46.ジンスケとマドリナ
マドリナは仕方ないというように溜息をついた。
「言われる通りだとすると領主殿まで引っ張り出して説得しようとしても逆効果かもしれませんね」
「ところで、その者はどうして領主殿の館ではなくて町の宿屋などに住んでいるのでしょう?」
クロウヘルムは苦笑しながら答えた。
「私もできればこの館にお住まいいただきたいのですが、ジンスケ様は町で働いてお金は稼いでいるので金のために領主館で女と寝るつもりはないということでした」
「……男が町で働いて、何か役に立つのか?」
マドリナは本気で不思議そうだった。
王都では、男とはすなわち子を作るための存在であり、それ以上でもそれ以下でもない。
実際、どれだけ見目麗しかろうと、種をつける能力以外で重宝される男など一人もいなかった。
クロウヘルムは、可笑しそうに肩をすくめた。
「ジンスケ様は冒険者ギルドで受付をしています。」
「役にたつかですって? あれだけの美男子が受付にいるんですよ、毎日通わない冒険者なんているわけがありません」
「週に一度しかクエストを受けに来なかった怠け者の冒険者でも毎日クエストを受けに来るんです」
「ギルドにしたら、座っていてもらうだけでも大助かりでしょう」
「そうは言っても、この館にいて祝祭に出てくれたほうが町の者も皆大喜びするとは思いますがね」
マドリナはそれを聞いてジンスケが金に困らない点についてはなるほどと合点がいったようだった。
それにしても、ギルドの受付などするより女と寝たほうがずっと楽に稼げるし、世の中の為にもなる。
女が20に対して男が1しかいないこの世界では、なるべく多数の女に種をつけることこそが男の存在価値であり生まれてきた意味ではないのか?
それがこの世界における、絶対の常識だった。
なぜそのジンスケという男は、女とは寝ないなどという自分自身の男としての存在価値を否定するような生き方を選んでいるのだろう。
マドリナにはそれが謎だった。
女よりも強く、魔物すら退ける力を持つ——確かに、それでも世の役には立っているのかもしれない。
だが、そうであればこそ、その血を後世に伝えることもまた、重要な使命であるはずだ。
それが分からぬはずがない。
もしかすると女に興味がないのだろうか?
ごく稀にではあるが女と寝ることに興味を持たない、場合によっては寝ることを苦痛に感じる男がいる。
それでも世の中のために子を作ることの大切さは知っていて媚薬などを用いて勤めは果たすというのが通例だ。
ランドドレイクを鼻歌でも歌いながらのように倒すという規格外の男だ、常識というもの自体が通用しないのかもしれない。
——そんな思いが、マドリナの胸中に渦巻いていた。
マドリナとクロウヘルムが話しているところに扉をノックする者がいる。
「はいりなさい」
クロウヘルムに言われて一人の男が広間に入ってきた。
クロウヘルムはその男に優しい口調で言った。
「閣下とお話があるので下がっていなさいと言ったはずですよ」
男はかしこまりながら言った。
「今しがた町の女が報告にきまして、ジンスケ様が遠征隊の方々にジンスケ様は旧教会にいるとお伝えするようにとのことでした」
「すぐにお伝えしたほうがいいかと思い、お話の邪魔をしてしまい申し訳ありませんでした」
クロウヘルムは優しい目で見つめながら言った。
「いいのですよ、すぐに伝えてくれてよかったです」
それを聞いて男は安心した様子で広間から出て行った。
カリーネが言った。
「どうやら会ってくれる気だけはあるようですね」
マドリナが頷いた。
「そうだな、変わった男のようだが話のわからない者ではなさそうで安心したよ」
カリーネはすぐにも退出したそうだった。
「それでは待たせても悪いのでさっそく会いに行くとしましょうか閣下」
マドリナもこれ以上はクロウヘルムから聞き出す情報もなさそうだと思ったようだ。
「そうだな。 それでは領主殿、我々はこれで失礼する。色々と教えてくれてありがとう」
クロウヘルムはにっこりと微笑んでからお辞儀をした。
「いえいえ、たいしたお役にもたてず申し訳ありませんでした。」
「ジンスケ様とのお話合いがうまくいきますようお祈りしております」
二人は目礼で挨拶を済ませると大広間から出て行った。
領主の館の中庭で休んでいる兵士たちにカリーネはしばらくはそのまま待機して待っているようにと号令をかけた。
ジンスケを警戒させないために会談ではマドリナとカリーネの二人だけで行くことにしたのだ。
カリーネは上級魔物を倒すほどの男なので危険だからマドリナに護衛をつけることを主張したが、話し合いの末に結局は二人で行くことに決めた。
サラマンダーを倒すほどの男だとしたら、ここにいる全軍を連れていっても勝てないだろうとマドリナに言われて、それもそうだと思ったからだ。
ここにいる全軍で戦ったとしてもサラマンダーには決して勝てないだろう。それと同じだ。
二人は旧教会に向かう道の途中でジンスケが宿泊しているという宿屋の近くを通った。
カリーネは言った。
「絶世の美男子のくせに、こんなど田舎の町の、その中でも一番みすぼらしい宿屋にわざわざ泊まるというのはどういう趣味なんでしょうね?」
マドリナが軽く肩をすくめて返した。
