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28.無限の塔

 ダリルはこれまでに二度、無限の塔へ潜った経験があった。


 一度目は自身がパーティーリーダーとして、信頼する戦士系冒険者と回復役を従えて挑んだ。


しかし3階層にて現れた亡霊剣士との戦闘で形勢は一変。攻撃しても攻撃しても敵は蘇り、仲間たちは疲弊してゆく。


ついには仲間の一人が倒れたのを機に、ダリルは撤退を決断。辛くも命を拾って逃げのびた、屈辱の冒険だったという。


 二度目は騎士団の依頼で行われたダンジョン封鎖前の調査に案内役として同行していた。


戦闘には参加しなかったものの、再び現れた亡霊剣士の存在と、塔の異様な魔力の流れをこの目で確かめ、ダンジョンの異常性を再認識することになった。


 だからこそ――今回の挑戦も、事実上の案内役を務めるのはダリルであった。


三人はゼブレの街を出発し、荒れた丘陵地を抜け、木々が生い茂る渓谷沿いを歩きながら、目指す無限の塔へと向かっていた。


 行軍の途中、ダリルは我慢できないといった様子でリフィアに話しかけた。


「なあリフィア。お前もそうだったろうが……私は一度たりとも、あの亡霊剣士を倒せた試しがない」


 口調は柔らかくも、悔しさがにじんでいる。


「C級冒険者でも、あいつに出くわしたら逃げろってのが定石だ。戦ってはいけない相手だと、みんな口を揃えて言う」


 リフィアは少しだけ歩みを緩め、軽くため息をついた。


「……ダリル、お前はお供をする立場だろう? これからはジンスケ様とお呼びしなさい」


 ダリルは面食らったように眉を寄せて返す。


「落世人って言ってたろ? 平民なんじゃないのか? 貴族の私が敬語で話す理由なんてないと思うが」


「そういう問題ではない。ジンスケ様は……身分などという概念を超越された存在なのだ。そのうちお前にも分かる日が来る」


 リフィアの口調は真剣だった。冗談めかす隙もない。だがダリルはひとまず笑ってごまかした。


「へえ、あの高飛車なお嬢様が、そんなふうに誰かを讃えるとはな……美男には甘いのか?」


「確かにジンスケ様は美しい。まるで神の手で彫られたような顔立ちだ。けれども、それだけではない」


「もったいぶるなって。で、結局どうやって亡霊剣士を倒したんだ? まさか真正面から切り結んで勝てたってわけじゃないだろう?」


 リフィアはほんの少し目を細め、静かに説明を始めた。


「……ダリル。あの亡霊剣士は、いくら斬っても何度でも蘇る。私たちも最初は倒したと思っていた。でも、何度も復活して襲いかかってきたんだ。正体は幻だった」


「幻? つまり、あの斬り合っていたのは全部……」


「そう。本体は姿を隠し、気配も限界まで抑えて、幻を操っていた。ジンスケ様は、それを初見で見抜かれた。姿が見えない本体の気配を感じ取り、ただ一度――たった一太刀で仕留められたのだ」


 ダリルは驚愕に目を見張った。


「初見で気配だけを頼りに!? ありえない……まるで化け物だ」


 その声はもはや呆れを通り越して、畏怖に近いものだった。


「ただ者のわけがないだろう。サラマンダーさえも倒されたのだ」


 リフィアが淡々と言い放つと、ダリルは吹き出すようにして言った。


「またまた冗談を……いや、それはさすがに信じないぞ、リフィア。サラマンダーっていえば、あれは国を滅ぼす災害級だ。冗談でも口にするな」


「そのサラマンダーの眉間を、ジンスケ様は一撃で貫かれた」


「どうやって? お前のあのミスリルの剣で? サラマンダーの皮膚を貫けるとでも?」


「ジンスケ様は宙を駆け、まるで風のように舞い、サラマンダーの頭部まで跳躍して急所を狙われたのだ」


「空を……飛んだ?」


「瞬時に宙を蹴り、あの巨体の頭上に達してから“シシオウケン”という秘術で一突きにされた。核を貫かれたサラマンダーは絶命し、やがて霧のように消えた」


 沈黙が落ちた。風の音だけが静かに渓谷を流れていた。


 ダリルはしばらく無言だったが、やがて口を開いた。


「……それが本当なら、ジンスケ様は歴史に名を残す存在だ」


「いずれ、そうなるだろうな」とリフィアは微笑んだ。


 ダリルは背後を歩いているジンスケの方をちらりと振り返った。


何気ない顔で歩いているが、その背中からはどこか凛とした威厳が漂っていた。まだ剣を抜いてもいない、戦ってもいない――なのに、この安心感は何だろう。


(やっぱり、ただの旅人じゃない……)


