39.軍議
ソレーヌは静かに立ち上がると、重い王冠の下からレイラをまっすぐに見据えた。
その眼差しは女王としての威厳に満ち、先ほどまでの不安の色は影を潜めていた。
「レイラ、あなたも残って軍議に参加しなさい」
「えっ? 私もですか」
レイラが軍議に参加するように言われたのはこれが初めてだった。
「そうよ、先ほどの冒険者の話をもっと詳しく聞きたいの、もし本当ならとても重要かもしれないから」
騎士団長のネティルも無言で頷いた。
ほどなくして、厳かな空気をまとってふたりの重鎮が玉座の間に現れた。
ひとりは軍総司令官、マドリナ・セヴィル・クラウスト。もうひとりは国防大臣、セラ・イリディア・マルヴェイン。
マドリナは銀髪を肩で切り揃えた初老の女性で、若いころは前線で活躍を続け灰銀の英雄と呼ばれた女傑だった。
年を重ねてからは前線を退き軍議に徹しているので軍総司令官というより軍師に近い存在なのだけれど、そのカリスマ性から彼女以外の者をして軍総司令官とすることは誰も考えもしなかった。
セラは対照的に若く、まだ20代半ばの伯爵令嬢である。王国に2つしかない伯爵家のひとつ、名門マルヴェイン家の現当主。
先代が疫病により早逝したためにまだ20代の若さで伯爵位を継いだが、その地位以上に彼女を有名にしていたのは、幼少期から“天才”と呼ばれ続けてきたその頭脳だった。
ベリタス王立大学をプロスペリタ国民としては初めて首席で卒業した彼女は、まさに知の象徴だった。
軍議が始まるとまず最初に国防大臣が、軍議の前に報告があると言った。
「先ほど入ったばかりの情報なのですが辺境のゼブレという町の領主から、辺境地帯に多数あるダンジョンの入り口の封印が壊されているという報告が入っています」
「ゼブレの領主は王都から派遣している役人なので情報の信憑性は高いと思われます」
ソレーヌは眉を寄せ、ゆっくりと頷いた。
「なるほど急に魔物の出現が増えたのはそれが原因かもしれませんね」
国防大臣は報告を続けた。
「確認されたのは「無限の塔」と呼ばれているダンジョンの入り口だとのことです」
「他のダンジョンにも同様の被害が想定されますが、そちらはまだ未確認です」
騎士団長のネティルが補足するように口を開いた。
「無限の塔……あれは未踏破のダンジョンで、何階層あるのかすら分かっていません。」
「かつて騎士団が調査を試みた際、13階層でワイトに遭遇して全滅寸前まで追い込まれました」
「その後は調査を諦めてミスリル製の大扉を設置し、封印を施したはずですが……」
ネティルの声音には、驚きと警戒が滲んでいた。
「あの大扉は、外側からでなければ破壊不可能な構造でした。つまり、内部からの暴走ではなく、誰かが――外部から意図的に封印を壊したということになります」
マドリナも重々しく頷いた。
「ミスリルの大扉を破壊するなど誰にでもできることではありません。場合によっては……他国の関与も視野に入れるべきでしょう」
「他国の関与……? それはどういうことですか?」
女王ソレーヌの声は冷たく鋭く、まるで鋼の刃のようだった。
国防大臣のセラが説明を始めた。
「魔物地帯に隣接しているテネブラ王国では定期的に魔物の暴走が発生しています」
「テネブラの国力では単独では魔物暴走を鎮圧しきれないことも多く、しばしばフォルティア帝国の軍が援軍として介入しています」
「フォルティアは帝国軍が実権を握っている軍事国家ですからね」
「また宗教国家のアルボラ教国からもテネブラへは治癒魔導士の派遣などの支援が行われています」
「テネブラに隣接している2か国にとってはテネブラで魔物が鎮圧しきれなければ自領にも被害が及びかねないので必要な支援なのでしょう」
「北の3か国からは従来よりインフルアおよび南の3か国に対して経済的な支援の要請がされています」
「我々が魔物の侵攻を防いでやっているのに、その恩恵を受けているお前らが何も出さないのは不公平だというわけです」
「だが我が国――プロスペリタは、そうした要求に一度たりとも応じたことはありません。理由は明白です。魔物の地帯の近くに建国したのは彼ら自身であり、我々には何の責任もない」
「たとえば、我々の山岳地帯が暴風や寒波を防いでいるのだから、その恩恵を受けている北部諸国は金を出せ……と要求したとして、彼らは応じるでしょうか? それと同じです。不当な要求です」
女王ソレーヌは、静かに、しかし威厳を込めて言った。
「それが不満で、こんな馬鹿げた工作をしたというのですか?」
国防大臣は小さく首を振った。
「わかりません。 でも魔物の増加による被害が抑えきれなくなれば、最悪の場合はフォルティアに援軍要請を出さざるをえないような状況もないとはいえません」
「そうなれば彼らの要求を拒むことは難しいでしょうね」
軍司令官マドリナが椅子から立ち上がった。
「例えどんなことが起きようと、他国の軍を我がプロスペリタ領内に入れるなど絶対にありえません」
「とにかく壊されたダンジョン入り口の再封印が最優先の課題でしょう」
「但し、周辺にランドドレイク級の魔物がまだ出る可能性があるとなると魔法師団も含めて全軍を動かす必要があるかもしれません」
「そうなると王都の守備が不安です、ほぼ騎士団にお任せになってしまうかもしれませんが」
ソレーヌ女王が仕方ないというように頷いて言った。
「とりあえず隣国のベリタスとグラシアに親書を送りましょう」
「万一の場合の協力要請と、彼の国でも辺境で魔物の増加があるのかなど情報の共有が必要です」
