58.女王とジンスケ
それが合図でもあったかのように、それまで張り詰めていた空気がほどけ、会場にざわめきが波のように広がった。
楽団は途切れていた演奏をそっと再開する。だが、貴族たちの視線はまだ壇上から離れない。
ソレーヌ女王はゆっくりと階段を降り、マドリナとネティルの間に歩み寄った。
近くで見る女王は、白金の髪に深紅のドレス、年齢を感じさせない威厳と美しさを併せ持っていた。
その視線がジンスケへと注がれる。
「あなたがジンスケ様ですね。ザカトのギルドで働いている…でよろしいかしら?」
声は柔らかだが、底には揺るぎない芯があった。
「左様にございます、陛下」
ジンスケはゆっくりと頭を垂れた。
「その塩は……あなたにとって、とても大切なものなのですね」
「命をかけて得たものにございます」
女王はしばし目を細め、まるでジンスケを値踏みするかのように沈黙した。
その間、マドリナもネティルも一言も発さない。
「娘の……レイラの命も救ってくださったそうですね」
「それはマドリナ閣下にも申し上げたとおり人違いかと……」
「そうですか、でも本人がどうしてもジンスケ様にお礼を言いたいというのでここにつれてきているのです」
ソレーヌ女王は脇に控えている護衛の騎士に目くばせした。
騎士はその場から下がると、すぐに一人の少女を連れて戻ってきた。
その少女はこのような夜会の場には珍しい薄桃色のドレスを纏って静かに歩み寄ってくる。
年の頃は十四歳前後、明るい栗色の髪を結い上げ、やや小柄ながら凛とした佇まいだ
その顔はどこか無邪気さを残しつつも、瞳には聡明な光が宿っていた。
「ジンスケ様ですね。わたくし、レイラ・フェリシアと申します」
その声はよく通り、礼儀正しいが柔らかな響きを持っていた。
「お初にお目にかかります、レイラ姫様」
ジンスケは軽く会釈する。
「お初ではありませんわ……ザカトの森で、あの時は危ないところを本当にありがとうございました」
「それなのに、そのままあの場を離れてしまいお詫びのしようもありません」
そう言って真っすぐにジンスケの目を見つめている。
これ以上はとぼけようもないとジンスケはようやく覚悟した。
「いえ、たまたま居合わせて自分自身の保身のためにしただけのことですので、その様なお気遣いはご無用にしてください」
レイラ姫は僅かに微笑んだ。
「その後の武勇譚も既に耳にしております。無限の塔で幾多の魔物を退けたことも」
それを聞いてリフィアはジンスケの隣で苦い顔をした。
(情報源はダリル・フォーランスしかありえないな。もっときつく口止めをしておくべきだったか……)
レイラは一歩近づき、また視線を真っ直ぐに合わせた。
「ですが、こうしてお会いすると…噂以上に静かな方なのですね」
「私としては、静かに生きたいだけですので」
ジンスケの答えに、レイラは小さく微笑む。
「あの様に武勇に秀でておられて……それに静かに生きたいと仰られる方が、こうして王都の舞踏会の場に立っておられる」
冗談めかしたその口ぶりに、ジンスケもわずかに口元を緩めた。
そのやりとりの最中、場の空気がふたたび変わる。
大扉の前に侍女たちが整列し、楽団が低く荘厳な旋律を奏で始めた。
「――フォルティア王国よりの使者、リゼリア・フォン・フォルティア殿下の御入場!」
高らかな宣言とともに、漆黒と金糸の礼装ドレスを纏った長身の女性が姿を現した。
金髪を王冠の下で束ね、背筋を伸ばした姿は威厳に満ち、入場と同時に会場の空気を支配する。
その表情には一片の揺らぎもなく、ただ冷静に人々を見渡していた。
リゼリア姫はまっすぐ壇上へと進み、女王と短く自己紹介の挨拶を交わした。
「本日は格式ある王宮舞踏会にお招きを賜り、恐悦至極にございます」
「私はリゼリア・フォン・フォルティア。現フォルティア皇帝である母の四女でございます」
「本日は、我が国とプロスペリタ王国との間に魔物討伐のための強固な同盟を結ぶため参上いたしました」
その言葉に会場がざわめく。
フォルティアは北の強国。
南のプロスペリタとは正式な国交はなく、今まで中間に位置するインフルア国を仲介として貿易などが行われてきた。
軍事力を誇るフォルティアと、南方3国の中核であり経済力を誇るプロスペリタの二大勢力が直接結びつくとなれば、大陸全土の均衡が変わる可能性すらある。
ソレーヌ女王は顔色ひとつも変えることなくそれに応じた。
「それはまた唐突なお申し入れですね」
「皇帝陛下からの正式な書状はお持ちなのでしょうか?」
リゼリア姫は懐から書状を取り出すと、膝をつき両手でそれを捧げ持って頭上に掲げた。
ソレーヌ女王が目で命じると騎士団長のネティルがその書状を受け取り、女王へと手渡した。
ソレーヌ女王は書状を受け取るとそれを開封することもなくリゼリアに告げた。
「確かに受け取りました。回答は一か月後にします、それでよろしいですね」
リゼリアは膝をついた礼の姿勢を崩さずに答える。
「我が帝より『ご存分に検討くださるように』と言付かっております」
ソレーヌは静かに頷くと振り返り大理石の階段を最上段まで登っていき最初の扉へと姿を消した。
それを機に楽団の演奏が再開される。
リゼリア姫はソレーヌ女王が退出すると、チラリと奥の席に控えているジンスケに視線を送った。
美しい……プロスペリタにはこれほどまでに神々しくも美しい男がいるのか。
それにしても男が舞踏会の場にいるとはフォルティアでは考えられないことだ。
習慣の違いなのだろうか?
