様、ご機嫌はいかがですか?」
ジンスケも軽く会釈を返した。
「こんにちはアイリーンさん、リフィアさん。お二人連れだってとは珍しいですね」
アイリーンは微笑を浮かべたまま軽い感じで訊く。
「いえ、そろそろジンスケ様がヴェルデ領へとお立ちになられる頃かなと思いまして、それであればリフィアがご案内をと思い伺ったしだいです」
リフィアも隣で頷いている、足の怪我の様子はもうだいぶいいようだった。
ジンスケは二人にここ数日考えていたことを話すことにした。
「拙者もここ数日これからのことについてずっと考えていました。それで移住の件については拙者はヴェルデ領へは行かぬことにしたいと思います」
アイリーンとリフィアは驚いた顔をしたがジンスケは話を続けた。
「ヴェルデ卿には王都では大変お世話になりましたが、貴族としてそれなりの地位にある方と知りました」
「軍司令官や国防長官とも微妙な空気感の関係であるように拙者には思えました」
「ここでまたヴェルデ卿にお世話になると、貴族間のいらぬ権力争いに巻き込まれかねない気がするのです」
「前回の王都の件で国軍や貴族との関わり合いには正直なところ懲り懲りなのです」
「ですが、この状況ではいずれにしても移住できる先は貴族領しかないのでしょう」
「それなので拙者は国外へ出ようと思います」
今度こそ二人とも目を丸くした。
アイリーンが驚きを鎮めるように深く息をついてから訊いた。
「何か具体的なお考えがあるのですか?」
ジンスケは頷いた。
「はい、フォルティアのリゼリア王女を頼ってフォルティア帝国へ行こうと考えています」
アイリーンは眉を寄せた。
「フォルティアですか? ずいぶんと遠くまで行かれるつもりなのですね」
「なぜフォルティアなのか理由をお聞きしてもいいですか?」
ジンスケは頷いた。
「拙者のような『男』はどこへいっても奇異な存在なのだろうと思うのです」
「奇異などとそんなことは…」リフィアが言いかけるのをアイリーンが制した。
ジンスケは話の先を続ける。
「この世界の男はほぼ全員が娼館にいて社会参加はしていない、その状況はどの国でも変わらないだろうと聞きました」
「それであれば拙者はどこへ行っても、やはり奇異な存在で、国や貴族の意志によって関わり合いをもたざるを得なくなると思います」
「フォルティアのリゼリア王女は拙者の『穏やかに暮らしたい』という気持ちを知ったうえで自由にさせてくれると言いました」
「拙者はそれを信じてみようと思ったのです」
アイリーンは難しい顔をしながらも頷いた。
「なるほど、確かにジンスケ様は『どこに行っても放っておいてはもらえそうもない』ということについては私もその通りだと思います」
「思えば、このザカトは領主のクロウヘルムが不干渉でいてくれたこともあってジンスケ様にとって本当に平穏な稀有な場所だったのかもしれません」
「ただこのところフォルティア帝国で内乱があったという噂をたびたび耳にしています」
「もしその噂が本当だとしたらリゼリア王女も現在どんな状況なのか気になるところですね」
今度はジンスケが驚く番だった。
「そのような噂があるのですか? 知りませんでした」
アイリーンが頷いた。
「最新情報ですからね、それに今は各国で魔物騒ぎが多くて情報が錯綜していますから真偽のほどもどれほどのものかは判りません」
ジンスケが唸った。
「うーむ、それでは行ってみなければ現地がどうなっているかは判らぬということですね?」
アイリーンが真剣な表情で言った。
「状況がよく判らない中で無闇にフォルティアを目指すのはどうかと思います」
「実は私も国外へ出ようと考えていました」
「インフルアの知人のところに身を寄せようと思っています」
「もしジンスケ様がよろしければ、ご一緒いただいて、そこで情報を集めなおしてからフォルティアへ行くか行かぬか検討されては如何でしょう?」
思いがけないアイリーンの言葉にジンスケは驚いて聞き直した。
「アイリーン殿はヴェルデ卿とは親しい間柄だと思っていました、なぜヴェルデに行かれないのですか?」
アイリーンは小さく首を振った。
「ヴェルデ卿とは遠い縁戚関係にあるだけです、特別に親しいというわけではありません」
「私たち姉妹の祖先のことについては少しはジンスケ様もお聞きになったことがあるかもしれませんが、祖母の代に爵位を剥奪されたのです」
「ヴェルデ卿は王族派にも反王族派にも属さない中立の立場をとっていますが貴族社会での勢力を延ばしていて、私たちの家系の爵位も復活させて自分の派閥に加えようと考えているのです」