「対応方針はそれを待って決めますが、いつでも動き出せるように準備だけは進めておくように」
黙って聞いていた騎士団長のネティルが慎重な口調で口を開いた。
「レイラ姫が遭遇したという例の冒険者の件はどうしますか? もし本当なら大変な戦力ですが?」
初老の総司令官はレイラを一瞥してから微笑んで言った。
「この子は嘘をついたり、何かに動転して見てもいないものを見たというような子じゃないよ」
「まったく信じられないような話だがレイラがそう言うのなら本当なんだろう」
騎士団長ネティルも、静かに頷いた。
「レイラ、その冒険者のことをもっと詳しく教えてくれないか? どんな風貌だったとか」
レイラは唇を噛みながら、かぶりを振った。
「それが……本当に、一瞬の出来事だったんです。記憶も曖昧で」
「でも、髪は黒っぽく染めているように見えました。瞳も漆黒で、底知れない深さを感じました……まるで夜の湖面のようで……」
彼女は目を伏せ、言葉を探すように続けた。
「それと、全身が埃まみれで……まるで荒野を何日も彷徨ったような、そんな姿でした。けれど、粗末な身なりの中に不思議な品格がありました。」
ネティルが訊いた。
「その者を、もう一度見れば確信できますか? 同一人物だと」
レイラは頷いた。
「はい、きっとわかると思います。あの神秘的な瞳は……忘れようとしても、忘れられません」
「それと、いずれ王都に現れるかもしれません。王家のメダルを渡したので、どこにいても噂にはなるはずです」
ソレーヌ女王が、目を見開いて驚いた。
「王家の一員であることの証の、あのメダルを渡したというのか?」
レイラは母親の目を真っすぐに見つめ返した。そこには怯えも後悔もなかった。
「気を失っている命の恩人を、あの場に置き去りにしたのです。それくらいは最低でもしなければならないと思いました」
しばし沈黙が流れた後、軍総司令官が思案顔で言った。
「普通の者であれば王家に所縁ができれば直ぐにでも王都に現れるでしょう」
「しかし、ランドドレイクを倒すほどの者となるとどうでしょうか?」
「そもそもランドドレイクのような魔物は剣で倒せるような相手ではありません」
「魔法師団を動員し、大がかりな作戦を練って、ようやく討伐が可能かどうかというレベルの相手です」
「それを一撃で倒せる者となると・・・、伝説の勇者でも無理かもしれない事ができる者。」
「つまりただの人間ではない可能性が高い。レイラ姫の言う通りだとすればエルフの大魔導士以上の存在かもしれません」
「そんな者が王家の風下に立つでしょうか?」
「もし、その者が現れたとしても安易に配下に置こうとするような対応は禁物です」
「場合によっては魔物の増加などとは比較にならないほどの大事になりかねません」
「機嫌を損ねたりして他国に行かれても大変です、もしフォルティアなどに味方されでもしたら、フォルティアのことです、そんな新戦力を得ればすぐにも世界制覇を目指して我が国に攻め込んできかねません」
ソレーヌが深刻な顔をして答えた。
「最悪でも敵にだけは回せないということですね……。もし現れたなら丁寧で慎重な対応が必要だと心に留めおきましょう」
国防長官のセラがレイラを見つめて言った。
「レイラ姫、まだ何か気になっていることがあるのではないですか? 先ほどからその様にお見受けしますが?」
「今は国の命運がかかった局面です。思ったこと、感じたことは、どんな些細なことでも構いません。どうか包み隠さずお話しください」
促され、レイラは小さく息を吐き、覚悟を決めたように語り始めた。
「あの冒険者の顔立ちについてですが……」
「顔も体も泥と埃で覆われていたのに……不思議なことに、その瞳と輪郭の美しさだけは、はっきりとわかりました。言葉にするのが難しいのですが……神秘的というか……」
彼女は一瞬、視線を宙に彷徨わせる。
「この世のものとは思えないほど、美しい人でした」
「もし戦いを見ていなければ……私は間違いなく、彼を“男”だと思っていたでしょう」
その言葉を聞いたソレーヌ、ネティル、セラの3人が、ほぼ同時に呟いた。
「まさか……」
次の瞬間、三人の思考が、同じ一点に収束していく。
魔物と戦える男などこの世に存在するわけがない。
けれども、もし……誰よりも美しく、そして女よりも強い男が、本当にこの世に存在するのだとすれば…
どんなことをしてでも、その男を我がものにしてみたいという欲望を抑えることができない。
この世界のどんな女であれ、そんな欲望を抑えることなどできはしないだろう。
そして
その精を受けて生まれる子は、どれほど強く、どれほど美しくなるのだろうか?
それは、この世界の常識を覆す、新たな“血統”の誕生を意味する。
母親からの優秀な遺伝だけではなく、女よりも強い男からの子種の影響も受けた子供。
そして——その子を手にする国家こそが、この七つの国を統一する覇権国家となりえるのではないか。
自国に迎え入れればこの国の未来が変わるだろう。
他国に渡れば、我が国の滅亡を招くかもしれない。
女王ソレーヌが、静かに娘に目を向けて言った。
「……それで、メダルを渡したのですね。納得しました」
「あなたらしい判断です。よくやってくれました」
レイラは目を伏せたまま頷いた。だがその頬には、微かに朱が差していた。
それが羞恥なのか、憧れなのか、あるいは——それ以上の感情なのかは、まだ誰にも分からなかった。
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