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第2話 陽気な酒飲み

 メーヘレン35歳のある日。

 彼が自宅のアトリエで修復作業に励んでいると、突然ドアがノックされた。

 コンッコンッ

「おーい、入るぞー」

 ガチャリと開かれたドアから入ってきたのは、メーヘレンの修復師仲間。

「突然どうした? 顔料でも切らしたのかい?」

 メーヘレンが尋ねると友人は答えた。

「俺がそんなヘマをするかよ。いつも顔料を貸してやってるのは俺の方だろ? それよりも、今日はお前に相談があって来た」

 友人は手土産のビールをメーヘレンに手渡した。

「おいおい、土産を持ってくるなんて珍しいな。さては何か魂胆こんたんがあるな?」

 友人はメーヘレンの側に椅子を持って来て座り込んだ。

「さすが鋭いな。まあ、一杯やりながら話を聞いてくれ」

 メーヘレンは何も考えずにビールという片道切符の封を切り、その半分をゴクゴクとうまそうに飲み干した。

「あぁ最高だ。さあ、もう君の頼みを断ることはできない。何でも言ってくれ」

 一人身になってからのメーヘレンは、どこか破滅的なオーラをまとうようになっていた。

「よし、じゃあまずはこれを見てくれ」

 友人はメーヘレンに胴体ほどの大きさの古びた絵画を手渡した。

「随分と痛んでいるな。17世紀くらいの作品か? 絵自体はフランスハルスの『陽気な酒飲み』に似ているが……」

 受け取った絵画を裏返したりしながらシゲシゲと眺めるメーヘレン。

「やっぱりそう思うだろ? で、ここからが本題だ」

 いぶかしい眼差しを向けるメーヘレンを、友人は気に留めずに続ける。

「この『陽気な酒飲み』もどきを、修復してくれないか? 少し構図や背景を変えてな」

「修復だって? 全てを書き直すの間違いじゃないのか? まあいい。で、その修復した絵をどうする?」

 友人は立ち上がって辺りを見回すと、誰も居ないのを確認してメーヘレンに耳打ちした。

「フランスハルスの作品として、オークションに出品する」

 驚いて立ち上がるメーヘレン。

「何だって!」

 見開かれた目を、居直った表情で見つめ返す友人。

「分け前は30%。お前に迷惑は掛けねえ。やるのか! やらねえのか! 今この場で返事をしてくれ!」

 メーヘレンは高まった呼吸を整えながら考えた。

(フランスハルスの未発表の作品が見つかったとなれば、その価値は1,000万円は下らない。分け前を30%として300万。もし300万のお金があれば、その使い道は……)

 覚悟を決めたメーヘレンが友人に答える。

「僕には足が付かないと約束してくれるんだね?」

 友人がうなずく。

「修復には時間がかかるよ。何せフランスハルスの作品を再現するんだ。しかもただ再現するんじゃない。贋作と見破られないように工夫をしなければならない。前金で100万円。用意できるかい?」

 まるで言われることが分かっていたかのように、友人はその場でふところから札束を取り出してメーヘレンに手渡した。

「この仕事はお前にしかできない。上手く鑑定士をあざむいてくれ」

 友人が部屋を後にした後、メーヘレンは札束を見つめながら思った。

(金さえあれば、アンナや息子ともう一度やり直せる。幸せな日々が取り戻せるんだ。だったら、やってやるよ。悪魔にだって牙をいてやる)