 胸の奥に、冒険者としての直感が小さく警鐘を鳴らした。だがそれは危険の警告ではなく、尊敬と畏怖いう名の新たな感情の兆しだった。


けれどもダリルが驚かされるのはそれだけではなかった。リフィアの話には、まだ続きがあったのだ。


「それだけではないぞ。サラマンダーがドロップしたミスリルから、カジバーの秘術を使われて……ご自分の剣『オニマール』を作られたのだ」


「なに? ジンスケは錬金術も使えるのか?」


「違う。錬金術ではない。カジバーの秘術だ。鋳造でも魔術でもない、古代の火と金属に宿る精霊の力を借りる、達人の技だ。」


「秘術で作られたオニマールはミスリルの鎧を着た丸太を一刀で真っ二つにしてしまう。」


「まさか……冗談もほどほどにしろ。そんなことは魔王でも不可能だろう」


「そうだ。魔王にもできないことを……ジンスケ様はやってのけるのだ」


「いくらリフィアの言葉でも、それはさすがに信じがたい……」


「ふん、いずれお前もわかる。ダンジョンに潜れば、すぐに信じるようになるさ。ジンスケ様の足手まといにだけはなるなよ」


「私を誰だと思っているのだ、C級冒険者ダリル・フォーランスをなめるな!」


「ふふっ、良い威勢だな。私も最初はそうだったさ」


リフィアがふと遠くを見つめるようにして続ける。


「だが、ジンスケ様は――30階層まで降りるつもりなのだ。ダリル、お前には……そこで自分に何かできることがあると思うか?」


「……まさか……30階層など、人間に到達できる場所ではない……」


ダリルは、自然と歩みの遅れた自分を咎めるように、そっと後ろを歩くジンスケを振り返った。


――美しい。まるで彫刻のように、端正に整った顔立ち。


だが、それだけではない。人を引き寄せて放さない、どこか妖しくもある吸引力。見る者の意識の奥深くを揺さぶる、底知れぬ気配がその姿から滲み出ていた。


胸の奥が、きゅうっと締め付けられるように疼く。


――魔性の男。そうとでも呼ぶべきなのかもしれない。


だが到底、強者とは思えない。あまりにも華奢で、風が吹けば折れてしまいそうなほどに細い体の、どこに剣を振る力があるというのか。


……いや、リフィアは嘘をつくような人間ではない。


そう頭では理解していても、サラマンダー討伐など、あまりにも現実離れしているとしか思えなかった。


それでも――それが真実であるかどうかは、いずれ自分の目で確かめることになる。


知らず知らずのうちに、ダリルの足は早まっていた。早く確かめたいという思いが、背中を押していた。


もうすぐダンジョンの入り口につくあたりまできてダリルは不思議なことに気づいた。


ここまでかなり速足で歩いてきたせいでダリルもリフィアも肩で息をしていた。


それなのにあとをついてくるジンスケは息ひとつ乱していないのだ。


まるでずっとそこに佇んでいたかのように平静な様子だ。


大柄なダリルとリフィアに比べてジンスケは歩幅も小さいはずなのに、そういえば道中も涼しい顔をしてゆっくりと散歩するような感じで歩いていた。


それでも少しもダリルたちに遅れることもなくついてくる。


どうやらジンスケは本当にただ者ではないのかもしれないと、ようやくダリルも思いはじめていた。



やがて、山裾に開かれたダンジョンの入り口が見えてきた。


「無限の塔」と呼ばれるそのダンジョンは、ぽっかりと闇の口を開けた巨大な洞窟である。


通常であれば、王国騎士団の手により、入り口には厚く頑丈なミスリル製の扉が設置され、固いカンヌキがかけられているはずだった。


中に棲むのは強力なアンデッドたち――それを封印するための厳重な措置だった。


騎士団による調査には、宮廷魔法師団を含めた100名を超える部隊が動員された。ダリル自身も3階層までの探索に同行し、その苛烈な戦いを目の当たりにしている。


アンデッドや異形の魔物が、低層から次々と現れ、多数の犠牲者を出した。13階層に現れたS級魔物・ワイトの幻惑魔法によって、仲間の魔導士が錯乱し、味方に攻撃を始めたとき、調査は中止された。


ワイト――それは古の魔導士の怨念が具現化した、悪霊中の悪霊。


その存在が確認されてからというもの、ダンジョンは封印され、誰も近づくことは許されなかった。


……それが。


「これは……っ!」


3人が到着したとき、そこにあるはずのミスリルのカンヌキは、まるで粘土のようにぐにゃりと曲がり、地に投げ捨てられていた。


扉は開け放たれ、フレームごと歪み、明らかに外から大きな力で押し破られた跡がある。


「いったい……誰が……?」とダリルが呟く。


リフィアは辺りを警戒しながら静かに言った。


「魔物の数が急に増え出した理由は……やはり、これのようだな」


「封印されたはずのダンジョンが……開けられた」


「もしかすると……他の封印されたダンジョンも、同じように」


「それにしても、ミスリル製の扉をこんなふうに……。サラマンダーの仕業か?」


「いや、サラマンダーが閉じ込められていたなら、最初に誰かがカンヌキを外さなければ外に出ることはできない」


リフィアは、ジンスケの方を見やりながら静かに言った。


「ジンスケ様、こんなことになっていようとは思いもしませんでした。……どうなさいますか? それでも、ダンジョンに潜られますか?」


――単なる魔物の出現ではない。人為的な何かが、そこに介在している。


魔物に加担する何者かが、この王国のどこかで暗躍しているかもしれない。


それでも――ジンスケの表情は変わらなかった。彼はあくまで、穏やかに微笑んでいた。


「重たい扉を開ける手間が省けたと思えばいいでしょう。進みましょう」


「おいおい……本気で言ってるのか? この中にサラマンダーがいたらどうするつもりだ……」と、ダリルは思わず口にした。


だがその声に、リフィアが静かに笑って言い返す。


「ダリル・フォーランスともあろう者が、何を怯えている」


「我らが降りるのはまずは低階層。魔物が出るとしても、たかが知れている」


「それに、サラマンダーならば……すでにジンスケ様が討伐された」


「どんな魔物が現れようとも、ジンスケ様が討たれて進まれる」


ダリルは思わずジンスケの顔を見つめた。


その華奢な体のどこに、そんな力があるというのだ。


……だが、確かにこの目で確かめなければ、納得できない。


ジンスケは、まるで緊張の欠片も見せぬまま、ふわりとした笑顔で言った。


「では、さっそく――入りましょう」



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