読まれない世界を愛でよう
書き手の文章はついに読まれずに消えていった。
人が消費すべきコンテンツの量は指数関数的に増え、常に脳が許容する範囲を超えている。人は常に致死量ぎりぎりの薬を飲み続ける。
壇上に上がる前、書き手はこのことに気を付けなければならなかった。すなわち読み手はほぼ気絶しながらコンテンツを見ていることに。それは彼がここに来るまでの経験によるものだった。・・・
彼は電車に乗車していた。その時、目に留まったものがあった。前に座する女性のスマートフォンの画面が、彼の眼前に鮮やかに映し出されたのだ。
女性はTikTokとInstagramとTwitterを三十秒ごとに巡るように眺めていた。ストーリーとトークの消費が進むにつれてその回転は益々速くなった。やがてそれは、3秒ごとの回転となった。だが、回転はさらに加速する。その速度は、もはやコンマの領域に突入したのだ。それでもなお、その加速は留まることを知らなかった・・・
そこには、女性の意思の介在する余地など、微塵もなかった。サーバーから送られる脳内麻薬物質がレーザー光線のように彼女の目に突き刺さる。快楽と絶妙なる不足に駆られ、女性の指は無意識のうちに動き続けていた。
ただ女性の脳裏には、ある宇宙原理とも言うべきものが潜んでいるような気がした。女性の認識世界は各メディアで刹那に死滅し、高速で転生を繰り返しているのかもしれないと思った。ともすると女性は数秒間で六界のうち三界を経験していた。すなわち畜生道、餓鬼道、地獄道である。
ふと後ろを振り返ると、窓辺には羽衣を纏った天人の姿があった。再び前を向くと、窓に映し出されたのは、白目をむいた女性の姿であった。・・・
書き手は、この瞬間から読み手を疑念の目で見るようになった。読み手は気絶しているのである。
書き手は気絶しながら読める最大文字数は150文字であると知っている。
150文字は浴びることができるか、3秒で消費出来るかのちょうど分岐点だ。
長い文章は読まれないのである。
読まれると思っているのであればそれは驕りだと書き手は気付いた。長ければ長いほど、丹念に作れば作るほど読者は存在しないのだ。書き手は腋窩から汗が流れでるのに気付いた。・・・
では読み手に期待できなくなった以上、文章は誰のためにあるのか?書き手は思った。それは紛れもなく書き手自身である。
書き手は、ある真理に到達した。ならば徹底的に読まれるはずのない文章を書き、自らのロジックや言葉選びに酔い、読まれもしないでつくいいねの空虚感を愉しむ事。世の中に自分の文章が分かるものはいないはず(なぜなら読まれないからだ!)だという奢りと自己陶酔感が必要な心掛けだと気づいた。
書き手は壇上に上がった。目の前の聴衆を一瞥した後、一人でに喋り始めた。その眼差しと無視は、侮蔑そのものであった。読み手が書き手に与える最大の辱め、すなわち読まないということに対する、書き手からの応酬であった。書き手にとって文章とは自らの独白に他ならず、聴衆は刺身のつまのようなつきものになった。・・・
家に着くと、やりきれなくなった書き手は日本酒を一気飲みして、気絶した。