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忘れてはならない

Q.家に来たら、知り合いが首を括っていたら? 


 A.涙目になりながら蘇生を試みます。




『しっかりしなさいよ、アンタ! 帰って来なさい!』




 いや本当にセイに申し訳ないと思ってる。


 ことの発端はいつものように起きて朝飯を食べていたら死にたくなったので首を括ってみたのだが、まあ死ねなかったし、椅子を蹴飛ばしたので縄を切ることも出来ずに暫くプラプラと揺れていたが暇になったので寝てしまった。


 次に起きたら泣きながら蘇生を試みるセイというとても言い出しにくい状態。




「そこは死んでおけよ、人として………」




 今更ながらに酷い状態が過ぎる。昔っから、体だけは丈夫だった。それこそ、バス事故に巻き込まれて崖から落とされても死なないくらいに。首を括ってるのを見たセイは持ってきた夏休み課題の鞄を玄関に落とし、靴を履いたまま焦燥に駆られて助けようとしているのだから。




 しかしながら、心臓マッサージも迅速に仲間達に連絡を取る段取りも手慣れている。流石は医者の娘だと評価したい。蘇生されてる俺が言うのもなんだけど。




「………ぐう」




 あ、俺が立てたいびきにセイが固まった。


 そのまま、彼女はふっと笑った後に人のキッチンからフライパンを取り出して、




「………心配かけさてんじゃないわよ、ばかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」




 い、行ったぁああ!! フライパンを問答無用で叩きつけたぁああああ!! 道理でフライパンが壊れて、泣く泣く、セイと買いに行ったわけだ。漸く納得がいったよ。




「ん? おう、セイ! 来るの早いな! 腹減ったから何か食いにいかね?」




 そして、叩かれた過去をなぞる言葉から感じるあまりの軽さに、セイの米神に青筋が輝き、問答無用の右ビンタが炸裂。特段痛みもないので、過去の俺は不思議そうな顔のままだ。




「なんで、アンタ自殺未遂なんてしたのよ!? 命をなんだと思ってんの!?」


「え、命は命だろ。生きる上で大切なやつ。普通に考えたら分かるだろ?」


「じゃあ、なんでこんな事したのよ! 馬鹿なの? 馬鹿だったわね! アンタが死んだら悲しむ人がどれだけいると思ってんの!?」


「別に八咫烏メンバーがな悲しむくらいだ。それ以上でも以下でもないだろ」


 当時の俺は、セイが焦る理由が本当に分からなかったのだから。


「セイが死んだら、お前の家族に学校の友人にあの幼馴染も泣くだろ? でも俺には家族がいない。むしろ、死んでせいせいしたって言われるのが関の山だろ」


「アンタ、本気で言ってんの………?」




 淡々と自分の考えを普段通りに告げる俺にセイの顔がどんどん曇っていくのが分かる。声は震えているのに、それでも聞いてくれている彼女はなんて優しいのか。




「誰かが死んで泣いてくれるのはそいつが本当に愛されていたからだ。少なくとも普通の人は自分を産んで育ててくれた家族や親戚くらいなら、泣いてくれる」




 それに対して俺は歪んでいた。生まれた時からずっと考えていた事だったとはいえ、彼女に告げるような事ではない。俺は両親の顔も名前も何も知らない。自分の名前すらなかったくらいだ。恐らくは望まれて生まれた事ではない事だけが分かったくらいには。




「俺を愛してくれる人は誰もいない。だって生まれを望まれなかったんだから」


「それを、誰かに………言われたの?」


「言われたよ。だから抗った。何かの結果を出せれば誰かに愛してもらえると。受け入れてもらえるって。あらゆることに挑戦したよ。お前が知ってるみたいに中学陸上で全国の舞台に立って、推薦の連絡が来ても………父親が断った。理由はこうだ。『生まれた事に意味がない奴が幸せをつかむなんて許さない』だとさ」




 挑戦して、努力して、それでも生まれが足を引っ張るなら、そもそも生まれたことが間違いだったのだ。将来ってのは生まれで全てが決まる。それが俺がこんな世界で理解した唯一真理だった。




「俺も受け入れて仕舞えばよかったんだ、最初から。生まれが間違った俺はここで永遠に燻ぶったまま、死ぬのが望まれているらしい」


「わかった。アンタ、私が知る中で世界一の馬鹿だわ」




 俺の告白を受けて、彼女はただ直球に言葉をぶつけてきた。は?と言葉を続ける前にセイは疲れたように笑って。




「私はね、兄貴の代替品なのよ。心臓が弱い、兄貴のね」


「心臓の代替品って………そんなことしたら、お前は死ぬ為に生まれたってことだろ」


「そ。兄貴のドナーとして望まれて生まれてきた。どう? アンタが言う、生まれを望まれていたとしても私の人生は不自由そのものよ。パルクールもこんな世界から逃げたくて始めたの。なのに結局逃げられない。私の人生、何だったんだろ」




