0075 あ……すみません、ここまで酷い事になるとは想像してませんでした……
「どうした……オイゲン」
筋骨隆々の男は執務椅子から立ち上がり、机を回って前に出る。オイゲン将軍はずかずかと執務室に入って行く。近衛兵達は……敬礼をしている。
「陛下。あちらがヴェロニクの僧侶、ウサジ殿です。勇者候補ノエラのパーティと行動を共にしておりました」
「そうか。されど余はあの事はお前に一任すると言ったはずだ」
「それ故に、こちらにお連れしたのです」
オイゲン爺は振り返り、王女マドレーヌの方を見る。マドレーヌはノエラの影に隠れる……そのせいで、陛下と呼ばれた、どうやらガスパル王らしい男は、そのイモジャージに面白フェイスの少女が誰なのか気付いたらしい。
「待て。お前はノエラと申す勇者候補の娘ではなかったか」
ノエラ達三人は少し気まずそうに膝をつく。そうか、ノエラは王様には旅立ちイベントで会ってたのね。
オイゲンは構わず話を続ける。
「それよりも。お聞き下さい陛下。マドレーヌ王女は今朝になって、また学校に行きたくないと言い出したのです」
「だから、その事はオイゲン、お前と女官達に一任したではないか」
俺はちらりと王女の方を見る。
王女は膝を着いたノエラの後ろで、目を伏せていた。
やれやれ……面倒くせえなあ。
「私はヴェロニクの僧侶ウサジと申します。陛下。恐れながら申し上げます」
俺はゆっくりと執務室に入って行く……するとオイゲンが通った時は黙って敬礼をしていた入り口の精鋭兵士が、中に居た近衛兵が、剣の柄に手を掛けて一歩前に踏み出して来た!? ヒエッ!? 何でだよ爺さんは良くて俺は駄目なの!? って、よく考えたら当たり前だな、俺普通に不審者だわ。
「陛下。どうかウサジの言葉をお聞き下さい」
オイゲン将軍はそう言ったが、ガスパル王は少しの間、俺とオイゲンを見比べていた。怖い。この国王怖い。アンタそんなに強いなら魔王を倒して来てくれよ、ノエラみたいな女の子達に任せねーでよぅ……
「随分肩を持つのだなオイゲン。この坊主に一体どんな力があると言うのだ?」
「御覧の通りです、陛下。白薔薇騎士団のクレールを御記憶ですか。若干16歳で叙勲を受け正規の騎士となった天才です」
「忘れるものか。近衛騎士団に取り立てようとしたら断って勇者候補ノエラのパーティに入った美貌の女剣士……待て、まさかそこに居るのがそのクレールか」
「左様。あの男嫌いのクレールでさえ、ウサジ殿にはメロメロなのです。我輩も最初は自分の目を疑いました。我輩の勘よりそちらを信じていただきたい」
王と将軍は顔を近づけてヒソヒソ話をしているのだが、二人共声が大きいので話の内容はこの場にいる全員に聞こえていた。メロメロっていつの言葉だよ、異世界にもあったのか。
「信じられぬ。あのクレールが……しかしオイゲン、という事はあの瓶底メガネの少女も、魔法学園始まって以来の才色兼備の優等生ラシェルだと言うのか……あの三人にあんな格好をさせているのが、このウサジと申す僧侶なのか?」
待て待ってくれ誤解だぁぁ! それは大大大誤解ですやめて下さい! 俺はこの三人にマイクロビキニを着せて360度上下左右前後から視姦したいと思っている正真正銘の変態です、おかしな事を言わないで頂きたい!
ちょっと待て。近衛兵までドン引きしてるじゃねーか! ガスパル王はまだ何も言ってないのに、勝手に二歩後ずさりしてやがる!
