5.服装と腹ごしらえ
部屋から出て一階に降りていくと女主人のノラさんがジロリとこちらを見た。
「ふうん、この世の者と思えないとエミリーが言うのももっともだ。こりゃあ器量よしどころの話じゃないね」
「妖精か神の化身と言われても驚かないよ」
「どこかに出かけるのかい?」
「はい、日の暮れないうちに少しばかり町を見て回ろうと思っています」
「そうかい、見て回るほどの町じゃあないがね、出かけるならこれを持っていきな」
ドサリと小さな皮の袋を投げてよこした。
袋の中身は硬貨のようだ。
「これはなんでしょう? 大枚の銭のようですが」
「他の世界から来たのなら一文なしなんだろ、当座の金を貸しておいてやるよ、晩飯くらいは喰いな」
「いえ、まだ宿代も払っていないというのに、そこまでしていただく謂れがありません」
「謂れがあるとかないとか余計な心配しなくていいんだよ、これは商売だ。」
「あんたがいればこの宿は流行る。仕事もすぐに見つかるから金もちゃんと返してもらうから」
「拙者がいれば宿が流行るという理屈がわかりませんが、それではお言葉に甘えてお借りします」
当座の金があれば新しい服も買えそうだし、腹も減ってきた。
ここはひとつありがたくお言葉に甘えることにしよう。
町を歩いてみると、ここについてから宿を探しているときにも思ったことだけれど男を一人も見かけなかった。
ノラさんの言う通り男は全員が領主の館に集められているのだろう。
逆に言えば町を歩いている男はかなり珍しいはずなのに、町の者たちは誰も私のことをジロジロみたり、話しかけてきたりもしない。
とりあえずは食事ができそうな店を探してみたが、町の大きさのわりに飯屋が少ない。
宿屋はやたらと多いのに食事処はほとんど見かけないのだ。
なんとか3軒だけ飯屋を見つけたので、その中で一番広そうな店に入ってみた。
とてもきれいな店だった。
というか何十年も山に籠っていたので大抵の店はきれいに思えるのかもしれない。
いくつかテーブルが置かれていて、年代も様々な女たちが黙々と食事をしていた。
会話はほとんど聞かれない。
店の者らしいエプロンをした赤髪の女がキョロキョロしている私によってきて言った。
「お食事でしたら、あちらのお席にどうぞ」
一番奥に一つだけ空いていたテーブルを奨められた。
テーブルについて、さて何を食べようかと思ったがお品書きの張り紙もない。
常連ばかりだから必要ないのだろうか?
「拙者はこの町は初めてなのですが、この店では何が食べられるのか教えてはもらえますか?」
赤髪の店員は落ち着いた感じの大人な雰囲気の女性だ。
年は今世の私よりはだいぶ上になるけれど、かなりの美人といっていいだろう。
「この店で出せるのは魔物のステーキだけです」
「それでよろしければお持ちしますが、どういたしますか?」
「そうですか、それではその魔物のステーキというのをお願いします」
周囲を見回してみると確かにみな同じものを食べているようだ。
すぐに自分のぶんの料理が運ばれてきた。
パンという名前の米か芋の粉を練って焼いたらしいおやきのようなもの。
野菜の汁物。
それから魔物の肉を焼いたものに茹でた野菜が添えられて皿にのっている。
食べてみてすぐにわかった。
エミリーとあの森で食べた一角ウサギの肉だ。
やはり肉そのもの以外の味はない。
スープも茹で野菜も同じだ、野菜や肉のダシは出ているのだけれど塩味はない。
少しだけ手をあげると先ほどの女店員がすぐにやってきた。
この素早さ、接客サービスは合格点といっていいだろう。
「すみません、何か薬味はありますか?」
「申し訳ありません、薬味というのはどの様なものでしょうか?」
「いえ。それなら結構です。すみません埒もないことを言いました」
「いえ、こちらこそジンスケ様のお口にあう料理をお出しできず申し訳ありません」
ん? 今ジンスケ様って言ったよね? どうして私の名前を知っている?