「目立ちたくなかったんだろう。周囲から騒がれたくなかったのかもしれん」
カリーネがくすりと笑った。
「絶世の美男子がですか? それこそ無理というものでしょう」
そんな会話をしながら進んで行くと、すぐに旧教会へと着いた。
大きな教会だが、もうほとんど廃屋に近い、窓はところどころ破れ、外壁には蔦が這い、風化した柱が陽に照らされていた。
正面の扉が半開きになっている。
二人は躊躇うことなく、そのまま教会へと足を踏み入れた。
ステンドグラスごしの光が差し込む教会、一番奥の祭壇の少し前方にその華奢で小さな少年は立っていた。
半歩後ろには艶やかな緑色の髪をした女冒険者が控えている。
マドリナとカリーネは無意識に「ほう」と溜息をついていた。
妖しいほどの美貌を持つ少年だと聞いていたがそれ以上だった。
だが、実際に目にしたそれは、妖艶どころではない。神々しさすら感じさせる――それほどの存在感だった。
教会という荘厳な空間。ステンドグラスの光を浴びたその少年の姿は、まるで神の使いのようにすら映った。
マドリナは一瞬、頭上に天使の輪が浮かんでいないことに違和感すら覚えた。
はっとして我に返り、祭壇へ向かって歩を進めたときだった。
ジンスケが、静かに一歩だけ後ずさった。
それだけで、マドリナは彼の意図を察する。
――これ以上、踏み込むな。
マドリナはその場で足を止め、軽く一礼を送った。
その仕草は、互いの境界を尊重する者同士の、最初の挨拶であった。
「お初にお目にかかります、私はプロスペリタ王国軍の総司令官で今回の遠征の隊長を務めているマドリナ・セヴィル・クラウストと言います」
隣の女性を軽く手で示しながら続ける。
「こちらに控えている者は王国魔法師団の副団長で今回の遠征隊の副隊長をしてもらっているカリーネ・ロズメリア・フェルディナントです」
「以後お見知りおきを」
ジンスケは無表情のまま簡潔に答えた。
「ジンスケ。 モリサキ・ジンスケです。」
「町の者が遠征隊は拙者に話があるのではないかと言うので、お待ちしていました。」
「大勢でいらっしゃるかと思い、こんな場所で申し訳ありません」
「拙者に何かご用事があるということで間違いないですか?」
マドリナは礼節を崩さず、やや神妙な面持ちで口を開いた。
「はい、実はジンスケ様にお礼を申し上げたく参上させていただきました」
ジンスケは少し小首を傾げて答えた。
「拙者にお礼ですか? 初対面かと思いますし、そういった覚えはありませんが……」
マドリナは丁寧な口調を崩さず、話を続けた。
「私のことではありません。先日、王国の姫君──レイラ王女がこの先の森でランドドレイクに襲われました。ですが、ある方がそれを退け、王女を救ってくださったのです」
「ジンスケ様。──それが貴方だったと、姫君ご自身から伺っております」
「レイラ姫は、王国にとって将来を担う極めて大切なお方。その命を救っていただいたこと、王国としても感謝してもしきれません」
それを聞いてもジンスケは無表情のままだった。
「拙者がお姫様の命を救った? それは何かの間違いではないですか? 」
「もしくは、よく似た誰かと勘違いなさっているのかと」
「それに拙者は町の外に出るのもワーウルフが恐ろしくて、ここにいるリフィアさんにいつも護衛してもらっているくらいなのです、ランドドレイクなんて悪い冗談にもなりませんよ」
マドリナは一瞬だけ視線を鋭くさせたが、すぐに静かな語調に戻した。
「なぜお隠しになるのか事情はわかりませんが、その黒髪、黒い瞳、間違えようもありません」
「まことに無粋で申し訳ありませんが、ジンスケ様が何を好まれるかもわかりませんでしたので、お礼に金貨2,000枚をソレーヌ女王よりお預かりしてきました」
「また是非、王都にいらしていただき直接お礼を申し上げたいとのことでした」
「どうぞお収め願います」
カリーネは目を見張った。
いつもの遠征よりも用意した軍資金が5倍以上も多いので不思議に思っていたのだ。
総司令はこんなことを王室から依頼されていたのか。
だが、ジンスケの態度は微塵も揺らがなかった。
「拙者に似た誰かがおられるのかもしれませんが、まことに人違いでしょう。──それに、金貨2,000枚とはとんでもない大金ではありませんか」
「一生かかっても稼げるかどうか……そんな額を、身に覚えもないまま受け取るわけには参りません」
「どうか、そのままお持ち帰りください」
それを聞いてマドリナは溜息をついた。
「そうですか、どうしても人違いだと言われるのですね」
「ここまで言ってもご本人が人違いだと言われるのであれば、実際その通りなのでしょう」
「不躾な申し出で、ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」
「姫君の恩人については、別の町や村で改めて調査を進めることにいたします」
ジンスケの隣に控えていたリフィアは、思わず小さく安堵の息を漏らした。
──案外、あっさりと引き下がってくれた……。
だが交渉事でも百戦錬磨のマドリナがそんなに簡単に引き下がるわけはないのだった。
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