「私たち姉妹はそれを望んではいません、なので私はヴェルデ卿の世話になるよりインフルアに行こうと思っているのです」
ジンスケはてっきりヴェルデ卿とアイリーンは親しい間柄なのだと思い込んでいた。
そういう事情であればアイリーンの考えも判らないではないと思った。
ジンスケは単純に不思議に思ったので聞いてみた。
「それにしても一度剥奪された爵位を復活させるなどということができるものなのでしょうか?」
「拙者の元いた世界では一度、藩がおとりつぶしになれば二度と復活することなどありえませんでしたが……」
アイリーンも頷いた。
「そうですね、普通ではありえないことです。」
「ただ私の家の爵位剥奪は王家の横暴だという意見が貴族の間でも根強く残っているのです」
「ですが、こんな話…お聞きになりたいですか?」
ジンスケは真剣な顔で言った。
「お二人さえ差し支えないのであれば拙者はお聞きしたいです」
「そうですか」そう小さく呟いてアイリーンは話を続けた。
「私の祖母の代の話になるのですが、そのころプロスペリタではルミナリス教の布教が急速に進んでいました」
「ジンスケ様も既にご存じと思いますが今ではプロスペリタでも国民の半分ほどはルミナリス教を信仰しています」
「その頃はルミナリス教徒が北でアルボラ教国を立国したことなどもあって、プロスペリタの王家はルミナリス教の増大に危機感を抱いていたのです」
「その頃のプロスペリタでは不況が続いていたこともあってルミナリス教に救いを求める人が増えていたのですね」
「そしてついに先々代の女王がルミナリス教の布教禁止の国令を発したのです」
「それに反対したのが私たちの祖母にあたるクラリッサ・ド・デュラフォン子爵でした」
「本人もルミナリス教を信仰していましたし、何よりも既に国民の多くが信徒となっていることを知っていたので強硬な政策はかえって王国を危うくすると考えていたようです」
「子爵が女王の政策に真っ向から反対するなどということは前代未聞です。」
「激怒した女王がデュラフォン家から爵位を剥奪したというのが事のあらましですね」
「布教禁止令が出てから各地で暴動が巻き起こりました、それはそうですその頃でも既に国民の1/3が信者でしたから」
「騎士団などが出てもどうにもなりません、国民の1/3の暴動を止められる軍なんてありませんよ」
「それこそ国が滅びかねない大愚策の国令だったのですね」
「すぐに国令は撤回されて徐々に暴動は治まりました」
「ですがデュラフォンの爵位剥奪が撤回されることはありませんでした」
「大愚策を認めざるを得なかった先々代女王の最後の意地だったのでしょうね」
「女王の代が変わっても撤回されることはありませんでした、まあ王家としてはわざわざ過去のことを蒸し返して先代の失敗を宣伝する必要もありませんからね」
「そういうわけで特に反王族派の貴族の中にはデュラフォンは爵位復活してしかるべきという意見が根強くあるのです」
アイリーンの説明を聞いてジンスケにもようやく事情がわかった。
「そういうことでしたか、国を思う忠臣であられたのに王家の過ちで家名断絶されるとはさぞごご先祖はご無念であられたでしょうな」
「それではアイリーン殿もリフィア殿もさぞお家再興を願われているのではないですか?」
アイリーンは首を振った。
「私はそんなことは全然望んでいませんね」
「私たちの母のマルセルヌ・ド・デュラフォンは祖母に託されて、再興だけを一生の目標として生きていました」
「本当にそれだけの為に生きていると言っても過言ではありませんでした」
「私たちにも毎日のようにそのことばかりを話していましたよ、王族に対する恨みの言葉ばかりでした」
「結局は死ぬまで王家を呪いながら死んでいったと思います」
「母には申し訳ないが、良い反面教師でした」
「あんなひたすら他人を呪うだけの人生なんて真っ平です、爵位再興なんて私にはどうでもいい」
「そんな母にも一つだけ感謝したいことがあります、それは私に聖属性魔法をつけて産んでくれたことです」
「せっかく天から与えられた能力ですので私はこれを人々の為に役立てるような生き方がしたいと思っています」
「そんなところですね、貴族という生き方に興味はありません」
「それでリフィア、お前はどうなんだ?」
隣りで微笑を浮かべながら聞いていたリフィアが頷いて言った。
「私も同じですね、気楽な冒険者が性にあっています」
「貴族になりたいと思ったことはないです」
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