1 3歩歩けば 異世界だった
2023年2月25日 空には、朝の陽光を乗せた薄い雲が低く流れている。
町の大通りに並ぶメタセコイアの木々は、まだ寒そうに痩身を遠く並べ立っている。
ここは、京都南部。
京都駅から、近鉄電車で30分ほどで着く静かな町だ。
コウは、上着に手を突っ込んだまま空を見上げている。
いや、厳密にいえば電線を見上げている。
住宅街にそびえたつ巨大な鉄塔は、この町の空を支配するかのようにそびえ立っていた。
そこから流れる電線は遠くの鉄塔へと続き、そこからまた次の鉄塔へと流れ出ている。
コウは、それを目で追いながら、いつしか遠くの山々へと視線を向けていた。
「すごいよなぁ、どこまで続いてんやろ」
一人、ぼんやり呟く。
「おい!何ぼーっとしてんや」
不意に、ケイから怒鳴られた。
コウとケイは、スマホゲームに導かれて町を歩き巡っていたのだ。
地域限定のスマホゲーム。
町のいろんな所にお宝が隠されていて、そのお宝を集めるとアプリの中のビンゴカードが埋まっていく。
そして、半年に一度の抽選会でオリジナルキャラクターのグッズがもらえるのだ。
町が作ったオリジナルキャラクターだから、別に人気でも何でもない。
でも、コウとケイはそんなもんでも集めるのが好きだった。
コウは13才。学校に行っていれば中1だが、コウは小学3年から学校には行っていない。
人見知りで人と話すことが苦手なため、外出も極力しないようにしている。
ただ、幼馴染のケイといるときは不思議と活動的になれるのだった。
ケイは15才。4月に高校生になる。
バドミントンに夢中で、生徒会役員もした行動派だ。
コウとは月に1~2回しか会わないが、コウといるときが一番リラックスできていた。
気付いたら二人は、近所の神社まで来ていた。
その神社は、丘のような小山の中腹に鎮座している町の氏神様だ。
住宅街のすぐそばだが正月以外は人影はまばらで、わずかな枯葉をつけた木々だけが静かに二人を包んでいた。
「コウ、あっちにすごいアイテムがあるみたいや、行くぞ。」
ケイはスマホを見ながら、鳥居を抜けた脇の小道を進んで行こうとしている。
コウは気が進まなかった。
コウは、小さい頃にその小道の先で怖い思いをしたことがあったからだった。
・・・ 「牛さん神社」神社の鳥居の横にある手水舎には大きな牛像が横たわっているので、子供らはそう呼んでいた。
コウが5才の時、家族でお参りに来たことがあった。
コウは3つ年上の兄と木々の生い茂る小道を夢中で走り回っていた。
「お兄ちゃん、待ってよ。ほら、こっちにも道があるよ。」
トンネルのような木立を抜けると山頂へ誘うような小道が現れた。
ふと見上げると、黒々とした木々を従えた小さな社が見えた。
その上には、垂直に伸びる飛行機雲が夏の青空を真っ二つに切っていた。
コウがぼんやりその社を眺めていると、瞬きした瞬間に大きな男の人が現れた。
―なに?―
コウは声を出すことも出来ず、目を逸らすこともできなかった。
その大男の右手には大きな刀が握られ、もう一方の手がコウを捕まえるかのようにこちらに大きく伸ばされて来ていた。
コウは足元から這い上がってくる初めての感情に泣き叫んだ。
そして、無我夢中で母のもとへ走った。・・・
コウは恐る恐るケイの後をついていった。
あの日見た社が、枯れ草の中遠く静かに佇んでいる。
わずかな風が小枝から垂れ下がった枯葉を揺らすが、何の音もない空間だった。
「ケイちゃん、そんなとこよりもコンビニでチキンでも買おうや。腹減った。」
「後でな。もうちょいでアイテムゲットやぞ。」
ケイは、スマホを見たまま進んで行く。
コウは仕方なく、ケイの後をついていった。
昔見た社がケイの背中越しに近づいてくる。黒々とした木々を従えて。
苔むした石の台座の上に、灰色の細長い塔が見えてきた。
近くで見ると、塔というようなものではなく、ただの石の鳥居だった。
「小さかったから、あんなふうに見えたのかな?」
鳥居の石柱は手のひらを広げたほどの大きさ、20センチくらいで、高さは台座を合わせても3メートルほどだった。
表面は何かが彫られているようだが、わからない。
鳥居の奥には、小さな社が木々に埋め込まれたように置かれていた。
少し離れたところに小さな赤い芽をつけた木がある。
コウの身長よりは少し低く150センチくらいか、枝にはたくさんの棘がついている。
バラのようだ。
「こんなとこだったんか、たいしたことなかった。」
コウは、一人つぶやいていた。
「ここや、ここ。ここにアイテムが埋まってるみたいやで。」
ケイは悪人のような笑顔を見せながらスマホをコウに見せた。
スマホには、ちょうどバラの木のところに祠が現れていた。
ケイは、スマホを操作してスマホに映し出された祠の中へ入っていった。
しばらく進むと地面にわずかな光が現れた。
ケイはスコップのツールを使い、そこを掘っていった。
「やった。ゲットしたぞ。コウも取れたか?」
「うん。」
コウもスマホの画面を見ていた。
今まで取ったことのないアイテムだった。
画面には『虹色の雫』と書かれている。
効果は『?』とあった。
―なに?―
「任務完了。次は、図書館の裏の方やな。その前に、コウ、チキン買いに行くか。」
ケイは、周りの景色なんか興味なく振り返り歩き出した。
「痛っ。」
