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52.謎の冒険者

ジンスケとリフィアは、ザカトを発ってから三日、荒れた街道をひたすら南へと進んでいた。


辺境から王都へ向かう街道は本来、段々と安全度が高くなるはずだった。


だが、現実はまったくその逆だった。


辺境を離れて王都へと向かうにつれて段々と魔物の数は日に日に増し、種類も凶暴さも増していた。


「……まただな」


ジンスケは、道の先で低く唸る影を見つけ、刀の鞘に手をかけた。


灰色の肌をした二足歩行の魔物――グール。


腐敗臭が風に乗って鼻を刺す。


「リフィアさん、前方にグール。数は……六体」


リフィアが眉を寄せ、詠唱の構えを取る。


ジンスケは深く息を吸い、魔力を脚へと集中させた。


次の瞬間、地面を蹴った衝撃で砂が舞い上がり、目の前のグールの首が刎ね飛ぶ。


残る五体も、リフィアの炎弾とジンスケの連撃で、土に還るのに時間はかからなかった。


しかし、異変は明らかだった。


進むごとに、魔物の数も質も増している。


街道沿いの森の中では、異様な静けさと、時折響く何かの咆哮が不気味に混ざっていた。


五日目の夕刻、魔物を蹴散らしつつ進むうちに、遠くに高い石壁が見えてきた。


中継地点の町――「バルナート」だ。


しかし、その安堵も一瞬で打ち砕かれる。


町の外壁には炎が揺らめき、黒煙が空へと昇っている。


外門付近では数十体の魔物が暴れ、必死に応戦する町兵の姿が見えた。


然し魔物のあまりの多さに町兵たちは今にも町を捨てて逃げ出そうとしている。


リフィアが頭巾で顔を覆い男であることを隠しているジンスケを見た。


「どうしますか?ジンスケ様」


できれば戦闘は避けたかったけれど罪のない人々がむざむざ魔物に襲われているのを見殺しにすることもできない。


「義を見てせざるは勇無きなり、助けましょう。リフィアさん」


「了解!」


二人は駆け出し、魔物の群れに飛び込んでいった。


ジンスケは鬼丸を閃かせ、リフィアは火球を連続して放つ。だが敵の数は減らない。


その時――


空気が震え、雷鳴のような轟音が響いた。


城壁上から巨大な雷槍が放たれ、魔物の群れを一気に貫く。まるで一本の光の柱が地上に突き刺さったようだった。


視線を向けると、黒い外套を羽織った長身の女が城壁の上に立っていた。


鋭い目を持つが、表情は涼やかだ。手にした銀の杖からはまだ余熱のように稲光がほとばしっている。


「こっちに来て! 三方向から押し返します!」


女は迷いのない声で叫び、城門から飛び降りた。


着地の衝撃を膝の弾力で殺して、そのまま前線へと突っ込んでいく。


次の瞬間、電撃の奔流が魔物の頭上をなぎ払い、数体が一瞬で黒焦げになった。


ジンスケは感心しながらも冷静に距離を詰めた。


(魔法の威力も詠唱速度も桁違いだ…エルフ以外にもあんな魔法使いがいるのか)


