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65.水路か陸路か

リゼリア王女の馬車はとても良くできていた。


後部の座席の背もたれをパタンと前に倒すとポッカリと人間が隠れられる程度の空間がある。


豪華な装飾の施された背もたれを元に戻すと、それが前に倒れるなどとは思えない重厚さだった。


ジンスケは例の頭巾をかぶり、リフィアと共に馬車に乗り込んだ。


検問などが見えたら隠し空間に隠れるつもりだ。


向かい側の座席にはリゼリア王女が座った。


あとは御者がいるだけで護衛の一人もいない。


リフィアが不思議そうに訊いた。


「フォルティアほどの大国の王女殿下が異国に長旅をされるのに護衛の一人もいないとは驚きました」


リゼリアは微笑みながら答えた。


「今回はプロスペリタの生の姿を見たかったのでお忍びで来たのです」


「一人でも護衛などつけたら『誰だろう?』と訝られてしまいますからね」


「それに腕にはそこそこ自信があります。野党の10人や20人なら一人でも何とでもしてみせますから」


「ジンスケ様にでも襲われなければ大丈夫でしょう。ハハハ。」


「まあそのおかげで色々と知ることができました。プロスペリタに町が一つ壊滅するほどの魔物が出るなどという話は聞いたこともありませんでしたから」


リフィアが渋い顔で言った。


「今まではなかったことなのです。プロスペリタ国内の町が魔物の大軍に襲われたなんてたぶん初めてのことです」


「辺境では最近になって魔物の出現がとても増えてきています。でもまさか王都に近いバルナートで魔物と戦うことになるとは思いもしませんでした」


リゼリア王女は大きく頷いた。


「私も驚きました。でもプロスペリタで魔物の出現が増えているとすると、フォルティアとの同盟についてプロスペリタ側にも検討する余地が出てくるかもしれませんね」


「プロスペリタの人々には申し訳ないが、我々にとっては都合の良い兆候だと思いました」


リフィアは不思議そうに言った。


「舞踏会でプロスペリタ訪問の目的は聞きましたが、私たちのような市井(しせい)の者にそんな国策に関わるような話をしても大丈夫なのですか?」


リゼリアは微笑しながらそれに答えた。


「別に秘密でも何でもありませんからね。堂々と同盟を申し入れに来たのに誰に隠すこともありません」


「それに、プロスペリタでの魔物の増加の情報や、同盟の申し入れ以上に大事なことができましたので」


ジンスケが小首を傾げているのを見て、リフィアはそれが何のことだか判っていたが訊くのをやめた。


でも質問などなくてもリゼリアは自分から話し始めた。


「もちろんそれはジンスケ様と出会ったことです」


「失礼ですが、魔物と戦える『男』が、この地上に存在するとは思ってもみませんでした」


「それどころか、世の中のどんな女よりもお強いのかもしれない」


「バルナートでジンスケ様の戦いを見たときは本当に驚きました」


「もしプロスペリタにはこんな男が他にもいるのだとしたら軍事的にもフォルティアは足元にも及ばないのかもしれないと恐怖を感じたほどです」


「ジンスケ様だけが特別なのだと知って正直ほっとしていました」


「ところで、どうして王宮の外壁に大穴を開けるなんてとんでもないことしてまで逃げないといけないことになったのですか?」


「差し支えなければ教えていただきたいです」


リフィアがジンスケに目で確認すると、ジンスケは黙って頷いた。


ジンスケの許可がでたのでリフィアはリゼリア王女にことのあらましを説明した。


「軟禁されかけましたがジンスケ様にとってはあんな扉などないも同然でした。」


「騎士や魔導士が30名ほどいましたがジンスケ様にかかれば赤子の手をひねる様なものです」


「王女との睦み事をジンスケ様がお受けにならないからと言って軟禁して力ずくで事に及ぼうとするなど野盗の所業と変わりません、プロスペリタ王宮も落ちたものです」


リゼリア王女は小首を傾げて呟いた。


「そんなことが……それにしてもソレーヌ女王もレイラ王女も賢く常識のある方とお聞きしています、そのような振舞いをされるというのはちょっと信じられないことです」


ジンスケも同じ思いだった。


舞踏会で面と向かったレイラ姫の落ち着いた雰囲気、ジンスケが申し出を断った時も周囲の殺気だった空気とは違って本人は冷静に話し合いをしようとしていた。


あの様子と、いきなり軟禁した部屋に毒の煙を流し込んでくるやり方がどうにも同じ者のすることとは思えなかったのだ。


ジンスケも呟くように言った。


「拙者も同じ思いです、レイラ姫があのような事に及ぶとは信じられぬことです」


「しかしあの場にいた騎士たちを指揮していた者は、以前に魔物討伐の遠征隊が組まれたときに副隊長をしていた者に間違いないと思います」


「高位の王宮魔導士でしょう。そうだとすると王族の意に反して動くとは思えません」


それでもリゼリア王女は半信半疑のようだった。


「そうですか、それは大変な目にあわれましたね。」


「まあ私にとっては、そのせいでジンスケ様をフォルティアにお招きできることになったのですから運が良かったというところなのですが……」


リフィアも頷いた。


「私もそう思います。ジンスケ様、陸路で遠回りでもなるべく大きな街道は避けてインフルアへ向かい、その後は船でインフルアからフォルティアに出航するのがいいと思いますが如何でしょう?」


