100.シェイガリーブ横丁
教会を離れて町に出るのは久しぶりだった。
アイリーンは長い青髪をおろして、いつもの水色のドレスを身に纏っていた。
修道士に頼んで買ってきてもらった赤髪のウィッグをつけたジンスケを見て思ったのだ。
「…まったく……この人は……」
端正な顔だちのジンスケは赤髪のロングヘアのウィッグを被せると、すっかり女の子のようだった。
だからと言って目立たないかと言えば、そんなことは全然なかった。
"なんて可愛らしい天使のような美少女なんでしょう"
アイリーンは思わず抱きしめたくなる気持ちをようやっと、なんとか抑え込んだ。
女の子に変身させても、こんなに心を惹きつけられてしまうのか。。。
これではこれで人目を惹かずにはいられないだろう。
二人で町を歩くと誰もが振り返って二度見している。
噂の『神の子』だと思って振り返って見ているのか、『なんと天使のようにかわいいお嬢さんなんだ』と思って見ているのかは定かではない。
いずれにしても注目を集めていることに変わりはなかった。
目的地のシェイガリーブ横丁は随分と町はずれの町の西端あたりにある細長い路地だった。
石畳は苔むし、両脇には木造の粗末な建物が連なっている。
掲げられた看板には見慣れない文字が踊り、これも耳慣れない旋律がどこからか漂ってきたりする。
レイネールに着く前に寄ったタジールという村で「レイネールにはシェイガリーブ横丁という変わった料理に出会える場所がある」と噂に聞いたのだ。
どの店も同じような粗末な佇まいで看板を見ても何の店なのかすら判然としない。
ジンスケとアイリーンはしばらく首を傾げていたが、こうしていても仕方がないと、思い切って読めない文字の看板を掲げている一軒の店のドアを開けて入った。
店内では小さな火鉢が置かれ、細い棒が炭火の上でくるくると回っている。
「これは串焼き……?」ジンスケが思わず呟いた。
店主らしい派手な簪をつけた女が得意気に胸を張った。
「ただの串じゃないわ。魔豚・バークホッグの喉笛よ。滅多に入らない部位だからね。一夜干しにしたあと一か月薫製してあるの。歯ごたえがねえ~」
「一か月?!」アイリーンが素っ頓狂な声を上げる。「保存魔法も使わず? 正気? 腐ってない?」
店主は指を立てた。「味と食感の決め手はフォルティア産の蜂蜜よ。ほら、試食してみて」
噛み締めるとパリパリとした食感のあとに確かに熟成臭が広がり、奥に蜂蜜の甘味がある。ジンスケが思わず感嘆の吐息を漏らす。
「バークホッグもこんなに美味くなるんですね」
喉笛だけなので血抜きしていなくても魔物臭も気にならなかった。
「この料理はこの店だけのオリジナルメニューなのですか?」
店主は自慢そうに頷いた。
「まあそういうことだね。考案者はレンジーブルーという人なんだけどね、その人から教わって串焼きはうちだけが出している特別メニューだよ」
「っていうか、うちで出してるのはこれだけなんだけどね」
ジンスケはこの世界に来て初めて『料理』と思えるものを食べた気がした。
確かにザカトの町のノラの宿屋で食べた一角ウサギのステーキも美味かったし、インフルアに来てからは色々な美味い野菜料理にも出会った。
けれどもそれらはどれも素材を焼くか煮るか、そういうシンプルな物だった。
バークホッグの部位、喉笛だけを取り出して、それを一夜干し、さらに燻製。そして表面には蜂蜜を塗ってから串刺しにして炭火で焼く。
なんと手の込んだ料理なのだろう。
この世界の人間たちは食に対する興味というものがほとんど感じられなかった、それなのにこの路地だけには異世界が広がっているような気持ちになる。
ジンスケは笑顔の店主に聞いてみた。
「実は噂で『シェイガリーブ横丁では変わったものが食べられる』と聞いてわざわざやって来たのです」
「失礼ですが、こちら以外でも変わった料理を出す店があるのでしょうか?」
店主は赤髪の美少女が可愛らしくて仕方がないという風情でニコニコと笑いながら答えてくれた。
「実はうち以外にも四軒、レンジーブルーさんから教わった料理を売っている店があるんだ、まあそれ以外は普通かなあ」
アイリーンが横から訊いた。
「そのレンジーブルーという方ご自身は店は出されていないのですか?」
店主は笑って答えた。
「レンジーブルーさんは商売人じゃないからね、それにもうこのレイネールの町にはいないと思うよ」
ジンスケが首を捻って尋ねた。
「商売人でもないのに、こんな料理のメニューをご主人に伝授されたと?」
店主はジンスケがよっぽど可愛いのだろう、しゃがんで目線を合わせると詳しく話してくれた。
レンジーブルーがこのシェイガリーブ横丁にやって来たのは今から約20年ほど前。
その頃はまだインフルアとプロスペリタやフォルティアとの交易が盛んになる以前で、インフルアは貧困にあえいでいるような時代だった。