 ―――  数ヶ月後、オークション会場


 出品される古美術品は、事前に真贋の鑑定が行われる。

 年代物の油絵の場合には、当時アルコールテストという手法が用いられていた。

 油絵の顔料は数十年という時をかけて少しずつ硬化していくため、年代物の絵はアルコールに溶けなくなる。

 この性質を利用して、その絵が最近描かれたものか年代物かの判別を行う。

 メーヘレンが描いた贋作はアルコールチェックをパスした。

 もちろん筆のタッチや作者の特徴は完ぺきに再現されている。

 メーヘレンがアルコールチェックを通過できたのには仕掛けがあった。

 彼は油性の絵の具ではなく水彩絵の具をアレンジして顔料として用いたのだ。

 鑑定を受けるメーヘルンの作品。

 鑑定士は真作とのお墨付きを与えた。

 やがて、フランスハルスの未発表作として出品されたこの絵画には、4,500万円の落札価格がついた。

 その様子を客席からほくそ笑みながら見つめるメーヘレン。

 今にも奇声を上げながら踊り出したかったが、それはできない。

 彼は大金を手に入れる喜びを必死に噛み殺しながら帰途についた。


 数刻後、オークションが終わりバイヤー達が会場から姿を消すと、そこに1人の鑑定士が姿を現した。

 彼の名前はアブラハム・ブレディウス。

 鑑定士の中でも権威と言われる重鎮じゅうちんである。

 ブレディウスは悠然ゆうぜんと歩きながらスタッフルームに行き、職員に声をかけた。

「今日出品されたフランスハルスを鑑定した人物に会いたい」

 威厳のある口髭を整えながらソファに腰かけるブレディウス。

 やがて一人の鑑定士が姿を現した。

「君がフランスハルスを目利きした鑑定士かね?」

「はい、私ですが」

「あの作品、ちょっと私にも見せて欲しくてね。保管庫に案内してもらえるかね?」

「はい、ブレディウスさんの頼みであればそれはもちろん可能ですが、それにしてもなぜあの作品なのですか?」

 ブレディウスは立ち上がって答えた。

「それは、行けば分かる」


 やがて保管庫に到着したブレディウスと鑑定士。

 鑑定士はフランスハルスに掛けられた布のカバーを取り除いて見せた。

「どうです。見事な作品でしょう。フランスハルスの作品の中でも、これは特に出来が良い。私はそう感じましたが、あなたはどう思いますか?」

 絵画に歩み寄って顔を近づけるブレディウス。

「確かに出来がいい。良すぎるほどにな」

 ブレディウスはしばらくの間様々な角度から絵を観察した後に言った。

「アルコールテストは行っただろうね?」

「はいもちろん。顔料はアルコールに溶けだしませんでした。つまりこの絵は描かれてから少なくとも50年以上が経過していることになります」

 ブレディウスは少し離れたテーブルに進み、グラスに水差しから水を注いだ。

「本当にそう思うかね?」

 ブレディウスの言葉に怪訝けげんな表情を浮かべる鑑定士。

「私の見立てに何か不満でもあるのですか?」

 言葉を強める鑑定士を横目に、ブレディウスは水の入ったコップを持ったまま絵画に近づいた。

「では、私の見立てを言おう」

 絵画に向かって勢いよくコップの水をぶち撒けるブレディウス。

「何をするのですか!」

 鑑定士が慌ててタオルを持って絵画に駆け寄る。

 ブレディウスは動じる様子もなく言葉を発した。

「よく見たまえ。塗られた顔料がわずかに水に溶けだしているだろう」

 水を拭き取ったタオルに視線を落とす鑑定士。

「水溶性の顔料だよ。その絵に使われているのは油性ではなく水性。それを油絵のように盛り付けて使用している。だからアルコールテストでは溶け出さなかった」

 みるみる青ざめた表情になる鑑定士。

「……、バカな。そんなバカなことがあるか。水彩絵の具で油絵を表現するだって?」

 目を凝らして再び絵画を見る。

「油絵と水彩画の区別もつかんとは、君は鑑定士失格だな」

 眼鏡を直しながら軽蔑した表情を浮かべるブレディウス。

 クルリときびすを返し、その場を立ち去ろうとするブレディウスに向かって鑑定士が言った。

「水彩絵の具で描かれているからって、だったらそれが何だって言うんですか。私はこれが贋作だとは認めない。この絵は間違いなくハルスの本物だ。その証拠に、私がこの絵を買い取る。だから、この絵はハルスの真作として処理してもらいますよ」

 必至の形相で訴える鑑定士の顔を、ブレディウスが振り返ることはなかった。


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