ジンスケも大きく頷いて言った。


「陸路にしましょう。」


「できればザカトに寄ってノラさんや皆さんに事情を話して、お別れを言いたいのですが……」


リフィアは申し訳なさそうな表情でそれに答えた。


「ザカトは必ず最優先で見張られているでしょう、残念ですが町の者たちと会うのは難しいと思います」


「誰かに伝言を頼むくらいなら、なんとかなりそうですが……」


「でもザカトの人たちも事情を知れば、きっとジンスケ様が国外に逃げることを理解して応援さえしてくれると思いますよ」


「ジンスケ様が無理にザカトに戻ってきて国軍に連行されることを望みはしないと思います」


ジンスケは残念そうに言った。


「そうですか、それでは仕方ありませんね。 時間を置いてザカトにはほとぼりが冷めた頃に帰ることにしましょう」


王族を敵に回したのだとするとジンスケがザカトに帰ることができる日は二度と来ないかもしれない、リフィアはそう思ったけれど、それをジンスケに告げることはできなかった。


「とりあえず辺境あたりまで陸路で移動して、ザカトへの伝言やその先のことは状況をみて決めたほうがいいかもしれません」


リゼリア王女も同じ意見のようだった。


「王都を出るのが一番の難関ですね、私の馬車に隠れていれば大丈夫とは思うのですが……」


「他国の王女を馬車から引きずり降ろして中を検めたとなると国際問題になりかねませんからね」


「それでも大きな街道だと検問に公爵クラスの大物がいたりして、それも覚悟で馬車を検めるなどということもありえないとは限りません」


「なるべく検問の薄そうな街道を通れば、下っ端の役人では他国の王女の馬車にケチはつけられないでしょう」


リフィアが地図を出して確認しながら言った。


「それでは西側のアルノの村方面に向かう道を行きましょう。 整備されていないので、かなりの悪路になると思いますが、それは覚悟してください」


ジンスケとリゼリア王女が了解とばかりに大きく頷いた。


そうして3人を乗せた馬車は王都の外れへと向かっていった。


王都から街道へ出るあたりのところで案の定、検問が張られていた。


通行止めの柵がたてられ、5人ほどの衛兵がたむろしている。


リゼリアの馬車を操る御者が検問のところまで来て馬車を停めた。


「これはいったい何の検問でしょう?」


衛兵の一人がやってきて言った。


「ご旅行中のところ申し訳ありません。王家から探し人のための令が出て王都から出る方を確認させていただいています」


御者が驚いたように言った。


「王家からの令とは穏やかではありませんね、その探し人とかいうのはどんな者なのですか?」


衛兵は丁寧な態度を崩さずに言った。


「なんでも男性と連れの冒険者の方とかで、家来が独断で客人に失礼な行いをしたとかで王女さまが直々にお詫びと和解をされたいとのことで探しておられるとのことです」


「我々にも決して失礼がないようにと厳しいお達しが出ているのです」


御者は微笑して言った。


「それは大変ですね、でもこの馬車には私の主人のお嬢様が一人だけですので通していただけますか?」


衛兵は申し訳なさそうにしながらそれに答えた。


「大変申し訳ないのですが、これも役目ですので少しだけ馬車の中を確認させていただいてもよろしいでしょうか?」


それを聞いて御者は厳しい目になり、今までとは違う強い口調で告げた。


「この馬車はフォルティア帝国、王女リゼリア様の乗車です。中を確認などと失礼にも程がある」


それを聞いて衛兵は驚いたように姿勢を正して敬礼した。


「大変失礼いたしました。しかし国から、例えどんな方の馬車であっても必ず確認だけはするようにとの通達がでているのです」


「事情をご理解いただき、少しだけご協力をいただくことはかないませんでしょうか?」


御者は厳しい目のまま言った。


「無礼だと言っているだろう。王女殿下の馬車を下級役人ごときが検閲するだと! 国際問題になることがわかって言っているのだろうな」


衛兵は慌てて大げさに頭を下げてろ、後ろを振り返り他の衛兵たちを呼んだ。


4人の衛兵がやってくると最初の衛兵が言った。


「こちらはフォルティア帝国の王女殿下の馬車とのことであられる」


「お前たちも頭を下げてお願いしろ、無礼は働けないがお役目もないがしろにするわけにはいかん」


「とにかく皆でお願いするんだ」


そう言われて全員が丁寧に頭を下げるが、御者は「無礼だ」と言って譲らなかった。


その時、馬車の扉がゆっくりと開いた。


リゼリア王女が馬車から外を覗いて、にこやかに笑いながら言った。


「お役目ご苦労ですね、急いでいますので、なるべく簡単にすませてくださいね」


それを聞いて御者は言った。


「リゼリア殿下、このような無礼をお許しになられていいのですか?」


「いいから貴方は黙っていて、問答しているよりさっさと見てもらった方が早いでしょう」


リゼリア王女は、最初に話していた衛兵に目くばせをした。


「どうぞご覧になられて」


衛兵は恐縮して小走りに駆け寄り、ほんの少しだけ馬車の中を覗き込んだ。


御者は苦虫を嚙みつぶしたような顔をしている。


馬車の中には誰もいなかった。


もちろんジンスケとリフィアは例のカラクリの後ろに隠れていた。


ほんの一瞬覗き込んだだけで衛兵はすぐに馬車から離れた。


「役目とはいえ大変失礼いたしました。問題ありません」


「寛大なお心のご対応ありがとうございました」


御者はこれ見よがしにフンと鼻をならしたが、リゼリア王女は微笑しただけで直ぐに馬車の中へと引っ込んだ。


深々とお辞儀をする衛兵たちを残して馬車は王都から離れていったのだった。







いつもご愛読ありがとうございます。

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