2.エミリーとの出会い
大トカゲが目の前から忽然と姿を消したのに驚きながら、私は右肩に激痛を感じて気が遠のいていくのを意識した。
薄れていく意識の中で少女の声だけが響いていた。
「誰かは知りませんが、この御恩は忘れません。私の名はレイラ」
「ごめんなさい、もう行かなくては。お礼にもなりませんがこれをお持ちになってください」
「あの~、大丈夫ですか?」
声をかけられて見上げると見知らぬ若い女が私を覗き込んでいた。
髪が白い。
若く見えるが老人なのか?
いや白髪ではない、金色の髪だ。
さては異国の女か。
それより武蔵はどこだ?
周りを見回して見るけれど、この金髪の女以外に人影は見当たらない。
それよりも周囲の風景が先ほどまでとはすっかり変わっていた。
立ち合い場所は野原だったはずなのに今のここは深い森の中のようだ。
「いったいここはどこなんだ?」
思わず言葉がもれていた。
そう言えばさっきまで大トカゲに襲われるという不思議な夢を見ていたのを思い出した。
金髪の女は不思議そうにこちらを見つめると言った。
「自分がどこにいるのかもわからないのね。」
「魔物に襲われてそのショックで記憶をなくしたのかもしれないわ。このあたりは魔物が多いから」
「君、自分の名前はわかる?」
「ジンスケ。拙者はモリサキ・ジンスケだ」
「ジンスケ? 変わった名前ね。」
「私の名前はエミリー、ここから少し行ったところのザカトという町に住んでいるの」
「ザカト? 聞いたことのない宿の名前だ」
「やっぱり記憶をなくしたのね。でも森で迷っていては危険だわ、とりあえず一緒にザカトまで行きましょう」
何がどうなっているのかわからないが、確かにここでこうしていても仕方がない。
私はエミリーと一緒に行くことにした。
地面から立ち上がるとエミリーの顔が私の頭よりも高い場所にあり、私を見下ろしていた。
おかしい、私よりも小さく見えたのに。
そして動くと体に激痛が走った。
「うっ」
右肩が外れている。
うずくまった私を見てエミリーが心配している。
だけど大丈夫だ、これくらいなら前にも経験がある。
気が遠くなるほどの激痛だが肩が外れただけだ、治すのにもこつがあるのだ。
私は外れた右肩に左手をあててグイッと体を捻るようにして力をいれた。
電撃でも食らったかのようなさっき以上の激痛が頭の頂点まで抜けていったが、ゴツっという感じで肩がはまったのがわかる。
まだひどい痛みが残っているがさきほどまでの激痛ではない、これならなんとか耐えられそうだった。
自分の腕を見て気がついた。
細い。
手も足も今にも折れてしまいそうなほどほっそりとしていて筋肉のかけらもない。
頬に手で触れてみると、つるりとした若い肌の感触がした。
長年の風雪でザラザラに荒れた肌も無精髭もその痕跡さえもなかった。
立ち上がった私を見てエミリーのほうもびっくりしたような顔をしている。
びっくりというより呆けているといったほうがいいだろうか。
しばらくそうしてまじまじと私を見ていたが、はっと我にかえって尋ねてきた。
「あの~、君ってもしかして男?ってことはないよね?」
「拙者は男だ。」
反射的にそう答えたけれど、自分が自分ではないので自分が男であることにさえも自信がもてなかった。
「そう。やっぱり男なのね。それじゃあとにかくついてきて。」
「男がこんな森の中に1人でいては危険だから」
何が何だかわからなかったが、他に選択肢がないのでエミリーと一緒にザカトの町まで歩くことにした。
「町」というのはたぶん宿場のことだろう。
少し歩いたところにあった池の水面に映った自分を見て現状を少し理解した。
若返っている。
というか別人だ。
年令は15歳くらいだろうか? まだ少年の面影がある。
男には違いないが体は華奢だし、顔つきも優し気で確かに女に間違えられても不思議ではない。
そういえば武蔵は自分は転生者だと言っていた。
それでは私も転生したのか?
何がどうなっているのかはわからないが死んだはずの私はどうやら異世界に転生したらしかった。
「ところで君、もしかしてお腹すいてない?」
エミリーにとって私は見ず知らずの怪しい男だろう、それなのにとても優しい。
きっとそれは私が少年のなりをしているからだろう。
実際は60歳を越えているのだけれど。
言われてみるとすごくお腹がすいていた。
この少年の体は何日も食事をとっていなかったのかもしれない。
「うむ、面目ない、どうやら腹ペコのようだ」
それを聞いてエミリーはにっこり笑うと食事にしましょうと言った。
「それじゃあ、ちょっと待っててね。ここを動いちゃだめよ」
それほど時間もかからずにエミリーは戻ってきた。
手にはウサギのような小型の動物をぶらさげている。
力はなさそうに見えるけれど、狩猟能力はそこそこあるらしい。
というか出かけていってから帰ってくるまでの時間を考えると、かなり手練れの狩猟者なのかもしれない。
この世界は私の知らないことばかりのようだ。
そうだとすると当分の間、様子がわかるまでは私も怪しまれないように少年らしくしておいたほうがよさそうだと思った。
私は少年らしい言葉使いに気をつけてエミリーに尋ねた。
「それはウサギですか?」
「あら知らないの? ここらあたりにはよくいる一角ウザギ、小型の魔物よ」
「魔物?」
「何を驚いているの、もしかして魔物も知らないの?」
どうやら生まれ変わった世界はジンスケの知っている世界とはずいぶん違うところのようだった。
そうしてみると悪夢を見たと思ったあの大トカゲとの戦いも実際におこったことだったらしい。
この華奢な体で逆手突きのような技を使ったのでは肩がはずれるわけだった。
あの戦士たちの死体は私が気を失っている間に駆け付けた少女の味方によって持ち帰られたのかもしれない。
ポケットの中に鎖のついたメダルのような物がある、たぶん少女が置いていったお礼の品だ。
数えきれないほどの果し合いを経験してきた私だけれど、あんな化け物との戦いは初めてだ。
よく命があったものだと今頃ため息をついていた。
エミリーは狩りのついでに枯れ木も集めてきていた。
それに火をつけて焚火にして残った枝で簡易な竈を作った。
包丁の代わりはいかにも切れ味の悪そうなハンドナイフだったけれどエミリーには関係なかった。
器用にウサギの魔物の皮を剥ぎ解体すると、小枝で魔物の肉を串刺しにしていく。
そのまま竈の火にかけて焼き鳥のでかいのというかバーベキューを作ってくれた。
物凄く手際がいい、若く見えるけれど熟練のマタギなのかもしれない。
ただし串焼きウサギはお世辞にも美味い!という感じの味ではなかった。
ジンスケは山で修行をしていたので獣の肉も普通に食べたことはあった。
魔物の肉は獣の肉とほとんど同じようなもので、肉そのものはそれほど不味くはない。
ただ残念ながら塩や胡椒などの調味料がまったく使われていないので肉の味しかしないのだ。
「旅だと塩や醤油などはなかなか持ち歩けないのですか?」
「なにそれ?」
「塩や醤油など食べ物に味をつけるものです」
「食べ物に味をつける??? 」
エミリーにはなんのことかわからないようだ。
どうやら、この世界では食事に味をつけるという習慣がないのかもしれない。
まあそれでも空きっ腹だったので食事は嬉しかった。
なんだか力が湧く気がする。
私が嬉しそうに食べているのを見てエミリーも安心したようだった。
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