71.和解
船が川港に近付いていくと、港にはたくさんの人間が動き回っているのが見えた。
リフィアが溜息をついて言った。
「予想以上の大人数ですね、大層なお出迎えだ」
ジンスケも溜息をついてそれに答える。
「昨夜のうちに王都からやって来たのでしょう、それで出航を朝にさせたのですね」
リフィアは小さく頷いた。
「それで我々を捕えてどうするつもりでしょう? 王都に連れ帰るつもりでしょうか?」
ジンスケも頷いた。
「あちらが危害を加えるつもりなら戦うしかありませんね」
「でも目的は拙者の子種でしょうから、殺すまでのつもりはないはずです」
リフィアにはジンスケが騎士団と戦って殺されるという光景が想像できなかった。
脳裏に浮かんだのは川港にうず高く倒れている騎士団や国軍兵の死体の山だった。
「舞踏会場の件でジンスケ様には勝てる筈もないことを理解してくれているといいのですが……」
やがて船は川港に到着すると微調整をしながらピタリと岸壁に着岸した。
どうやら故障も演技だったのだと気づいてジンスケとリフィアはさらに溜息をついた。
岸壁には騎士団員とおぼしき制服を纏った女たち50人ほどが整列している。
船長が小さくお辞儀をして胸の下あたりで右腕を延ばし「どうぞ」というポーズをとった。
もはやここまで来ては抵抗するだけ無駄だと、ジンスケとリフィアは船から岸壁に渡された板の上を歩いて岸に降り立った。
その瞬間に騎士団員が一斉に敬礼の姿勢をとった。
先頭には騎士団長のネティルと軍総司令官のマドリナが立っている。
大物二人が直々に王都から早馬を飛ばしてやってきたらしい。
ジンスケは二人の姿を見とめて不愉快そうに挨拶した。
「こんにちは。お久しぶりです」
たっぷりと皮肉の籠った挨拶だ。
騎士団長のネティルがサッと敬礼すると、すぐに手を下ろして今度は深々と頭を下げた。
ジンスケが驚いているとネティルが低い声で謝罪し始めたのだった。
「ジンスケ様、舞踏会場では私の目が行き届かず不届き者が大変な無礼を働き申し訳ありませんでした」
「この騎士団長ネティル、心よりお詫び申し上げます」
「当事者たちは既に全て厳しく罰しました、首謀者は騎士団から除名のうえ謹慎させております」
「そんなことではお怒りが収まりはしないかと思いますが、なにとぞ事情だけはご理解いただきたく」
「プロスペリタ国は決してジンスケ様に危害を加えるつもりはございません」
ジンスケとリフィアは事の成り行きが想像していたのと随分と違うので困惑していた。
ジンスケが訊いた。
「それでは何故あんなことに……あの煙はなんだったのでしょう?」
ネティルは頭を深々と下げたまま答えた。
「舞踏会の際にジンスケ様に切りつけようとした騎士、あの者はレイラ姫の専属護衛騎士でした」
「レイラ姫が幼少の頃より、ずっと全てを姫の護衛に捧げてきた者です……」
「言い訳にもなりませぬが、レイラ姫とジンスケ様のやり取りを聞き浅慮にもレイラ姫が侮辱されたものと思い込み独断で狼藉に及んだものです」
「行き過ぎた忠義心からの事とはいえ、騎士団長として部下を律しきれなかったことお詫びのしようもありません」
どうやら事の成り行きがジンスケにも大体わかってきた。
レイラ姫やマドリナ、ネティルの態度と、あの襲撃には違和感がありすぎて不思議に思っていたのだ。
前世でも忠義心に厚い武士が主君が侮辱されたと思い刃傷沙汰に及ぶというような事件は時にあることだった。
軍総司令官のマドリナが隣から言った。 こちらは頭は下げていない。
「あの煙は昏睡香という毒煙だ。死にはしないが吸い込めば意識がなくなる」
「遠征の時に一緒だったカリーネを覚えているだろう。あいつの仕業だ」
ジンスケが頷いて言った。
「カリーネ殿は確か魔法師団の副師団長とうかがいました。その様な重責の方が何故あのような狼藉を……」
マドリナが表情を曇らせてそれに答えた。
「ジンスケ様がそれをお聞きになるのですか? すべては貴殿のその妖しいまでの美しさがさせることですよ」