 初めて聞いた彼女の抱えるものにかける言葉が見つからず、口にしようとして言葉に詰まる。それでも納得なんてできなかった。だって彼女のおかげで俺はまた新しいことに挑戦し始めたのだから。




「お前も馬鹿だろ。勉強ばかりして、気づいてないのか?」


「何に?」 


「お前は──俺たちに生きがいを与えてくれただろ?」




 そんな事を言った彼女を………俺は抱き寄せた。


 俺の肩に顔を埋めていた彼女の表情が、今なら分かる。




「地面に這いつくばって、何とか死ぬことをやめてどう生きようかを模索していたあいつ等に生き甲斐を、心臓を与えてくれたのはセイだった。だからさ………笑ってくれよ、俺たちの一番星」




 彼女は困ったように笑っているが、その瞳には僅かに涙が滲んでいて。




「馬鹿ね。頑張ったのはアンタたちじゃないでも、ありがとね」




 腕から離れた彼女のまばゆく夜空を照らすような笑い方に、ただ見惚れていた。彼女がただの真面目ないい子ちゃんなら、俺はきっと──ここまで好きにはならなかったのに。




 安寧の日々は、気づいた時には終わっていた。




「世界の切符手に入れたからって、こんな朝早くやる必要あんの?」


「バーカ。私達、日本人と外人じゃ身体能力に差があんのは当然。誰もがアンタみたいな人造人間並みの身体能力持ってるわけじゃないの! 最後は積み上げた努力が、夢を掴むのよ」




 シームレスに世界が切り替わる。鉛色の空が重く垂れ込む中で、世界への切符を手に入れたセイがいつもの練習場でウォームアップをしている。付き合わされた俺は、彼女をぼんやりと眺めながら、この世界を見て、血の気が引いた。


 すぐにでもここから彼女を連れて行かないといけないのに体が今まで通りに動かない。悪夢の終わりは揺るがないと鷲宮が囁くように。叫ぼうにも言葉にならず、ただ過去の俺の言葉をなぞるだけだ。




「なあ、セイ。俺は………これからどうしたらいい?」




 触っていた携帯のホームが映る。そこにあるのは自分が、トロフィーを持って仲間達と笑っている姿。パルクール、スピードスタイル優勝。日本の頂上に立った、その証。




「何、情けない声出してんの。アンタの好きにしたらいいじゃない」


「パルクール、お前から学ぶってなった時は興味本位でしかなかったんだ………けど、今じゃあ楽しくてしょうがない。だからこそ、考えるんだよ」


「どうして、俺は不良なんて馬鹿な事してたかって? 後悔するなら最初からやらなきゃいいのに」


「後悔………なんて感情が出てくるなんて思わなかったしな。八咫烏も今じゃただのパルクール集団だ。不良よりも魅せる動きの方がかっこいい!って馬鹿達もハマって気づいたら、ネットで話題になってるし」


「ルリの看板効果とタカの宣伝が上手かったからでしょ。つか、アンタ重たいのよ。煙草もやめて、真面目にやって来たからその結果があるんでしょうが。少なくとも私はアンタの努力を知ってるわ」




 やめて欲しかった。彼女からそんな言葉をかけられる事も、練習施設の前でウォームアップする彼女の事も。気付けば何度も手を伸ばしていた。星空に手を伸ばしても何も掴めないと知っていても、何度でも届くように願いながら。




「アンタの体が特別だとしても、アンタが今までやってきた事自体は普通で当然の事。だけど、途方もない普通を重ねて、アンタは漸く星に手が届いた。たった、それだけ。私はアンタを受け入れるわよ」




 頼むからやめてくれ、セイ。俺はお前が思うような生き方をしていなかった。不良が心を入れ替えた美談は、褒められるのは当然ではないんだ。


 このままお前は、施設に向けて走り出す。いつものようにコースを走って、過去の俺はただそれを眺めているだけだ。


 そして、セイはある鉄パイプを握った瞬間、パイプが外れて地面に落下する。


 走り出した俺が伸ばした手は彼女に届かず、無慈悲に彼女は地面に叩きつけられて──それから5年間眠り続けている。




「それでも不安なら約束しましょうか」


「約束?」


「私とアンタ、どっちが先に世界の頂上に立って………私たちみたいな子たちをより多く勇気づけられるか。人生をかけた勝負よ」


「随分と長い勝負だな。他の条件は?」


「何があっても死ぬなんて、簡単な逃げ道を使わないこと。逃げてもいいから、一息ついたらまた、立ち向かうこと。それを踏まえていい? 約束よ! タイムお願い!」




 今なお、俺を縛る夢を約束した走り出す彼女に声にならない悲鳴をあげたまま、ようやく自由になった俺も走り出す。




「ダメだ、行かないでくれ………」




 あの頃から何も変わっていない俺じゃあ、彼女の先頭の景色に間に合わない。追いつけない。




「頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む!! 神様がいるなら、俺のことを殺してくれていい! だから彼女の未来を、自由を奪わないでくれ!! これ以上、彼女を──」




