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57.ジンスケと王族

シャンデリアの光が会場を満たす中、楽団が軽やかなワルツを奏で始める。


色とりどりのドレスが床を滑るように舞い、女同士のダンスの輪が次々と広がっていく。


周囲の貴族たちは互いに申し込み、手を取り合い、優雅に踊る。


リフィアがそっとジンスケに呟いた。


「ジンスケ様は男性ですから見ているだけで大丈夫です。この状況でダンスを申し込みに来る者などいませんから」


ジンスケは頷く。だがその目は好奇心と警戒心で光っていた。


(ダンス……これほどまでに優雅に、女性同士で申し込み合い、お互いに身体を寄せて踊りあう……)


踊りと言えば一人で踊るか芸人の踊りしか知らないジンスケには、全く未知の世界だった。


彼はリフィアの隣に立ち、周囲の動きを用心深く観察していた。


会場の視線の流れ、挨拶の交わし方、足の運び、手の取り方。


小さな仕草にまで意味があることを理解していく。


そして人々が皆、踊りながらもジンスケの様子を観察していることにも気づいていた。



そのとき、奥の扉がゆっくり開いた。人々が自然と視線を向ける。


マドリナ軍総司令官と騎士団長ネティル・フェルミナ・アイゼルハルトが、連れ立って登場したのだ。


マドリナは黒地に銀糸の刺繍を施した礼服に身を包み、堂々たる立ち姿で歩む。


騎士団長ネティルも威厳をまとい、腕には隊章が光る。


会場にざわめきが走る。ジンスケは二人の登場を見て、いよいよだと気を引き締めた。



マドリナはざっと会場を一回り見渡した後にジンスケを静かに見つめ、穏やかに微笑む。


しかしその笑みには力と覚悟が感じられる。


ジンスケはその場で小さく低く礼をして答える。



マドリナとネティルが会場へと足を踏み入れると、周囲から挨拶とねぎらいの言葉が次々とかけられる。


二人はそれらの全てを全く無視するように真っすぐにジンスケの方へと向かってきた。


その様子にざわめきが広がり、ダンスをしていた者も足を止めている。



マドリナが落ち着いた声で告げた。


「ジンスケ様、御機嫌よう。急仕立てで心配でしたが、よくお似合いですよ」


ジンスケの礼服はマドリナが手配してくれたものだ。


「マドリナ閣下、何から何までありがとうございます」


マドリナはネティルに向きなおってジンスケを紹介した。


「騎士団長、こちらが先ほどお話しさせていただいたジンスケ様です」


騎士団長は紹介を受けて両脚を揃えなおして居住まいを正した。


「お初にお目にかかります騎士団長のネティル・フェルミナ・アイゼルハルトです」


「遠征の際は部下のカリーネがお世話になりました」


「また王女殿下の件では我々の力不足のところ王女殿下の命をお救いくださり騎士団長として深く感謝を申し上げます」


ジンスケは困ったように小さく答えた。


「その件はマドリナ閣下にも申し上げましたが、拙者には身に覚えのないこと、誰かお人違いではないかと思います」


ネティルは静かに微笑んでいる。


「そうですか、それにしてもザカトからはるばるお越しくださり感謝に堪えません」



やっと本題に入れそうだ。


「マドリナ閣下、騎士団長殿。この場を借りてお願いがあります」


二人は視線を鋭く向ける。会場のざわめきは、静かな緊張に変わった。


「騎士団長閣下。私が所有していた塩の大岩を誤って遠征隊が持ち帰られてしまったことはマドリナ閣下からお聞きになられていますでしょうか?」


「はい、そのことは先ほど総司令官からうかがいました。」


ジンスケはここで一度大きく息を吸って気合いをいれなおした。


「大変ぶしつけで申し訳ありません、単刀直入に申し上げますが、預かっていただいている塩を返還いただきたいのです」


「マドリナ閣下から塩は今、ネティル閣下の管理下にあると聞きました」


ネティルはわずかに目を細め、口元に笑みを残す。


「なるほど。ご用の向きは良く判りました」


「ですが困りましたね、件の塩とやらはマドリナ閣下から王室に献上された物で、私の一存でお返しするというわけにも参りません」


ジンスケの視線が鋭くなる。


「それは何故でしょう、塩はネテイル閣下の管理下にあるのではないのですか?」


ネティルは大げさに手を広げて困ったという意思表示をする。


「仰られる通り、あの大岩は私の管理下にあります。王室の財産を警護するのも騎士団の仕事ですから」


「でも管理しているだけであって私の物だというわけではありません」