「ジンスケ様と会った者は誰もが心を奪われ、時には無茶な狼藉にまで及ぼうとする者が出てきます」
「信じられないかもしれませんがカリーネも普段は優秀で賢明な魔道騎士だったのです、そうでなければ副師団長にまで昇り詰めることなどできはしません」
「カリーネは今回の件で退団だけではなくて爵位も剥奪されました、貴族にとっては死にも等しい重い処分です」
ジンスケはそれを聞いて押し黙った。
そう言われてもどうしようもないことだった。
誰に媚びを売ったこともなければ、馴れ馴れしくしたこともない。
一方的に思いを募らせたと言われても、こちらは困るしかない。
マドリナがそんなジンスケの様子を見て溜息をついて言った。
「そう言われてもジンスケ様も困られますよね、カリーネは自業自得です。もちろんジンスケ様を責める気持ちもありません」
ジンスケもそれを聞いて頷いた。
マドリナは視線をあげてジンスケを真っすぐに見た。
「今日は心からの謝罪と和解をいたしく、ここでお待ちしていました」
ジンスケは警戒して答えた。
「事情は大体わかりました、忠義心からの過ちというのは拙者にも理解できます」
「なれど、和解と言われましても……子種の件については拙者の気持は変わっていません」
マドリナは真剣な表情で話し始めた。
「こんなことにまでなってしまいましたので、今日は腹を割ってお話しさせていただきましょう」
「ジンスケ様はご自分が睦まれる相手は自分で選ばれる。そういうお考えだと理解しましたがあっていますか?」
ジンスケは頷いた。
マドリナは少しだけ溜息をつくようにして続けた。
「私の道徳観では20人に1人しかいない男性が女の求めに応じず、自分の好んだ女としか寝ないというのは大変に不道徳な考え方だと思っています」
「もしそんなことが横行すれば人口の減少は避けられず、この世界は滅亡してしまうでしょう」
「ジンスケ様はどうにも不愉快に思われているようですが、それが我々の常識なのです」
「どうやら私たちとジンスケ様の行き違いは、そもそもその考え方の相違から出発している」
ジンスケは好きな女とだけ寝るというごく当たり前なことが不道徳だと言われて呆気にとられていた。
マドリナはゆっくりと先を続けた。
「ですから我々はジンスケ様をお招きして、十分な対応をさせていただきさえすれば当然のようにジンスケ様も我々の求めに応じていただけるものとばかり思っていたのです」
「それが応じていただけないばかりか、女を選ぶという不道徳なことまで聞かされ正直なところ困惑していました」
「そんなことが今回の事件のようなことを引き起こす原因にもなっていたかもしれません」
そこでマドリナは小さく咳払いをした。
「舞踏会でレイラ姫からのお申し出を拒否されたとき、誰もが耳を疑いました」
「男が女の申し出を断るなどあってはならないことだからです。ましてや相手は一国の王女」
「ですがレイラ姫はあの後で仰られました」
「ジンスケ様は武においても知においても女にひけを取られない方。そうであれば女と同じように相手を選ぶのは当然のことです……と」
「私はこのように年を重ねてきましたが、年若い王女にガンと頭を殴られたような気がしました」
「私には6人の娘がいます。全員が王都で最高級の妓楼で買った子種で産まれました」
「誰か貴族のお囲いの『男』を借りて、無駄な借りや縁戚を作りたくなかったからです」
「妓楼でも一番の美男子を選んでいました」
「レイラ姫の言葉を聞いて私は思いなおしました。ジンスケ様が私よりも強く賢いのであれば何故ジンスケ様が『女』を選んではならないのだろう?」
「実はまだ私は答を持ってはいません、やはり心のどこかに『男』が女を選ぶことは不道徳だという考えが払拭できていない……たとえジンスケ様であってもです」
「ですが今回の件は我々の落ち度です、申し開きのしようもありません」