 ずっとずっと願っていた。もしあの日に戻れたなら、自分が代わりに頭を打ち付けてでも彼女を庇うと思っていたのに。




「あっ」




 だけど、神様も運命も人間の願いをせせら笑う。


 パイプが抜けて、バランスを崩した彼女の顔が恐慌に染まり、僅かに安堵する。


 その瞳には走っていた過去の俺が写っていたから。




「ダメだ………セイ。そんな目で俺を見ないでくれ。間に合わないんだ。お前が思うような未来は俺じゃあ無理なんだ!! やだやだやだやめてくれ! お願いだ、頼む!! やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」




 間に合った筈なのに、現在の俺でさえもうすり抜けた手を見て、分かっている結末を迎えるセイをただ泣きながら喚き散らして、見てるしかなかった。




「ああああァァァァ………」




 いつしか喉は嗄れ、鼻の奥に痛いぐらいの苦みがあって、叩きつけられた彼女の体を見たくなくて蹲っていた。頭を床に擦り付けて、赦しを乞う。誰に頼めばいいのかわからないから、神に祈った。知っている全ての神の名を浮かべて、祈った。


 これが自分が生まれた事でもたらされた罰なら、どうか彼女だけは許してほしい。祈りも願いも足りないならこの命すら使い切るから。




「お願いだから………彼女を明るい世界に返してあげてくれ………俺たちの星なんだ。ずっと空で輝くべき一番星なんだ………」




 涙声で懇願しても何も変わらないと言うのに、ただ蹲ってる自分の情けなさは見てられない。


 でもそれで彼女が生きるなら、俺は裸で土下座でも闇金に臓器を売り払っても、総理大臣に殴りかかってもいい。




「初めて………好きになったんだ。だから、彼女には幸せになってほしい………それだけなのに」




 今でもお前は俺たちにとって星なんだ。


 ルリはセイから夢を継いでパルクールで世界王者を目指そうとして、タカは三羽鴉としてパルクールチームを作り、スポンサーと日々、交渉しているのだ。


 俺は、お前に何もしてやれない。お前の夢を奪った俺にお前と同じ夢を見ることすら烏滸がましい。だから自らを歯車にした。


 いつか、摩耗して擦り切れるまで悪い生き方しか出来なかった自分を削っていく正しい生き方を──




「そうだよな。知ってる」




 声が、した。思わず顔を上げた先には自分が笑っていて、




「お前が──アイツから未来を奪った癖に生きてるところを」




 眼球が液体のように溢れていて、昏い深海の底のような穴が覗いている。手足は最早意味を成さない方向に曲がっていて、滴る血が俺の顔に落ちていた。




「教えてくれよ、何で真面目に生きて来たアイツが死んで! ふざけて生きてきた俺が生きてるのか! 正しく生きた彼女は不幸になって、俺は幸福のままなのか! ねえ、何で? 何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で?」


「セイと出会ってしまったからだろうな」




 滴る液体が、鉄の匂いを撒き散らし、胸元まで登ってきている。跪いたままの俺が漏らした言葉を肯定するように、目の前の俺は曲がった両手を俺の首に添えて。




「違う。お前はまた逃げたんだ、現実から。一回目は理不尽から、二回目は彼女から」


「──やめろ、だとしてもお前には関係ない」


「最初からお前は諦観のまま生きていた。それを逃避と呼ばずになんて言う?」




 次の瞬間、左手の手首から上が根こそぎもぎ取られていた。荒く雑な切り口から血が噴出し、青緑の血管が傷口から垂れ下がる。だが、白熱しそうな痛みのシグナルよりも安堵が勝った。くちゃくちゃと食事を愉しむような彼の態度。焼いた鉄を押し付けられたような感覚など頭の隅に置いた。




 哀れで無様に情けなく、彼女に喰われて死ぬ為に。




 何もおかしな事はない。生まれるべきでなかった命が消えるだけだ。タカやルリは悲しむかもしれないが、こればかりは譲るわけにはいかない。口が開かれる。胃の中すら見えそうな大口にはヤスリのような牙が夥しく並んでいて。楽に死なせてはくれないようだ。




 じわと、込み上げるもので視界がぼやけた。悲しくて泣いていたわけじゃない、情けなくて涙が出た。




「仕方、ないだろ………逃げずに立ち向かっても傷つくだけ。誰も俺を受け入れてくれなかった。八咫烏も解散した、セイもいない。誰が俺を受け入れてくれる? こんな俺を、誰が」




 ずっと隠していた本音がこぼれる。ただ居場所が欲しかった。生まれから否定された俺でも生きていいと言ってくれる誰かが。




 『ずっと欲しかったんでしょ? アンタ、約束忘れたの?』




 背後から、鈴の音と共に世界が切り替わった。

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