「拙者の名前をどこで?」
「あっ、失礼しました。お客様をお名前でお呼びして。お名前はエミリーから伺いました」
「なんと、エミリー殿のお知り合いでしたか」
「いえ知りあいというほど仲が良いというわけでもありませんが、小さな町ですので」
なるほど、まあ噂にはなるよなあ。
なにしろ男が全然いないんだから。
やはりどうやらこの世界には調味料という概念がないようだ。
前世では山修行をしていたけれどそれでも塩や味噌、醤油くらいは宿場で買って備えていた。
この世界の食習慣は慣れていない私にはかなり厳しいかもしれない。
誰もが黙々と食事をしている理由もわかったような気がする。
つまりこの世界では食事を楽しむという考え方そのものが存在しないのだろう。
だから飯屋の数も少ないし、店はメニューをひとつしかださない。
つまり食事は娯楽の要素はまったくなくて単なる栄養補給ということのようだ。
代金の銅銭2枚を払って店を出た。
この分だと、食事はどこの店でも同じだろう。
これなら宿でノラさんに出してもらったほうが楽かもしれない。
次に服が買えそうな店を探してみた。
こちらはけっこうたくさんの店があるが、ほとんどは旅の者用の道具屋といった感じの店だ。
品ぞろえの多そうな店を選んで入ってみた。
けっこうな数の服が飾られている。
どれも動きやすそうで旅だけではなくて立ち合いなどにも向いていそうな服ばかりだ。
こちらとしては、この世界に来てまで果し合いなどする気はないけれど、動きやすい服は歓迎だ。
サイズのあいそうな服をいくつか試着してみたけれど、どれもサイズがあわない。
サイズがあわないというより、体形にあわないのだ。
それはそうだ、女性用の服しかないのだから。
町に男の姿を一人も見かけないのだから男物の商品が売られているわけもない。
しかたがないから大き目の服を買ってそれで我慢するかと考えていたら、見かねたのか店員が声をかけてきた。
若い。 今世の私と同年代かもしれない。
小柄で栗色の髪をした人形のように整ったかわいらしい顔をした店員さんだ。
「ジンスケ様、もしよろしければサイズをはからせて頂いてお作りしましょうか?」
おお、オーダーもできるのか。
「かたじけない。しかしそれではお値段が張るのではないですか?」
「いえ、お代はけっこうです。 」
「そのかわりと言ってはなんですがジンスケ様がこの町で服を作られるときは必ず当店をご利用いただくことにしていただけませんでしょうか?」
「この店を拙者の御用達の店にするということでいいのでしょうか?」
「はい、そうしていただければこれからもお代はタダで作らせていただきます」
「いえ、そういうわけにもいかないでしょう、昔よりただより高いものはなしと言います」
「ただより安いものはなし。じゃないんですか?」
前世のことわざが異世界で通じるはずもないな。
「まあ良いでしょう、いつもはどのくらいの値で売る品なのか教えていただけますか」
「そちらの既成の服が銀貨2枚になります。フルオーダーですとそれよりは幾らかお高くなりますが・・・」
高いのか安いのか、この世界の物価の基準がわからないので判断しようがない。
仕方ない宿に戻ってからノラさんにでも相談してみよう。
「そうですか、わかりました。それではちょっとばかり思案して明日にでもまた出直すといたします」
私が帰ろうとすると慌てて店員さんが出口の前に走ってきて通せんぼをするように立ちはだかった。
「申し訳ありません。男性のお客様への対応に慣れていませんので、失礼があったのならお詫びいたします」
いきなり深々と腰を折って頭を下げて謝り始めた。
「やめてください、頭をあげてください。別になにも失礼などありません、今宵は帰ってしばらく考えてみたいだけです」
それを聞いて店員さんは顔をあげた、両目が涙で真っ赤になっている。
まいったなあ、これでは買わないわけにはいかなそうだ。
「わかりました、それでは体にあわせた物を作ってもらえますか、でもお代は払わせていただきます」
「とんでもありません、失礼があったうえに代金なんて、なにとぞお許しください」
「困ったな、それではこうしましょう。出来合いの衣と同じ銀銭2枚だけ払わせてもらうということでどうでしょう」
「はい、ジンスケ様がそれでよろしければそうさせていただきます」
「それではそういうことでお願いします。ところで着物は何日ほどで縫いあがりそうですか?」
「着る服がないので、できれば なるべく早く受け取れるとありがたいのですが」
「はい、なるべく早くですね。わかりました申し訳ありませんが2時間ほどいただけますでしょうか?」
「えっ? たった二刻ばかりで縫いあがるというんですか?」
「はい、ジンスケ様がなるはやということですので最速で対応させていただきます」
店員さんは返事も聞かずに店の奥へと声をかけると、ものすごい勢いで採寸の担当らしい女が走ってきた。
こちらも栗色の髪をした太い黒縁の眼鏡をかけた小柄な女性だ。
すぐに体のあちこちを採寸をしはじめたが手が震えている。
それでも20分ほどで測りおわった、さすがはプロだ手際がいい。
「ところでどの様な服をご所望ですか?」
「そうですね動きやすい戦袴と上は道着のような頑丈な服がいいのですが」
「申し訳ありません、聞き慣れない服ですがそれはどの様な服なのでしょうか?」
「動きやすい戦闘に適した服をお願いしたいのです」
「はっ??? お客様が戦闘をされるのですか?」
店員は目を丸くして驚いている。
よそ者が町にやってきて、いきなり戦闘服を買いたいというのは怪しかったかもしれない。
「いえ、そんな感じの動きやすい服ということで・・・」
「そうですか、申し訳ありませんがイメージをこの紙に書いていただくことはできますでしょうか?」
ジンスケが紙に大雑把な絵を書いてやると納得したようだった。
「それではジンスケ様、2時間後には仕上がりますので」
「かたじけない、急がせておいてすまないのですが今日はもうこの後は宿に戻る予定なのです」
「作っていただいた衣は明日にでもまた取りに来るということでもいいですか?」
「ジンスケ様、明日もご来店いただけるなどありがたすぎるお言葉です。でもご心配には及びません」
「できあがった服は後ほどノラさんの宿屋にお届けしておきますので」
う~む、さっき初めて来た店なのに名前だけではなくて宿まで特定されているとは。
どれだけ噂になっているんだ。
宿へと戻るとノラさんがすぐに紅茶を出してくれた。
私が帰ってくる時間がわかっていたかのような対応だ。
この町の情報網はどうやら侮れないらしいことがようやく私にもわかってきた。
紅茶はとても美味い。
この町に来てから口に入れたものの中で一番美味しいかもしれない。
美味い、不味いという概念自体がないわけではないらしいことに安心する。
塩味の美味しさを町の皆さんに経験させてあげれば、町の人たちの協力で安定的に塩を調達する方法も見つかるかもしれない。
夜というのにはまだ早い時間だけれど日は暮れたので私は寝ることにした。
眠りが浅いのを補うために、時間だけでもたっぷりとって眠ることにしている。
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