4 託された者
チナの胸には、確かに剣のようなものが突き刺さっている。
その剣は、持ち手は紫色をしており、何か模様のようなものが彫られているようだ。
持ち手の長さは30センチほどか、見ているだけでコウの右胸が痛み出してきた。
ただ、チナの胸の部分は血の色もなく白い服が何事もなく風に揺れていた。
コウは、血を見ないですんでほっとした。
コウは、血がとても怖かった。
―ちょっと擦りむいて血がにじんできただけで、すぐに不安になっていた。
だから、すぐに傷テープを貼るのでよく父親に怒られていた。
昔、家族でバーベキューへ行った時、ふざけすぎて椅子に座ったまま後ろにひっくり返ったことがあった。
後頭部を大きな石で切ってしまったのだが、痛みは我慢できていた。
ただ、頭から血がどくどく流れていたみたいで、後で母親から後頭部の写真を見せられた時は寝込んでしまった。―
チハの姿もよく見ると、槍の先がチハの右肩を突き破って大きな土筆が生えているようだ。
服も血はにじんでもおらず、汚れも切れ目もない。
槍の先があたかもアクセサリーのようにも見える。
チハが、静かに話し出した。
「これが、重い槍です。」
と、右肩を指していった。
指先をそろえ、あたかもディズニーランドのガイドさんのようだ。
たしかに、名所にはなりそうだが。
「チナが持っているのが、御剣です。」
と、また指先をそろえ指し示していた。
この、のどかな姿にコウの恐怖心は少しづつ溶けていった。
「重い槍と御剣を持つ者って、あんた達だったのか。」
ケイは、まじまじと槍先を見ながら言った。
「はい。私たちはエアイ様にお渡しするために生まれました。」
「?」
「どうぞ、その手にお取りください。」
「って、どうやって?体の中に埋まってるんだろ?」
ケイは、素朴な疑問を口にした。
コウも思った。
そして、いやな予感もしていた。
「エアイ様なら、これらのものに触れられます。どうぞ、お取りください。」
「触れられますって、俺たちがエアイと違ったらどうなんの?」
「どうか、お取りください。」
ケイは、コウのほうに向き一つ溜息を吐いた。
ケイは、意を決してチハの槍先へ手を伸ばした。
そして、槍先の金属に手が触れた時、
「キュゥーン。」
何とも言えない声を放ち、チハが崩れ落ちた。
「おいッ、大丈夫か。」
ケイの手は、震えていた。
チハは、何も言わず両手を地面につき肩で息をしている。
荒い息だけがかすかに聞こえてくる。
「ほんまに、大丈夫か?やっぱり無理やろ。こんなの抜ける訳ないで。」
両手を振りながらケイは首を振る。
「何言ってるの、あなた達しかいないのよ。」
今まで静かにしていたチナが、子どもを叱るように声を発した。
お姉さんが苦しんでいるのに、お構いなしだ。
コウは、チハがかわいそうに見えてきた。
「ケイ、これを抜いて。」
チナが胸を指しながら、呼び捨てしてきた。
ケイは、少しカチンときたが子供なので我慢しているようだ。
静かに顔を横に振る。
「意気地なしねぇ、あなた達しか民を救えるものはいないのよ。」
俺たちは、エアイ様なのだろうか。
チナのため口を聞いていると、きっと違うだろうとケイは思えてきた。
「私たちの体にあるこれは、持ち主にしか触れないの。私自身も直接触れないわ。」
チナは、剣を指さしながら言う。
―先に言えよ―
「だけど、持ち主のあなたならこれを抜けるわ。さぁ、握ってみて。」
チナが、ケイに近づきながら手を伸ばしてきた。
そして、その手はケイの右手をつかんだ。
「さぁ、握って。」
チナが、グイッとケイの手を剣の方へ引っ張った。
「待てっ。」
ケイが、手をひっこめようとするがチナは離さなかった。
そして、チナが自分から体を近づけていった。
ケイの手は、チナの手の中で力なくチナの体に刺さった剣を迎えていた。
ケイの手が剣に触れた瞬間、ケイは目をつぶっていた。
だが、何も聞こえない。
さっきのような、痛々しい声が。
「ほら、大丈夫でしょ。」
ケイの手は、しっかりと剣に触れていた。
そして、チナはケイの左手も引き寄せ両手で剣を握らせた。
「さあ、引いて。」
―こんなの、引けるわけがないだろう。女の子の胸に突き刺さってるんだぞ。無~理~
「出来るわけ無・」
ケイが拒んでる端から、チナがケイの両腕をつかみ自分の体を後ろへ引いて行った。
「ぅおいっ、よせ!」
ケイの腕には剣が握られていた。
剣先は光に輝き、周りの景色を映しこんでいた。
長さは、持ち手の倍ぐらいか60~70センチほどもある。
コウは、料理が好きだから刃物はそれほど怖くはなかった。
でも、これほどの長さの刃物を見るのは初めてだった。
