38.レイラ姫の報告
ほどなくしてレイラ姫が30人の騎士団を引き連れて宮廷に到着した。
普段であれば任務から帰還すれば、いったんは自室に戻り王族としての正装を整えてから女王に謁見するのが礼儀であったが、レイラは旅支度の銀の戦鎧のまま宮廷に参内した。
これは女王の娘であるからこそ許されることだが、逆に言えば事の重大さを物語っていた。
レイラ姫は宮廷の大謁見室で母親であるソレーヌ女王に謁見した。
大理石の床を踏みしめ、レイラは玉座の前に進み出た。
左右には公爵家や重鎮の貴族たちが居並び、厳粛な空気が広がっている。
公式の謁見でありながら、剣帯も解かず、鎧の傷もそのままの彼女の姿を目にして諸侯にざわめきが広がる。
「女王陛下、インフルアの特使の任より只今帰還いたしました」
レイラが跪き、深々と頭を垂れる。
ソレーヌ女王は、安堵の表情を浮かべた。目元には、涙が滲んでいる。
「レイラ、よく無事で帰りました」
レイラ姫の表情はそれでも堅いままだった。
「陛下。まずご報告すべきは、インフルアとの交渉の成否ではなく、騎士団に関わる重大な損害についてでございます。これを最優先に、お伝え申し上げます」
女王は、緊張を帯びた面持ちで頷いた。重臣たちもざわめきを飲み込むように沈黙し、言葉の続きを待った。
「女王陛下の騎士団を70名も戦死させてしまい、お詫びのしようもありません」
「インフルアからの陸路の帰還で山岳地帯を超えたあたりで魔物の集団と遭遇しました」
「いきなりの急襲を受け回避もままならず応戦しましたが、敵は亡霊剣士が5体それに加えてディアウルフが一頭とそれに率いられたワーウルフが10頭ほどでした」
ソレーヌ女王の顔色が明らかに変わった。傍らの宰相も息を呑む。
「亡霊剣士にディアウルフですって。それは本当ですか?」
「本当です。1頭でも相手が大変なディアウルフにあわせて聖魔導士がいなければ対処が困難な亡霊剣士が5体では私の身に危険が迫りかねないと、護衛騎士団を率いる中隊長が判断しました」
「そのため近衛騎士の精鋭10名を近衛隊副長リンディールが率いて戦線を離脱、私レイラを警護しながら撤退。残りの者で敵を撃退することとなりました」
ソレーヌ女王が震える声で訊いた。
「リンデイールも戦死したと聞きましたが・・・」
「はい、撤退中に別の魔物と遭遇したのです」
レイラの声が、わずかに低くなる。
「ランドドレイクです」
謁見室全体に、明らかな動揺が走った。
ソレーヌが聞き返した。
「ランドドレイク。本当なのですか?」
「はい、私も目を疑いました。ですが……巨大なその姿……地を揺るがす咆哮、地面を穿つ尾の一撃。そのすべてが、伝承に語られるあの魔物の特徴と同じでした。」
「見るのは初めてですが間違いなく、ランドドレイクです。」
ソレーヌはそれでも信じられない気持ちだった。
「まさか。。。ランドドレイクのような災害級の魔物が地上に・・・」
「近衛兵たちは私を守るため立ち向かいましたが、その尾の一撃だけで全員が吹き飛ばされてしまいました」
「たった一撃で近衛兵10名が吹き飛ばされたのですか?」
「はい、残念ながら確認するまでもなく命はありませんでした」
「なんということでしょう、それではリンディールもその一撃で?」
「いいえリンディールのみ、私に密着して守ってくれていたため無事だったのです」
ソレーヌは悲痛な面持ちで先を促した。
「では……彼女は」
「はい、最後まで私を庇い、逃げる時間を稼ぐために――ただ一人、ランドドレイクに立ち向かいました」
沈黙が流れた。
ソレーヌ女王は目を伏せ、言葉を探すように口を開いた。
「それでやられたのですね? 人がランドドレイクに勝てるわけがありません」
「はい、鋭い爪のある前足の強烈な一撃で。。。」
ソレーヌ女王は首を振りながら嘆いた。
「リンディールほどの者でもランドドレイクが相手では仕方ありませんね。でもレイラ、あなたはよく逃延びることができましたね」
「はい。私も信じられない思いです。あの時は死を覚悟しました」
レイラは、胸の奥に残る恐怖を押し殺しながら言葉を継いだ。
「あの時、突然その場に現れた冒険者のような風貌の人物に救われたのです」
ソレーヌ女王は、訝しげに眉を寄せ、首を傾げた。
「冒険者ですか? でもリンディールでさえも無力だったというのに・・」
レイラは真っすぐに女王を見て言った。
「その冒険者がランドドレイクを倒しました」
レイラの言葉が落ちた瞬間、広間の空気が一変した。
ざわめきが、波のように貴族たちの間に広がっていく。
ソレーヌが、一同の疑念を代弁するように口を開いた。
「まさかとは思いますが、その冒険者がたった一人でランドドレイクを倒したというのですか?」
「はい、皆様が信じられないのも当然です。目の前で見ていた私でさえ信じられない思いでした」
レイラは、静かに視線を上げた。
「その冒険者風の者は背丈は私くらいでしょうか、男のように華奢な体つきをしていました」
誰かが呟いた。
「エルフか?、古のエルフの大魔導士なら、戦略級の大魔法を使えばあるいは・・・」
