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④答え

「相宮先生さよなら〜」


「はい、さようなら」


「相宮くん」


 授業が終わり職員室へ向かう途中、肩を叩かれ振り返ると、控えめながらきちんとメイクされた目元に、口角のキュッと上がった艶やかな唇が印象的な二年先輩の教師が立っていた。胸元まである真っ直ぐで清楚感溢れる髪も、耳元で揺れる小ぶりなピアスも全てが完璧におさまっていて、生徒達の憧れの的だ。


松井(まつい)先生、お疲れ様です」


「お疲れ様。どう? 一年生は。そろそろ慣れて色々問題が出てくる頃でしょ」


「段々生意気になってきましたね」


「そうよねぇ。でもまだ可愛いもんでしょ。三年生を持つのは二回目だけどなかなか難しいわ。それでね、古賀さんのことでちょっと話したいの」


「あぁ、ですよね」


 松井はリサの担任だ。難しい生徒ナンバーワンだろう。


「進路希望調査票がまだ出てないの。今週は遅刻はしてるけどちゃんと来てるし話しはしたけど……あれじゃ三者面談まで間に合わないわよ」


「三者面談、父親が来るとも思えませんけど」


「そうなのよねえ……一度電話はしたの。進学ならお金は出すからって。ずっとあんな感じなの?」


「はい。彼女の生活費も学費も全て負担はしてくれるんですが関わることはないです。進路のことは俺から本人に話しておきますよ」


 そう言うと松井は軽く息を吐いた。一本一本丁寧に上げられてるであろう睫毛を見て、リサの生まれながらに上を向いた長い睫毛とは全然違うな、と思っていると軽く睨まれた。


「親戚でもないのにあなたも大変ね。わたしの飲みにもそろそろ付き合って」


「……是非」


 頷くと松井は微笑み職員室へ入った。


 親戚でもない。その通りだ。でもリサの父親だってリサと血は繋がっていない。それどころか幼い頃から戸籍上家族というだけで他人同然だった。リサの父親ーー信之(のぶゆき)の何を考えているのか掴めない顔が浮かぶ。全く関わらないがリサの金遣いがどれだけ荒くても咎めることはなくマメにお金はリサの口座に振り込まれる。今は新しい奥さんとの間に幼い子供もいるはずだがそれは変わらなかった。


「相宮センセ」


 振り向くとリサが立っていた。


「……古賀」


「何話してたの? 松井と」


 顔を少し伏せたリサの大きな目がじっとこちらを向く。


「松井先生、だろ」


「苦手なの、あの人」


「良い先生じゃねえか」


「ほんと分かってない、仁くんって」


「名前で呼ぶな。お前のこと心配してたぞ」


「自分の仕事の心配」


「結果的にお前のためになりゃいいだろ。教師も人間なんだ」


 リサは顔を顰める。


「せっかくこの学校入ったのに一回も相宮先生は担任にならないし」


「俺が決めることじゃない。でも話しならいくらでも聞く。卒業したらどうするつもりだ?」


「さぁ……あ、ヒーローかな」


 思い出したようにそう呟く。


「却下」


「じゃあ凛ちゃんのバーで働く」


「絶対に駄目だ」


「なんで?」


「あいつらに関わるなって言ってるだろ。それにお前みたいな子供が雇ってもらえるような場所じゃない」


「また子供って言った」


「実際そうだろうが。真面目にちゃんと考えろ。力にはなるから」


「……今日何曜日だっけ」


「水曜だ。話しを聞け」


「帰るね」


「リサ」


「名前で呼ばないでもらえますか? ほら、あそこで一年生が相宮先生のこと待ってますよ。じゃあさようなら」


 リサが顔を向けた方を見ると数学の教科書を持った生徒が数名こちらを伺っていた。


「真っ直ぐ帰れよ」


 リサは少し振り返ってニヤリと笑い去っていった。ここ最近生意気さに拍車がかかってないか? 困ると調子いいこと言うくせにな。一気に週のど真ん中特有の倦怠感が襲ってきて早くピアノに触れたくなる。


 ふとあのニューヨークスタインウェイが脳裏をよぎる。俺のものなら毎日弾いてやるのに。そういえばあれ以来黒瀬から連絡は無いが、詐欺グループと戦っているのだろうか。正義と謳い自分の欲を満たす大胆不敵な変人だがヘマをすることだってあるだろう。相手はアウトローな人間たちだ。大丈夫なのか。……いや、どうでもいい。俺は俺の仕事をしなければ。教科書を開き首を傾げる生徒に向き合う。大丈夫だ。数学の答えは一つしかない。分かれば簡単なものだ。なら……正解がないものはどうすりゃいい。俺はあの時からずっと、前に進めないままだ。本当はリサにどうこう言える立場じゃないことは分かっている。ヒーローなんてとんでもない。俺はリサの母親を救えなかったのだから。

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