第3話 エマオの食事
数日後、報酬を待つメーヘレンの元に贋作の製作を依頼した友人が姿を現した。
「報酬の1,400万円だ。確かに渡したからな」
浮かない表情で現金を手渡す友人のことが気になり、メーヘレンは尋ねた。
「どうした? 大金が手に入ったんだろ? なぜそんな顔をする」
「いや、確かに金は手に入った。しかしあの絵は贋作だったと見破られたらしい。全てが上手くいくと思っていた訳ではないが、どうも後味が悪くてな」
厳しい表情を浮かべる友人を見て、メーヘレンにも不満が湧き上がった。
(あの作品を贋作と見破るとは、いったい誰が。いや、そんなことはどうだっていい。僕の作品がゴミくず同然に扱われるのは耐えられない! こうなったらとことんやってやる! 完璧な贋作を描いて、下衆で鼻持ちならない美術評論家どもに目に物を見せてやる!)
メーヘレンは友人に頭を下げた。
「今度は僕から頼みたい。もう一度、一緒に危ない橋を渡ってくれないか?」
再び贋作の製作に取り組むことになったメーヘレン。
彼が模写の対象に選んだのは、自らが最も敬愛するアーティストのフェルメール。
絵描きとしてのフェルメールは、メーヘレンと同じ30代中盤にはすでに裕福な親族や後援者の支援を受けて、『売れる絵』ではなく『描きたい絵』を描き始めている。
一方のメーヘレンは、生活費を稼ぐために仕事に追われ、描きたい絵を描く時間さえない。
また、光を描く天才と言われたフェルメールに対して、メーヘルンは影の描写に一目置かれている。
全く正反対の境遇を過ごした人物を同化の対象に選んだメーヘレン。
皮肉な運命は、今まさに重なり合おうとしていた。
メーヘレンが最初に着手したのは、水にもアルコールにも溶けない顔料の開発である。
これは特殊な樹脂を顔料に混ぜ込むことでクリアできた。
続けて、製作した絵画が経年劣化したように見せる工夫も考えた。
風化した顔料を表現するためにヒビ割れを作り、そこに入り込んだ埃やゴミも再現した。
当然、使用するキャンバスや道具類は17世紀の物を使用、または忠実に再現。
特に費用が掛かったのは、フェルメールがこだわって使用していた絵の具の原料である。
彼は特徴的な青を表現するために、高価な鉱石であるラピスラズリを使用していた。
見る者の目を奪うその青色は『フェルメールブルー』と名付けられている。
メーヘレンにとって、金さえ払えば手に入るラピスラズリの使用はまだ越えやすい壁だった。
彼の手元にはフランスハルスの贋作を売った資金があるからだ。
しかし、フェルメールが好んで取り寄せていた顔料『インディアンイエロー』の再現には苦慮したと思われる。
蛍光掛かったその黄色は、インドの雌牛にマンゴーの葉だけを食べさせ、排せつされる尿を蒸発させて作られていたからだ。
メーヘレンは使用する顔料には徹底的にこだわった。
「本物を再現するには、本物を用いるしかない」彼の哲学の一端を垣間見れるエピソードだ。
制作期間は長期に渡った、その間何度か「無理だ。もう辞めてしまおう」と挫折しかけたが、そのたびに彼を励ましに来た人物がいる。
ヨアンナ。
彼女は元女優で、気は強いがとても美しい女性だったと言われている。
そしてメーヘレンの絵の才能を見抜いていた一人でもある。
しかし、同時に彼の作品が世に受け入れられていないことも知っていた。
彼女はメーヘレンにこう言った。
「なぜあなたの作品が売れないのか、私には分かります。理由はこう。コレクター達は才能のある作者の魅力的な芸術品が欲しいのではない。有名な作者による価値が保証された作品が欲しいの。彼らは、美を通して心を豊かにしたいのではない。単に「あなたは素晴らしい作品をお持ちですね」と言われたいだけ」
拳を握って首を垂れるメーヘレン。
目をギラつかせる彼に向かってヨアンナが言葉を続ける。
「だから、あなたが愚かなコレクター達に制裁を与えるのは正義。本当に美を愛する人々のためにも、あなたは贋作を武器に彼らに復讐するべきよ!」
よく通るヨアンナの声がメーヘレンの胸に響く。
さらに、彼女は言葉でメーヘレンをたきつけるだけではなく、自らも身を挺してメーヘレンの製作活動をサポートした。
そんな日々が続いた6ヶ月後、ようやくフェルメールの贋作が出来上がった。
タイトルは『エマオの食事』
後日、オークションに出品された『エマオの食事』は、フェルメールの幻の未発表作品として販売され、価格は5億円で落札された。
これだけの値がつく名品である。
当然鑑定士の権威であるブレディウス自身も鑑定に携わったが、結果は真作。
今度はメーヘレンがまんまとブレディウスを出し抜いた形となった。
数週間後、現金を手にしたメーヘレンは意気揚々と元妻アンナの元を訪れた。