けれどもレイラは首を振った。
「いいえ、エルフの大魔導士ではありまぜん。その者はいっさい魔法を使いませんでした」
ソレーヌが不思議そうな顔をした。
「それではどうやってランドドレイクを倒したのでしょう?」
レイラは一つ小さく深呼吸をしてから言った。
「その者は身の丈の2倍以上も跳躍して、空中で回転しながらランドトレイクをひと突きで倒したのです」
「見たことも聞いたこともない剣技でした」
言葉が落ちると同時に、広間は再びどよめいた。
「あり得ない……」「そんな馬鹿な……」
口々に否定の声が漏れる中、やがて、一人の騎士が前に進み出た。
騎士団長のネティルだった。
「女王陛下の御前で、騎士の身でありながら口を挟むこと、何卒お許しください。しかし、レイラ姫に申し上げたいことがございます」
ソレーヌは軽く頷いた。
「かまいません、言ってごらんなさい」
ネティルは姿勢を正し、きっぱりと言った。
「はい。我ら騎士団でも、最も身軽な者であっても跳躍はせいぜい身の丈ほどが限界です。」
「いくら小柄だとしても人間が自身の身の丈の2倍、3倍も飛べるわけがありません」
「それにランドドレイクをひと突きとは、その者は伝説の聖剣エクスカリバーでも使ったというのでしょうか」
その言葉には、皮肉とも取れる響きがあった。
「大変失礼なことは重々承知ですがレイラ姫は混乱されているか、そうでなければ魔物に幻影を見せられたか、白昼夢をご覧になられたのではないですか?」
レイラはそれを聞いても少しも怒ったような素振りは見せなかった。
自分でもネティルの立場だったら同じことを言っただろう。
そう思いながら、静かに首を振った。
「いいえ聖剣エクスカリバーなどではありません、その者は倒れた近衛騎士の落とした普通のミスリル剣を拾って、それでランドドレイクをひと突きにしたのです。」
ネティルは息をつき、呟くように言った。
「レイラ姫の言われることは荒唐無稽すぎるうえに辻褄もあっていませんよ」
「先ほどは男のように華奢な体をしていたと仰られたではないですか。そんな者が騎士団が使う重たいミスリル剣を振れるはずもありません。ましてやランドドレイクを倒すなど」
「ええ、無理もありません」
レイラは穏やかに返す。
「私も、今でも夢ではないかと疑っているほどです。でも……私が今ここにこうして生きて帰ってきているという事実こそが、その証拠なのです」
ネティルは押し黙り、何かを考え込むように顎に手を当てた。
「う~む、いくらレイラ姫の言われることとはいえ、どうしても信じられません。しかし本当だとしてその者はどうしたのですか? 騎士団と一緒に帰還したのですか?」
「いえ、その者は――おそらくランドドレイクとの戦いで意識を失ったのでしょう。地に倒れたまま動かず、ただ息だけはしていました」
「そこへ、ディアウルフを撃退した本隊が駆けつけてくれました。私たちは――その者を、そこに残したまま撤退しました」
女王の眉が険しく寄った。
「プロスペリタの姫ともあろうものが命の恩人を魔物のいる場所に置き去りにしたのですか?」
レイラは真っすぐに、ソレーヌ女王の目を見て言った。
「はい。まさに、その通りです」
「私を守るために、近衛騎士が10名。……そして、ディアウルフと亡霊剣士との戦闘で、60名もの騎士が命を落としました」
「ですから、私はなんとしても生き延びて帰還しなければその者たちに申し訳がたちません」
「苦渋の決断でしたが、正体も分からず、意識もない人物を担いで逃げる余裕は、私たちにはまったくありませんでした」
レイラの瞳には、強い意志と、深い哀悼が宿っていた。
沈黙が一瞬広間を支配した後、ネティルが一歩進み出て、静かに言った。
「レイラ姫は正しいご判断をされたと思いますよ。命を落とした部下たちもレイラ姫が無事に王都に帰還できたのであれば本望でしょう」
「私が指揮をとっていたとしても、その者はそのままにしたと思います」
ソレーヌ女王は、それを聞いてようやく肩の力を抜き、柔らかな表情に戻った。
「……そう、ですか。ならばよろしい」
もう一度、女王として威厳のある顔つきに戻ると周囲の貴族を見まわして大きな声で言った。
「ランドドレイクがまだ他にもいて地上に出現したなら国家存亡の危機です。」
「これより王国に戒厳令を敷きます。各領主は速やかに領地へ帰還し、軍備を整え、王命を待つよう伝えなさい」
女王の視線が鋭く、部屋の隅々まで射抜く。
「公爵諸卿をはじめ、ここに居並ぶ重鎮たちも例外ではありません。直ちに領土防衛に移るのです」
「私は国防大臣、軍司令官、騎士団長と軍議を開き、今後の対応を決定します」
「それでは本日の謁見はこれにて終了とします」
貴族たちの中にはまだ信じられない顔をしている者が半分ほどはいたが王命で戒厳令が敷かれるとなれば従わないわけにはいかない。
王都は領地への帰還を準備する貴族たちなどで騒然とした空気に包まれたのだった。
励みになりますので、よろしければ評価【☆☆☆☆☆】、コメントなどをよろしくお願いします!




