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16.火龍サラマンダー

ジンスケの鋭い叫びが木霊し、アガサたち4人は条件反射のように後方へ駆け出そうとした――だが、その一歩は遅かった。


左前方の霧が一瞬、朝焼けのように赤く染まった。次の瞬間、灼熱の奔流が霧を突き破って突進してきた。燃える空気が音をも巻き込みながら襲いかかる。


アガサたちは悲鳴を上げる暇もなく、業火に呑まれた。炎は獣のようにうねり、彼女たちの姿を瞬時に覆い尽くした。


炎に包まれた4人は、身をよじるように転げながらこちらへと転がってきた。熱気に皮膚が焦げる臭いが漂い、目を覆いたくなるような光景だった。


転がったせいか火はほとんど消えているが4人とも虫の息だ。


ズシン、ズシン――と大地を踏みしめる重低音が、霧の向こうからじわじわと迫ってくる。やがて、血のように赤い瞳が霧を裂き、炎の衣をまとった巨大な爬虫類の姿が現れた。それは、トカゲというにはあまりにも巨大で異質な存在だった。


体長はアフリカ象の五倍以上。全身を覆う鱗は、まるで熔けかけた溶岩のように赤く、時折パチパチと火花を散らしている。その熱気は数メートル先にいるはずのジンスケたちの肌にもじりじりと焼きつくように伝わってきた。