正式な交易はされていなかったが、地理的な背景もあって密輸に近いような感じで各国から様々な人間が様々な物品を持ち寄りレイネールでは闇市のような市があちこちにあって怪しい取引がされていた。
中でもシェイガリーブ横丁は誰も相手にしないような怪しげな物品が多く扱われているカルトな場所と思われていた時代だ。
そこにレンジーブルーという者がある日現れて、誰も見たことも聞いたこともないような料理を作り始めた、もちろん自分で食べるために。
彼女が作る料理は素材からしてそもそもが普通はあまり取り扱われないような物ばかりだったので、彼女にとってはシェイガリーブ横丁はそういう素材が手に入りやすい都合のいい場所だったのだろう。
レンジーブルーが求める素材にはシェイガリーブ横丁でも手に入らない物も多くあった。
レンジーブルーはそういう素材の情報を聞きつけると旅に出て、その素材を手に入れてはシェイガリーブ横丁に戻ってきて料理をした。
最初は誰も相手にしていなかった。
変な物を食べる変な女がいる。ただそれだけのことだ。
だけど毎日見ていると気になってくる。
そりゃあそうだ、たかが物を食うってだけのことなのに、まるで男とやってる時みたいに至福の顔をしているんだから。
そのうちにどうしても気になって、ちょっと自分に食べさせてくれないかという者が出てきた。
レンジーブルーは大層喜んでね、いくらでもタダで食べさせてくれた。
まあ変な味の食べなれない料理だったけどね。
だけどその頃はみんな貧しかった。
どんなに変な味の食べ物だってタダで食べさせてくれるなら、こんなにありがたいことはない。
レンジーブルーのうちには5人か6人くらいの者がいつの間にか居ついてタダ飯しを食うようになってた。
そのうちの一人が私だ。
何年かしてレンジーブルーが旅に出ることになった。
なんでも、以前からレンジーブルーがどうしても手に入れたい食材があって、それがそこでしか入手できないので、その場所に移住するっていうようなことだった。
その前にレンジーブルーが下見に出かけて一か月ほど帰ってこなかった。
その時に初めて、みんな気づいたんだ。
自分たちはすっかりレンジーブルーの食事に慣らされちまったってことに。
誰も以前の食事では満足できなくなっていた。
レンジーブルーのメニュー以外の食べ物なんて砂を噛んでいるようにしか感じられない。
それで誰もが思ったんだ。 レンジーブルーが本当にいなくなったら大変だと。
それでレンジーブルーが下見から戻ってきた時に全員でレンジーブルーに頼んだんだ。
行かないでくれって。
でもレンジーブルーの決心は固くてダメだった。
その代わりにレンジーブルーは私たちそれぞれに彼女のレシピを教えてくれた。
彼女のレシピはどれも繊細で面倒くさくて大変だったけど、そんなこと言っちゃいられないよ。
みんな必死だった。 それぞれに別々のレシピをいくつか教えてもらった。
私のは特に面倒くさいんで一つだけだったけどね。
そしてレンジーブルーは旅に出た。
残された私たちはレンジーブルーから教わったメニューでそれぞれ店を出した。
まあ客はほとんどいないがね。
そりゃあそうだ、レンジーブルーのメニューはどれも変わってるからね。
わざわざ、そんな物を選んで買って食べようなんて客はそんなにはいないよ。
だけど別に構わないんだ、私たちの一番の目的はそれぞれ作ったものをみんなで分け合って自分たちで食べる事だからね。
ほとんど商売にはならないけれど、別にいいんだ。
レンジーブルーが旅に出る時に『今まで研究につきあってくれたお礼だ』と言って、結構な額の餞別をそれぞれに残していってくれたからね。
あまり大きな声では言えないけれど、慎ましやかに暮らしていくだけなら一生困らないような額の餞別だったよ。
話を聞き終わってジンスケは感心したように言った。
「そのレンジーブルーという御仁はかなりの大金持ちだったのですね」
主人は頷いて言った。
「まあそうだろうね。エルフの魔導士だから」
ジンスケとアイリーンは驚いて、ほぼ同時に言った。
「えっ、レンジーブルーはエルフだったんですか?」
主人は微笑しながら答えた。
「そうだよ。エルフは変ってるからね、だから変な食事とかしてても誰も気にしなかったんだ」
「時々、滅多には手に入らないような宝珠とかを売ったりしていたから、金には困らなかった筈だ」
「まあエルフと言えば大金持ちって相場が決まってるからね」
エルフの魔導士がこんな場所で市井に溶け込んでいたとは信じられないような話だった。
こうなったら、他の店も残らず行ってみないわけにはいかない。
ジンスケは主人にレンジーブルーの弟子たちの店を教えてもらった。
いつもご愛読ありがとうございます。
励みになりますので、よろしければ評価【☆☆☆☆☆】をよろしくお願いします!




