第4話 描かれなかった肖像画
――― アンナの自宅
「聞いてくれ。僕の絵が売れてお金が手に入った。今まで欲しいものも買えずに苦労をかけたけど、もうその心配はない。だから、また息子と3人で一緒に暮らそう!」
メーヘレンは両手いっぱいの札束を、アンナの前に広げて見せた。
当然「Yes」の返事が返ってくるだろうと期待するメーヘレンに、アンナはこう答えた。
「ずいぶん羽振りが良くなったのね。おめでとう。でも、私はあなたとは一緒に帰れない」
目を伏せるアンナに、メーヘレンが急かすような口調で言葉を投げる。
「なんでだよ! お金なら、ほら。このとおり。君はいつもお金がないことを気に病んでいたじゃないか。あの時の僕とは違うんだよ。分かってくれ」
「分かっていないのはあなたの方!」
アンナは伏せていた目をメーヘレンに向けた。
「私はお金が無いことが嫌だったんじゃない。お金に心を奪われて私たちを顧みなくなってしまったあなたのことが嫌いになったの!」
返す言葉を失ったメーヘレンにアンナが続ける。
「あなたを恨みながら過ごすこの数年で、私自身も汚れてしまった。真珠の耳飾りが似合う私はもう居ない。だから、私のことは忘れてください。もう、これ以上私を苦しめないで!」
絞る出すような言葉に、静かに涙を溜めるメーヘレン。
(なぜもっと、彼女との時間を大切にできなかったのだろう……)
数刻後、彼は広げた札束を捨てるようにと伝え、彼女の家を後にした。
帰り道、アンナとの様々な思い出が頭の中を駆け巡る。
彼は考えることをやめたくて、道中のパブに立ち寄った。
客がまばらな店内に入ると、強めのジンライムを注文して口に流し込む。
(もう絵描きはやめよう……。僕が何をしようが、結局は何も変わらない……)
そんなことをぼんやりと考えていると、隣の席にグラスを持った女性が腰かけた。
「あら、こんなところで何してるの? あなたの家はもっとあっちの方よね?」
ウェーブのかかった長めの髪をかき上げたヨアンナが、手にしたコップをメーヘレンの空のグラスに勝手に重ねた。
彼女はたまたま友人との付き合いでここを訪れていた。
「何飲んでたの? まあいいわ。マスター、同じ物をもう一杯ちょうだい」
メーヘレンの顔を覗き込むヨアンナ。
「しょぼくれた顔をしてヤケ酒? まあ、そういう気分の時ってあるわよね。私もそう。舞台で失敗した時とか。成功した時とか。あ、そんなこと言ったら、毎日パブに通う羽目になっちゃうわね」
陽気なヨアンナをちらりと一瞥したメーヘレンは、覇気のない声で呟いた。
「もう絵描きはやめて、何か真っ当な仕事をしようと思う」
「え? 何? どうしたの? 急に」
形だけは真剣に話を聞こうという素振りを見せるヨアンナ。
「実は、さっき元妻の所に復縁の話をしに行ってきたんだ」
「あー、そういえば言ってたわね。「お金が手に入ったら家族とやり直すんだー」って。で、結果はどうだったの?」
「散々だよ。たとえお金があったとしても僕とはやり直せないってさ。正直、もう何もする気がおきない」
沈んだ顔のメーヘレンに呆れた表情を浮かべるヨアンナ。
「で、絵描きをやめるってわけ? どうするつもり? 家に帰ったら筆でもへし折ってゴミ箱に叩き込んでみる? 手伝おうか? そういうの、スカッとするのよね。私もよく衣装をビリビリに引きちぎって窓から投げ捨てたりしてたわ」
片方の口角を上げたメーヘレンが横目でヨアンナを流し見る。
「でもさ、結局別の新しい衣装を買っちゃうのよね。筆なんて捨てても無駄よ。どうせ次の日には画材屋に足を運ぶことになるんだから。むしろ、もっといい筆はないかって必死になるのがオチ」
ヨアンナはマスターから受け取ったジンライムをメーヘレンの前に置いた。
「あなたから絵をとったら何が残るの? 元奥さんにも言われたんでしょ? 「どんなにお金を持ってようが、あなた自身に価値はない」って。でもそれは私も同じ考え。どんなに才能に恵まれていようとも、それを表に出さなければ死んでいるのと変わらない。もがきもせず、死んだように生きたいんだとしたら、あなたはまだ若すぎるんじゃない?」
翌日、メーヘレンは次の贋作に取り掛かることをヨアンナに伝えた。
やがて2人は結婚し、苦楽を共にすることとなる。