「家臣から献上された物は王室の所有物です。王室の所有物を一家臣に過ぎない私が勝手に処分できるわけがないことはご理解いただけますね」


ジンスケは段々と苛立ちがつのってくるのを感じた。


「そうですか、それでは王室の方にそうお伝え願えないでしょうか?」


ネティルは驚いたように肩をすくめた。


「私からですか? 財産を警護しているだけの者が詳しい事情を直接判っているわけでもないのに?」


ジンスケは声が大きくなるのを止められなかった。


「それでは誰なら王室に伝えられるのですか?」


その様子を見てもネティルはまったく動じる様子もなかった。


「私にその様なことを聞かれましても……ヴェルデ卿とはお親しいようですからご相談されてみては如何ですか?」


ヴェルデ卿が王室に対して直接に物を申せるような立場であれば、とっくにそうしてくれているだろう。


こいつはそれを判ったうえで、そんな木で鼻をくくったようなことを言っているのだ。


ジンスケはヴェルデ卿に舞踏会は剣に代えて言葉で戦う戦場だと言われたことを思い出した。


あれは、こんな茶番のような話のことを言っていたのか。


こいつらは端から塩を返す気などないのだろう。


ジンスケは憮然とした表情で言った。


「なるほど、騎士団長閣下のお立場は理解しました」


「どうやら、この国は拙者に塩を返してくれる気持ちはまったくないのだと判りました」


こんなことを言っても詮無いが皮肉の一つでも言ってやらなければ気が収まらなかったのだ。


ネティルが目を厳しくした。


「私個人のことと王室のご意志を混同されては困りますね、私には権限がないのにジンスケ様はご無理なことを求められている」


それを聞いてもジンスケの気持はまったく変わらなかった。


どうせ最後は誰かと寝て子種を寄こせということになるのだろう。


その程度のことは判るほどにジンスケもこの世界に長くなってきていたのだ。


塩は喉から手が出るほどに欲しいけれど、そんな茶番につきあわされるのはごめんだ。


ジンスケはあえて騎士団長ネティルの言葉をガン無視した。


リフィアに向きなおって、わさわざ周囲に聞こえるような大声で言った。


「どうやらここに長居しても無駄なようです、我々はお(いとま)させて頂くこととしましょう」


それを聞いてネティルの横にいたマドリナが口を開いた。


「そんなにお慌てにならずとも、こんな席では無理ですが、後ほど私から王室のしかるべき者に面会の段取りをつけていただくよう取りなしてみましょう」


ジンスケがリフィアにしか聞こえないくらいに小さな声で呟いた。


「それなら最初からそう言えばいい、わざわざ舞踏会などに……」


リフィアも小さく呟いた。


「この会場に集まっている貴族たちにジンスケ様は王族所縁(ゆえん)の者だと知らしめることが本当の目的だったのかもしれませんね」


リフィアに言われてジンスケもその通りなのかもしれないと思った。


考えれば考えるほど、なんとも小賢しく腹立たしい。


腹立たしさが塩への執着よりまさってしまった。


こうなれば売り言葉に買い言葉だ。


ジンスケはマドリナを睨むように見据えた。


「おとりなしは結構です。拙者どもはこの場から即刻ザカトへと帰らせていただきますから」


マドリナとネティルは内心で舌打ちした。


まさかサラマンダーやワイトと戦ってまで欲した塩の大岩をジンスケがこの程度で諦めるとは思ってもみなかったのだ。


完全にジンスケの心情を見誤っていた。


真っすぐすぎる武士の誇りや意地というものと権謀術策の日々に(まみ)れたこの世界の貴族たちとの価値観の違いがそうさせたのだ。


舞踏会場も事の成り行きに静まり返っている。



そのとき、壇上から声がした。


「返してあげなさい。」


舞踏会場の最奥、大理石の階段の一番上、王族以外には通れない扉から、その人物は現れた。


ルシフィフォル・ソレーヌ・フェリシア3世。


このプロスペリタ王国の女王その人だった。


「ネティル。構いません。私が許します。その献上品を返してあげなさい」


ザザッという音が会場全体に鳴り響いた。


会場の全員がその姿と声を聞いて片膝を折り、女王への敬意の礼をとったのだ。


ネティルが礼をとり下を向いたまま答える。


「かしこまりました。直ちにそのように取り計らいます」


そう言って配下の者に手振りで指示を出す。


ジンスケは思わぬ展開に驚いていた。












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