魔物はアガサたち怪我人を無視してリフィアとジンスケのほうへと向かってきた。


その姿を目にした瞬間、リフィアの顔色がさっと青ざめた。


「……サラマンダー。どうしてこんな階層に、最深域のS級魔物が……」


その声は震えていた。C級冒険者である彼女ですら、恐怖を押し殺せないでいる。


サラマンダーは悠然とこちらを睨みつけている。


「来るぞッ! 左右に散れ!」


ジンスケの叫びと同時に、リフィアは訓練された動きで左の茂みに跳び込んだ。その刹那、サラマンダーの喉奥から轟音とともに二発目のブレスが吐き出される。


空気が裂け、炎が地面を這うように爆進した。避け損なっていれば即死だった。


草と大地の焦げる匂いがたちこめた。


「リフィア殿、勝ち目はありそうか?」


リフィアは眉を寄せ、静かに首を振った。


「無理です。サラマンダーは、一度姿を現せば国がひとつ滅びるとまで言われたS級魔物……王都の大隊ですら全滅した記録があります。人が戦う相手ではありません」


ジンスケは瞬間的に自分が戦うことを考えた。


だが、この世界に転生した今の身体は、かつての剛力とは程遠い。細く未熟な手足、筋肉も剣をまともに振れるほどには発達していない。


そして武器は――


「ナマクラか……」


サラマンダーの目はしっかりと二人をとらえている。


あえて慎重にゆっくりと歩みを進めてくるのもやっかいだ、隙がない。


「詰んだか。。。」


愛刀の鬼丸綱吉があればと思っても、この異世界ではどうにもならない。


サラマンダーは大きな目でしっかりと二人を睨んだまま至近距離から三度目のブレスを噴き出そうとしている。


考えている暇はない。ダメでもなんでもやるしかないのだ。


「リフィア殿、その剣――借ります!」


リフィアが「え?」と驚く間もなく、ジンスケは彼女の腰から剣を引き抜いた。


ズルン、と鈍い音を立てて剣先が地面に落ちる。持ち上げるだけでも容易ではない。


まずい。 この少年の体は貧弱すぎて両腕にもほとんど筋肉がついていないのでリフィアの重たい両刃剣を支えるだけの力がないのだ。


持ち上げることもできないのでは抜刀術どころの騒ぎではない。


けれどもジンスケは慌てなかった。


火事場の馬鹿力。


人間は追い込まれて究極の命の危機に追い込まれれば普段では信じられないような力を出すことがあるのをジンスケは知っていた。


一振りだけでいい。


その一撃でサラマンダーを倒す。


「示現流しかないな。」


ジンスケはそう呟くと、全身の神経を静かに一点へと集中させていった。剣を構えるわけでもなく、ただ地面に突き立てたまま、心を空にする。


そして全ての思考を止めて精神を剣にだけ集中していく。


ジンスケは自分自身の体の奥底から体中にエネルギーが広がっていくのを感じる。


周囲の空気が凍りつくような静寂に包まれる。


ジンスケの瞳が、ほんのりと光を帯び始めた。内側から、気が漏れ出ている。


サラマンダーも何かを察知したのか、足取りを止め、わずかに頭を引いた。だが、すぐに再びこちらへと突進を再開する。


さらにジンスケへの距離をつめて大きく息を吸い込むように頭部を上へとふりかぶった。


ブレスが来る。


周囲に死の気配がたちこめる。


ジンスケは息を吸い込んだ。


それは深く、深く、肺の底を貫くような吸気。まるで時間すら巻き戻るような静謐の中で、彼はわずかに腰を落とし、鞘なき剣を下段に構えた。


――構えは「隼の居合」。


「示現流、奥義――」


彼の瞳が完全に白く輝く。己の生と死、動と静、全てを一点に収束させる。


雲耀うんよう一閃」


瞬間、視界からジンスケの姿がかき消えた。


サラマンダーの動体視力ですら、ジンスケの速度に反応できなかったのだ。


それは跳躍ではなかった。足場を割るような踏み込みで、地を穿つほどの加速を生み出し、風すらも置き去りにして一直線にサラマンダーの首元へと駆けたのだ。


風が遅れて吹き抜け、霧を裂き、火花が巻き起こる。


サラマンダーが頭を振り下ろすのとジンスケがそこへ到達するのが同時だった。


サラマンダーの口先に、白熱した光が集まる。


空気が震え、周囲の温度が一気に上昇する。


炎が生まれる前の気配――それはまるで、大地そのものが息を呑んだかのような沈黙だった。


その一瞬に、ジンスケはすべての力を振り絞って跳び込んだ。


「――ッ!」


呼吸すら忘れるほどの集中。

脳裏に浮かぶのは、かつて前世で見た“死”の直前の光景。


あの時、額に感じた刃の冷たさ。


それは、示現流の奥義にして自滅技 “一命一殺”。


構えもない、ためもない。あるのはただ、殺すという意志と、それを乗せた剣の“落下”だけ。


前世のジンスケが唯一、危うく命を落としかけた技。


その恐ろしい剣閃を、今の彼は模倣していた。


時間が止まる。


サラマンダーの喉奥から、火が生まれようとしている瞬間に、


ジンスケの剣が真上から、寸分の狂いもなく鼻先を叩き落とした。


ガゴンッ!!


爆音のような衝撃。


鉄を割るような音とともに、サラマンダーの上顎が凄まじい力で下へ押しつけられる。


まるで自分の炎を押し込むように、その鋭い牙が自らの下顎に深々と突き刺さった。


「ギギ……ッ!!」


サラマンダーが苦悶の声をあげると、閉じられた口の隙間から、熱気と光が漏れ出し、


“ブシュウウ…”と不気味な音とともに白煙が立ち昇る。


ブレスの圧力が内部に閉じ込められ、サラマンダーはもがくようにのたうち回った。


火球は吐き出せず、熱気は口腔内で暴れ、自分の火で自分を焼く――そんな姿だった。


しかし、それも長くは続かなかった。


獣の本能か、それとも魔物としての異常な執念か


サラマンダーはふらつきながらも再び立ち上がった。


「まだ…立つのか…!」


ジンスケが低く呟く。


サラマンダーの口は、すでに自らの牙で裂け、血のような体液が垂れ流れている。


だがその眼には恐怖の色も痛みもなく、ただ純粋な“殺意”だけが宿っていた。


そして、ズズッ…と音を立てながら、無理やり口を開き、再び息を吸い始める。


「……マジかよ……」


その瞬間、ジンスケは自分の両腕がもう上がらないことを悟った。


先ほどの一撃で、肉も筋も、もう動かない。


指先すら痺れ、握る感覚もない。


火事場の馬鹿力で人としての全てのエネルギーを使い果たしていた。


それでも、彼はその場を離れず、サラマンダーを睨みつけ続けた。


「やはり、このナマクラでは届かなかったか。無念だが――これまでか」


火球を前にしても逃げずに立ち尽くすジンスケの背中を見て、


リフィアはただ呆然としていた。


(何を……今の技はいったい……?)