フォルティアでは男は物同然。
子種を得るための睦みごとには美しい男ほど好まれるのは確かだが、それは結局は道具としての役割。
武を成す体格もなければ知力も女に劣る、魔法を使える者もいない男には何の社会的な役割も期待できないし、子へと伝えるべき資質も何もないので子種としての遺伝も期待できない。
子供の資質はもっぱら母親の能力の遺伝によるのだ。
そういう意味では男は単なる嗜好品であり、そんな者を舞踏会のような政治の場に列席させてどうしようというのだろう?
これほどまでに美しい男であれば確かに何百何千個もの宝玉に匹敵するような嗜好品としての価値があるかもしれない。
だけれども、それを政治の場に飾っても何の意味もありはしない。
そんな事を考えながら、ジンスケの隣に控えているリフィアに視線を移したリゼリアの瞳が大きく見開いた。
この緑髪、エメラルドの瞳、これは確か……ここへ来る途中の町、魔物の大軍に襲われていたバルナートの町で出会った冒険者に間違いない。
でもリゼリアの脳裏に強烈な印象として残っているのはリフィアではなかった。
忘れようにも忘れられないのは、もう一人の頭巾を被ったとても小柄な謎の剣士の方だった。
子供のように小柄で、玩具のように今にも折れてしまいそうな細身の剣を持った剣士。
その剣士はひらりひらりと魔物の攻撃から身を交わしながら次々と魔物を切り倒していった。
切り倒すといっても、普通の剣士のように力任せに魔物を剣で叩きふせるのではない。
文字通り『切る』
まるで紙を引き裂くように、魔物を真っ二つに切り裂いてしまうのだ。
あんな技は生まれてから一度も目にしたことはない。
魔剣。まさにそうとしか呼びようがなかった。
そしてその魔剣を扱う剣士の技は『魔剣』そのものよりも異様だった。
戦場で猛者と呼ばれるような剣士は例外なく裂帛の気合と雄叫び、ぶんぶんと大剣を振り回し他を圧倒していく。
それが優秀な剣士というものについての常識的な理解だ。
だが魔剣を操るその剣士の技はまったく違っていた。
静かなのだ。
あれだけの魔物の大軍に囲まれていながら、湖のほとりで湖面を眺める老婆のように平静だった。
大げさな動作はまったくなく、最小の動きで魔物の攻撃をひらりひらりと紙一重で躱していく。
躱したと思った瞬間にはもう魔物は真っ二つになっている、確かに剣を振るっているのだけれど全く無駄のない動き、そして尋常ではないその速度。
目を凝らしていなければまったく見えない、いや刀を振ったことにさえ気づかないほどの神業だった。
フォルティアは軍事大国を自負している。
総国力という意味では経済力において圧倒的に優るプロスペリタに劣るものの、軍事という面についてだけで言えばフォルティアの上位は明らかだった。
魔導士、剣士の質においても量においてもフォルティアは他国を圧倒している……そう思っていた。
けれどもフォルティアにもあんな剣士はいない。
王族であるリゼリアの雷魔法は魔導士の中でも特級に位置するほどの威力と自負している。
そのリゼリアよりもあの剣士は明らかに多くの魔物を倒していた。剣1本でだ。
リゼリアは剣士を恐れたことは一度もない。
フォルティアで一番の剣士と相対したとしても負ける気はまったくしなかった。
けれどあの剣士と向かい合ったならどうだろう?
自分の魔法攻撃はあの剣士に通用するだろうか?
それとも魔物の攻撃のように簡単に躱されてしまうのだろうか?
もしあの剣士に切りかかられたら……
あんな真っ二つにスッパリと切り裂かれるということを想像したことがなかった。
恐ろしい…… そんな死に方は考えるだけでもおぞましかった。
頭巾を被っていたので表情は見えなかったが、あれだけの数の魔物に囲まれていながら全く悠然としているように見えたし、息ひとつ乱れた様子は見当たらなかった。
リゼリアはあの時、余裕がないわけではなかったが、とにかく魔物の数が多いため乱戦状態になってしまい、それなりに必死に戦っていた。
それなのにあの剣士は、あの10倍魔物がいたとしても同じように余裕で倒していたのではないかと思わせるほど簡単に魔物の群れを裁いていたのだ。
あの剣士は一人で一軍に匹敵するかもしれない。
プロスペリタに対してフォルティアの軍事的優位を信じて疑わなかったリゼリアにとって、プロスペリタにあのような魔剣士がいるというのは大変な衝撃だった。
他にもあのような剣士がいるのか確かめずには帰国できない。
そんな思いから、ただ単に女王からの書簡を届けるだけで良かった任務を、わざわざ無理を言ってまで舞踏会に参加させてもらったのだ。
あれだけの魔剣士であればさぞや高い地位にある人物に違いない、他にも同じような剣士がいるなら王族主催の舞踏会にはきっと出席しているだろうと思ったのだ。
けれどもその舞踏会でリゼリアが目にしたのは想像の遥か斜め上を行く出来事だった。
あの緑髪の女剣士がそこにいるということは……その隣にいる天使のように美しい男があの剣士なのか?
まさか。
細くしなやかな肢体。朧気で吸い込まれそうなその美しい顔立ち。 戦闘とは対極にある存在。
それでも、あの体つき。あの姿勢。あの隙のない佇まい。
あの剣士に間違いなかった。 男だったのか…… しかもこれ程までに美しい……
リゼリアは心を奪われそうになるのを感じた。 生まれてから一度も経験したことのない感情だった。
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