「どうしたん?ケイちゃん。」
コウがスマホから目をあげてケイを見ると、ケイのズボンには無数のバラの枝が絡みついていた。
「えっ、最悪! こんなに枝が絡んでるやん。コウ、ちょっと後ろの枝取ってや。」
「オッケー。」
コウは、ケイに絡みついた枝を恐る恐るはがしていった。
「痛っ。」
「なんや、コウも棘刺さったんか。どんくさいなぁ。」
「うっさいな。取っちゃってんやろ。ほら、終わったで。」
「サンキュー。よし、行こうぜ。」
そう言って、ケイがコウの肩を組んで歩き出そうとした時だった。
景色が暗転した。
目の前が真っ暗、いや一面灰色の世界だった。
肩を組んだままの二人は茫然としていた。
「コウ、俺、目が見えなくなった。」
前を見たままのケイは、不安そうに言った。
「違うよ。僕もケイちゃんしか見えない。」
ケイは、コウのほうを見て安心した。
「よかった。でも、どうしんたんだ。」
現状を理解したケイは、不安そうに言った。
「!」
コウは、何かを思い出した。
「ケイちゃん、このまま後ずさりしよう。」
コウの父親は、普通の会社員だった。高卒で、これといった趣味もない。
取柄というものは何もないけれど、それでいて知識だけはすごかった。
雑学からオカルト情報まで、コウは小さい頃いろんな話を聞いていた。
そんな話の中に、『神隠し』というのがあった。
人間がある日忽然と消える現象だ。
世界中でそういう言葉があるそうだ。
父が話してくれた内容は―
ある国で、友達と二人で歩いていた男の子が、友達のすぐ目の前で消えてしまった。
友達はびっくりして、その場でじっと立ちすくんでしまった。
しばらくすると、また目の前に友達が後ろ向きで近づいてくるのが見えた。
友達は心配して、「どうしたんだ。急に見えなくなったぞ。」と話すと、男の子がこたえた。
「急に真っ白な世界の中にいた。振り向いても誰の姿もなかったから、怖くなって時間を巻き戻すつもりで後ずさりしてきたら戻ってこられた。」
父が言うには、
・・・人は死んでこの世界からいなくなってしまうけど、実は別の世界で新しく生まれているのかもしれないよ。
お母さんのお腹の中にいる胎児が、泣きながら生まれ出てくるだろ。
新しい世界を怖がっているんだと思うよ。
赤ちゃんは、お腹の中とこの世界、二つの世界を経験しているんだよな。
それと同じように、僕らがいてる世界があるなら、全く違う世界があっても不思議ではないよな。
そんな世界の入り口がこの世界中にあるのかもしれないな。
おまえも「ムー」読んで勉強しいや・・・
「もしこれが世界の裂け目なら、後ずさりしたら戻れるかもしれない。」
一人、コウは言った。
そして、二人は肩を組んだまま後ずさりし始めた。
コウとケイは、テーブルでチキンを食べていた。
ここは、コウの部屋だ。
ベッドとテーブル、あとはパソコンとゲーム機が部屋を占領していた。
窓際には沢山の女の子のフィギュアがあり、壁にはアニメのポスターが飾られている。
そこには、剣を高々と振りかざした少女がいた。
「いったい、なんやったんやろうな?本当に、他の世界なんかなぁ。」
「うん。でも、戻れてよかったね。」
コウは、本当に良かったと思った。
家に帰った後、コウはケイに父から聞いた不思議な話を伝えた。
もう、あの辺へ行くのはやめとこう。
あらためてコウは決意していた。
ケイは壁のポスターを見ながら、言った。
「後ずさりしたら、戻れるんやろ。だったら、もうちょっと先へ歩いてみてもええかもしれんな。長いひもを枝に括り付けて、それを持って歩いて行ってもええかも。」
「えっ!えぇー! なにゆうてんの。」
コウは、炭酸の入ったコップを持ったままケイを見た。
「もうちょっと行ったら、何かが見れるかもしれないんやで。違う世界やったら、すごいやないか。」ケイは嬉々として話す。
「僕は、行かないよ。」
コウは決意していた。
「コウ、荷造り紐ないか?それさえあれば大丈夫やから。」
「僕は、行かないよ。ぜったいに。」
コウは決意していた。
その日の夕方、コウはケイについて神社に来ていた。
絶対に行かないと決めていたコウだったが、ケイの強引さにはいつも負けてしまう。
荷造り紐を眺めながら、今、ケイの後を歩いている。
・・・なんで、断れないんだろう。はぁー、いやだなぁ。・・・
コウは、後悔しかなかった。
いつの間にか、あの鳥居のそばまで来ていた。
時間は、午後5時20分。あたりはまだ明るい。
いつの間にか日が長くなっているのを、コウは感じた。
バラの木は、朝来た時と同じように赤い芽をつけたまま眠りにつこうとしているようだった。
ケイは、荷造り紐を伸ばして鳥居の石柱に括り付けていた。
「えっ、なんでそんなところに括るの?あかんやろ。」
コウは、びっくりして叫んだ。
「なんで?大丈夫やろ、倒れへんって。」
「違うよ、なんか祟りとかあったらどうすんの。ここ誰かのお墓があるかもしれんし。」
「こんなとこに墓なんかないやろ。コウは気にしいやな。」
ケイは、気にせずに紐を伸ばしながら近づいてきた。
ケイは、コウの肩に腕を置き言った。
「さあ、行くで。」
「えー、もうちょっと待ってやー。あかん、あかん、心の準備が・・」
コウの声だけを残して、ケイ達はバラの木へ近づいて行った。
―to be continued