『虹彩の檻に、君を閉じ込める』 ――狂愛の皇子と祝福の花嫁(にじひめ前日譚)
この物語は、執筆中の本編『虹彩の姫君と誓いの王子』へと繋がる“序章”です。
本編の主人公である少女・アストリア。
彼女がまだ名も与えられぬ幼き日、兄・エルディアスの前に“花嫁”として差し出された日から、すべてが始まりました。
帝国を支配する〈虹色の魔眼〉の血。
その宿命に囚われた兄妹が歩む、祝福と呪縛の物語。
本作は、彼女と兄の「最初の出会い」と、その歪んだ運命の始まりを描いた短編です。
※本編完成後は、『にじひめ』本編に統合・再編集される予定です。
七歳年下の異母妹。
銀のゆりかごに包まれたその赤子は、まるで神像のようだった。
沈黙に包まれた玉座の間で、父帝の声が響く。
「神がもう一つの虹を授け給うた。アストリア──これは、お前に与えられた花嫁だ」
その言葉に、誰もが息を呑んだ。
だが、唯一、俺だけがその意味を理解していた。
俺はオルテリオン帝国の皇太子。
ヴァリオンド家の嫡子として、帝位継承権を持つ“虹の魔眼”の保持者。
ヴァリオンド家──それは、数百年前に帝国を築いた始祖、カイラス・ヴァリオンドの血を継ぐ一族。
精霊の民との強制的な交配により“金眼と銀髪”を獲得し、以降は近親交配によりその血を濃く繋いできた、いわば“神の遺伝子”を守る宗家だ。
この国の支配構造は、ただ一つの特権によって成り立っている。
――魔眼。
虹色に光るその瞳は、記憶や感情を読み、操り、縫いとめる。
民衆を統べる「支配の魔術」
ヴァリオンド家の皇子・皇女は、生まれつきこの力を宿すことで、帝国支配の正統性を持つ。
中でも“虹彩の魔眼”は、数世代に一人だけ生まれる希少な特質だ。
魔眼の色層が七つ全て揃い、完全に開花したとき、その者は「神の器」として国家そのものの象徴となる。
俺は、その器だった。
いや、そう思っていた。
けれど、あの赤子を見た瞬間、俺の中の“唯一”が揺らいだ。
――もう一つの虹。
彼女の奥底には確かに、俺と同じ“光”があった。
神は俺に贈ったのだ。
“対”となる器を。
孤独な支配者に与えられた、ただ一つの花嫁を。
その日から、俺の中に芽吹いた衝動は、決して枯れることがなかった。
**
アストリア・ヴァリオンド。
その名が帝国に記録されたその日から、彼女は徹底して管理された。
幼少期、彼女は“神の器”として、儀礼区画の奥に隔離された。
接触できるのは祝祷官と霊導師のみ。
外界を知ることも、感情を育てることも禁じられた。
父帝は言った。
「心を持たせるな。感情は器にひびを入れる。あれは“祈りを受ける像”であれ」
それが、帝国の方針だった。
俺は、何度も彼女に会わせろと直訴した。
だが許されたのは、命名式を除けば、三年後の“接触解禁”の儀だけだった。
その日、彼女は三歳になっていた。
玉座の前に並び立ったアストリアは、静かだった。
精霊のように銀の髪を垂らし、白磁の肌に金の瞳。
その姿はまるで、始祖の肖像画から抜け出たような美しさだった。
だが、その目には、何も宿っていなかった。
命令されれば頭を下げ、呼ばれれば膝を折る。
まるで、与えられた行動だけを反復する精巧な人形。
導官が、玉座前に立つ少女に囁く。
「陛下に、謁見の礼を」
アストリアは小さく頷き、教えられた通り、ゆっくりと顔を上げた。
視線の先、段差の上に立つ父帝。
そしてその傍ら――玉座の右手に控える、俺がいた。
その瞬間だった。
彼女の瞳が、ほんの一瞬だけ、こちらに向いた。
──揺れた。
波打つように、彼女の虹色の瞳が淡く光を放った。
まだ言葉を紡がぬ小さな唇が、わずかに震えた。
「……アストリア」
その名を、呼んだのは俺だった。
呼ばずにはいられなかった。
彼女は、もう一度、俺を見た気がした。
微かに、確かに、何かを感じ取ろうとするように。
それだけで、胸の奥が焼けるように熱を帯びた。
(やっと、俺の元に来た)
(やっと、“俺の器”が揃った)
そして、俺は命じた。
アストリアに触れるすべて――衣服、食事、侍女、教師、寝具の香まで。
一つ残らず、俺の監督下に置けと。
宮中の人間は皆、理解した。
彼女に触れるということは、俺の所有物に触れること──それを知らぬ者はいなかった。そして、俺の意に背いた者がどうなるかも、誰もがよく知っていた。
彼女が自由を知る前に、俺の名を知るように。
彼女が誰かの声に触れる前に、俺の声で満たすように。
彼女が、俺だけを世界だと思うように。
帝国の血は、神の呪いだ。
正しさとは、選べぬもの。愛もまた、歪んで継がれる。
それでも、俺はアストリアを愛する。
この手の中でしか、生かせないとしても。
アストリアは、俺の“花嫁”。
ヴァリオンド家が神に授けられた、最も純粋な器。
俺の手で完成させる。
俺の形で、俺だけのものとして。
それが、俺の愛だ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本作は、現在執筆中の長編『虹彩の姫君と誓いの王子』の前日譚として構想された、いわば“始まりの物語”です。
兄・エルディアスの執着。
妹・アストリアに注がれた「祝福」と「呪い」。
帝国という檻の中で、二人の運命は静かに狂い始めます。
本編では、成長したアストリアの視点から物語が進みます。
彼女は兄の執着という檻から抜け出し、初めて自分自身の未来を選ぼうとする。
その選択が導く結末とは――
結末までのプロットは既に完成しておりますが、エルディアスと結ばれるもう一つの結末(別エンディング)を加えるか、現在検討中です。
長めになりそうなので公開時期は未定です。
※本編完成後には、本作は削除又は本編に再統合・改稿予定です。