「お詫びと言っては怒られるかもしれませんが、あの大岩はお返しいたします代償は求めません」
「子種のお申し入れの件もなかったことにさせていただきます」
「もしザカトに戻られるようであれば決してお邪魔もいたしません」
ジンスケは目を見張った。
「このまま、拙者どもがザカトに帰っても問題ないと?」
マドリナは大きく頷いた。
「我々の間違いでなければ他国へ密出国されようとしていのではないですか?」
ジンスケは頷いた。
「拙者どもを捕まえるつもりだと思っていましたので他国へ逃げるしかないと思っていました」
マドリナは小さく首を振った。
「それは誤解であることはご理解いただけたかと思います」
「ザカトには親しい方々も多いとお聞きしています、お戻りになられては如何ですか?」
「決してザカトの町の人々にも一切の手出しはしないこともお約束します」
ジンスケはそれを聞いて小さく微笑んだ。
「信じてもよろしいのでしょうか? 塩も返していただけると?」
マドリナは真剣な表情で言った。
「舞踏会場でも申し上げましたが、あの塩は盗んだ物ではありません。」
「ゼブレで野に置かれている物を持ち帰った法的にも問題なく私の物です」
「貴族として、その点は譲れないのをご理解いただきたい」
「今回は我々の手落ちで色々とジンスケ様にご迷惑をおかけしてしまいました、そのお詫びに私の物であるあの塩を差し上げたいと言っています」
なるほどという顔をしてジンスケは頷いた。
「塩を頂けて、今までと同じようにザカトで平穏に暮らせるのであれば拙者としても遺恨はありません」
マドリナはやっと安心した表情に戻った。
「あれは大きいですからジンスケ様のほうで運ばれるのは大変でしょう」
「こちらで手配して最速でザカトまで運ばせていただきますよ」
ジンスケは小さく頭を下げた。
「それはご配慮をいただきかたじけない」
話がまとまったことに安心したのか騎士団長のネティルが微笑を浮かべて言った。
「そう言えばお連れの方は二人と聞きましたが、もうお一方はどちらに?」
ジンスケとリフィアにさっと緊張の色が走る。
リゼリア王女のことを話すわけにはいかなかった。
国際問題、最悪の場合は戦争にまでなりかねないと本人が言っていた。
ジンスケは無表情を装って言った。
「はて? 何のことでしょう? 拙者の連れはいつもこのリフィア殿一人だけですが……」
「途中に道案内を頼んだ者がいましたが、この辺りの者というだけで詳しくは知りません」
ネティルが眉をひそめた。
ジンスケたちが三人連れだったことは船長から聞いているのだ。
「……っ」
何か言いかけたネティルをマドリナが腕で制した。
「ネティル閣下、ジンスケ様がそう言われるのであればそれでいいではないですか」
「余計な詮索は無用にしましょう。せっかく誤解もとけて和解できたばかりだ」
ネティルは一瞬不服そうな顔をしたが渋々という感じで頷いた。
マドリナが笑顔で言った。
「それではジンスケ様、どうされますか?」
「ここから直接ザカトに向かわれるのであれば、こちらで馬車を用意させていただきますが」
ジンスケはしばらく考える様子のあとに言った。
「いったん塩の岩を見せていただけますか? 届けていただけるのはありがたいが、持てる分だけは自分で持ち帰りたいと思いますので」
なかなか塩が戻らないのは懲り懲りだった。
まだ、いつ何があるかわからない。 手に入れられる時に手に入れられる分だけでも持ち帰りたかった。
マドリナが怪訝な顔をして訊いた。
「そうなると、いったんは王都の王宮までお戻りいただくことになりますが、それで大丈夫ですか?」
王宮には面倒な思い出しかないが、マドリナの態度に嘘はないと思った。
ジンスケは頷いた。
「ええ、和解ができましたので今は閣下を信用していますから」
マドリナはにっこりと笑った。
「それではその信用を裏切るわけにはいきませんね」
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