本能が告げる。これは――今度こそ、本当に終わる。


サラマンダーが、口を大きく開き、最後の火球を飲み込み、咆哮とともに吐き出そうとした。


ジンスケとリフィアは、反射的に身構えた。


ブレスがくる。これが“終わり”だ。


だがその瞬間、奇妙なことが起きた。


振りかぶったサラマンダーの頭が、そのままピタリと止まったのだ。


大きく開かれた顎は、炎を吐き出す直前の緊張感を湛えたまま、まるで石像のように静止していた。


「……え?」


リフィアが小さく漏らす。


その目はまだ戦慄の色を残していたが、次第に困惑へと変わっていく。


彼女はジンスケの方に顔を向けて、驚いた声で問いかけた。


「ジンスケ様……まさか、サラマンダーを倒したのですか?」


しかし、ジンスケは首を横に振った。呼吸も荒く、膝に手をついて立っているのがやっとだった。


「……いや。拙者の剣では、倒すどころか……止めることも……叶わなかった……」


剣を振るった直後の反動と、気の張りつめが一気に緩んだことで、彼の身体は鉛のように重くなっていた。


両腕はもう、感覚がない。


「それでは、サラマンダーはどうして……?」


リフィアの声は震えていた。答えを求めつつも、自分自身が信じられずにいる。


ジンスケにも分からなかった。


あれほどの殺意と、エネルギーをたぎらせていたサラマンダーがまるで時間が止まったかのように、静止している。


その口からは、先ほどまでブスブスと音を立てていた熱気の噴出も止まり、代わりに静寂が、空間を支配していた。


そして。


「……ん? 光ってる……?」


リフィアが眉をひそめる。


サラマンダーの全身が、白く、淡い光に包まれ始めていた。


よく見ると、それは“熱”ではなく、逆に“冷気”のように見える。


ジンスケが目を凝らすと、白い霧のようなものがサラマンダーの皮膚から立ち上っていた。


「まさか……凍っているのか……?」


リフィアが息を呑んで呟いた。


数秒もしないうちに、サラマンダーの赤黒い鱗は淡い銀白色に染まり、その巨大な体は、音もなく、完全に氷の彫像と化していた。


辺りの空気も、ひんやりと冷え始め、吹く風が肌を刺すように冷たい。


静寂が戻る。


そして、その彫像の背後から、一人の人物がゆっくりと現れた。


「サラマンダーの顎を刀一本で叩き落とす人間なんて、初めて見ましたよ。いやあ……見事でした」


声は、どこかとぼけたような響きを持ち、場の空気と奇妙なギャップがあった。


その人物は、全身を白いローブのような衣で包み、銀色の髪を緩くまとめている。


肌は透けるように白く、瞳は淡い紫。どこか人間離れした雰囲気をまとっていた。


ジンスケは、体が自然と動いていた。


重い身体を膝から折って、深々と頭を垂れる。


「貴殿が……あの魔物を倒してくださったのか。命拾いした……かたじけない」


するとその人物は首を横に振り、朗らかに言った。


「いえいえ。礼を言われるようなことではありません。私はたまたま、通りがかっただけですからね」


口調こそ軽いが、先ほどまでここを支配していた殺気と熱気が、彼の登場で一気に霧散していた。


まるで“自然にそうなった”かのように――。


「それにしても、サラマンダーなんて何百年ぶりに見ましたよ。あんなの、まだいたんですねぇ」


ジンスケの後ろから、リフィアが前へ出てきた。目を丸くして、その人物を見つめる。


「……もしかして……アポフィス様では……ありませんか? お久しぶりです。ザカトのリフィアです」


アポフィスは首を傾げた。


「ん? 誰だっけ?」


「十年ほど前、ダンジョン探索のときにポーションを分けていただいたリフィアです」


「うーん……ああ、そんなこともあったかな? ごめん、忘れちゃった」


リフィアは苦笑しつつ、ジンスケの方を向いて言った。


「この方こそ、お目当ての――ゼブレの前ギルド長、アポフィス様です」


「ハーフエルフの中でも、最古参の一人で……誰よりも博識なお方です」


ジンスケは呆然としたまま、アポフィスを見上げていた。


どうやら、ゼブレの町に向かうまでもなく、


旅の途中で“探し人”と、出会ってしまったらしい。



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