剣を抜かれたチナは、うつむいたまま少し荒くなった息で右手で胸を押さえていた。
「大丈夫か。血とか出てないんか?」
ケイが、心配そうに覗き込んだ。
「何心配してるの。子供ね。抜いてもらったら、楽になったわよ。」
勝気なのかなんなのか、顔を上げ笑顔で話し続けた。
「さぁ、次は姉さんのを抜いてくれる。今度は、コウ、あなたよ。」
「えっ!無理、むり、むり。」
コウは、両手を前で振り後ずさった。
「コウ! 逃げんなや。俺だけにやらせる気か。」
ケイが、睨む。
―さっきまで、自分も嫌がってたのに・・・なんで女の子側に付くんだよ―
「だって、こんなに苦しんでるよ。」
チハは、まだ地面に手をついて荒い息をしている。
「だからー、コウが抜いてくれたら私たちは楽になるのー。」
チナが、けだるそうに言う。
―僕、アホにされてる?喧嘩売られてる?―
「コウ、逃げる気なの。」
チナが、睨んでくる。
ケイも、睨んできた。
「えー、でも、・・・。」
チナが、コウに近づいてきた。
「世話の焼ける子供ね。」
チナが、コウの手をつかんだ。
コウは、逃げ出したかった。
だが、子供相手にそんなこともできないし・・コウは、なすすべもなくチナに操られていた。
コウの手が、チハの肩にある槍の先に触れていた。
チハは、さっきのような声は発しなかった。
コウは、意を決して槍の柄を握り抜いていった。
ヌルヌルという感じが、手を通してコウの脳を震わせていた。
―う、うわー ダメ、ダメ、ダ・・―
「出来たじゃん。」
気楽に、チナが言う。
チハは、まだしゃがんだまま荒い息をしていた。
微かにのぞくその頬には、汗が浮かんでいる。
さきほどよりか細く見えるその体は、呼吸とともに大きく動いていた。
「大丈夫かな、死んじゃったりしないよね。」
コウは、オロオロしながらケイへ話しかけた。
その時、チナがチハの背中に右腕を回しながらつぶやいた。
「もう、死ぬよ。」
―死ぬ?
確かにチナがそう言った。
その表情はさっきと変わらず、微笑みすら浮かべてチハの背中をさすっていた。
「何言ってるんだ、死ぬよじゃないだろ。何とかせなあかんやろ。」
ケイが、オロオロしながら怒鳴る。
そりゃそうだ、ケイもコウも人の死とはあまり関わったことがない。
コウは、祖父の葬式に出たことはあるが、死に目には会っていない。
未体験の恐怖が、コウに迫ってきていた。
「何オロオロしてんのよ。バッカじゃないの。」
お構いなしに、チナは毒舌を吐いた。
「死ぬかもしれないんだぞ、何のんきにしてるねん。」
ケイの声も大きくなる。
コウは頷くことしか出来ないでいた。
「生きてたら、死ぬでしょ。当たり前の事よ。」
「でも・・・」
「死ぬのが何で怖いの?生き抜いたら死ぬのよ。」
まるで、仙人のようにチナが話す。
「でも、まだ・・・」
ケイは、何を言っていいのか口ごもんでいる。
「みんな死ぬの。あなた達もでしょ?死んでも、民がずっと残ればそれでいいじゃない。姉さんと私は、御剣と重い槍をあなた達に託すために生まれたの。その使命が終わったらそれでいいの。何がわかんないの?」
「?」
コウは、何かに引っかかっていた。
「後は、あなた達に託すわよ。」
チナは、強いまなざしで言った。
「ちょっと待って。」
コウが、頭に引っかかっていた事を口に出した。
「民が残るって・・・朽ち果てた家はあるけど、チハさんとチナちゃんの他には誰もいないようだし・・・さっき、チハさんが、村が滅びる間際にって言ってたけど・・・。もしかして、もう村は滅びてしまってるんじゃ・・・民も、もしかしたら、君たちだけしかいないんじゃ・・・」
「そうよ。今頃何言ってるの。」
自分の子供には、ちゃんとした言葉遣いを教えよう―とコウは思った。
「じゃあ、誰のために・・・僕たちは・・・。」
「わっからない子ねー。」
チナは、少し青ざめた顔をして子供をあやすように言った。
「エアイ様のケイとコウに、御剣と重い槍を渡しました。後は、あなた達が動いてくれる番でしょ・・・・そろそろ、時間が無くなるわ。」
とチナは言うと、チハの横に座り姉に微笑みかけていた。
「姉さん、お待たせ。ちょっと、時間かかっちゃったね。終わったよ・・・」
チナは、そう言うとチハの膝を抱くように崩れていった。
ケイとコウは、何も出来ないでいた。
チナを膝に乗せたチハが、少し顔を上げケイとコウに視線を合わせた。
その瞬間、チハとチナの体が―まるで、ストップモーションでシャボン玉が割れていくように―小さな光の粒子に分かれ、僅かな空気の流れに溶けていった。
― to be continued