0098 一つ所に留まれねえのが種馬の宿命よ。悪く思うなお嬢さん。ヒヒーン
その日は何事もなく過ぎた……夕方にはもう先発した騎兵隊が到着し、野営地はさらに賑やかになった。あっ、女騎士も居るじゃん、それもなかなかの美人だ! いいなあー、やっぱり異世界はこうでなくちゃ。どれ、さっそくお近づきに、そしてあわよくば体と体をぶつけ合う関係に……
「アリーナ様ぁぁ!」
ん? 誰かが女騎士の名前らしきものを呼びながら走って来る……いやクレールだな、知り合いなのかな。しかし女騎士の方は眉をひそめて小首を傾げている。
「どうしたんですかアリーナ様、私です、クレールですよ!」
「クッ……クレール!? 一体どうしたのだその姿は!? 騎士をやめて芸人にでもなったのか!?」
「そんな訳ないじゃないですかー。私! 大切な人が出来たんでーす!」
クレールは明るくそう叫びながら、俺の右腕に抱きつく。
俺はただちに呪文を唱え、クレールは弾かれたように俺の腕を放して転げ回る。
「しきそくぜーくうくうそくぜーしき」
「きゃー!! きゃはは、きゃはは、ウサジさんごめんなさい、キャハハハ」
その様子を見たアリーナ様……二十代後半くらいかな? 騎士隊長という感じの真面目そうなお姉さんは顔色を変える。
「やはり芸人ではないか! 何があったのだクレール、お前この男に何をされた、どんな辱めを受けたのだ!? あの誇り高きクレールがこのような……!」
馬を下りたアリーナ様は、いきなり剣を抜いた。
「ウサジとやら、貴様がクレールをこんな姿に変えたのか、貴様クレールに何をした、許せぬッ、この場で私と尋常に勝負しろ!」
「わあっ!?」
「やめて! アリーナ様やめて!」
「おやめ下さいアリーナ様、この方が聖者ウサジです!」
クレールが、同行の騎士がアリーナを止めにかかるが一歩遅かった。俺は勢い余ったアリーナ様の体当たりを喰らう……ま、今の俺には全然効かないけどね。ちょっと横乳が当たったな……柔らかかった。うひひ。
「クレールをこんな無惨な姿にする者の何が聖者だッ! ええい離せ、私がクレールを! クレールを正気に戻すのだッ!」
数分後。アリーナ様は俺の前に膝をついていた。
「前後不覚であった。クレールのあまりの変わりようを見て錯乱してしまった。誠に申し訳ない」
「膝をつくのはお止め下さい、解っていただけたら良いのです」
女騎士はクレールが自分で望んでフルモデルチェンジしたのだという事を納得してくれた。どうしてそうなったのかを話す事は出来なかったが。
とにかく野営地のまとめ役をアリーナ様に任せた俺は、自分のテントに戻る事が出来た。あー、今日はよく働いたなあ。後方で皆に指示する役は大変だなあ。
「ウサジさん、兵隊さんのご飯を貰いに行こうよ!」
そうして元気にやって来たノエラは、俺のテントの入り口で……あっ、俺のテントって俺が寝泊りする方のテントの事だぞ、とにかくそこで立ちすくむ。
「すごい……何これ……」
「あっ、ノエラさんもいかがですか!」
テントの中に置かれた折り畳みテーブルには、焼きたてのパンとホワイトシチューと魚のフライ、果物の盛り合わせに搾りたての牛乳まで並べられていた。
「全部ジュノン君が作ったの……?」
「料理は得意なんです、それに今日は時間がたくさんありましたから」
「焼きたてのパンも?」
「はい、石窯から作りました」
「魚はまだしも、新鮮な牛乳はどこから……」
「僕、小道具係ですから! お取り寄せならお任せ下さい」
エプロン姿のジュノンはノエラの席を作ろうと、折り畳み椅子を持って来る。
「い、いいんだジュノン、この料理二人分しかなさそうだし」
「僕は味見をしながら結構食べちゃったんで、どうかノエラさんが召し上がって下さい」
「いえ……私達三人はいつも同じ物を食べる事にしてるから……」
ノエラはそう言って回れ右をしてテントを出て行く。ノエラが自分を私と呼ぶのは珍しいな……前にも一度あったような気もするけど、いつだっけ。
「ごめんなさいウサジさん、次からはもっとたくさん作ります」
ジュノンはそう言って苦笑いをして、エプロンを取り、今用意した席につく。
ノエラ達が夕飯前に戻ると解ってたら良かったのだが……だけど俺もいつ野営地のまとめ役から解放されるか解らなかった。
ジュノンの飯はむちゃくちゃ美味いが、やっぱりあの三人が居ないと寂しいな……京麩みたいなラシェル、某警官風ノエラ、クレール婆さん……あの奇抜なメイクもすっかり見慣れてしまった。
ちゃんと夜は取って寝てるんだろうな? あれ。いくら若いからってメイクしたまま寝たらだめだぞ。お肌に良くないからな。
……
やっぱり明日にでもここを発とうか。俺達は兵士じゃない、冒険者だ。荒野を捜索して何かを見つけるのが仕事なんじゃないか。
盛り合わせのリンゴは、いつの間にかうさぎカットになっていた。