三人は自然と背中を預け合う形になった。


ジンスケが接近戦で首を刈り、リフィアが火炎魔法で動きを封じ、その隙に女が雷撃魔法で群れを吹き飛ばす。


息が合っているわけではない。それでも、互いの動きが不思議と噛み合っていた。


やがて、最後の魔物が断末魔を上げて倒れた。


町の中から歓声が湧き、兵士たちが三人に駆け寄ってきた。


「助かりました、本当に…!」


町長らしき女性が深く頭を下げる。


女は軽く頷くだけで、礼を受け流した。


町長は改めて周囲を見て溜息をついた。


「町の者たちの命はおかげで助かりましたが……」


「ここまで何もかも壊されては町の復興はすぐには無理なようです」


「我々は生き残った者で辺境方面へ逃げようと思います。何故かそちらの方が魔物の影が薄いようですので」


リフィアが気の毒そうな顔をして言った。


「そうですか。町を捨てるしかないのですね。ご無念でしょう」


「確かにこちらに向かってくる道中、辺境に向かったほうが魔物は少なかったです」


「どうか、お気をつけて。町の皆さん全員を受け入れてくれるところがあるといいのですが」


町長は顔をあげて小さく笑って言った。


「いえ、命さえあれば何とかなります。本当にありがとうございます」


「たまたま騎士団の皆さんが駆けつけてくれていなければどうなっていたことか」


どうやら騎士団の魔物討伐と誤解されたようだが、謎の女性も黙っているのでジンスケたちもあえてそれを否定することはしなかった。


戦いの後は魔物の死骸だらけで酷い有様だった。


騎士団と誤解されたままのほうが噂にならずに好都合だと思ったからだった。



残念そうに町を去っていく人々を見送りながら、女はジンスケたちを見やる。


「助かりました。お二人がいなければ、もっと犠牲が出ていたでしょう」


ジンスケも軽く頷き返す。


「こちらこそ。貴殿の魔法、相当なものですね」


女性はわずかに微笑み、すぐに真顔に戻って答えた。


「あなたの方こそ。魔物を一刀両断にする剣士なんて初めて会いました。」


「物凄い技です。私の魔法など足元にも及びませんよ、さぞや名のある剣士の方なのでしょうね」


ジンスケは頭巾を外さず僅かに俯いただけだった。


「ジンスケです」


「私は……そうですね、いまは"リゼ"とでも呼んでください」


「偽名ですか?」


リゼと名乗った女性は笑みを浮かべていた。


「あなたの名前も偽名でしょう? それだけの技を使う方の名前が世に知れていないわけがありません」


そういうリゼの瞳の奥は笑っていなかった。



リフィアはその空気に気づいたようで、ジンスケの袖を引く。


「……あの人、何か企んでいるようですね」


「そのようですね」


リゼは二人のやり取りを見ていたかのように、ひらりと外套を翻した。


「私はこれから王都へ向かいます。この町はこの様子では簡単に復興するのも難しそうですし。」


「それよりも魔物の増加の原因を突き止める必要がありますからね」


ジンスケは短く返した。


「拙者たちも王都へ行くつもりです」


「それは心強い。――もちろん、私はあなた方の旅の足手まといにはなりません」


そう言いながら、彼女はジンスケの刀を一瞥した。


その視線は、驚異的な武器と、その持ち主の力量を測っているようだった。


その後の道中、リゼは驚くほど気前がよかった。宿代を支払い、補給も整えてくれる。


御者つきのリゼの馬車は乗り心地も快適だった。


だが、時折何気ない世間話の中に、ジンスケやリフィアの出身や過去を探るような質問を混ぜてくる。


「ジンスケさん、あなたほどの腕なら軍に入れば一財産築けますのに。……どうして傭兵崩れなんて」


「傭兵ではありません……ただの旅人です」


「ふふ、そうですか、まあそういうことにしておきましょう」


夜、焚き火の明かりの下で、リフィアは小声で囁いた。


「ジンスケ……あの人、何か企んでます。きっと普通の冒険者じゃない」


「一緒に旅して良いのですか?」


ジンスケは小さく頷いた。


「……分かっています」


「でも今更、別行動というわけにもいかないでしょう。色々と言いふらされても困りますから」


ジンスケは薪をくべ、炎の揺らぎの向こうに座るリゼを見やった。


焚き火の光に照らされた彼女の微笑みは、美しくも冷ややかだった。


王都の近くまできたところでリゼと別れ、ジンスケたちは二人で王都に入ることにした。



「……やっと着きましたね」


ジンスケとリフィアは、ようやく長く険しい旅路の終わりを告げる巨大な石壁の姿を目にした。


その石壁はまるで悠久の時を刻むかのように風雨に耐え、堂々とプロスペリタ王国の王都グランネールの威厳を示していた。


壁の向こうには、白亜の塔が無数にそびえ、朝日を浴びてまばゆい光を放っている。


塔の頂に掲げられた旗が、涼やかな風に翻り、王都の繁栄と秩序を象徴していた。


街道沿いには、活気に溢れた商人や旅人が行き交い、鍛冶屋の火花、パン屋の香ばしい匂い、露店の掛け声が雑多に混ざり合い、辺境の静寂とはまったく異なる喧騒が辺境出身の二人の耳に鮮やかに響いた。


城門へ続く列は長かったが、王都の威厳を感じさせるほどの厳格さはなく、どこか手慣れた雰囲気で手続きは淡々と進んだ。


門番たちは入城者に対して冷静に質問を繰り返すが、厳しい尋問はなく、「どこから来たか」と問われただけで、通行許可が下りた。


ジンスケは心中で、この国の揺るぎない自信と安定感を感じ取った。


これは小国の城壁ではない。揺らぐことのない王国の中心地だ。


だが、そんな王都の華やかさの裏には、誰もが薄々感じ取っている不安の影も潜んでいるようだった。


魔物の異常な増加、王国内の勢力争い、そして他国との政治的な駆け引き。


そのすべてが絡み合い、街の熱気に紛れて静かにうごめいているようだった。


宿へ向かう途中、二人は行き交う人々の目線を感じた。


ジンスケは頭巾をかぶり男であることを隠しているが、か細い体系と、それと同様に細くて弱そうな刀を携えた旅人としての風貌には明らかに注目が集まる。


リフィアは、そんな視線の中に不穏なものがないか鋭い観察眼で周囲を警戒していた。


宿の扉を開けると、ほの暗い明かりの下で人々が語らい、情報が密かに交換されていた。


ジンスケは背筋を伸ばし、短く会釈して部屋へと向かう。


リフィアは静かに後ろをついてきた。



その夜、グランネールの別の宿屋の一室。


リゼは窓辺で夜空を見上げていた。


彼女の瞳は月明かりに照らされて、ますます冷たく鋭さを増している。


「ふふ……この国の王都。久しぶりですね」


窓辺に立ち、銀の月明かりに照らされたリゼの瞳は、獲物を見定める猛禽のように獰猛な光を放つ。


手にした懐中時計の内蓋には、フォルティア王家の紋章が刻まれていた。


「予定より少し遅れましたけれど……ここからが本番ですね」




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