「陛下はマドレーヌ様の御父上でもあらせられます。どうか父としてマドレーヌ様にお叱りを賜りますよう、御願い申し上げます」
俺はさらに前にでて、そう言って頭を下げる。
「その事は……ここに居るオイゲンと女官達に一任しているのだ」
「承知しております。その上で此度は必ず御父上直々のお叱りが必要と思いましたので」
「学校に行けと、言えば良いのか?」
「いいえ。マドレーヌ様は昨日、オイゲン将軍や女官の皆さんに約束されたのです。それなのに、朝になってその約束を反故にして、箪笥の引き出しの中に隠れていたのです。御願いします陛下、いえ御父上。マドレーヌ様に、人と人との約束を守るよう、お叱りを下さい」
俺はそこまで言って、マドレーヌの方に振り返る。
マドレーヌはやはりノエラの後ろに隠れていたが……俺の目を見て、その意図を察すると。意を決し、怯えた顔をやめてとことことこちらにやって来る。
「もちろん、人間には間違った約束をしてしまう事もあれば、してしまった約束を守れない事もございます。そういう時にはどうするべきなのでしょうか? それは家庭教師や僧侶、女官などではなく、御父上であるガスパル陛下の口で、王女に伝えるべき事かと思います」
「マ……マドレーヌ……お前はその、学校に行くと約束していたのか」
国王は娘から目を逸らして、そうボソボソと言う。
「はい。昨日、明日は学校へ行くという約束をしました」
「そうじゃ……妾は昨日約束したのじゃ。だけど妾は今朝その約束を破ったのじゃ」
マドレーヌは父ガスパルの足元まで来てじっと父を見上げる。その眉根は心なしか、きりりと引き締まっているように見える。
「ウサジの言うとおりじゃ。妾を叱るのじゃ」
マドレーヌのやつ、妾に父はおらぬとまで言っていたな。
年齢よりもだいぶしっかりした子なのだと思う。それはもうたくさんの女官だの家庭教師だのをつけられて、みっちり教育されて来たのだろう。
一方で年相応の事が出来てない部分も多い。あのクッション投げは無いわ、小3くらいだろこの子? じゃあ同級生はドッジボールでも何でもビュンビュン投げて来るんじゃないか。この世界にドッジボールがあるかどうか知らんが。
あとやっぱりこの言葉遣いはおかしいよ、いくら王女だからってなあ……それで友達が出来なくて、学校へ行ってもつまらないんじゃないの?
「約束を破った妾を叱るのじゃ! 父上!」
ところで大丈夫ですかガスパル王? 今までこういう事が無かったのだろうか。マドレーヌの攻勢に、かなり浮き足だっているように御見受け致しますが。
「マドレーヌ……学校へ行くと約束したのなら、行かなくては駄目だ……約束を破るのは、悪い子だ」
筋骨隆々の王は、たじろぎながら、娘から目を離したままそう呟いた。次の瞬間。
「そうじゃ約束を破ったら悪い子じゃ! 父上はいつ授業参観に来るのじゃ!? いつ一緒にハイキングに行ってくれるのじゃ! クリームシチューを作ってくれるのはいつじゃ、ベッドで歴史の本を読んでくれるのはいつじゃ! いつになったら! お母様を説得して連れ戻してくれるのじゃー!!」
マドレーヌは近くの近衛兵が手にしていた槍の柄を掴んで引っ張る。勿論王女の力などたかが知れているのだが、抵抗する訳にも行かないと思ったのか……その兵士は槍を手放してしまう。
「危ないっ!?」
―― ビターン!
槍を持ち上げようとしたマドレーヌはその槍の重さに振り回され、支える事も出来ず、槍ごと結構な勢いで床にぶっ倒れた。
「マドレーヌ様!?」
「陛下!!」
近衛兵達はすぐに集まるが、このような事態は全く想定していなかったのだろう。マニュアルに無い動きが出来ずに固まっていた。
俺がギリギリで槍の柄を弾かなかったら、槍の穂先は鼻先を掠めるのではなく、マドレーヌの声に凍りついていた王の身体のどこかに当たっていたかもしれない。